六 『悪魔の思惑』
「竜人……? て亜人?!」
竜人と聞いて反応したのはレオだけだった。イヌマルもこの旅を初めてから亜人について詳しくなったと思っているが、ティアナの知識量やレオの経験には未だ遠く及ばない。
「…………データが存在します」
ニコラは背筋を伸ばし、割れた窓硝子に顔を突っ込んで真下を覗いた。
「危ない危ない危ない!」
イヌマルはニコラの首が窓硝子に刺さらないように注意するが、ニコラは相変わらず知識不足常識知らず故に危機管理能力が低かった。
「その竜人が下で何をしてるの?」
古城の揺れが一通り収まって、グロリアと真も立ち上がる。竜人という初めて聞いた亜人の種族にばかり気を取られていたが、今気にしなければならないのは、グロリアの言う通りだった。
「…………人間を襲ってる」
ティアナが拳を握り締める。人間に誤解され続けていたオリジナル体のジルを亡くした直後の彼女にとって、その光景はあまりにも毒だった。
事件を一つ一つ解決しても、また新しい土地で事件が起こって罪のない亜人たちまで憎まれる。また、ジルがあの土地を離れなければならなくなった悲劇が繰り返される。
タイミングを、合わせたかのように。イヌマルは再び悪魔の気配に気づいて全員に報せる。
自分たちは〝亜人の掟〟をずっとずっと守ってきた。今さら守らないなんてことは殺してきた魂たちのことを思うとどうしてもできない。だから、守る為に下りて竜人たちを殺さなければならない。だが。
「俺たちを行かせたくないみたいだな」
悪魔はまた襲ってくる。目障りな祓魔師、グロリアと花を潰す為に。彼女たちと〝亜人の掟〟を守る自分たちの味方をする魔女、ティアナを食らう為に。
「最初に来た奴らだな」
未だに遠いが、肉眼で見えないものまで見えるティアナの双眸は悪魔の顔を捉えていた。
「しつこ過ぎる!」
「次も仕留める」
アイラが場所を譲るようにとイヌマルの手をぐいぐいと引っ張る。その力は十二歳の少女にしては強力だったが、式神の中でも戦闘に特化した実力のあるイヌマルには効かなかった。
「アイラがまた縛ってくれたら、助かるかもしれないけど……大丈夫なの? 辛くないの?」
ステラは本気でアイラの体調を心配している。ステラが他人の体調を心配する時は勿論この五年で何度もあったが、口に出したことはほとんどなかった。
「平気。辛くない……」
ただ、そう言うアイラの声は先ほどよりも小さく萎んでいる。視線もステラから逸らされていた。
「どうしたの?」
「……力を使うことは、辛くない、けど、ステラやグロリアに嫌われたら…………辛い」
イヌマルはアイラが半妖であることを知らなかった。イヌマルが知らなかったのだからステラやグロリアも当然知らなかったのだろう。知っていたのはアイラと共に来た真のみだ。
「嫌いになんて、ならないよ」
ステラは、アイラが何故そんなことを気にするのかわからなかった。レオやグリゴレ、エヴァといった亜人と共に何年も生きているステラにとって、アイラの内に眠る恐怖はどうしても理解することができない。
だが、ステラ自身はグロリアの〝クローン人間〟だ。古城の住人の中で未だに普通の人間のままでいるのはクレアとグロリアのみで、きっと周りの人間が普通の人間ばかりのアイラにとって、ステラの環境の方が理解することができないだろう。
「ハナ。早く結界を張ろう」
「え? あ、うん、わかった……!」
押し黙ったアイラを待っている時間はどこにもない。イヌマルは再び例の襲撃者たちへと視線を移し、彼らがまったく近づいてこないことに気づく。
「悪魔は馬鹿じゃない。知恵があるから厄介なんだ」
舌打ちをするティアナの言う通り、同じ過ちを繰り返さないようにしているのだろう。グロリアと花の術が辛うじて届かない場所から中の様子を伺って、ひそひそ話をしては笑っている。
「なんだあいつら……」
最初に襲撃してきた時もそんな雰囲気だった。緊張感がない──いや、むしろこの状況を楽しんでいるように見えるのだ。祓魔師が悪魔を殺せない余裕が今の彼らを形作っているのか、監視していれば充分役目を果たせているとでも言いたげな腑抜けた雰囲気をここからでも感じる。
「来ないなら来ないでいい。無視して下りるぞ」
レオは一人黒い羽根を大きく広げる。初めて会ったあの頃は悪魔のような羽根だと思ったが、本物の悪魔の野性的な羽根と比べると、品のある綺麗な羽根だ。
吸血鬼の中で唯一と言っても過言ではない羽根持ちのレオは、ティアナに共に下りようとは言っていない。声をかけた相手はイヌマルで、ニコラだった。
「…………承知致しました」
ニコラには感情らしい感情がない。それでも彼女には意思がある。
ずっとイヌマルの傍にいたニコラが、イヌマルや──兄姉であるニコラとニコラスたちの真似事をするまでそう時間はかからなかった。ニコラとニコラスたちと同等の力で亜人を制圧するニコラは古城の住人の重要な戦力の一人となっており、その実力はレオもグリゴレも認めている。同じく既に認められているエヴァはジルの死から頭を切り替えることができず、このまま下に連れて行くのは危険だと判断されているようだった。
「……わたしも行くから!」
エヴァがこの世で最も嫌っているのは仲間外れだ。群れで生活する人狼の本能なのか、イヌマルの服の裾を引っ張ってレオの隣に並ぶ。
「全員で行こう。これ以上おばあちゃんの城を壊されたくないからな」
ティアナも。その言葉を聞いたグロリアも。客人であるアイラと真まで傍に来る。それは、ステラに言われるがまま結界を張った花と花の実力に希望を見たステラも例外ではなかった。
「最後にクレアとグリゴレを連れて行く。竜人と悪魔、同時に叩くぞ」
「竜人ならなんとかなりそうだけど、悪魔は? どうやって叩く?」
「同じだよ。悪魔は殺せる。亜人と違ってまた蘇るだけだ」
「蘇ったらダメじゃん!」
「だが、あいつらは命乞いをする。人間を誘惑するし、契約もする。今まで通り大人しくしてもらう為に力を見せつければいいんだよ」
「そういえば、悪魔はなんで今まで大人しく……?」
「おばあちゃんが子供の頃、魔女や人間が戦争でたくさん死んだんだ。だから、おばあちゃんが老いて死んだらそれだけ長い時間が経ったってことになる。それだけ多くの命が生まれて、新しい時代が始まったって証拠になる」
「……?」
イヌマルはまだ、ティアナの言いたいことを理解することができない。
「人間は多分、あの頃と同レベルの戦争はしない。だが──亜人と人間ならば、同レベルの戦争になる」
悪魔の思惑を、理解したいとも思えなかった。