四 『星の願いを』
古城の住人ではない誰かの気配がした。イヌマルはすぐに窓の外へと視線を移し、黒い飛行物体を確認する。
「主ッ!」
イヌマルはステラの式神だ。古城の住人の誰とどれほど親睦を深めようと、一番は永遠にステラなのだ。
声をかけ、全員の意識を飛行物体へと向けさせる。最初にステラに声をかけたのは正解だった、ステラはイヌマルの意図を察して結界を張る。
窓硝子が割れても。人間でも亜人でもない──かと言ってウェパルやダンタリオンのような悪魔でもない誰かの攻撃を受けても。ステラの結界は壊れなかった。
「な、何?」
「あれが悪魔ッ! 気をつけてッ!」
戸惑うアイラをグロリアが抱き寄せる。
「えっ?! 嘘!」
悪魔にしては、ウェパルやダンタリオンよりも小さい二人組だった。羽根がなくても二人は浮くことができていたが、襲撃者は羽根がないと空を飛べないように見える。
男型のダンタリオンは言わずもがな、女型で人魚の姿をしていたウェパルでさえおどろおどろしい姿をしていたが、襲撃者は美しい容姿を持つ男女だ。何もウェパルとダンタリオンと似ていないのに──。
「本当! ウェパルとダンタリオンは上位悪魔でこの二人は下位悪魔! ぼくたちがずっと祓っていたのはこっち!」
イヌマルは、祓魔師の本来の仕事をこの目で見たことが一度もない。だから、目の前で笑う襲撃者たちがそうだとはすぐに気づけなかった。
「腕試しされてるのかもね!」
ならば、襲撃はまだ始まったばかりなのだろう。
腕試しをされているのはグロリアと花だ。一気に前に出て唱えた呪文は、英語がわかるようになったイヌマルでも聞き取れない。
「クカカカカッ! マクシーン! 避けろ避けろー!」
男型の悪魔が踊るようにグロリアと花の呪文を避けようとする。
「クヒヒヒヒッ! 馬鹿だねぇマクシミリアン! 避けられないよぉ!」
女型の悪魔の言う通り、グロリアと花が詠唱を終えると襲撃者たちは割れた窓硝子の外へと追い出された。風が吹いたかのような。首根っこを掴まれて放り出されたかのような。そんな不自然な動きで出ていったのだ。
「うぉー……」
その勢いは凄まじく、もう戻ってこれないのではないかと思うほどに遠くまで飛んでいなくなってしまう。
「……消えるわけじゃないんだ」
少なくとも、妖怪は消滅する運命だった。イヌマルもステラに同意して、自分の背後に隠れていたエヴァとニコラの様子を確認する。
ニコラは相変わらずの無表情で何を考えているのかわからなかったが、エヴァは戦う気力もなかったようだ。イヌマルを頼るしかなかった、そう解釈してしまうほどに落ち込んでいた。
「妖怪がどうなのかは知らないけど、祓魔師は人間に取り憑いた悪魔をえいって引き剥がして遠くに飛ばすんだよ。悪魔を祓うって言うけど、正確には人間から祓うって意味の方が強いんだ」
「だからすぐに戻ってくるよ。クレア、グリゴレ、ここは守るから城を動かすなら任せてもいいかな」
「もちろん! みんな! グロリアと花のサポートお願い!」
「わ、わかった! グロリア、花! 主以上に働くぞ俺は!」
「本気で頼りにしてるよイヌマル」
「ステラも。結界を張ってくれたらすっごく嬉しいな」
「うん。張る」
「グリゴレ! そんなとこに隠れてないで急ぐよ!」
普段古城を動かしているのは行き先も決めるグリゴレだ。廊下の端で悪魔が祓われる瞬間をひっそりと待っていたグリゴレは、「わかっていますよ」と息を吐いてクレアと共に操舵室まで走る。
「ハナ、相談があるんだけど」
「えっ、今? どうしたの?」
ステラはこんな時にどうでもいいことを相談する人間ではない。花もそれはわかっているから、警戒しつつ耳はステラの声を聞く。
「結界を古城全体に張ってみたいの」
「え?! どういうこと?!」
「イヌマルうるさい」
「ごめん主ぃ……!」
他でもないイヌマルがステラの真面目な雰囲気の足を引っ張っている。本気で反省するが、思っていることに変わりはなかった。
「一人でできるんですか?」
真は陰陽師のことも知っているようだ。驚き、ステラが正気であることを確かめるようにまじまじとステラを見つめる。アイラもステラがそれをできるとは思っていないようだった。
イヌマルは、ステラがしようとしていることの重さを正しく理解できない。それは、陰陽師とは無縁の生活をしていた花もそうだった。
「できない。だからハナに相談してる」
ステラはまだ十五歳だが、自分の実力を正しく認識することができている。過信していないから、花に頼る。エヴァが自分よりも強いと認識しているイヌマルを頼ったように。ニコラが他人の真似事をしていれば判断を誤らないと思っているように。
「二人ならできると言うなら頼みたいけどな」
花が返事をするよりも先にティアナが頼む。
「どうなんだ」
祓魔師のことも陰陽師のこともたいして理解していないレオは、ステラと花に決断を急かす。
「わ、わからないよ。やったことないから……」
当たり前だが、自分に自信を持つことができない花はできるとは言わなかった。
「でも、できないなんてことは絶対にない。だって、ハナはサルアキの〝クローン人間〟だから」
──初めて。出逢ってから、初めて、ステラが花にそう言った。
花に何度も猿秋の面影を見ているイヌマルは、唾を飲み込んで二人を見守る。
「わたしはグロリアの〝クローン人間〟。だから、二人のことを手伝えるって思ってる。だから、ハナも手伝ってほしい」
出逢った頃から、ステラはイヌマルに自分が〝クローン人間〟であることを告げている。強調されていると思うほどにだ。
「……うん」
弱々しい声で花が頷く。
「手伝うよ」
それは、ステラの希望に押されたかのような弱さだった。アイラの決意や真の覚悟に当てられたかのような意思だった。