世にも不思議な玉のお話 3
バックルは、隠れ家を飛び出した後、思い出したように震えはじめた腕をさすった。
(はは、強がってたのが自分でもよくわかるな。これからはさらに気を引き締めないと)
まずはターゲットを探さなければならないだろう。一週間という期限では、接近することも難しかもしれない。いくらアジトを知っていても、真正面から近づけば警戒されるに決まっている。
(こんな間諜じみたこと、やったことのない俺にできるはずないよな。あいつらもそれはわかっているだろう)
つまり使い捨ての駒なわけだ。なにか新しい情報が得られればラッキー程度の感覚だろう。
だが、それでは困るのだ。一緒に組んでもいいと、思わせなければならない。
(一人では玉は取り返せない。思ったより面倒だな。里を出るときは軽い気持ちだったのに)
ただ、ばあちゃんが喜ぶなら、くらいの感覚だった。今すぐ里に引き返して、あの玉はなんなのか問い詰めたい気持ちだ。
バックルはとりあえず、ターゲットの隠れ家を把握しておくことにした。
屋根を飛び移っていたが、明け方が近づいてきたため、へたに目立たないよう屋根から降りる。
本人は気づいていないが、バックルは素早く動き回るのが上手い。判断力とまではいかないものも、野生の感も備えていた。ひとえに、隔離された里での生活によるものだ。
まだ薄暗いというのに、人がまばらに見える。店を開く準備が着々と進められていた。
それにしても、とバックルは思わずあたりを見回してしまう。早朝だからだろうか。昨日見て回った夜市とは雰囲気がまったく違う。まるで、町ごとどこかと入れ替わったようだった。何と言ったらいいのだろう。昨夜の市は独特の雰囲気があった。まるで秘密めいた、そんな感じがした。しかし、今目の前に広がる市は閑散として、どこか温かい、ほっとする空気で満ち溢れている。今まで見てきた市と、そう大差ないような気がした。人の営みが感じられる。
バックルは、人の出入りが増えたころになってやっと動き出した。これなら歩いていても、へたに目立つことはないだろう。もしもの時、身を隠すこともできる。
目的の場所へと向かうと、そこは二階建てで、下が酒屋だ。教えられたとおりの提灯が風に揺れていた。
バックルはちらりと見ただけで通り過ぎた。少し進んだ先の木に登り、様子を観察することにする。
そこから、バックルは動かなかった。ただただ観察し続けた。一度、市に寄ったが、それ以外はずっと木の上だ。
建物からの出入りはあったものの、尾行をすることはしなかった。尾行をするにしても、慣れていないバックルには難しいと感じたからだ。それは昨夜に立証済みである。
もうすぐ夕方だが、ここまで見ていて、この酒屋には特に不審な点はみうけられなかった。そもそも、バックルは今まで、酒屋とは無縁の生活を送っており、知識はないに等しい。そのため、自分では気づかなかった点がある可能性はある。ただ、一つ違和感はあった。それは、酒屋にしては、朝から昼間まで、人の出入りが頻繁にあったことだ。覚えられるだけ顔を覚えようとしたが、入っていった人は全員違ったような気がする。ここから推測されるのは、彼らは報告に帰ってきていたのではないかということだ。主に夜、何らかの情報を集めるのに活動し、朝報告に帰ってくる。この循環ができている気がする。
(主に夜活動している。こう推測するならば、ターゲットの狙いは化け物達。ネイガーが、夜になるとあちらこちらに出没すると言っていた。そして、おそらく、ネイガー達の狙いも化け物。化け物の持つ、魔石。俺の里の玉。つまり、ターゲットとネイガーは敵対関係にあるってことなのか?)
そうだとすると、バックルにとっても両者は敵対関係にある。つまり、同じ魔石を三方向から狙っているということだ。
(あの玉はいったいなんなんだ? そんなに価値のあるものなのか? 長年家にあったのに、急に狙われるなんておかしくないか)
それとも、バックルの狙いと、ターゲット、ネイガーの狙いが違うのだとしたら? 例えば、あの魔石ではなく、カエル自体にあるのだとしたら……。
いや、それは違うとバックルは頭をふった。あの異常なまでの玉への問いただし。確実に狙いは玉のほうだ。
でも、なにか納得がいかない。何かが違う。謎が多すぎて、これ以上のことはお手上げだ。
とりあえず夜、店が開くのを待つことにし、木のうえで凝り固まった体をほぐそうと、伸びをしていると、隣の木の枝に誰かが飛び乗ってきた。慌てて体勢を整え、ぎょっ、と横を向くと、バックルは思わず安堵の息をはいた。
「なんだ君か。驚いたよ。どうかしたのか?」
少女は相変わらず冷たい眼を向けてくる。
「吞気に伸びて、あなた何がしたいの? 兄さんから与えられた任務をもう忘れたとでもいうの」
「まさか! 情報を集めていたんだ。ほら、ここから見えるだろう?」
しかし少女はそちらをちらりとも見ずに、より一層冷たい眼を向けてくる。
「情報を集めていた? これのどこがよ。あなた、今日ほとんど動いてないでしょう? 動いたとしても、行き先は市じゃない。だから私がここに送られたのよ」
つまり、ほとんど行動を起こさないバックルに痺れを切らしたらしい。おそらく、木の上であるため周囲の雑音さえ聞こえないことも関係しているとみえる。
バックルは思わずため息をついた。
「君は信じないかもしれないけど、間諜なんてしたことのない俺には、そう高度なことはできないさ。今日はここからずっと観察してたんだ。一応得られたことはあるよ」
「ろくなことじゃないんでしょう?」
少年は思わずムッとして少女の方へ体を向ける。
「これは俺の観察と与えられた情報から推測した結果だ。————あの建物は二階建て。一階が本当に酒屋だとしたら、おそらく2階がアジト。ターゲットの人数は十人弱で、そのうち二階に常にいるのは二人。あとは情報を集めに行っていて、それぞれ一日一回、必ず報告に来る。問題は一階だが、おそらく夜市を狙って開店するんだろう。化け物達が夜出現するなら、それが主な客。あのカエルの情報集めにはもってこいだ。酒屋の経営者との繋がりは分からないが、経営者がなにも知らないか、血縁関係、もしくは利害が合う協力者ってとこじゃないか」
一つずつ、指を立てながら説明する。少女は初めこそ冷たい目を向けてきたが、途中からはバックルの立てる指をじっと見ていた。そのため、バックルにもこの仮説があながち間違えではないという自信が生まれる。
「どう? どこか間違っているのなら教えてくれないか?」
少女に目を合わせると、少女は顔を背けた。
「あなたのこと、やっぱり嫌いよ」
間違っているともいないとも言わず、それだけ言うと、少女はかなりの高さの木から、音も立てず軽やかに着地した。
「待ってくれ! じゃあ、あの玉について、もう少し情報をくれないか。推測にも限界があるんだ」
「本当に教えるとでも思っているの? 軽々しくしないで!」
少女はバックルの方など見ようともせずに、足早にどこかに消えてしまった。
「なんなんだよ、いったい」
女の子への接し方はよく分からない。経験不足だ。なにかが少女の気に障ってしまったのだろう。そうだとしても、少女の、自分への当たりは激しすぎやしないか? こうも露骨に嫌われると、バックルの方もむかむかしてくる。
バックルは苛立ちを押し殺し、ため息をつくと、太い枝に寄りかかって、暮れる空を見上げた。