世にも不思議な玉のお話 5
バックルは安堵のため、座り込みそうになるのを抑え、一目につかないような場所、始めにいた木の方へと足を進める。すると突如、後ろで空を切る音がした。かと思うと今度は鈍く重たい音がし、何かが地面へ倒れる。驚いて振り返ると、そこにはキツネの化け物がいた。一瞬驚くも、すぐに理解する。でも、どうしてここにいるのだろう? もしかしなくても、バックルのことをずっと見張っていたのだろうか。
キツネの姿をした少女は何も言わずただ見つめるだけのバックルに構うことなく、しゃがみ込む。その動きを見ていて、初めてキツネとの間に倒れている男に気づいた。
「えっ、この人はいったい」
キツネは何も言わず男の懐を探っていく。バックルはここでようやく自分になにが起きたのか悟った。
「助けてくれたのか。ありが――――」
「あなたのためじゃない」
ただそれだけ言うと、少女は今度は男の手を縛っていく。慌てて手伝おうと身をかがめた瞬間、バックルは反射的に少女の後ろを仰ぎ見た。
「危ない!」
咄嗟に少女に覆いかぶさる。そのとき、頭上を何かが横切った。見ると、少し先の木にキラリと光るものが突き刺さっている。なんだろう。見たことがない。初めは、小刀かと思ったんだが……。目をこらしていると、今度は下から思いっきり突き飛ばされる。
「うわっと」
勢いで地面に倒れると、金属のぶつかる音がする。見ると少女が小刀で先ほど飛んできたものをはじいていた。これは、まずいことになってきた。
「走れ!」
少女の声が響き渡り、バックルは素早く立ち上がり、勢いよく駆け出した。後ろで少女も、小刀ではじきながら大人しくついてくる。その金属音を聞きながらも、バックルは焦ることはなかった。逆に、先程まで強張っていた体が、もとの感覚に戻っていく。バックルにとって、里で獣に追いかけられることは、よくあることだ。身体がその感覚を思い出したのだ。
「うっ」
建物から少し離れたところで少女の悲鳴がした。足を止め、急いで振り返ると、少女の右腕に光る何かが突き刺さっていた。体勢を崩すも少女は小刀を左手に持ち替え、間一髪のところで再びはじく。その隙に人影が迫ってきた。
バックルは少女の腕を引き、走り出した。その間も後ろから次々にキラリと飛んでくる。いつ当たってもおかしくなかった。少女を前で走らせ、かばうようにする。建物の角を曲がったところで、突如、少女に腕を引かれた。突然のことに反応できずよろけ、迫る壁に咄嗟に目をつむる。
転げるようにして倒れたのは壁の内側だった。一瞬思考が停止するも、少女があの不思議な力を使ったのだと納得する。そこでバックルは横に倒れている少女に慌てて目を移した。少女の姿はキツネではなくなっており、腕を抑えうめいていた。抑えた手の隙間から血が滴り落ち、額には油汗がまとわりついている。そして少女の傍らにはあの謎の武器が落ちており、先には血がべっとりとついていた。
バックルは素早くあたりを見回すも清潔な物は見当たらない。
「勝手に探すぞ」
バックルは少女の懐を探り、いくつか取り出すと、慣れた手つきで処理していく。念のため、刃物に毒が付着していたと想定した。少女は初めこそ、バックルを拒否していたが、手の動きをじっと見て、バックルが手慣れていることが分かると、体を動かすのをやめ、バックルに任せてくれた。
最後に、紐をきゅっと、ほどけないように結ぶと、バックルは息をもらした。
「とりあえず、大丈夫だろう」
バックルは、少女が何かしら携帯していてくれて助かったと、心底ほっとする。放って置いたら、どうなっていたことか。
少女は横になり天井を見つめたままぽつりとこぼした。
「……どうして私を助けたの」
バックルは目を見開く。そんなこと、聞かれるなんて思ってもいなかった。
「なぜって、そもそも君だって俺のことを二度も助けてくれただろう」
「どちらもあなたのためじゃない。私のためよ。それに、兄はあなたのことを必要としているみたいだもの」
バックルは眉を寄せる。それはない、とすぐさま否定した。
「ただの都合のいい駒だろう。それこそ、君だって必要とされているじゃないか」
少女は怒ったように、バックルから体を背けた。
「いいえ。私は兄の足手まといになっているだけ。兄は私を仕方なく連れてきたの。それに、あの人にとって私はただの他人よ」
「どうしてそう思うんだ?」
「だって、私たちは確かに血の繋がりはあるけど、別々に育てられたもの。私が生まれたときには既に兄は家にいなかった。兄だと認識していたけれど、遠い存在のように感じていた。それに、兄の力と才能は私とは比べ物にならないもの。兄からしたら私は本当にちっぽけな存在よ」
少女の声がだんだんと小さくなっていく。少女が今どんな顔をしているのだろうと、バックルは動揺した。
「私は兄があなたに名前を教えたとき、本当に驚いたのよ。兄は里では誰も親しい人はいなかったし、名前で呼び合う人はいなかった……。どうして? どうしてなのよ! なぜあなたのことを気に入っているの? 私が、そんなにも邪魔なの?」
少女は声を荒らげたことで疲れたのだろう。大きく肩で息をして、ぐったりしたように、腕を垂らした。
上下する肩が収まっていくのを見て、バックルは口を開けた。
「俺にはあいつのことはよく分からない。けど、きっと君のことは気にかけていると思う」
そういうと少女はふっと笑ったような気がした。嬉しそうな笑みではない、寂しさを含んだ笑み。
バックルはこれ以上何も言わず、大人しくする。かける言葉など思いつかないし、少女もそれを望んでいない。しばらくすると、寝息が聞こえた。バックルはそっと、近くにあった藁を持ってきて、少女の体に被せた。
バックルは少女が眠ってから、寝ずに周囲を警戒し続けた。先ほどの男達に見つかっても、バックル一人で太刀打ちできないだろう。それに、少女の腕を掴んで走りだしたときには既に幻覚は解けていた気がする。そうすると、顔がばれた可能性がある。絶対に見つかるわけにはいかないのだ。
バックルは今日の自分の行動を振り返ってやらかしたなと思う。ネイガーは既に失格としているだろう。二人の手を借りることなく、今後玉を取り戻す方法を考えなければならない。
「あぁ、困ったな」
一人で嘆息していると、頭上から声がかかった。
「おい、何をしている」
びくりと体が震える。追手か? 驚いて頭上を見上げると、黒い眼と目が合い、ほっと息をつく。
「驚いたよ。ネイガーか。……あの、悪い、俺のせいでいろいろと、この子も怪我をさせてしまった」
ネイガーは、頭を下げるバックルをちらりと見て、少女の前に座った。
「こいつの怪我はお前のせいではない。こいつの弱さが原因だ。それにしても、西の里の飛び道具はやはりやっかいだな。さすがと言ったところか」
ネイガーは布で巻かれた少女の腕に手をかざした。すると、少女の腕が揺らめく。
「傷は深くない。処置も正確だ。毒は若干回っているみたいだが、強くはない。これなら大丈夫だろう。しばらく体を休めておけば自然に回復する」
うん? 今何をした? 開いた口がふさがらない。ネイガーがかざした手を引っ込めたのをみて慌てて口を開く。
「どうしてそんなことが分かる? 何をした」
「ただ魔石の力を使っただけだ」
魔石の力? あの、透過する力のことか? あの玉にそんな力があったのだろうか。すると、ネイガーは今気づいたとでもいうように、ああそうか、と声をあげた。
「魔石というのはお前の里のではない。俺の里の魔石だ。俺達も魔石を奪われ、探している」
バックルは目を丸くする。なるほど。そういうことだったのか。
それにしても、ネイガーが再び少女へ顔を向けたのを見て、ついにやにやしてしまう。妹のことをちゃんと見に来てくれたのだ。なんだ。やはり、少女の認識と違うではないか。バックルの笑みに気づいたのか、ネイガーの眉がピクリと動いた。
「……こいつが余計なことを喋ったようだな」
「あぁ~、全部筒抜けだよな」
バックルは腕を掲げて見せた。少女も知っているはずなのだが、意識が朦朧としていたのか、うっかり漏らしてしまったのだろう。おそらく、里を出てからずっと不安だったのだと思う。
「……こいつには、優しくしてはいけないんだ」
ポツリとネイガーが漏らした言葉に驚いて顔を凝視する。ネイガーは疲れた顔で小さく息をはいた。
「お前といるとどうも調子が狂う」
初めて漏らされただあろう本音に、バックルは顔を綻ばせた。
「なんでだ? 優しくできないんじゃないんだな」
「……俺の里での仕事は綺麗なものだけではない。裏仕事もある。親しくなるわけにはいかない」
ネイガーは静かに立ち上がった。
「俺が来たことはこいつには言うな」
それだけ言うと、壁に手かざす。何をしようとしているのか理解して、急いで口を開く。
「待ってくれ! 俺は、このままこの任務を続けていいのか?」
バックルはネイガーの背中をじっと見つめた。ネイガーはフンっと鼻を鳴らせる。
「まだ、期間に達していない。それまで、好きに続ければいい」
それだけ言うと、ネイガーは外へと消えていった。
バックルは言われた言葉に拍子抜けしてしまう。初めにネイガーがここに来たときも覚悟を決めていたが、ただ妹の様子を見に来ただけだと知り、驚く。まったく、もう少し表に出したらいいのに。
「まだいいんだな。続けて」
ほっと息を漏らすと同時に、この兄妹それぞれが秘めた思いも思い返す。
(ちょっと行き違っているだけなんだよな、きっと)
ネイガーに聞こえないよう心の中でつぶやく。ネイガーはあまり語ってくれなかったが、本当は家族を大切に思っているのだろう。ただそれを、家族にも自分にも隠し通そうとしているだけだ。
吞気に里で育った自分と違い複雑だな、と結論付け、これからのことに思いを馳せた。