世にも不思議な玉のお話 2
「お主らの家族は牢にいれた。見事魔石を取り戻すことができたあかつきには解放してやろう」
しわがれた声が降り注ぐ。よく響く、重い声。歳を重ねるごとに備われた威厳。里長としての皆からの信頼は高い。だが、俺はこのバアサンを憎んでいた。今となってはその心すらどこか遠くへと消え、薄れていったのだが。
「妹はいらない。足手まといが増えるだけだ」
感情を込めずに拒否する。その様子を見て、バアサンは薄い笑みを浮かべた。
「だめじゃ。妹はいわば人質、牢にいれたとゆうても簡単に死なれては困る。お主ら一家は、この里の中では一流の力の担い手。守り手が減るのはできるだけ避けておきたい。まぁ、魔石が取り戻せたらの話じゃがな」
斜め後ろで静かに膝をついている妹をちらりと見た。顔はうつむいていてよく見えない。小さく舌打ちをすると、目の前で椅子に座っているバアサンが喉をたてて笑った。
「仕方ないじゃろうが。お前では人質にならんからのう。だが代わりにお前の力はわしに次ぐ、もう少ししたらわしを超えるだろう。その力をもって、この里に再び魔石を。期待しているぞ、ネイガー」
あれ? 俺は何をしていたのだったか。ここにどうしているんだっけ? 目を開けた途端広がる空間に見覚えがなくて、ゆっくりと記憶をたどろうとしていた。
「起きたか」
部屋を見渡しているなか、前から少年が近づいてきた。バックルのぼんやりとした目はまだ焦点を捉えきれていない。全身真っ黒の少年。誰だっけ。
「何が起きたかぐらいは覚えているだろう? まさか頭が壊れたわけではないだろうな」
スーッとバックルの目に光が灯った。今度は真っすぐに少年を見つめる。あたりを見回し、小さくため息をついた。そうだった。状況を思い出す。鳩尾のあたりも思い出したようにじんじんと痛みだした。
「ここは?」
「隠れ家だ。音はなるべく立てるな、下のやつらに聞こえる」
すっと袖から刃物をすべらせ、少年が前にしゃがみこんだ。
「もし大声を上げれば、どうなるか分かるだろう。お前はただ質問に答えればいい」
「……用が済んだらどうする気? 隠れ家まで来てしまったからには、素直に帰してくれるとは思えない」
「安心しろ。簡単に来れる所ではない。ただ、帰してやるかどうかは返答次第だがな」
バックルは今度ははっきりとため息をついた。もう無茶苦茶な展開だ。いったいどうしてこうなったんだろう。
「あの子にも訊かれたけど、俺は本当に何も知らない。なんのことだか分からないんだ」
少年の顔を見上げても、何を考えているのかまったく分からない。わざと読み取らせないようにしているのだろう。ただ、信じてくれているとは思えなかった。
「じゃあ、どうしてあれを知っていた?」
あれ、とはカエルの着けていた飾り玉のことだろう。少しの間を開けた後、バックルは信じてもらえないだろうけど、と前置きを入れる。
「……あれは、俺の家にあったんだ」
「お前のものであったと言うのか」
「あぁ。まぁ、正確にいえば祖母のだけど」
そこでバックルは遠い故郷に思いを馳せた。豊な緑と尊い命で溢れる森。隔離されたように存在するバックルの生まれ育った里。もうバックルら家族しか住んでいなかった。少し先へ進めばいくつかの村があったが、少しといっても峠を二度越えねばならない。
「祖母は、あの玉をとても大事にしていた。家の奥で祀っていて、家族でさへめったにそこへ入れなかった。祖母はいつも言っていた、『あの玉のことは、決して誰にも話してはいけない。誰かに知られてしまえば、災いをもたらすことになる』と」
真剣な祖母の声を思い出す。バックルはそれになんと返したのだったか。何度も、嫌になるほど繰り返されたためか、祖母よりも真剣には取り合わなかった。
「正直なんのことだか分からなかったけど、誰に話すこともなくただ静かに暮らしてたんだ。……でも、ある朝祖母の悲鳴が聞こえた。急いで行ったら、いつも玉が置いてあるところを指さして、『盗まれた』と言ったんだ。見てみると、玉は忽然と姿を消していた。祖母は、慌てて、探し物の術を使いはじめた。それによると、この町にあるというから、俺が送り出されたんだ。あの玉を取り戻すために」
祖母はいくつか不思議なおまじないを知っていた。それらはなぜかよく当たった。だから、今回の術の結果に対しても、家族全員真面目に向き合った。それで今、バックルはここに居るのだ。
バックルは少年を見据えた。これだけは伝えなければならない。そんな思いを瞳に込めて。
「だから俺はここに来た。でも、あの玉についてはよく分からない。君たちは知っているのか?」
少年はバックルの質問には答えずに、黒い瞳で見返してくる。
「本当にあの玉がなんなのか知らないんだな?」
「あぁ」
「そうか、それなら」
少年は押し黙った。考えを巡らせているようだ。部屋中を緊張と沈黙が満たしていく。幸いなことに、沈黙は長くは続かなかった。
開かれようと動く口をバックルは凝視した。今紡がれようとしている言葉が、バックルの運命を左右するのだ。唇はゆっくりと開かれる。まるでスローモーションにして見ているようだった。
「……お前の話が真実かどうか、まだ見極めることはできない。証明する手段もこちらにはない」
バックルは唇を噛んだ。ああ、やっぱり信じてくれなかった。じゃあ、どうしたらいいというのだろう。バックルにも証明する手段なんてない。この後に待ち受ける悲惨な運命を想像する。しかし、続く言葉は予想外のものだった。
「よって、お前を試すこととする。今から魔石を探す者に接近し、情報を集めてこい。期限は一週間。一週間後、報告に帰ってきてもらう」
報告? 何を言い出すんだ? 俺を試す猶予を与えてくれるのか? まるで理解が追いつかない。予想外な展開だ。とにかくも、まずは、詳しく話を聞かなければならない、と口を開く。その時、別の声がそれを遮るように飛び込んできた。
「待って! 兄さん。あたしは嫌よ。この子が関わるなんて、反対よ!」
いつから聞いていたのだろう。目の前にいる少年と対峙することにばかり意識が向いていて、分からなかった。どこか焦った様子で、少女は近づいてくる。必死に懇願するように、少年を見上げた。
「落ち着け。俺はまだこいつのことを信じるつもりはない」
「でも! でも! 一刻も早く取り戻さなければならないのに。その子なんて足手まといだわ」
ぱっ、と少年の肩越しに目が合う。はっきりとした拒絶。当たり前の反応だ。バックルはどこか冷静に少女を見返した。
「落ち着け、と言っただろう」
冷たい声が瞬時に少女を凍り付かせた。ぴたっと動きを止めた少女を、少年の冷めた眼差しが突き刺す。少女の顔は心なしか青ざめていた。
「あっちに行ってろ」
「……はい」
先ほどとは打って変わって、項垂れた様子で、少年から離れ、壁に体を持たれかけた。
少年はバックルの方に向き直り、疲れた様子で座り込んだ。懐から何やら取り出すと、目の前に突き出してくる。
「これを着けろ」
そういって、後ろ手に縛られているバックルの縄を解くと、腕輪のようなものをはめさせた。
「……これは?」
「これは俺の里で、特別な術を編み込んで作った腕輪だ。ここからお前の声や周囲の音を聞くことができる。つまり、これをつけている間は、お前のことは俺たちに筒ぬけなわけだ。ただの腕輪となるのは一週間後、これをはめたまま情報を集めに行け。上手くいけば、仲間にいれてやる」
「一週間後、戻って来なかったら?」
そういうと、少年は口の端を歪めた。
「逃げ切れるとでも思うのか? やれるものならやってみるがいい。頭が飛ぶことを覚悟のうえならな」
相当腕に自信があるのだろう、くだらないことをいう、と嘲笑っているのだ。だが、それは過信なのでなく、事実、バックルが勝てる相手ではないというのは、無駄のない動きからも察することができる。分かってはいたものの、道は一つしかなかった。
「……どこへ行けばいい? もちろん、ターゲットは把握しているんだろう?」
「やる気があるようで結構だ。今から一度だけ口頭で教える」
バックルは、一言一句聞き逃さないよう集中する。書き留めれば、それだけ危険度が増すため、この場で覚えきらなければならない。
「————以上だ。好きなときにここを出ればいい」
「今すぐ出るよ。俺の荷物は?」
「あのカエル野郎から助けてやったんだ。ずいぶん安いが、今回はこれで済ませてやる」
つまり、荷物は返してくれないようだ。有り金全部分捕るらしい。
「……そういえば、あのカエルって何なんだ? 着ぐるみ、ではないだろう?」
それに、と心のなかで付け加えると、バックルはちらりと少女を見た。すると、遠目でもはっきりと分かるくらい、睨み返される。
少年は馬鹿にしたように鼻で笑った。
「あれは、裏の世界の連中だ。昼間はこちらに姿を見せることは稀だが、夜になるとあちこちに出没する。あいつがなにかの動物に見えたのも、裏ではあの姿にした方が動きやすいからだ」
「裏の世界って、この町はどうなっているんだ? 俺の里にも、他の町にも、そんなものはいなかった!」
バックルにとっては信じられないものだった。あのカエル以外にもいるのかと思うと、正直言って嫌悪しかない。
「それは自分で考えるんだな。ただおまえはターゲットの情報、周囲の様子を事細かに知らせればいいだけだ」
少年の突き放すような返事に、バックルはため息をつきたくなるのをぐっとこらえた。
「じゃあ、行ってくるよ。あっ、その前に」
にっと、少年に笑いかける。
「名前ぐらい教えてもらってもいいだろう? これから少しの間は関わりがあるんだからさ」
もちろん、名前など聞いても意味はない。少しでも対等に立っていたいという打算のためだ。それに、少し、この二人には興味が湧いてきた。
「そんなの知ってどうする?」
「いいじゃないか。それとも何? なんでも好きに呼んでもいいということか?」
「……気に食わん奴だ。仕方ない。今から言う名は決して人前では口に出すなよ。こっちが迷惑だ。お前にとっても不都合だろうからな」
少年の名はネイガー。ぶっきらぼうに教えてくれた。
「君は? 何ていうんだ?」
少女を見ると、もう顔を見る必要でもないというように、目が合った瞬間思いっきり反らされる。大人しく引くことにした。
「俺はバックル。好きなように呼んでくれればいい。じゃあ、また」
バックルはそう言うと、後ろを振り向くことなく隠れ家を後にした。