17、黙って行け
なんだか晴れない気持ちのまま教室に戻ると、式を終えて下校時間のチャイムを待つだけの教室内が沸き立つ。
クラス連中の目が、遅れてやってきたオレに向けられる。
何事だと眉間に皺を寄せれば、例の美人の取り巻きをしてる1人がへっぴり腰で近付いてきた。
ヒナが、卒業する先輩に呼び出されたらしい。
目の前のやつらは上級生との別れや、今の環境が変わることへの不安なんて頭に無さそうな動揺っぷりだ。
こいつら、まさかヒナが誰かに呼び出される度にこんな反応してるのか。
どうなってんだよ、人の恋路ごときで。
初めてならともかく……毎度こんなんじゃあ、さすがにどうかしてると思うぜ。
いつもみたいに根も葉もない噂話でもやってりゃあいいだろうが。
オレが何かしてくれるとでも思ってるような、願望の滲んだ表情まで見せて。
鬱陶しい。
アイツのことなんて知るか。
オレはチャイムが鳴る前に自主帰宅しようと、鞄を迎えにきただけだ。
狼狽えて俯く取り巻きたちとは反対に、オレは心の中で願うように天を仰ぐ。
あの美人が呼び出されるたびに思うが、オレは成就を応援する側だ。
はやく誰か、アイツを貰ってくれ。
まさに今、会ってる最中だろうその先輩に、強引に事を進めていいと伝えに走ってもいい。
伝えに向かったところで、実際は邪魔にしかならねぇだろうけど。
まあ、この際だ。
どうせだから結果だけでも見てやろうと、ヒナが戻ってくるのを待つ。
騒然とする教室に居座って数分後、開けっ放しの扉から入ってきたソイツに注目が集まる。
人気者の取り巻きを中心としたクラスの輪に囲まれて、オレより小さなその背丈はすぐに見えなくなる。
だが中央で何を言い放ったか直ぐに人垣は割れ、ヒナは連中の隙間をすり抜けてくる。
わざわざこっちに向かってきた相手は、オレを見つけると顔を顰めた。
「告られに行ったって聞いたぞ」
オレの言葉で、ヒナは見るからに機嫌を悪くする。
背筋にゾクッとした悪寒が走る。
「行ったよ。断ってきた」
「先輩の気持ちに応えてやればいいだろ」
受け答えするってことは、まだ最悪まではいってないんだろう。
聞かれるって分かってたな、これは。
オレが軽い会話くらいの気持ちで言うと、目の前の美人がス……と表情を消す。
「君は、ひどい人だね」
「なんでだよ」
「いや別に。ただ、断ったのは、正直な気持ちで向き合うのが誠実な対応じゃないかと思って」
誠実……な。
オマエにしては、の話だろ。
そうは言ったって、いつだって明け透けに物言うわけにはいかねぇよ。
正直に言ったところで、相手がそれを誠実と受け取るかは別の話だろうに。
その先輩がよほど変なやつだったとは思わないし。
むしろ良い人だったかもしれない誰かとのチャンスを、自ら壊してまわってるコイツは、なんだか不憫だった。
オレの知るこの美人は、性悪で、腹黒で、しつこくて面倒くさい。
だけどオレ以外のやつには、オレの知らないヒナが見えてる。
きっと、その先輩も。
それで好きだと言ってくるやつは、たぶん素直で、純朴だ。
オレには見えない優しさとか、気遣いとかをちゃんと見てるんだろ。
捻くれちまったオレには分からないものを、そいつらは分かってるはずだ。
だからこそ、ヒナが何を理由に断ったのか全く想像もつかない。
「そういうもんか?」
「そういうものだよ」
「ふうん? 付き合えば良かったのにな」
「……君ってデリカシーないね」
オレにそう言い残すと、ヤツは妙な顔で口を閉じ、静かに教室を出ていった。
ヒナの沈黙に巻き込まれた教室は、徐々にヒソヒソ声が目立ち始める。
クラス連中の視線がこっちに集まりそうだ。
オレは乱暴に鞄を取り、さっさとその場を離れた。
◆◆◆
腹の黒い美人が転校してきて、もうすぐ一年が経つ。
大きな休みを前に騒ぐ連中とは無関係に、オレはヒナがけっこうモテることを知った。
春から変わってない席順で冬を越してきたが、三学期末に入って、コイツが授業以外で席に座ってる姿をしばらく見てない。
どうやら、ヤツだけ呼び出し期間が延びたらしい。
転校初日から男子にも女子にも教師にも、それこそ可愛いだの綺麗だのと学校を賑わしてたから驚きはないが、行動に出るやつが今さらになって増えてきたことがおかしかった。
順番待ちでもしてるみたいに、あっちが振られたらこっちが振られ、こっちが終わればあっちに呼び出され。
どこに潜んでたんだと言いたくなるくらい、次から次へと湧いて出てくる。
卒業式の翌日から、ヒナは《誠実》に応じ続けてるようだった。
この時期だけは上級生のいない校舎でその美人と会いたがるのは、一年生か同学年だけだ。
いつも知らない間に始まって、知らないうちに終わってるから、本当はもっと色んな相手から声をかけられてるのかもしれないけど。
オレのほうも卒業シーズンの裏門での一件以来、ヤツが告白される場面には出会してない。
だから気にも留めてなかった──そもそも知りたくもないが。
オレには関係ないことで、今までも、たぶん今後もヒナの話を周りが持ってくることはない。
ヤツの話題なんて聞こえてこなかった。
ヤツが何をしてるのかなんて見えなかった。
ヤツがどう過ごしてるのか、分かりたくもなかったけど……。
噂が回ってこないのは、単純にオレの感覚の問題だと思ってた。
ヒナにも噂にも興味がないから、周りで話してる内容も耳に入らねぇんだって。
でも不思議なことに、噂自体はよく聞いてた。
廊下の端やトイレの蛇口、校舎の正面玄関付近でだって話してるやつらはいる。
それこそテストのこと、授業のこと、オレは──テレビがないから──疎いが、いま話題のドラマがどうの、俳優がなんだって喋ってる。
どれもヒナと関係ない内容だった。
ヒナに関する噂だけ、めっきり聞かなくなった。
まるで周囲が、故意にアイツの話をしないようにしてるみたいな。
なんつうか、気持ち悪い……。
誰かの考えを予想するとか、心の機微とかは分からねぇけど、なんか気持ち悪いんだ。
隣席でヒナを囲んで話す取り巻きたちの会話のなかにも、ヤツが告白するされるの話は出てこない。
テストに出る範囲がとか、授業で寝てたとか、映画が観たいだの、あの女優が綺麗だのと口にしてる。
ちくしょう……やめよう……。
もう何も聞かないでいよう。
出回らない噂を探すなんて、滑稽すぎる。
アイツと惹かれ合うやつが現れたら、ファンでも取り巻きでもないオレは真っ先に喜んでやれるんだ。
誰かのものになればオレへの興味も無くなるだろうとわずかに期待するのも、だんだん億劫になってきた。
やめだ、やめだ。
オレはヤツへの関心を消した。
これでアイツとも、ちゃんと疎遠になれる。
そのはずだったのに。
ヒナは今になって、今日になって。
同級生に向かって言った。
──呼ばれてるね。
そして、隣席のオレに見せつけるように。
──告白されに行ってくるよ。
そう唇が動いて。
オレは声も出なかった。
なんで、わざわざ。
今までは黙って行ってただろ。
なんで、いまさら。
自分からその話に触れるんだ。
引き留めるつもりは毛頭無かったが、そんなことを言われて疑問を口にする前に、ピンと背筋を伸ばした後ろ姿が廊下へ消えていく。
ほんの10分しかない、始業前の短い休み時間の出来事だ。
訳も分からず混乱させられ、すでに疲れを感じ始める朝だった。
◆◆◆
短い休み時間、特別日程ではそれが3回。
とにかくひっきりなしって表現が見合うほど、ヒナは何度も呼び出しを食らってるようだ。
進級前の数週間で、昼休みや午後がないだけマシかもしれないが、毎日こんな調子でまさにお休み返上の有り様だった。
そんなアイツとの接点も絶えた今、オレは同情だけを向ける。
自分本位でいられる時間を持てないなんて、可哀想すぎるだろ。
だけど、思うだけ。
唯一抱いた感情はそれだけ。他のものは何もかも、どこかに置いてきた。
2年になり、去年とは違う終わりになっちまって、騒々しいクラス連中とは違う理由で落ち着かない一年間だったが、どうにか日々を乗り越えてこられた。
そう実感できたのは、ヒナとの距離を空けることができた最近になってだけど。
春がもたらした感情は相変わらず、オレの中に入ろうと外から攻撃してくる。
そんなもの、肯定しようなんて思わない。
見えないし、聞こえない。
身に沁みて理解してる。
ぜんぶ無視だ。
それがいちばん、平穏を保てる。
この状態が来年も続けばいい。
進級したら、ヤツと別のクラスがいい。
叶うかも怪しい願いを抱きながら、オレは二度目の春休みに意識を傾けた。




