五 『絡み合う糸』
「──ッ?! グロリア! 来てる!」
式神としての本能なのだろう。祓魔師として悪魔の気配を知っているはずのグロリアや花、亜人として嗅覚や殺気に敏感なレオやエヴァよりもイヌマルがいち早く悪魔に気づく。
先ほどの悪魔とは違う個体のようだった。下位悪魔であることに変わりはないが、人数が二人ではない。数えるのも面倒になるほど──数十人は確実にいるような集団で、ステラと花の結界は、間に合いそうになかった。
「────」
一歩前に足を踏み出したのは、アイラだ。グロリアと花、そしてティアナ目掛けて古城に侵入しようとする彼らは、割れた窓硝子付近を侵入口としているようで。ステラがまた、全員を守る為に結界を張ろうと片手を伸ばす。グロリアと花が、間に合うように詠唱を始める。
「二秒待って!」
そんな三人の前にアイラが滑り込み、一瞬だけ背中を丸めた。瞬間、アイラの身長がめきめきと音をたてて伸びていく。──いや、スカートの中から八本の巨大な蜘蛛の足が飛び出してきて、それがアイラの体を持ち上げていた。
「え」
声が漏れる。イヌマルは何が起きたのかをすぐに理解することができない。
だが、陽陰町にはいたはずだ。イヌマルと共に百鬼夜行から陽陰町と人々を守ろうとした、半分妖怪たちが。
「お願いアイラお姉さん!」
アイラが何をしようとしているのかわかっている真だけが縋るように叫ぶ。
「みんな合わせて!」
アイラはステラと同じように片手を伸ばし、もう片方の手で丸を作った。それを伸ばした掌の前に出し、悪魔を限界まで引きつける。
窓硝子の数メートル手前まで来れば悪魔はすぐに飛び込んでくるだろう。アイラを守る為に反射的に傍へと駆け寄ったが、ステラはアイラのことを結界を張らずに待っている。グロリアと花は詠唱の速度を落としており、アイラとタイミングを合わせようとしているように聞こえた。
全員が、アイラを信じている。信じようとしている。それでも傷一つつけたくないから、イヌマルの体が反射で動いたのだろう。
姪を想うステラの想いが、イヌマルの中で温かく広がる。アイラという存在が、表情が乏しくなってしまったステラに感情を与えているようだった。
「──ッ!」
信じて待っていた甲斐はあるのだろう。アイラの掌から飛び出してきたのは真っ白な蜘蛛の糸だ。
丸を作った片手で狙いを定めて、割れた窓硝子から侵入しようとしていた悪魔のみを縛っていく。だが、近くの窓硝子を割ろうとしている悪魔にそれは通用しなかった。
割れる直前にステラがようやく結界を張る。割れた瞬間にグロリアと花の呪文が悪魔全員に直撃する。
彼らは、最初の襲撃者たちと同じように彼方まで飛んでいった。蜘蛛の糸に絡まって団子状態になった悪魔たちは一部だったが、飛んでいく途中で綺麗に全員を巻き込んだのはイヌマルの双眸が確認している。最初の襲撃者たちはまた来るかもしれないが、彼らはしばらく来れないだろう。
「アイラ……」
ようやく庇うようにアイラの前に立った。見上げたアイラは悪魔のこともこの状況のこともまったく怖がっていない。戦おうという意思が見える。
「わたしのことは守らなくても大丈夫」
ステラのような口調でそう言ったのはアイラだ。
「……でも」
イヌマルは、半妖も死んでしまうことを知っている。猫又の少女が亡くなったあの瞬間を今でも思い出してしまうから、アイラを守らなくても大丈夫だと言って切り捨てることは絶対にできない。
もっと言うと、アイラはイヌマルとニコラを除いた古城の住人の最年少者、花よりも一つ年下だ。ステラや花を完全な子供扱いするのはもう気が引けてしまってできないが、アイラと真は一個下だろうがまだまだ子供だ。アイラと真の中身がどれほど大人びていようと。大人のように振る舞わなければならなかったステラと花を知っているから。
「そんなことより、どうするの? このままじゃ埒が明かないような気が……」
瞬間、大きな音をたてて古城が揺れた。イヌマルは無様に倒れないようにプライドと両足で踏ん張るが、ほとんどの住人たちは踏ん張れない。よろけたアイラと花の片腕を引っ張って、エヴァとステラにしがみつかれたまま、数秒耐える。
「お前ら……。その体勢には触れないが、筋肉だけは痛めるなよ」
だが、揺れた瞬間に素早くしゃがんだティアナに呆れられた。グロリアと真は冷静で、焦ることなく片膝をついて窓の外を警戒しており、問題なく踏ん張っていたレオとニコラは窓の傍まで行って〝下〟を眺める。
「…………あ」
立ち上がって、同じように下を──ロンドンを見たのはティアナだった。
いつもよりも三倍速く動いている古城からティアナがダンタリオンのシジルで見た人々は、やはり古城に気づいているようで。……それ以上の異変に、怯えていた。
「竜人ッ!」
叫ぶティアナの右目は何を捉えているのだろう。イヌマルはすぐに理解できなかったが、レオの表情に走った焦りは相当のものだった。