九 『動機』
光を宿さない漆黒が綺麗な瞳を見つめ、イヌマルはダークエルフの少女が解放させる時を待つ。
「ほら」
ティアナに最初に解放された少女は、何が起きたのかわからないとでも言うように困惑し──自分の周囲にニコラとニコラスがいることに気づいて腕を振り上げた。
「ストーップ!」
そうなるとわかっていたイヌマルは少女を羽交い締めにし、少女が止まってくれることを願う。
「イヌマル、退いて」
だが、主であるステラの言うことならばなんでも聞いてしまうイヌマルだ。すぐに少女を解放してかなりの距離を取り、ニコラスを襲おうとする少女がステラの結界の中に閉じ込められたことを目撃した。
「天才」
思わず拍手をしてステラを褒め称える。ステラはまったく嬉しそうな表情をしなかったが、花は「照れてる」とステラを揶揄った。
「お前の主なんだから、何ができるかくらい把握しておけ」
ティアナに突っ込まれるが、日本にいた時もイギリスに来てから三年経った今でもステラと共闘した記憶はほとんどなく──イヌマルはステラの真の実力を知らないままだった。
「何をする! なんなんだこれは! 出せ出せ出せ!」
結界を叩く少女を四人で見つめるが、少女に声をかけるよりも先にしなければならないことがある。イヌマルはティアナに目配せをし、エルフの少年が解放されるその時を待った。
「────」
少年の白い瞳にも光が宿る。少年も少女同様にニコラとニコラスに飛びかかろうとしたが、ステラの結界に阻まれた。
「落ち着いてください、大丈夫ですよ」
英語で二人に声をかけた花の声は、この場にいる誰よりも落ち着いている。人々に癒しを与えるようなその声質はやはり猿秋のもので、イヌマルは思わず耳を澄ませた。
「ぼくたちは二人を傷つけません。この人たちも二人のことを傷つけません。落ち着いて、ぼくたちと話をしませんか? もしかしたら、手を取り合えるかもしれないから」
ティアナも、ステラも、イヌマルも、誰かを宥めることや説得することには向いていない。誰かの感情を理解することができない、誰かに心を傾けることができない三人にとってそうすることは戦って勝つことよりも難しい。
それを平然とやってのける花は自分のことを誇っていい。他の誰にもできないことができる自分の才能を愛してほしいが、花はずっと自分に自信が持てないでいた。
「…………」
話をすることは難しいかもしれないと諦めかけていたイヌマルにとって、少年少女が花の話を聞こうとしている結果になったことは奇跡に近い。それでも花は、どこか自信がなさそうに微笑んだ。
「話を聞こうとしてくれて、ありがとうございます」
攻撃的でない花だから二人は黙ったのだろう。手を取り合える、そう言ったことも効いたのかもしれない。
「いいえ、条件があります」
だが、腰に手を当てた少年は簡単に話をしようとしなかった。
「貴方たちがこのバリアを解かないならば、僕は貴方たちのことを即敵だと認識します。いいですね?」
掌を正面に出して結界に触れた少年は、そのまま軽くノックをして抗議の意思を示す。完全に話をしようとする姿勢でいた少女は、「確かに! 出せ出せ出せ!」と地団駄を踏んだ。
彼らの主張は当然だろう。敵だと認識していない、話し合いたいならば閉じ込めることは悪手だ。イヌマルはステラに命令することができない。ティアナと花が「やれ」と言ったらステラは結界を解くだろうが、二人は何も言わなかった。
ステラは無言のままダークエルフとエルフの二人を見上げている。ステラの式神であるイヌマルだが、ステラが考えていることは実はよくわからない。このまま解放しない気なのかと思って、ステラが首を左右に振った瞬間に確信した。
「だめ。二人は武器を持っているから」
それは、ティアナと花に考慮した発言だったのだろうか。イヌマルは大太刀を消していたが、少年少女にはニコラとニコラスに使用していない弓矢が残っている。
「それを床に置かないと、解除できない」
少年少女が武器を床に置かなくても反撃できる能力を全員が持っているが、手の内を晒したくないのだろう。ティアナはステラに同意するが、嘘を吐けない花は固く唇を閉ざす。
少年は、所持していた武器をすべて置いた。少女も少年に倣い、「出せ出せ出せ!」と再び抗議する。ステラは──そんな二人を信用し、結界を解除した。
「手を取り合えるということは、貴方たちも彼らに同胞を殺されたのですか?」
わかっていたはずなのに、少年から出たその言葉はあまりにも重い。
「そういうわけじゃない。亜人が殺されるのを止めたいだけ」
嘘を吐かずに答えたステラだったが、少年にとってその答えは不満だったようだ。
「目的は同じでも動機は異なっているようですね」
目を細めた少年は、ステラも同じように同胞を殺された者であってほしかったらしい。少女は目的が同じ者に会えたことが嬉しかったのか瞳を輝かせていたが、少年の反応に気づいてすぐに眉を釣り上げた。
「……この人たちに家族は殺されてないけど、この人たちに殺された誰かはいるから。それをだめだって言う人がいないなら、言わなくちゃいけない」
「言うだけ? 殺さないんですか」
「殺すさ。罪人なんだから」
「じゃあやっぱり仲間だ! ハルラス、仲間だぞ!」
「……確かに、完全に手を取り合えない仲ではなさそうですね」
「私たちは、お前らを殺すように指示している奴らを殺す。お前らの家族を殺したこいつらも殺す。私たちを敵だと認識して殺しに来るようなら、お前らも殺す」
「それはわかりやすくていいですね。貴方たちを攻撃しなければ僕たちが殺されることはない。貴方たちを攻撃すれば、僕たちは殺される」
「そうだ! 殺さないよ! 私たちの同胞を殺さなきゃな!」
少年も少女も敵にはならない。自分たちが少年と少女の敵にならない限り。
これは、イヌマルたちにとってもわかりやすいことだった。ニコラとニコラスたちは、そんなわかりやすい決まりごとを破ったのだ。少年と少女から恨みを買っても仕方がない──と思う。
「でも、一つだけ気になることが。何故殺すことを止めたのです」
その問いは、ステラではなくイヌマルに向いていた。
「実行犯じゃない……誰のことも殺してないニコラとニコラスがいるんだ。その子たちを殺すことはできない。その子たちを殺すことは、二人の同胞を殺した子たちとやってることは一緒だと思うから」
言うべきか迷ったが、やはり最後はきちんと告げた。ニコラとニコラスならば誰でも殺すわけではないと断言することができなかったことと、誰のことも殺していないニコラとニコラスがいることを知らなかった可能性があったから。
少年はずっと、不愉快そうにイヌマルのことを眺めていた。少女はずっと、少年が言葉を発するその瞬間を待っていた。
「……そうでしょうね」
少年は、心の中ではまだ納得していないのだろう。そのことが悪いわけではない。すべてのニコラとニコラスを殺すことを思い描いて願うことも悪いわけではない。実行に移すことが悪いだけだ。
「俺たちの仲間が実行犯を探してる。俺たちは追いかけるけど、二人はどうする?」
「目的は一致しましたけど、一緒に行動する理由にはなりません。見つけても攻撃しない、お互いにそれだけを守りましょう」
「そうか?! 共に行動をした方が助からないか?! 武器もそんな持ってきてないだろ?!」
「武器ならその辺に転がってるでしょう」
「使い慣れていないから困るんだが! まぁ、仕方ないか!」
「行きましょう、ララノア」
「あぁ! じゃあな、仲間!」
ララノアという名のダークエルフとハルラスという名のエルフが武器を集めながら去っていく。
「良かったの? 一緒に行動しなくて」
誰に尋ねるわけでもなく、花が言う。
「無理に共に行動する必要はないだろう。私たちは仲間じゃない」
「けど、あの子は仲間って言ってくれたから……」
ステラはポケットの中に手を入れて、紙切れを二つ取り出す。掌に乗せた紙切れに息を吹きかけると、人型のそれはひらひらと舞ってララノアとハルラスを追いかけていった。
「あれは?」
「擬人式神。あの二人に何かあったら守ってくれるようにした」
「うっ……浮気……?!」
「イヌマルを一緒に行かせることはできない。イヌマルはわたしの式神だから」
「あっ、主ぃ……!」
「イヌマル、すっごく嬉しそうだね」
「本物の犬だな」
「お黙り!」
冷めた目で自分を見つめるティアナに噛みつき、イヌマルはステラを抱き抱えて歩き出す。
こんな風に歩くのは何ヶ月ぶりだろう。十三歳になったステラは初めて会った九歳の頃から大きく成長しているが、式神であるイヌマルはステラが何歳になってもどれほど大きくなっても抱き抱えることができる自信があった。
「気持ち悪い上に面倒臭いな、あいつ」
「ステラに関することだけだから、大目に見てあげようよ」
「イヌマル、下ろして」
「はい」
まさか数秒で至福のひとときが終わるとは思わなかった。幼い頃にたくさん触れ合っていれば良かったのかもしれない。一人で立って歩いていくステラの背中が遠くなる。
「あの三人はどこにいるんだ?」
「あー……下かな」
「わかるの?」
「瞬間移動すればちゃんとわかるんだけど、瞬間移動しないならふわっとした方向しかわかんないな」
「まぁ、上か下かわかっただけでも助かるけどな。下に行くか」
「ニコラとニコラスはもう出てこないかな」
「あいつらはそんなに強くない。エルフを殺してたならもっと強い奴らがいるはずだ」
「えっ」
あのニコラとニコラスも防御力があまりにも高くて充分に強いと感じたが、攻撃力があるニコラとニコラスもいるのか。そうなると、勝てるかどうかわからない。それでも、ステラの為に戦わなければならなかった。




