世にも不思議な玉のお話 6
少女はゆっくりと目を開け、ぼんやりと天井を見つめる。しばらくすると足音がして、条件反射で跳び起きた。
「————っ!」
激痛に腕を抑えると同時に、今の自分の状況を思い出す。
「起きたのか。腕、大丈夫か?」
近づいてきた足音とともに声がかかる。それは今最も聞きたくない声だった。なぜか兄が気に入っている少年————バックル。まったく打ち解けようとしてくれない自分と比べると腹が立つ。そこではたと振り返る。昨夜自分はとんでもないことをこぼしてしまったのではなかろうか。はっきりとは覚えていないものの鬱憤を口に出してしまった気がする。彼に着けられた腕輪により、兄にも聞こえてしまうのに。
「どうした? やっぱりどこかおかしいか?」
傍らにしゃがみ込む少年に確認するわけにもいかず、大丈夫だったのだと思い込むことにする。
「……なんでもないわ」
「そうか。良かった」
バックルは本当に安心したように息をはいた。腕に巻かれた布を見て、唇を噛む。言うべきなのだろうが、どうしても、口には出せそうになかった。
「あっ、ほらこれ、食べないか。腹が空いているだろう」
そっと少女は差し出されものを見て、顔を険しくする。
「これはどうしたの。盗んだの?」
差し出され芋は市で買ってきたものだろう。この町にも畑はあるにはあるのだが、裏門周辺か、少し越えたあたりにしかない。どれも小規模なものだ。しかし、市で買うにしても、バックルはお金を持っていない。兄が取り上げたのだから。近くの市で盗んできたとしか考えられなかった。
バックルは、少女の考えていることが分かったのだろう。ああ! と言いながら、手を叩いた。
「安心してくれ。ちゃんと買った物さ」
少女はますます眉を顰める。
「あなたの持ち物は回収したはずよ。昨夜の酒場でも思ったけど、どうやってお金を調達したの?」
「売ったんだよ。ほら」
そういってバックルは足元を指さす。
「……靴を、売ったの?」
少女は戸惑うと同時に納得した。しかし、その足で動くのはいささか危険ではなかろうか。そこまで考えて、慌てて首を振る。何を心配しているのだ。昨日のことが尾を引いているのかもしれない。疼く腕を見て、ため息をつきそうになる。しくじった。避けられない刃ではなかった。この少年、バックルに恩ができてしまった……。
「ほら、だから食べて大丈夫だ。力をつけといたほうがいい」
そういって差し出されたのは、干し芋だった。いくつかまとめて買ったのだろう。バックルが左手に持つ袋は膨れていた。
「いらないわ」
靴を売って買った物をもらうのは、さすがに気が引ける。
「いいや、ダメだ。怪我も治らないぞ。少しでも体力をつけとかないと。それに、昨日助けてもらったお礼も兼ねているんだ」
有無を言わさないとでもいうように、顔の前まで差し出される。断っても無理やり口に突っ込まれそうだ。
あれはあなたのためではないと反論しながらも、少女は断るのをあきらめた。口に入れると、ほんのりとした甘さと堅い食感がする。お腹が空いていたから、多少の屈辱と申し訳なさは感じてもありがたかった。
バックルは改めて意外そうな目を少女に向ける。
「君でも遠慮するんだな。俺のも取られるんじゃないかと思っていたのに」
「遠慮しないところは遠慮しないし、譲らないところは譲らないわ」
自分は結構強情だ。今手に入れたいものは二つあるけれど、どちらもあきらめきれない。そのうちの片方を手に入れるために、今もこうして、この少年に負けていられるものか! と意地を張り続けている。
少女の心は熱く燃えているなど知りもせず、バックルは芋を一足先に食べ終えると、大きく伸びをした。
「さてと、動くなら夜じゃなくて今だな」
少女は思わずあきれてしまう。
「昨日の今日よ。顔だって見られているわ。相手は警戒しているでしょう。こんな日の照るうちに出ていくなんて、何か策でもあるっていうの?」
バックルはにやりと笑った。
「正面から会いに行くのさ。話をつけるためにね」
正面から? 今、聞き間違えでなければ、とんでもないことを少年は口走った。
少女はさっと顔を険しくし、素早く立ち上がる。腕の痛みなど気にしている場合ではない。
「それなら私があなたを止めるわ。見殺しにするわけにはいかないの」
少女は袖から刃物を滑らせ、姿勢を低くする。すぐにでも飛び出せるようにだ。すると、バックルは何か疑問に思うことでもあるのか、首を捻った。
「この前から思っていたが、あいつらとは仲が悪いのか」
あいつら、とは今酒屋を拠点としている連中のことだろう。少女は首を振った。
「私個人とは関わりがないわ。ただ里同士の仲が険悪なのよ。悪いけど、あなたに教えられるのはここまで」
するとバックルはまたかぁ、とため息をついた。
「ほんと、君らって秘密事項が多くないか?」
少女は沈黙を選んだ。教えられないものは仕方ない。
その間、体勢を崩さない少女を見て、譲る気がないのを感じたのか、少年は床に座りなおした。
「とりあえず座ってくれ。俺の考えていることを話すから。ネイガーにも話しときたいんだ」
少女は少し考えた後、仕方なく座り込んだ。最後の一言が無視できなかったのもある。
少女が座ったのを見て、バックルは口を開いた。
「少し考えたんだが、こうした腹の探り合いよりも、手を組んだほうがいいと思うんだ。同じ敵に向かう者同士なのに、お互いで殺気立っていても、支障が出るだろう」
少女は迷わず首を振った。
「無駄よ。私たちは絶対に相容れない仲なんだから」
すると、バックルが探るように少女を見てくる。
「君自身はどう思っているんだ? 手を組みたくないと思っているのか?」
「……ええ、そうよ。手を組みたくないと思っているわ」
少しの間を空けてしまったことにすぐさま後悔する。もちろんバックルはそれを見逃さないだろう。
「そうか。じゃあ、なぜだ? なぜそう思う?」
「それはさっきから言っているでしょう。仲が悪いのよ」
「それは里同士の仲なんだろう? 君は自分で、自分との関わりはないと言ったじゃないか。個人でなら上手くいくかもしれない」
あまりにも楽観的な考えに、少女は我慢できなくなる。じっと見つめてくるその目も腹立たしい。
「あなたも私たちと同じような里の人間かもしれないのに、本当に分からないのね! 私たちは里から離れて考えることはできないの! 里での繋がりが私たちのすべてよ。里に反することなんて、できるわけないのよ!」
少女は声を荒げ、激しく反論した。その様子を見てもバックルはじっと見つめてくるままだ。
「今の状況でもそれは当てはまるのか? 魔石を取り戻すことがなによりの目的なんだろう? 里がどうこうなんて俺には分からないが、他と争っている暇はないのは事実のはずだ」
少女は押し黙り、顔をうつむかせる。そんなこと、少女だって分かっている。分かってはいても、少女にとって、里の存在は大きなものなのだ。簡単に判断できるものではない。ただ、バックルの言葉は少女を揺さぶった。
バックルにさっきから心の中まで見透かされているような気がする。無意識に視線を避けた。
「君個人の考えでいいんだよ。君だって、どうしても魔石を取り戻したいんだろう?」
沈黙が二人覆う。気持ちはほぼ決まっていた。あとは少女の勇気次第だ。
バックルは急かすことなく、少女を待っている。震える心を鎮め、少女は覚悟を決めた。バックルを今度は自分から、まっすぐ見つめる。
「絶対に、話をつけないと許さないから」
この一言で伝わるはずだ。思った通り、バックルは嬉しそうに、にっと笑った。
「ああ。約束する」
少女は次にバックルの手首を見る。緊張で喉が震えそうだ。それでも、一度決めたことを破る気はさらさらない。
「兄さん、私は決めたから」
小さく、けれど意思のこもった声で少女は呟いた。すっと腕輪から視線を外し、バックルに向き直る。
「……それで? 今から行くの?」
「ああ。君はここで休んでてくれ」
少女は冗談! とあきれた声を出す。何を言っているのだ。少女の決意をまるで分かっていない。
「私も行くわよ。どこかに控えとくわ」
すると、バックルは急に焦り始めた。
「怪我人に無茶をさせるわけにはいかない!」
怪我など気にするものか。舐めないで欲しい。少女は気にすることなく体を動かし、ほぐし始めた。
「その言葉は私より強くなってから言いなさい。あなた、弱すぎるのよ。何もしないでいろというのが無茶な話よ」
バックルはうっと言葉を詰まらせた。何も反論してこないことからして、諦めたのだろう。
「じゃあ、早速行きましょう。なにかあったら助けてあげるから」
笑みを浮かべると、バックルは肩を落とした。
「ああ~その台詞……。わっかたよ。でも君は怪我をしているんだから、無茶だけはするなよ」
「ええ。……それと、君って言うのやめて頂戴。しまりがつかないでしょう」
えっ、とバックルが目を見開いた。照れくささで顔が赤らむのを見られたくなくて、少女は早口で告げる。
「ブローナ、これが私の名前。……じゃあ、行くわよ」
少女はくるりと、バックルから背を向けて歩き出した。少しの沈黙のうち、バックルが後ろから追いかけてくるのが分かる。
「じゃあ、俺の名前もちゃんと呼んでくれよ」
声から、弾んでいるのが少女にも感じ取れて、くすりと笑ってしまう。自分が、バックルから少しずつ影響を受け始めているのが分かってしまった。