14、あたかも聖人のように
空き教室の軋む戸を開け、真っ暗な空間に突っ込んでいく。
横でヒナのクッと息を詰める気配を感じたが、手の強ばりは増してない。受付で展示の半券と交換した手首に巻くライトを光源に、歩幅を緩めて奥に進む。
展示内容は、心霊写真を観るだけ。
待ち構えてるのも仮装した同学年なんかじゃなく、床に置かれた簡易な間接照明──進行方向を確かめるための懐中電灯(たぶん安価なやつ)──だし。
写真をよくよく見ようと、身につけた細くてカラフルなライトで照らさせて恐怖を煽ろうって魂胆らしい。
写真のほうは黒板や、紙を重ねた板材で組み立てた薄い壁にずらりと貼ってある。どこにでもある写真館で見るような、どこでも似たような変わりばえのしない列びで。
変な文字やら血糊やら、妙な小細工はしてないところが気に入った。
写真に写ってるのが本物でも、合成でも、オレはそれらしく見えただけで楽しめる。手が消えてようが、足だけ増えてようともどうってことはない。
ろくな説明もなく、幽霊さんとやらと仲良く写ってる人間の写真をただ飾ってるだけの展示。
な。面白いだろ。
ちょうど前を歩いてる連中から「うわ」だの「げっ」だのとちいさく悲鳴があがり、後ろで誰かの呻き声が続いたあと、横のヒナは微かに震えた。
教室の狭さも、視界の悪いこの状態で気にするなんて馬鹿らしい。
不自由な状況だろうと、これなら楽しくてしかたない。
オレはどうにか笑いを堪え、ヒナはどうにか逃げたいのを堪えてる。
肩を震わせるオレの斜め下、しがみついてくる美人の目は固く閉じたまま。
一瞬、形のいい瞼が薄く開かれた。
その視線はオレを捉えようとしたが、噛み合う前にまた目を瞑ってしまう。
絶対離れないだろうという信頼か、絶対離しはしないという意地か。
べつにオレは、コイツのことを置いていってもいい。
べつにオレは、コイツの目の代わりをする気はない。
べつにオレは、コイツが走って逃げようと来た道順を戻ろうと気にしない。
入り口から等間隔に並ぶ間接照明に沿って、オレはじっくりと写真を眺めてまわった。
内容的に仮装してびっくりさせる役は必要ないのか、教室内は三枚の薄い壁で仕切られ、左、右、左の順にほとんど直角に曲がっていくと出口に辿り着くようになってた。
入るときにもらった手首のライトもそのままに、空き教室から離れる。
自分の分厚い手が握ってる細い手首の冷たさが、頭の芯まで浸みてくる。
周囲に気を配る余裕なんてないくらい、その美人の肌の温度に困惑した。
べつにオレは、コイツのことなんてどうでもいい。
べつにオレは、コイツがどうなろうと無関係だ。
無神経なほど、無視できる。
でも。
オレの手はずっと、ヒナの手首を掴んでいた。
旧校舎と本校舎、その3階部分を繋ぐ外廊下。
廊下の端から端まで縦列するベンチは、心霊写真の展示から脱出できた人を迎えるように構えてる。
混じり気のない風にあたれるから、わざわざ3階に上がってくるやつも多かった。一階の露店で買ったものを食ってる生徒もいれば、展示の感想で盛り上がる保護者たちもいる。
オレとヒナは、本校舎に最も近いベンチで休んだ。
心配と怪訝。
廊下の行き来で通り過ぎてくやつらの視線が、オレの鉄面皮を刺してくる。
泣きじゃくる子どもみたいに腰に腕を回すヒナは、顔面蒼白になっても強烈に人目を引くようだ。
周りはオレがコイツに何かしたんじゃないかと疑ってかかってる。
まあ、そう思う気持ちは分からなくもないが。
オレだって、項垂れる背中を擦ってまで介抱してやろうなんて考えてない。
このまま下ばかり見てればいい。オレは上ばかり見る。これで目が合うことは無くなるわけだし。
深呼吸のついでに冷たい風を肺に入れ、オレは不機嫌をあらわに鼻を鳴らす。
もともと、見られるのは嫌いだ。
注目されるのが嫌で、コイツのことも避けようとしてるってのに。
周囲から向けられる不躾な眼差しを受け流し、ガッカリしながらヤツを見る。
ヒナのなかに、周りの目を気にするって感覚はないのか。
……ないのかもしれない。
ちょっとでも期待した自分がいて、オレはまたガッカリした。
勝手に肩も下がるってもんだ。
心なしか、こっちの様子を窺う視線も和らいだ気がする。
ベンチに座り続けても苦い顔を向けられることはなかったが、代わりにオレの尻は岩石みたいに硬くなっちまった。
この姿勢のまま出来ることなんか思い付かなくて、オレは30分くらい前まで観てた展示の内容を小出しにして振り返る。
貼り出された写真のどこに恐怖を感じたら良かったのか、さっぱり分からなかったけど。
2、3枚くらいは見れるものもあった。
それなりに良い見世物だったと思う。
見たいものだけ覚えて放ったらかしにしたパンフレットは、今はもうどこにあるのか。
展示受付の隣に立ってた看板には、真っ黒な立て板に白いペンキで『芸術とは恐怖のそれ』と書いてあるだけだったし。
まあ、その捻りのなさに興味を持ったのも確かだが。
それにしても、謳い文句まで勘違いしちまうとはな。
そりゃあ他にも見間違うわけだ。
1日目、この展示がずっと準備中だったこともそうだし。
今日、受付にいる2人がヒナの登場に顔を引き攣らせたのだって、たぶんオレの捉え方が悪かったんだろ。
しばらく経って復活したヒナは、嘘みたいに血の通った明るい表情をしてる。
さっきまで意気消沈してたくせして、自分が誰を掴んでるか分かって笑ってやがる。
「ほら、行くぞ」
サッと身を翻し、ヤツから離れる。
これ以上、コイツの関係者として見られるのはまっぴらだ。
置いていくつもりで階段に急ぐと、その美人は小声で文句を言いながら追いかけてくる。
自分を気遣い持て囃す周囲より、真っ先にオレに追いつこうとするコイツの顔なんて見たくない。
後ろを無視して一階まで下りるあいだ、怪我したときみたく、じくじくと痛む箇所を拳で叩いて鎮めた。
◆◆◆
一昨日回りきれなかった露店を巡り、その後、30分の昼食を挟んだオレ達は文化祭役員で使用する二年の教科準備室へ向かった。
木の天板にスチールの足が4つもある長テーブルを、8人で難しい顔をして囲んでる。これから、役員だけで行うステージの最終打ち合わせだ。
今年いろんな意味で人気だったものの順位を展示や露店からそれぞれ割り出し、ステージに集まったやつらに向けて発表する。
だから今頃は、役員を除いた二年生全員と一般来校者たちが、入校時に渡されたアンケート用紙に揃って記入を始めた頃だろう。
この時間、オレ達が話し合うのは誰がどの順位を公表するか。
評価は単純だ。
展示と露店それぞれから好感触を得たものと悪ノリしたものを、アンケート結果をもとに金賞、銀賞、銅賞の順に発表する。
普通に好評だった展示、露店に選出されたやつらはその後しばらく有名人扱いされるから盛大に喜ばれるし祝うが、問題はもう一つのほう。
悪ノリっつうか、こだわりの癖が強いっつうか。
とにかく、この賞に選ばれるにはどれだけ振り切ってやりすぎてるか、が肝なんだと。
きょねん、校内の掲示板に貼り出された結果をオレも見たことがある。
比類無きアイデア性が際立つせいで、たぶん一般受けしないだろうなって内容のものまで選ばれてた。
文化祭役員が担うステージは、これらにつけられた順位を発表すること。
それから事前にアンケート結果をまとめること。
オレ達に求められる役目はそれだけだ。今日やるべき活動がこれしかないせいで、自主性を重んじると必ずどっちかに偏る。
数をこなすアンケートまとめに人が多いのは良いが、発表者のほうが無人になると話が進まなくて困る。
そんでやっぱり、全員がアンケートのほうに身を置きたがった。
もともと文化祭で盛りあがりたいやつは、ここにはいない。
裏方に徹したいとか、盛り上がるようなことを考えたいってやつばかりが役員になる。
今年の二年には、オレ含め、誰かを楽しませたいなんて動機を持ったやつはいなかった。
発表者を決めようと言う同い年の役員長の言葉に、率先して挙手する気配はどこからもない。
こいつらが考えてそうなことくらい、簡単に分かる。
サボるつもりでいたオレだって、大勢の視線を集めるような役回りは嫌だ。
「どうしてみんな、アンケートのほうがいいの……?」
限りなく潜めた声で訊いてくるヒナに、正面からは決して顔を逸らさず答える。
「誰も登壇なんてしたくないんだよ。目立つし、色々と面倒事も多いんだ」
役員ってのは目立ちたくないっつってんのに、目立つようなことさせられる。
でも展示物をつくる時に、多大で長時間必要な他者とのコミュニケーションに辟易することを思えば、出し物の申請や当日の展示物の受付なんかをしてるほうがまだマシってもんだぜ。
それに、露店で絶え間ない接客に意識も精神力もガリガリ削られる。
二年はたまたまお気楽な連中ばかりだったから、役員になりたがるやつが少なかっただけのこと。
だけどコイツは何も知らない。
今年転校してきたヒナは賞のことも、発表が終わったあとの騒乱も知らないから。
だから──。
隣で、手が挙がった。
みんながヒナを、最高峰の美を表現するため緻密に計算されて造られた、そんなヤツの顔を揃って見つめる。
「やります」
「え……」
と、声をもらしたのはオレか。それとも周りか。
鈴の音みたいに澄んだコイツの声が、ぽつん、と空間に取り残される。
こんなすぐ埃っぽくなる教科準備室で、凜と響く綺麗な声。
ヒナの在席自体、異質すぎる。違和感しかない。
そして同時に、オレのなかにふと過ぎった考え。
コイツが発表するってことは、二人一組で動くオレも必然的に前に立つことになる。
「おい……」
「君は後ろで見ていてくれたらいいから」
ヒナは、スッと手を下ろす。
「こういうのは苦手じゃないし。発表だけなら一人でも出来るよ」
──無理をしてまでやることじゃないでしょ──。
耳打ちしてくる柔らかい声が、そのまま脳内に纏わり付いてくる。
「誰も手を挙げないなら、このまま二つともやっちゃおうか?」
集まった同学年は信じられないものを見るように、ヒナの言葉に目を瞠る。
もしかすると、本当に後光が差してるように見えてるのか。
少しくらいは聖人っぽく見えてるのかもしれない。
みんな、ステージに立つことを嫌々ながら受け入れていた。
役員を選んだ時点で意識はしてただろうし、誰の頭の中にもあった問題が一つ。
どうやって発表者を選ぶか。
それがたった今、解決した。
隣にいるこの美人の提案で。
ヒナの言葉に、他クラスのやつらから一斉に拍手が湧き起こる。
こいつらに尊敬されるような性格じゃないが、この場を穏やかに収めたのはコイツの考えがあったから。
そうだ。
コイツはいつも誰かに手を借りて、快適に過ごしてる。
だけど一度だって、周囲に寄ってくるやつらに不満を抱かせたことはない。
まあ、オレっていう例外もあるけど……。
コイツが得意なことは、オレには軒並み通じてない。
でも、どんなやつにだって、得意なことがあれば苦手なこともある。
時にはそれを指摘されたくないことだって。
苦手なものがあると弱く見られるとか、恥ずかしいとか、他人にだからこそ言われたくないとか。
みんな、自分だけの理由を持ってる。
オレにだってある。
たぶん、さっきヒナは、オレにからかわれたと思ったんだろうな。
「さっきは、……悪かったな」
コイツが意地になって付いてきたとは言え、オレのほうも手首を掴んだりして、心霊写真の展示に無理やり連れてったも同然だ。
そのことを思い浮かべながら言ったが、相手は謝られる理由が思い当たらないのか、呆然とした顔をこっちに向ける。
「どうしたの?」
「苦手なもんくらいあるだろ。人間にはさ」
オレは、コイツを美人だと思ってる。
でも、人間だとも思ってる。
顔の造りとか、人を魅了する雰囲気だとかが自分と違って凄まじく異次元に感じても。
ヒナは心臓から血液を循環させたり酸素を取り込んだり、食べたり寝たりしなきゃいけねぇ、オレ達と同じ体で生きてる。
だから、周りが異常にコイツを神聖視したり、美化したり、特別扱いしたりするのが不自然に思えて気に食わないんだ。
やっとオレの意図に気付いたらしく、ヒナは形のいい唇でニコッと笑う。
「いいよ。楽しめた?」
「ああ」
「良かった」
急にホッとしたような顔をするから、オレは反応に困った。
まあ……と、ヒナの口から囁きがこぼれる。
「苦手とかじゃないけどね」
「……あっそ……」
打ち合わせのあいだ、外のステージでは楽器演奏のライブに盛り上がっていた。




