16、別れってやつは
平穏を勝ち取ったあとの4ヶ月は早くて、時期は既に卒業シーズン。
一時期は年末だったのもあって、クラス内は誰とどこへ行くだとか、誰を誘いたいだとか、そんな浮かれた話で男子も女子もきゃあきゃあと忙しく騒いでいたみたいだが。
なんとか安らかな冬休みも越え、今はひとつの季節が終わろうとしてる。
──実のところ、文化祭以降のオレは気を張ってた。
もしかすると、あの諦めの悪い厄介な美人は隠密行動も出来るんじゃないかと。
そのせいで周りを見る視線も鋭くなっちまって、馴染みの喫茶店の店長に「きみ、ちょっと恐いよ」と笑われたくらいだ。
学校でもヒナの様子を気にして、取り巻き達がチラチラとオレの顔を窺ってきやがるから、あまり落ち着いた気分でいられなかったのもあるが。
だけどヤツは、下校時間だけじゃなく、校内でもオレに付きまとうことをやめたようだった。
席替えの文化もまるっと無視してるこのクラスで、席はいまだに隣だが、それでもアイツは話しかけてこない。
こりゃあ周囲の反応が過剰になってたのも、オレが過敏になってたのも納得だ。
自分の取り巻きから教科書を借りる癖も、借りた物を返し忘れるところも、その他いろいろ緩い部分は変わらないが、オレにだけは近寄ってこない。
こっちに割いてた時間もたっぷり削いで、取り巻きや寄ってくるファンみたいなやつを相手してることが多かった。
アイツは妙なところで頑固だし、こっちが頷くまで諦めなかったりする。
そういう部分しか知らないし、今まで見てこなかったのもあって、こうも極端に態度を変えられるとどうしても異様に映るし変に勘繰ってしまう。
でも。
集団の外から見れば、これほど分かりやすいこともない。
最近のヒナは、ヤツの取り巻きや同級生でさえ気を遣うくらい、オレに無関心だった。
お別れシーズン真っ只中なのは、うちの学校も変わらない。
校門辺りですれ違う先輩たちが漂わせる空気は、かなりしんみりしている。
明後日は、この人たちの卒業式だ。
こういう時期ってのは、やっぱり独特の雰囲気がある。
言えば何でも頷いてくれるだろうみたいな、その場の空気で流そうとする力が働いていそうだ。
うちのクラスも上級生の余波をきっちり受け取って、隙あらば人を呼び出しに行ったり、反対に呼び出しを受けたりするやつが少なくない。
こっちの特別日程でも洩れなく自習扱いだから、一限のあいだだろうがこっそり教室を抜け出すやつがいる。
とうぜん、オレはこの時期特有の気性が肌に合わない。
朝からずっと、校内に居場所がない。
どうせ机に向かうだけなんだし、式の前日まで授業日にしてくれたら、オレも少しは視線を前に向けられるんだが。
今も登校してすぐ、オレは裏門そばの木の根に埋まっている。
ダウンジャケット越しでも地面の冷たさは伝わるが、首から下は冬の太陽が当たってる。
体の前面が暖かくなってきたせいで、どうも瞼が落ちやすい。
本校舎の音が届きにくいその場所で微睡んでいると、遠くのほうで人の気配を感じた。
旧校舎の脇にある、芝生の泥濘に足を取られたような、そういう小さな呻きだった気がする。
オレがいる場所からはちょうど3本の木が斜めに重なっていて、向こうから見つかることはない。
だからとも言えるが、やってきた誰かは無人に見える裏門そばで足を止めた。
木の陰で息を潜めて様子を窺っていると、ここに来たのは2人らしく。
片方が、緊張して硬くなった声で「ヒナ」と呼んだ。
会話は聞かないでいたいが、出ていくタイミングは絶対に今じゃない。
胸中で誰にも言わないからなと誓いを立て、潜んでる木と同化してみる。
ヒナを呼び出したその相手は、その口で好意を示した。
ついでに関係を深めたいとも言って、オレは内心で成就を応援する。
だけど、人の気も知らないで我を通すのが、腹黒なソイツの得意分野だ。
ヒナは丁寧に言葉を組み立て、ご近所さんに愛想を振りまくような柔らかい口調で、しかし関係の進展を拒否した。
ヤツにしては、まあまあ真摯だったんじゃないか。
今以上に酷い対応を見たことがあるオレが言うんだ。間違いない。
アイツだって、無闇に傷つけたくはないんだろう。
ただ、振られたほうはどうしたって傷つく。
勇気を振り絞って挑んでも、実にならないのが人間関係だ。
ヒナを連れてきた誰かは、逃げるように背を向ける。
旧校舎沿いに駆けていくその足元は、せっかくの水色スニーカーが泥はねで残念な斑点模様になっていた。
誰からも持て囃されるアイツは、心の奥底で冷ややかな目を持っている。
そういう一面が見える時は、だいたい誰かの剥き出しの好意をぶつけられてたりする。
オレも他人から向けられる殆どの感情が嫌いだ。気持ちは分かる。
無下にしたいわけでも、粗末に扱いたいわけでもないが、構造的にそうなっちまうようにできてるから避けようがない。
アイツも分かってる。だから、こうして呼び出しに応じてる。
……断らないだけマシだと思ってくれ。
まあ、その手間すら惜しくて人と関わらないようにしてるオレに、偉そうなことは言えないんだけどな。
こう考えると、ヒナは自分の引き際も巧い。
現に文化祭で交わした約束どおり関わってこない。
オレが望んでることは何か、アイツは始めから理解してたんじゃないかと思う。
ただし、不安も少しは残ってる。
ヒナとの間にある約束は、期限付きだ。
オレたちの卒業まで。──あと一年と一ヶ月くらいってところだな。
その有効期限を過ぎるより先に、オレへの興味をすっかり無くしてくれないだろうか。
そっちの可能性に期待するのはやめておこう。
うっかり嫌な思いをしそうだ。
陰気な旧校舎裏から去ろうと、踵を返すヒナの横顔には見覚えがある。
教科書を忘れたヒナに、一緒に見ようと言ってきた同級生の申し出を断った時にも、これくらい冷たい顔だった。
はじめから感情なんてどこにも持ち合わせてないかのような。
冷淡の極致みたいな。
それでいて、やっぱりコイツの顔面の精巧さには、思わず溜め息が出る。
腹が立つし、綺麗だなとも思う。
オレが履き慣れた靴は、旧校舎脇の泥濘でずいぶんと汚れてるっつうのに。
もうずっと汚したままの自分の靴に比べて、ヒナの無地で真っ白の綺麗なスニーカーを恨めしく思った。
◆◆◆
卒業式当日の朝。
上級生が卒業証書を順に受け取るなか、横の同級生に倣ってあくびをこらえる。
今日は、隣にヒナがいない。
アイツは前列の6つくらい右のパイプ椅子で、お淑やかに体育館のステージへと顔を向けてる。
何を考えてるか分からない視線は、壇上で右から左に流れる卒業生に対しても関心が無さそうだ。
この冷たい美人に顔を覚えられてる連中は、いったいどれだけ居るのか。
……きっと、片手で事足りるな。
退屈な卒業式が終わった途端、オレは人目を避けたくて体育館裏の茂みに逃げ込んだ。
湿っぽい空気の中に居たくない。
卒業生も、そいつらと知り合いらしいやつらも堂々と陰気なツラを見せる。
すすり泣くやつか、泣くのを我慢してるやつばっか。
それと、もうひとつ……──。
「先輩。わたし、部員勧誘を受けたときから好きでした」
「ごめん。付き合ってる子がいるんだ」
とか。
「一年の頃から、実は好きだったんだ」
「ごめん。友だちとしてしか見れない」
とか。
一度目は後輩女子から、卒業する先輩男子へ。
二度目は卒業する男子から、こちらも同じく卒業生の女子へ。
どいつもこいつも厄介な関係を望んでるのか、人通りの少ない体育館ではさっきからそんなやりとりしか聞かない。
立ち聞きする趣味なんて持たねぇけど、オレが座って隠れてる近くにやってきてコレじゃあ、こっちが落ち着かねえ。
わざわざ卒業なんてタイミングを利用しなくてもいいだろうに、雰囲気で誤魔化して上手く事が運ぶとでも思ってんのかよ。
こんな気まずい展開をいくつも聞かされりゃあ、卒業も将来にも見込みがなくたって気にしないオレでも、さすがに気が滅入っちまう。
雰囲気に飲まれるやつが何人もここから立ち去る音はあるが、今のところ成就してる組は一度も見てない。
せめて相手がヒナじゃないのが救いか。
アイツが好きなタイプの基準になっちまったら、その後、誰かを好きになるにもかなり顔面の質を求めることになる。
届かない理想を追いかけても、未来にヒナのような人間は現れないと思う。
そんなの虚しいだけだ。
オレだって、早くヒナのことを忘れたい。
ヤツと関わらないでいい未来が欲しい。
自分の浅はかな望みを瞼の裏に収め、哀しい人間関係を繰り返して湿気るその場を後にした。




