七 『誰の味方か』
人間が亡くなれば、その魂は天国か地獄に行く。生きている人間には知る術がないが、天国に行く人間よりも地獄に行く人間の方が圧倒的に多い。ティアナはそれをダンタリオンから得た知識で知っている。
──地獄に行けば、地獄が潤うことも。
悪魔はそれを望んでいた。悪魔は、ジルが子供の頃に起きた戦争を忘れることができなかった。
たくさんの魂が地獄に落ちてきた瞬間を。潤って、退屈だった日々がひっくり返ったあの快楽を。
もう一度。そう願ってもすぐに同じことを起こすことができないことは、悪魔でもわかっていた。
人間を乗っ取っても。人間を唆しても。駄目だったと証明されてからは待つという選択肢しか目の前になかった。その上人間の数が足りていない。同じことを繰り返しても、同じ数の魂が落ちてくるわけではない。
悪魔は我慢をすることが苦手だった。それでも極上の快楽の為に我慢を選んだ。唯一生き残った魔女、ジルの寿命を目印にして。
「亜人と人間の……戦争?」
空いた口が塞がらなかった。
「な、なんで」
ステラが怯える。
「そうとしか考えられないだろ。悪魔と竜人が同時に動いたんだ、関係がある前提で考えれば自ずとそうなる」
ティアナは悪魔の思考を理解しているからか、真顔だった。ジルが亡くなった直後だからかもしれない。以前にも増してティアナはまったく人間に心を砕いていなかった。
「ロンドンにいる亜人は吸血鬼や人狼のような、人間に紛れることができる亜人のみだったはずだ。竜人は人間に紛れることができないトカゲ人間だろう? ロンドンにいるのはおかしい。辺境にいる亜人が何故首都の人間を狙う? 悪魔が唆したとしか考えられない。首都の人間を殺して、首都をジャックすれば──各地の亜人も暴れ出す。〝亜人の掟〟を守っていた連中も、亜人が優勢とわかれば大半が掟を破って人間を殺すだろう。報復を恐れていただけなんだから」
「ノーラは絶対にそんなことしない!」
反論したのはエヴァだ。イヌマルもそう思っている。だが。
「ノーラもお前も元人間だろ。亜人の大半がグリゴレやレオのような〝生まれつき〟であることを忘れるな」
レオは何も言わなかった。生まれつきの──その上純血という誇りを持っている自らの両親が、この騒ぎに乗らないと思っていないようだった。
「ロンドンにいたのは偶然だが、ちょうどいい。人間がまだ負けてない内に竜人を殺すぞ。……お前らがこれを聞いても人間の味方をしようと思うならな」
迫害されていたジルの傍にいながら、ティアナは人間を見捨てようとはしなかった。ただそれは人間への愛故ではない。古城の住人への愛故だ。死の間際まで人間を恨まなかったジルへの敬意故だ。
「下りる!」
叫ぶステラはすぐにイヌマルにしがみつく。イヌマルはステラを抱き上げて、割れていない窓硝子を全開にする。
「ぼくも! だって、まだ──」
花もイヌマルにしがみついた。
「──人間と亜人の架け橋になってない!」
それがジルの願いであることを亡くなった今でも覚えている。
「わたしも気持ち変わってないから!」
エヴァならばそう言うだろうとは思っていた。エヴァが誰よりもこの旅を止める術を知らない。エヴァは今でも、亡くなったギルバートを想って泣いている。
ティアナの言う通り、ここで迷うのは生まれた時から亜人だったレオだ。そしてこの場にいないグリゴレだ。正確には亜人ではないニコラは事態を静観しており、この件に関してこれといった意思は持っていないようだった。
「……俺も、まだ変わってない」
レオは小さな声でそう答える。
「理由は、ないけど」
声が小さかったのは、ニコラと同じようにレオに意思がないからだった。
この旅を始めたのはレオではない。正確にはグリゴレでもない。だから、止める際の判断もできなかった。
「レオがいいなら全員先に行け。クレアとグリゴレに伝えてくる」
グロリアにも、アイラにも、真にも、亜人の味方をしようという意思は当然ない。
「レオ! 下りたら主と花を頼む!」
だが、ティアナが先行しないならば下りる術を持っているのはイヌマルとレオのみだ。ステラと花は下ろせてもエヴァやニコラまでは下ろせない。どちらかが往復しないといけないのだ。
「わかった。ニコラ、来い」
「ちょっ?! なんでニコラ?! わたしは?!」
「ステラとハナの護衛ができるならお前をつれてく」
「…………ぐ、ぐぅ」
「…………承知致しました」
「グロリアたちは後で迎えに来る! 一分くらい待ってて!」
「わかってる。無茶しないでね」
「ありがとう、イヌマル」
グロリアとアイラに親指を立て、ステラと花を抱えたまま飛び下りる。実際の光景を見ていたのはティアナのみだ。竜人が何人いるのかも、人間がどれほど襲われているのかも、どちらが優勢で劣勢なのかもわからない。
「──掴まって!」
二人の頭を自分の体に押しつけて、瞬間移動をする。すぐに地面に下りたイヌマルは辺りを見回し、数え切れないほどの遺体が辺りに転がっている様を目撃した。