五 『人間でも亜人でも』
城に行く。過剰な抵抗は絶対にできない。そう思ったのは、イヌマルとエヴァの攻撃が住人たちを巻き込む可能性があるからで。ニコラたちが住人たちを人質に取る可能性もあるからだった。
だがそれは、大人しくしているというわけではない。完全に吹っ切れて狼の姿に変身したエヴァに跨り、ハーパーと呼ばれた女性を全速力で追いかけていく。その後を十数人のニコラが、そしてフードを目深に被ったグリゴレとレオが、そして──ニコラスだと思われるこれまた十数人の少年が追いかけてきた。だが、〝クローン人間〟であるティアナとステラと花が追いかけてくる様子はなかった。
それでいい。ニコラとニコラスに狙われていない三人はこの町の調査をしていてほしい。その上で彼らが一連の事件の犯人だと断言するなら、その時はすべての迷いを断ち切って倒すことができる。
「awoooooo!!!!」
エヴァに声をかけられて正面を向いた。それほど離れてない場所に例の城が姿を現す。
古城よりも大きくなく、絵本の中のような町の風景に溶け込んでいたその城に対する印象はまったく変わっていない。だが、あそこが彼ら城の住人の根城だ。中に入ればきっと──さらなる数のニコラとニコラスを相手にすることになる。
「…………」
ごくりと生唾を飲み込んだ。イヌマルは戦闘に特化した式神で、百鬼夜行で暴れ回った過去がある。レオとグリゴレは純血の吸血鬼だ。〝デザイナーベビー〟のレオは言わずもがなだが、グリゴレが弱いわけではない。純血の吸血鬼の数が少ない現代で、レオ以外では負け知らずの吸血鬼だ。エヴァは人狼の子ではないが、人狼自体が他の亜人と比べると戦闘に特化している。人狼同士群れていればさらに強かったと言えるだろう。この四人が向かっているのだから、ニコラやニコラスに数で劣っていても敗北はないはずだ。……彼らの防御力を考慮しなければ。
城の中庭に飛び降りて辺りを見回す。遠目から見ていた時もそうだったが、すぐに追いかけたはずなのにハーパーの姿がどこにもなかった。
「Go!」
僅かな不安がイヌマルを襲う。それでも、ここに来たからには進むしかない。腕を振り回してエヴァに城の窓ガラスを割るよう指示し、城内に突入する。着地した場所はどこまでも続いていくような長い廊下だった。
「…………」
どこか古城に似ているその廊下には、人間も亜人もいない。視線を巡らせて恐る恐るエヴァから下りたイヌマルは、半人半狼──半獣に姿を変えるエヴァと背中を合わせる。
「気配は?」
式神のイヌマルは、城の住人の気配を察知することができなかった。あれほど多くのニコラとニコラスを目撃したのに、城内は生活感がまったくない。城なのだから当然かもしれないが、人が暮らしていると思えないほどに静かだった。
「うぅ〜、全然ないよぉ〜?」
イヌマルと同じく周囲を警戒するエヴァの耳は狼の耳だ。そんなエヴァでさえ、誰かの気配を感じることはできなかった。
「とりあえずハーパーを探そう。ハーパーは絶対に中にいるはずだから」
「がぁる〜」
それが肯定であると受け取って、イヌマルはエヴァと共に城の奥へと進んでいく。最初に出逢う人間が自分たちのことを知らない人間だったらどうすれば良いのだろう。そんなことを考えていると、殺意の視線に背中を刺される。
「ッ!」
立ち止まってエヴァと共に感覚を研ぎ澄ませると、近くの扉からあっさりと出てきたのはニコラだった。
その見た目も着ている服も完全に他のニコラと一致しているが、彼女はイヌマルが最初に出逢ったニコラでもイヌマルとエヴァが戦ったニコラでもない。ニコラはイヌマルとエヴァを双眸に映し、「排除」とだけ告げた。
「下がれ!」
叫んだ瞬間にエヴァと後方に飛ぶ。目の前で弾け飛んだのは床で、爆弾を投げたのだと理解した。
「ッ!?」
メイド服を着たニコラのどこに爆弾が仕込まれているのだろう。ニコラは相変わらずの無表情のままイヌマルとエヴァを眺め、袖から爆弾を取り出し、投げる機会を伺っている。隣のエヴァは鼻を腕で覆っており、〝もう一人の襲撃者〟を探す索敵能力を潰されたことを理解したイヌマルはすぐにエヴァを前線に出した。
「俺はもう一人を探す!」
そのもう一人を目撃したわけではない。だが、このニコラが殺意を出したとは思えないのだ。殺意が高いのはいつだって、ニコラではなく──
「一発で仕留めろよなぁ、ニコラッ!」
──背後から斬りかかってきたニコラスだった。
ニコラスの剣を刀で受け止めたイヌマルは、ニコラをエヴァに任せて思案する。ニコラがそうだったのだ、ニコラスも峰打ちが効くとは思えなかった。
「ハハッ、マジだコイツ! 意味わかんねぇ! なんの亜人だよ!」
ニコラかニコラス、それともハーパーから聞いたのだろうか。イヌマルと出逢ったのは初めての個体のようだが、情報が共有されている。相手の数がまったく見えなかった。
「awoooooo!!!!」
またエヴァが吠える。相手に自分たちの居場所を教えているようで今すぐ止めさせた方がいいのかとも思案するが、後続はグリゴレとレオだ。そろそろ着いている頃だと思うが、探偵業をやっている二人が自由に動いてなんらかの証拠を得ることができるのなら──城内にいるニコラとニコラスすべてを引き受けても構わないと思える。
「エヴァ! ガンガン吠えろ!」
ニコラとニコラス両者の防御力はイヌマルとエヴァだけで突破できるものではないが、絶対に倒れないと断言することはできる。ニコラとニコラスの攻撃力はイヌマルとエヴァよりも強力ではない。
「後ろは気にしなくていい!」
告げ、不愉快そうに顔を歪めたニコラスに対して挑発した。
「なんだよオマエ」
「イヌマルだ」
「意味わかんね。さっさと殺してハーパーに解剖させてやる」
「それは無理だ」
何故ならイヌマルは式神だから。命尽きたら、肉体はこの世界のどこにも残らないから。
猿秋がそう言ったわけではない。イヌマルが本能として知っていることで、三善家の式神として一瞬だけ仲間だった彼らの遺体を見たこともなければ墓に触れたこともなかったからだ。
「んなのやってみねえとわかんねぇだろ!」
床を蹴ったニコラスの剣を再び刀で受け止めた。今度は鞘ではない。シャンデリアの光に照らされた剥き出しの刀身が、ニコラスの肉体を求めている。イヌマルの消滅と共に消える刀は、吸い込まれるようにニコラスの脇腹へと向かっていった。
「ッ?!」
受け止められることなくニコラスの脇腹に到達した刀は、あっさりとニコラスの肉体を抉っていく。両目を見開くニコラスの命を奪うつもりがなかったイヌマルは、多少の出血のみで済まそうとしていたが──いつまで経ってもニコラスから血が流れることななかった。
「…………え」
いや、流れてはいる。だが、それは抉った場所にしてはあまりにも少量だった。それは、イヌマルが思う多少の出血ではなかった。
「…………なんで」
「オマエ、強いな」
口角を上げて笑顔を見せるニコラスは、痛がる様子を見せなかった。体が崩れる様子さえ見せなかった。一歩前に出て、剣を構え、まだ、戦おうとしている。
「エヴァ!」
ニコラスから視線を外してエヴァを見つめる。エヴァの爪は相変わらず効いていない。エヴァの殴りも、蹴りも、効いていない。噛むという攻撃以外のエヴァの特技がすべて効いていなかった。
「噛め!」
本当ならば、こんなことを嗾けることは許されていない。エヴァに言っていい言葉でもない。信じられないとでも言うようにあんぐりと口を開けたエヴァの口内には牙があり、それで誰かを噛めば、誰かは人狼になってしまうが──
「──いいから!」
イヌマルは全力で叫んだ。ほとんど確信に近かった。エヴァがいくら噛んでもニコラとニコラスは人狼にはならないだろう。証拠はなかったが、そう断言してしまうほどにニコラスの動きは異常だった。
腹が三分の一抉れていても何事もなかったかのように動くニコラスはゾンビのようだったのだ。二人がゾンビだと断言することもできなかったが、ニコラとニコラスは人間ではない。亜人でもない。それだけは確信に近かった。
「ッ!」
次々と繰り出されるニコラスの剣を半分ほど受けながら、イヌマルは彼との戦闘に意識を戻す。エヴァはまだニコラを噛めない。噛むことを躊躇っている。だからこそイヌマルは考えるしかなかった。
人間でも亜人でもない彼らをどうやって戦闘不能にすればいいのだろう。物理的に縛って動きを止めることが一番現実的だった。
「エヴァ! 噛めないならいい! 移動するぞ!」
エヴァとニコラがいる方向には床に大きな穴があって簡単には進めない。エヴァがイヌマルの方に近寄るのを待ってニコラスを斬り、道を無理矢理こじ開ける。
「こっちだ!」
だが、エヴァが散々吠えたからだろう。縛る場所や物を探そうと思って走り出したイヌマルの目論見を潰すように──数分前のイヌマルの目論見通り、複数人のニコラとニコラスが階下から姿を現した。




