世にも不思議な玉のお話 7
木戸を叩くもなんの音もしない。それでもバックルは間隔をあけて叩き続ける。しばらくしてやっと、小さく戸が開いた。
「申し訳ございませんが今は店を閉めております」
昨夜の老人の声がか細く聞こえた。
「私は客ではないんだ。警戒しなくとも武器の類は所持していないから中に入れてくれないか。覚えているだろう? 昨夜ぶりなんだから」
バックルはわざと大きな声を出す。すると頭上から人が飛び降りてくると、バックルの背後に降り立った。振り返って目を合わせてやる。
「こいつで間違いありません」
男は老人に敬語を使った。と、するとこの老人はただの酒屋の店主でなく、この男、更に言うとターゲット達の中で一番上にいるのだろう。
警戒する男をよそに、バックルは老人へと体を戻した。話をするならこっちだ。老人は少し開いた戸の隙間からじろじろとこちらを観察してくる。
「……歓迎できない客よ。何用じゃ」
「話し合いに来た。……魔石のことを」
最後は声を低めて、内緒話であることを印象付ける。途端に老人の顔が険しくなった。すると背後の男が声を張り上げる。
「貴様、何者だ!」
「騒ぐな!」
老人の声が男のそれと重なり、興奮気味の男を制する。
「あんた、どこから来た? 北の里の者じゃないだろう?」
「私は山中にある里から来た。だが、私も魔石を取り返したいと望む者の一人だ。中に入れてくれないか? 話したいことがある」
老人の目をまっすぐ見て答えると、少しの間があいて、木戸が引かれる。
「入りなさい」
老人は背を向けて歩き出し、それに続くと、背後の男がついてくる。
さあ、勝負はもう始まっている。勝たなければならない勝負だ。バックルは自身の心臓が大きく鼓動するのを感じた。
ブローナはバックルと男らの様子を後ろで観察していた。
(本当にこんなこと、上手くいくのかしら)
ブローナの胸の中では不安が渦となり、渦巻いている。それでもブローナには迷いがなかった。
(早く家族を助け出したい)
遠い故郷を思い出す。力が大きな権限を生む。圧力に耐えながらも、必死で生きていた。それでも、家族には一人娘である自分を可愛がってもらって、十分幸せな日々を送っていたと思う。懐かしい日々。早く里に戻りたかった。
(それにしても、兄さんは今何を思っているのだろう)
バックルの大胆な言動にも音沙汰ひとつない。それがブローナには不思議だった。
(でも、よく考えると、もし失敗したとしても、すべてバックル一人の行動だったことにしてしまえば私たちに不利益はない、かもしれない)
ネイガーの冷酷さは、ブローナも知っている。里では有名な話だからだ。血なまぐさい話が大半なので、詳しく聞いたことはないが、敵に対して情けの欠片もないのだという。目の前で人が倒れても、顔色一つ変えない。命乞いをされても手を緩めることはない……。中にはまったくの想像も入っているだろうが、大の大人でも顔を青くしたり、黙りこくってしまうのを見ると、どれもあながち間違いではないのだろう。
皆が口をそろえて言うには、里の守り手としてはこれ以上優秀で、頼りになる者はいないが、人間味に欠けている。自分たちとはその能力があまりにも違いすぎて、里長としてはいささか……。と、最後には否定的な評価が必ずついて回る。
(陰で散々な悪口を言う人もいた。兄さんも気づいていただろうな)
そうは思っても、ブローナには何一つできなかった。悪口を聞いても何も言い返さなかった。ネイガーとは血の繋がり以外特に繋がりを持たなかったからだ。否定しようにも、ブローナは、あまりにもネイガーを知らなさ過ぎた。
ネイガーが里での悪口や自分の境遇について何を思うのか、ブローナにはまったく分からない。なにも考えていないのかもしれないし、もしかすると、傷ついているのかもしれない。
(けれど、バックルは兄さんが心を開いてくれる存在になるかもしれない。悔しいけど)
そのためにも、今バックルを守りきろうと、ブローナは決意を新たにした。
バックルは、思った通り、二階の部屋に通された。
「武器を所持していないか調べなさい」
老人の言葉に、二階にいた男らはバックルを隅々まで調べ尽くす。なすがままになりながらも、バックルは部屋の様子を観察する。
(やっぱり、二階から下を観察していたんだな。床には隙間があちこちにある)
老人は床に腰を下ろし、男らが指示通りに動くのを眺めていた。その様子は昨夜のこわばった、へらついた笑みを浮かべていた姿からはかけ離れていた。あの顔の下で様々に考えを巡らせていたのだろう。
「……この男、武器はおろか何一つ所持していない模様です」
干し芋はブローナに預けといたし、お金も今朝使い切ったからなと、バックルはどこか吞気に考える。腕輪はあまり気に留めていないようだ。言い訳も考えてきたが、あまりに嘘くさいので助かった。
「そうか」
反対に老人は険しい顔をする。バックルの訪問の意図をまだ疑っているようだ。
「本当に話し合いに来たのか。目的はなんだ。どこと繋がっている? 報告によると、昨夜怪我を負った少女と一緒だったそうじゃないか」
「それぞれ答えていこう」
バックルは気を引き締める。こちらが不利になるようなことを喋ってはいけない。喋ってしまっても、ネイガーはバックルを切ってしまえばいいわけだが、バックルはそうもいかない。
「目的は先ほども言ったが、魔石について話し合うためだ。具体的には共通の敵からどうやって魔石を奪い返すか。足の引っ張り合いをしないように、協定を結んだり、必要ならば情報共有を行いたい。次に、どこと繋がっているかだが、あなたらが予想している通りだと思う。二人組の兄妹と言えば分かるだろう」
途端周囲がざわめきだす。「あの、北の里の……」という声があちこちであがった。
(あいつらの里は北の里というのか)
表面上は微笑みながら、今新に仕入れた事実を整理していく。ネイガーたちが北の里、この老人と男らは西の里。東西南北ありそうだ。
「静かに!」
老人の怒鳴り声に周囲はぴたりと押し黙る。バックルも思考を中断する。
「教育が足りなかったようだな。まったく、最近は甘やかされたやつらが多すぎる」
大きくため息をつくと、老人はバックルに向き直った。
「では、次にあんた自身のことだ。あなたはどこの誰で、なぜその二人と繋がっている?」
「私は、山奥の人気のない里から来た。丁度この都から南へと向かったところだ」
「南? そこに里があるなど聞いたことがない……」
「私も、北と西に里があるなど知らなかった。その調子だと、私が知らないだけで、東にもありそうだ。とにかくも、私は南の里で育った。そこには一つの、これくらいの玉があったんだが、ある日無くなった。盗まれたんだ。それでここまで来た」
バックルは次にネイガー達と出会った過程を簡単に教えた。腕輪のことなどは省略したが、あらかた事実と変わらない。
老人はバックルの指す玉が魔石であると察し、驚きを隠せないでいる。控えている男ども同様だ。
「あんたの言いたいことは分かった。だが、信じるか信じないかはこちらの自由だ。とりあえずあんたにはここで大人しくしててもらう。別の部屋に連れて行くから準備ができるまで待っていてくれ。お前ら、分かったな。急ぎ準備しろ」
バックルは大人しく一階へと連行された。下手に反抗すると警戒されてしまうだろう。それでは進む話も進まない。
(一週間の期間まであと六日。話をつけなければ。こっちだけじゃなく、ネイガーにも)
いっけん、バックルの行動は情報を集めるという指示に外れているように見えるが、今の会話でも十分な情報になっている。バックルは昨夜酒屋に入ったことで、ターゲットに接近しない限りこれ以上有力な情報を得ることは難しいと判断した。なのでバックルは正面から接近することにしたのだ。相手がどう動くか予想できなかったが、今のところいい方向に進んでいる気がする。先ほど老人ははっきり断ることをしなかった。考える時間を与えることで、望む答えが得られるかもしれない。
話し合いにはネイガーの同意も要る。しかし、ネイガーに関しても、この話に乗ってくれるのではないかとバックルは感じていた。そもそもネイガーはここまでの動きを見通していたのではないかと思う。きっと、バックルが考えつかないような先の先まで考えているはずだ。あいつには敵わない。
(さあ。のんびり待つとするか)
壁に背を預けじっとすること。これが今バックルができる唯一のことだった。