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18、さくら散る



 4月10日。

 オレの生活に、春が戻ってきた。


 もちろん、ただの季節の春だ。

 かろうじて枝にしがみつく疎らな桜と、青青とした植物の芽吹きと、清々しいほどの青空と。


 それから花粉症が同時に見られる。

 オレは未だかつて、アレルギーの類いに見舞われたことはないが、周囲はこの花粉とやらのせいで、だいぶ外で生きづらさを感じているらしい。


 学校の最寄り駅から同じ道程で登校する連中は、マスクの下でずびずびと鼻をすすり、剥き出しにされて血走った目で進行方向を睨んでる。

 充血してるだけとはいえ、花粉に対する怨みが多少なりとも混じってそうなのは、その表情から明らかだ。


 自分を持て囃す取り巻きと学校へ向かうヒナも、例に漏れず花粉から身を護ってる。

 横から挨拶代わりに肩を叩かれ、誰もが魅了される美人の顔は立体的な白いマスクに隠されてた。



「おはよう、ヒナ」

「よー! ヒナ!」

「おはよ。花粉症つらいね、ヒナ」



 一方的に話しかけてくる複数の声に、アイツは真面目にも挨拶を返してる。

 鼻づまりを起こしてるとはいえ、「オバヨヴ」としか返事しないところに性格があらわれてるが。


 さっき触れそうな距離で横を通り過ぎてくヒナを軽く避けたばかり。

 そのまま道の端に追いやられたが、おかげで良いものが見れた。

 花粉だけは、ヒナを特別視しないらしい。


 コイツでも敵わないものがあると知って、朝から良い気分だ。

 あたりまえっちゃあ、あたりまえのことだが。

 にんげん相手を誑かせても、自然の交配を操れるわけじゃねぇんだな。

 ちょっと笑いそうになった。



「君は平気そうだね」



 端っこで気配を消してたはずのオレに、少し先にいた人気者はわざわざ立ち止まって話しかけてくる。

 足を止めないオレと横並びになったところで、ようやくヒナも歩き出した。

 斜め下にある横顔を見ないよう、オレは自分の鼻を上に向けてへへん、と笑う。



「ああ。オレは、自然には好かれてるみたいだぜ」



 視界の端で、ヤツの顔がこっちに向いた。

 いつも綺麗な形の目元が、今日はわずかに腫れてるような気がする。

 相手の目の中に、風で舞い上がった桜の花びらが映り込む。



「君を好いてるのは、自然だけ?」



 その口調は鼻声でつらそうだが、声には明るさが戻ってきてる。



「さあな」



 オレの応えに、ヤツは横顔でふわりと笑う。

 美人はそのまま取り巻きの輪に戻ると、先に学校へと歩みを進めた。





「え~、なんでえ」



 進級騒ぎでごった返す正面玄関。

 昇降口前の掲示板に貼られたクラス分けの表に、近くで駄々っ子みたいな声があがる。

 言うまでもなく、そんなそぶりをするのはアイツだけだ。


 学年が上がっても持て囃してくる周囲に構わず、ヒナは何度も自分のクラス名簿を確認する。

 気に入らない人間でも入り込んだのか。

 頬を膨らませるところも、まるっきり子どもだ。

 親に菓子を強請る姿そっくり。夕方のスーパーに行くと、よく見かける。


 不服であることを見せつける人気者を放っておくことにして、まっすぐ校舎に向かう。

 新しい教室は、本校舎の三階にある。階段を上っても、上っても、まだ段数は半分以上残ってる。

 ひとりで上を目指せるなら、その長さも堪えられるが。後ろで出来た集団に、誰もが持て囃す美人が紛れてる。

 早足に上階へ向かうと、気付いたヤツはわざとらしく隣に並んできた。



「ねぇ、大変だよ」

「なんのことだ」

「君と隣じゃなくなった」

「なんだ。そんなことか」

「とっても一大事なんだけど」



 オレにはそうは思えねぇけど。むしろ助かったと感謝したいくらいだ。

 去年、図らずも隣席になり苦労の連続だった。

 今年は図らずも、斜めに一席分の距離が空いたことを掲示板の表で知った。


 ヒナの席は左から二列目の三番目、オレは左端の五番目。

 つまり、いちばん隅の席。隣に窓もあって、後ろにプリントを回す必要もない。オレ向きの席だ。

 同じクラスでも、関わる率はグッと減る。


 新加入した二人のおかげだな。

 どこのクラスから移動してきたのかは知らないが、采配したやつを誰か褒めてやってくれ。

 オレは今年も自分のことで忙しいから、代わりによろしく。



 ◆◆◆



 朝から長ったらしい新入生歓迎式も終え、昼前に終わった学校からの帰り道。

 オレは馴染みの喫茶店に寄った。


 学生服姿の客を見つけて、カウンター奥の店長は背後の棚に手を伸ばす。

 おっさんの目の高さくらいしかない棚には、馴染みの客にしか使わないコーヒーセットや、グラスが置いてある。

 オレ専用のコーヒーカップは、白無地の寸胴だ。

 冬休みに百貨店の売り尽くし半額セールで買った。

 大丈夫、ちゃんと陶器だ。

 家に置いた次の日に仏壇の花差しになってたところから救い出し、店に持ち込んだ。


 フラスコから漂う湯気に乗って、ちょっと酸味のある香ばしい匂いが鼻先をつついて消える。

 オレの好きな匂いだ。

 店長は繊細な手つきで、サイフォンの手入れを始める。

 コーヒーを飲む客は、オレで最後らしい。閉店時間は、まだ先みたいだけど。


 おっさんは奥の客へと挨拶代わりに軽く手をあげ、カウンターに寄っかかって自分もカップを傾ける。

 紅茶の匂いがほんのり漂ってくる。

 正面には疲れを吹っ飛ばしたように爽快な顔があった。



「そういえば。君の好い人、さいきんは一人で帰ってるみたいだね」

「は?」



 店長の言葉に、オレの口から間の抜けた声が出る。

 いいひとって誰だ。オレにそんなやついたか……?

 きょねん流行った噂を掘り返すやつもまだ現れなくて、三年生になったことをじわじわと実感し始めたところなのに。

 やっと好調になったかと思えば……、今度はこっちか。



「《春霞(はるかす)み》でも見たのか。オレにそんなやつはいないぞ」



 この頃、人から借りて読んでる本に《まぼろし》のことをそう表現してる登場人物がいた。

 ちなみにその本を薦めてきたのは、いま目の前にいるこのおっさんだ。



「いやいや。君が独りの時間を好きなのは周知の事実だけど、ほら、前に一度この店にも来たでしょ。あの可愛らしい顔をした子だよ」



 可愛くて、オレの隣にいて、この店に来たやつ。──てことは、アレか。

 ヒナだな。



「あいつは別に、オレの何ってわけじゃないんだがな」



 呆れて声を張る気にもなれねえ。否定だけすると、店長はおどけて外に目配せする。



「そうなの? まあ、その子、あれからずっとこの店の前を通って帰ってるみたいで」

「はあ? あいつ、まだ懲りてねえのかよ」



 学校で接触がないなと思ってたら、今度はその手できたか。

 なるほど。確かに帰りをつけてるってわけじゃねえな。むしろオレと関わろうとするのを避けてる。


 だけど、オレの好きな場所の周りはうろつく。

 離れても自分のことは忘れるなってか。

 なんて陰湿なやつなんだ。


 ……最悪だ。

 苛立って指でカウンターを小突き続けていると、店長は何かを仄めかすように微笑んだ。



「いや僕が言いたいのは、つい最近になって、一人でいるってことなんだ。それまでは友だちと帰っていたみたいなんだけど」



 ヒナが、あの取り巻きたちを連れて?

 オレが通ってる喫茶店の前を、クラスの取り巻きと通ったのか。


 アイツ、オレがここにいること話してねえだろな。それはマジで勘弁してくれよ。

 ていうか、ちょっと待て。

 アイツ……どうして一人なんだ?



「ふうん? どうせ機嫌悪そうな顔してたんだろ」

「ううん。機嫌はすっごく良さそうだったよ。心晴れやかって感じ」



 ちょっと探りを入れてやると、おっさんは簡単にヒナの様子を口にした。

 ウザいやつだが納得だ。


 あの美人は一人でいても、陽気で猫かぶりってことだろ。

 いつもどおりのヒナをここで知ったって、オレには何の特にもならねえ。

 オレの憩いの場を、かなり近寄りがたい場所にしちまうやつのことなんて。

 知っても忘れてやる。



「あのな、おっさん店長よお。学生の帰宅事情に関心を向けるのは野暮だぜ。ガキに見えるだろうが、あと二、三年すりゃ成人認定される大人間近の高校生なんだからよ」

「大人だって、ずっと友だちと帰ってたのに、急に一人で帰ることになったら寂しいんだよ」

「あんたはそうかもな」

「うん。僕は寂しいです」



 店長はふざけて、畏まった口調をオレに向ける。

 年の割に弱々しい言葉が似合うってのも、どうかと思うぜ。

 あと、アイツに友だちがいると思ってるところに水を差すようで悪いが、連中はみんな揃ってただの取り巻きだからな。

 そんな事実がオレの口をついて出る前に、優しさの欠けた言葉はぬるいコーヒーで飲み下した。



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