10、口にはみかん飴
翌朝。
ひとり学校へ着き、校門の下を悠々と通り過ぎたときだ。
後ろからオレを突き飛ばすやつがいた。
「おはよう!」
軽くよろめきながらもその身を受けとめたオレは、ものすげぇ優しいと思う。
過剰にそう思うのは、相手がヒナだから。
「なんだよ」
「一緒に登校しよう?」
「無理」
文化祭2日目の今日、オレは昨日より機嫌が悪い。
まだ授業しているほうがマシだ。
今日と明日は、昨日に続いて自由時間しかない。
催しってやつは、つくづくオレ向きじゃない。
今年の文化祭は、まじでついてないと思う。
「今日も一緒に回ってくれる?」
「昨日で終わったはずだろ」
「1日目だけなんて言ってないよ」
「2日目もなんて言わなかったろ」
「3日目は今から予約しておくね」
「まず今日どうすんだよ」
「あ、こっちの意見も聞いてくれるんだ」
思わず口走って、嬉しそうに笑うヒナと目が合う。
オレは舌打ちした。
「オマエな、あんま構うなよ」
決まりが悪すぎて、もう声を張る気にもならない。
「どうしてー?」
上目遣いと明るく弾む声が、オレの切れかけた神経をさらに逆撫でしてくる。
ひくつくこめかみを抑え、深呼吸とともに肩の力を抜く。
抵抗しても、コイツとやりとりする時間が増えるだけだ。
「ああ、もういいわ。あと2日、我慢してやる」
我を通すことに長けてるやつを相手にしても、こっちの希望がまともに通じるとは思えねぇ。オレより背の低い美人は、今も満面の笑みでいる。
決意を示すように表情を引き締め、腕を組んで見下ろした。
「ただし今後、2年生のうちは、一切オレに関わるな。それを約束できるなら今日と明日、昨日と同じように隣にいてやる」
何様だよ。オレは自分を嘲笑った。
どうせ、3年にあがるまであと5ヶ月くらいだ。その間だけでも、コイツだって何かを我慢すればいい。
また何様だと、オレは胸の内で自分を嘲った。
「それは……」
これには相手もさすがに即答できねぇらしい。
こんなことで気分を良くするオレも、よほど短絡的で性格が悪いな。
正面玄関までの舗装された道は、校門から真っ直ぐ伸びてきている。
続ける言葉を失って黙りこくるヒナを、その場に置いていく。
登校する生徒の列も、学校の人気者だけは避けて通ってる。
小川の真ん中で水の流れを裂く岩のようになったアイツの視線も、他の生徒の群れに遮られた。
オレが昇降口で上履きを手にすると、遅れてやってきた腹黒美人は、正面玄関でまたしても他の生徒に囲まれはじめる。
朝からこの調子だ。今日はひとりで行動できそうだな。
絶好の機会に安堵の溜め息がこぼれる。今までの疲れが、やっと抜け落ちた気がした。
この3日間だけは、教室はもれなく催し仕様だ。つまり、待つ人もいないオレは行き場をなくしてる。
文化祭役員としてやることといえば、オレのクラスに残された役割は3日目最後の項目だけ。文化祭を締める挨拶のために役員全員が集まる。
2日目の今日こそ、正真正銘、オレの出る幕は何もない。
こういう時には保険医を求めて、職員室へ向かう。
きょねんもそうだった。
この時間、教員たちは朝の会議をしてるはずだ。文化祭で浮かれた空気にのまれるせいで、今年も保健室を利用できるかは分からないけど。
まあでも、職員室には空き教室の鍵もいくつか置いてある。状況を見て、借りるなり持ち出すなりすればいいか。
1日目と変わらず模擬店が並ぶ一階の外廊下を進むと、ひとりの生徒がオレを見つけた。オレはちょうど、校舎の開閉口に足をかけたところだった。
「ねえ、今日は一緒じゃないの?」
声をかけてきたのは、3年生。
先輩の質問で分かる。学年の違うこの人が聞きたいのは、ヒナのことだ。
時期的に店番の予定もなくて朝から暇なんだろ。
在校生なら授業時間以外での文化祭参加は自由だし、昨日オレが模擬店やら展示やらをその誰かと一緒に回っていたのを、目の前の先輩が見ていたとしても不思議じゃない。
そして、ヒナを贔屓する連中のひとりなんだろう。オレはせいぜい、アイツの機嫌を絶好調にする付属品程度にしか、その目には映ってない。
それはいい。それは別に構わない。
むしろ、それでいい。
でもオレが気になったのは、その言葉だ。
相手は、今日もその人気者とオレが一緒に行動してる前提で話しかけてきた。
そこに、オレが苛々しないわけがない。
「は? なんすか?」
「あ、ううん。なんでもない」
3年生は年下のオレに苦い笑みを向ける。いつの間にかその隣に、同じようにヒナを探しているだろう先輩が増えていた。
「ご、ごめんね、昨日、一日じゅう一緒みたいだったから」
「でも、今日も一緒とは限らないよね。引き留めてごめんね」
「いっすよ、別に。目的の人物なら、正面玄関でファンに囲まれてましたよ」
オレは不機嫌は隠さない。
顔に出ないぶん声に滲みやすいから、先輩たちは見るからに怯んでいた。
「それじゃ」
「あ……ま、待って」
オレがいよいよ校舎内に踏み入ると、外廊下の模擬店の奥で作業してた生徒が声をかけてくる。
この3日間の文化祭を行うのは、オレと同じ2年生のみ。
つまり今度の相手は同学年。
「これ、良かったら持っていって? お金はいらないから」
ぱたぱたと可愛らしく追ってきたその子の手には、みかん飴の串が握られてる。
市販で売ってるみかんの粒を竹串に刺し、あとから飴でコーティングしてあるやつだ。
ひと串に三粒、三本セット売りで150円。
ただし、これは外から来た一般来校者用の価格。
うちの生徒なら学生証を見せれば、100円で売ってもらえる。
それを、この人はタダでくれるらしい。
「いいのか?」
「いいよ、もちろん」
相手は笑った。
まぎれもなく、オレに向けた笑顔だ。
自分に良くしてくれる人の目に、ヒナの姿がちらつかないのは珍しい。
媚びを売ろうとしていないのが分かって、湧いてくる感情そのままに笑い返す。
「ありがとな」
渡された紙コップを素直に受け取る。なかには串が3本。オレの好きなみかんの飴だ。
相手は『まあ昨日の余りだし……お礼はいいよ』と模擬店のほうに戻っていく。
ちょうどいい気晴らしだ。オレは昨日、このみかん飴を食いそびれている。ヒナがこの店に近付かないようにしてたせいで。
みかんの粒はちいさい。
串の先をまるごと口に含み、一気に3粒もくわえ、やっと辿り着いた職員室に体を入れた。
「よーっす」
「竹串くわえながら入ってくるやつがあるか」
オレが行くと、とうに職員会議は終わっていて。
このタイミングの良さに、飴をくれたあの人を思い返して感謝する。
暢気に挨拶する生徒を見つけた教師は、オレが中学に通っていた頃からの付き合いだ。そいつがひとり暮らしするアパートも、オレん家の隣にある。
当時から通勤と通学で利用する最寄り駅が同じで、朝夕と顔を合わせることも多かった。最近は互いに自分のことで忙しくて、顔どころか後ろ姿すら見つからないけど。
「お、もう一本あるぞ。食うか?」
「欲しがってるわけじゃないぞ」
「なあんだ。おもしろくねえ」
こいつはこの高校で7年、科学の授業を担当してる。
きょねん新入生として入ってきたオレを見て、さすがに驚いていたっけ。
いつもはオレと雰囲気が似てるって近所から言われるくらい、表情に変化のない男だけど。
今だって、無感情な声と顔をしている。だが怒ってるわけじゃない。
オレと違って、不機嫌なところも見たことないし。
「どうせ、今年も粘るつもりで来たんだろ」
「長丁場でもいいように、腹ごしらえしてんだよ。ほら、鍵くれよ」
溶けてちいさくなったみかん飴を、がりがりと歯で砕ききる。
はだかに戻った竹串の先端を、職員室の隅で壁に貼り付けにされたアルミ製の箱に向けた。
そのなかには、オレが欲してやまない鍵がある。
はやく解放してやりてぇ。オレだったら、大事にしてやれると思う。
だけど生徒の懇願を聞いたはずの相手は、壁際に向かわないどころか椅子から立ち上がることもしなかった。
「しょうがないから、保健室と空き教室の鍵、両方やる」
自身が着ている白衣のポケットに手を突っ込むと、顔馴染みの教師はふたつの鍵をオレのほうに押しつける。
1年前の今頃も、オレはこうして職員室に来た。
新入生だったからか、さすがに直ぐには渡してもらえなくて、始業時間のベルが鳴ってから10分は粘った気がする。
今年はすんなり渡してくれるあたり、オレの厄介さを熟知しているな。
「分かってんじゃねえか」
「はよ行け」
「ありがとよ」
自分の入る高校に昔馴染みの教師がいたところで、オレは周りに触れ回ったりしない。
でも接している空気からめざとく解釈して、周りが勝手に干渉しようと情報を広めて回ったんだろう。
オレは勘繰られるのが嫌で言わなかったが、この教師は勘繰られるのが嫌で先手を打った。
そのせいで、こいつは他の教師たちから扱いにくい認定されてるオレの世話を、ほぼ一方的に任されたわけだ。
互いに互いを知るそいつは面倒くさそうに手を振り、オレを職員室から追い払う。こっちだって、こんなところに長居するつもりはない。
貰うもんをきっちり貰って、素早く二階の職員室を後にした。
保健室のある一階へ降りながら、とりあえず空き教室の鍵をポケットに入れる。
もう一方の鍵は開けておかないと、万が一にも怪我人が出たときに救護できないのは学校側としても問題があるだろ。
開けておけば、誰かが勝手に処置に使うはずだ。
ポケットに入れたほうの鍵は、オレか教師しか近寄りそうにない旧校舎の空き教室の鍵だから、このまま持って帰ったって誰も困らない。
まあ、さすがに教員たちと警備員が気付かなければって話になるが。
保健室は、もちろん無人だ。
今頃、鍵を勝手に渡した白衣の男に、保健医が怒り散らしているだろうな。
なんとなく、気持ちの問題で、オレは保健室の扉を内側から施錠した。
誰か来たら、開けてやればいいだけのことだし。
この空間には自分しかいない。
やっと、ひとりになれたことを実感する。
消毒液と洗濯洗剤の匂いで満ちるベッドに、オレは大の字になって寝転んだ。
みかん飴をくれた同学年の生徒を思い出す。
名前は知らないし、顔の全体像も覚えてないが。
可愛かったな、あの笑顔は。
オレは、控えめで謙虚なほうが好きだ。
ヒナとは真逆の人物像だなと思い、ベッドの上で大笑いしそうになる。
無理だな。あんな腹の黒い美人と同じにんげんなんて、どこにもいやしない。
あそこまでオレに付きまとうやつなんて、奇特に決まってる。
まず、オレってにんげんが変なんだ。
オレに関わろうとするやつは、もれなく変だ。
実際、鍵をくれたあの教師だって変なやつだしな。
本校舎とはいえ、展示や模擬店のスペースからは離れているわけで、今はまだ準備の最中だから廊下は静かだ。
ときおり前の通路を使う学生たちの賑々しさも、ここで息を潜めてるとより遠くに感じた。




