15、消えるみかん飴
文化祭3日目のみ設置される運動場の特設ステージの上、ヒナの登場にステージ前で集まった同学年たちから小さく歓声が挙がる。
ステージ下、やつらの目線の先にいるのは、オレの隣に立つこの美人だけ。
他の役員たちにも、とうぜんオレにも、誰の視線も向いてない。
みんな口に手を当てて、カッと目を見開いて。
その必死な姿には執念を感じる。
壇上にいるヒナを、見えるものは全部みてやろうという意気込みなんだろう。
顔のバランスに黄金比があるとすれば、たぶんコイツの顔がそれだ。
そんなヤツの噂が回ったか、帰る直前の一般来校者まで、円錐型コーンとコーンバーに仕切られた観客スペースの外からステージを見てる。
今から文化祭役員が代表して、露店や展示の評価と文化祭終了の挨拶をするわけだが。
オレは目立ちたくない他クラスの役員と揃って、ステージの後ろのほうで人気者の同級生の背中を見守った。
ヒナは、一人で前に立つ。
露店と展示、それぞれ2つの賞に3つの順位。
この発表時間は、請け負うほうからすれば本当に苦行だ。
同学年全員から注目の的になるし、明日からの学校内での立ち位置が劇的に変わるせいもある。
好評で賞をもらったやつらからはひっきりなしに感謝され、悪ノリで賞をもらったやつらからは「君にも新規開拓の一助を担ってほしい」と追いかけ回される。
そうやって疲弊し、苦労してた先輩や後輩のあとに自分たちの順番が来てんだ。
裏方でひっそりと協力したいって言ってるやつからしたら、この上なく傍迷惑な役目でしかない。
それをヒナは、進んでやりにいった。
……ほんと、よくやるぜ。
ただでさえ、コイツは普段から人に見られてる。
常に持て囃されてるから、今さら立ち位置を気にすることもないんだろうけど。
それにしたって、自分が好奇の目に晒されてるっつうのは肌で分かるもんだ。
もしオレだったら……想像しただけで気分が悪くなっちまう。
締めの挨拶までやり切ったソイツに、運動場で拍手の音が響き渡る。
中には好意の声をあげるやつもいて、誰もが陽の光を浴びて輝く美人に夢中だ。
二年生全員、準備段階から文化祭の苦楽をともにしてきた。
成功したことも、評価されたこともそれなりに喜ぶことだったろうに、普段関わりの少ないヒナから労いの言葉まであって、ステージの下では感極まって泣き出すやつも多かった。
壇上からはける直前、後ろに戻った美人と並んで観客席に向けて一礼する。
また拍手の音に巻かれ、一般来校者と一緒に同学年のやつらもスペース外に散り始めた。
隣で顔をあげたヤツは、ちらとオレに視線を送る。
その表情には、やりきって清々しい気持ちが溢れてる。
コイツはまだ一年しか在学してない身で、声も、手の震えも見せずに役目を果たした。
運動場から去る間際、他クラスの役員がヒナに拍手を送る。
オレもそいつらに倣って、ぎこちなく手を叩いておくことにした。
「はい。終わりね」
ヒナは、すんなりと離れた。
自分で言って、掴んでた腕をさっさと解放して。
夕方5時。
二年生用の教科準備室を片付け終えて間もなく、校内全体にチャイムが鳴り響いた。文化祭が、ほんとうに終わったと分からせる音だ。
今、オレとヒナは旧校舎の裏にあるちいさな昇降口で足を止めてる。
校舎裏で聞いた二度目のチャイムと同時の囁きに、オレは一瞬、コイツの言葉を聞きこぼしそうになった。
ステージのあとに模擬店で余ったものをタダで引き取り、他クラスの役員たちと分け合った飲食物も、オレの手には残すところみかん飴だけになった。
1つのカップにまとめてもらった串は5本、内はだかになった竹串が1本。
オレは2本目の串をつまんだ。
飴でコーティングしたみかんの粒を、2つ、3つと口の中で噛み砕く。
相手は、終わりと言ったんだ。
約束した時間、一緒にいる時間の終わり。
惜しむようにゆっくり距離をとるヒナは、昇降口の脇に立ち、外に向けて片腕を優雅に広げる。
出口はこちらだと、ホストがゲストをエスコートするみたいに。
ここは、人の出入りが少ない。
鬱蒼とした垣根で薄暗く、静けさに真夏でも肌寒く感じるような場所だ。
陽気な連中なら近づきもしないような場所だ。
オレはよく使うが、ヒナのようなヤツには似合わない場所だ。
今日のオレの帰り道は、当然こっちになる。
表は今頃、一般来校者の帰宅でごった返してるだろうし、もう少し時間をおいても今度は在校生の下校が始まる。
オレが気持ちよく帰れるのは、今このタイミング。
校舎裏にこっそりと立つ錆び付いた校門だけ。
「本当に、3日目をもらっちゃったね」
先に外へ向かっていくヤツの足は、軽快に昇降口の階段を踏む。
「オマエがしつこすぎるんだ」
「ふふ。そうだね。……でも嬉しかった」
嬉しいよ──、ヒナの声は弾んでいた。
そのまま歌でも口ずさみそうだ。
でも相手が奏でたのは、哀しくなるほどの切ない旋律だった。
音楽のことでオレが分かるのは、ド、レと進んでいった先のシで音程が違うってことくらいだが、コイツの声は綺麗な音をしてると思う。
そんな声帯で、悲壮たっぷりな言葉まで漏れるのだ。
誰だって聞き入ってしまう。
「ありがとう。楽しかったよ」
自然と耳に入ってくる言葉に、オレは肩でホッと息をついた。
◆◆◆
陽が暮れていくのを見ながら、馴染みの喫茶店の扉に手をかける。
片手に持つカップのなかも、みかん飴が残り1本になった。
触れずにおいたみかん飴の串を、カウンター越しに店長へ差し出す。相手は素直に受け取り、さっそく自分の口に含んだ。
この時間帯、客はオレ一人だ。
日没が早いのもあって、表の道はとっくに外灯の光が照らしてる。
背の高いスツールに腰掛けた直後、目の前にモクモクと湯気の立つカップが置かれた。
熱々のブラックコーヒー。
一口目を、いつもどおりゴクゴクと飲み下す。
カップの中身が半分ほどになったのを見ながら、フッと息がこぼれた。
舌が覚えた味。嗅ぎ慣れてるコーヒー豆の風味。見慣れた内装。耳から離れない店のBGM。手に心地よく収まるカップの形。
ぜんぶ、今日のオレを熱心に労ってくれる。
ああ、良い日だ。
心がスッとする日だ。
気持ちのいい日になった。
「来るだろうなと思ってたけど」
二口目を啜るオレを、店長の大きな目がまじまじと見つめてくる。
「今日はご機嫌だね」
「……そうか?」
納得いかなくて見つめ返せば、ニコニコの笑顔で頷かれる。
そう言われりゃあ、まあ悪くはねぇけど。
オレってそんなに分かりやすいのか?
的外れなことを言われた気がして、今日の出来事を振り返ってみる。
忙しない帰路でもなかったし、背後を気にして走るなんてこともなかった。
ヒナは約束どおり、付きまとってこなかったのだろう。
それが明日以降も続く。
そう分かってるだけで、オレは心から休息できる。
このあと乗り合わせるだろう電車の帰宅ラッシュも、言うことを聞かずボロい家で遊んで暴れる弟妹たちの世話も、しばらくは苛々せずやり過ごせそうだ。
これは、おっさんの言うとおりかもな。
たしかに、今日のオレは。
「調子が良いんだね」
「……そうだな」
言い当てられたのを認めるのは、本当に不本意だが。
どうやらそのようだ。
いつものオレなら顔を顰めるくらいしただろうけど、今はそんな気も起こらない。
考え込んでるあいだに、カップからはすっかり湯気が消えてる。
お気に入りのブラックコーヒーはぬるくなったが、オレは時間をかけてそれを飲み干した。
「これ、美味しいね」
店長は3粒目のみかん飴を含んで、しばりのなくなった串を口から引き抜く。
「僕も好きだな」
「そうか」
アイツに言えなかった言葉をおっさんに向ける。
みかんが嫌いなヤツに串を譲る日は、ぜったいに来ないことを知ってる。
ここに、オレが煩わしいと思うものは何もない。
なんにも、ここには無い。
鬱陶しいヤツも、嫌いな集団も。
誰かさんが嫌いなみかん飴もたった今無くなって、陽も落ちきってる。
──ふう……。
オレの、不運な文化祭3日目が、やっと終わった。




