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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第三章 星の旅立ち
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十四 『病』

 想像以上に大量の血が流れた。だが、これで消えるイヌマルではない。式神しきがみはそれほど弱くはない。

 それはエヴァにも言えることだった。撃たれて即死するほど弱くはない。


「え、エヴァ……」


 だが、イヌマルほど無事ではなかった。銃で倒せなければこの村はとっくのとうに人狼の村になっていただろう。人狼は強いが、満月でない以上はその程度の強さでしかない。


「……くはッ?!」


 当たり前のように二発目が来た。一発目と同じようにイヌマルを貫通してエヴァに当たったそれは、エヴァの命を少しずつ少しずつ削っていく。

 イヌマルは盾になることができなかった。矛になることも許されていない。できることはエヴァを担いで逃げることだけだ。エヴァを担いで村人たちを睨む。三発目が来ようとしていた。それを避けることは──できる。


 村人たちの目に自分たちがどう映っているのかは知らないし、想像しようとも思わなかった。だが、銃弾を避けたことにより村人たちの表情がさらなる恐怖に染ったことは、これから先も覚えておかなければならないことだと思った。その表情から視線を逸らすことができなかった。

 エヴァを担ぎ直してできることを数えていく。このまま家を飛び出して逃げることもできるだろう。村を飛び出しても逃げることはできるはずだ。四方八方から撃たれても、避けることはできるはずで。そして、その行動は間違っていないと胸を張ることもできた。


 エヴァは罪を犯していない。だから絶対に死なせたくない、今はまだ守らなければならない人だから、ステラや古城の住人たちと同じくらいに守りたいと心の底から思っている。裁かなければならないのは、罪を犯したのは、エヴァの幼馴染みであるギルバートだ。

 ギルバートは家具の後ろに隠れており、逃げようとしないイヌマルを不思議そうに見つめている。それはまるで、逃げていいと言っているようで──イヌマルはますますギルバートのことを理解することができなかった。


 四発目を避ける。それでも逃げない。

 五発目を避ける。それでも逃げない。


 六発目も七発目もイヌマルは避けるが、逃げようとはしなかった。イヌマルと同じく、村人たちも何度避けられても逃げようとしなかった。

 イヌマルがエヴァを守りたいように、村人たちも村人たちを守りたいのだ。その村人たち全員に恐怖を与えるのは本意ではない。だからここで、イヌマルは待つ。


「主ぃぃぃいぃぃいぃ──!」


 大切な人たちからの、救いの手を。


「Stop the struggle!」


 すぐに声が聞こえてきた。イヌマルの後を追いかけてきたステラとはなだ。その後をグロリアが、だいぶ後ろの方にはクレアがいる。

 駆けつけてくれたことが何よりも嬉しかった。だが、銃を持っている大人に突っ込んでいく姿を見たくはなかった。


「She is wearing a muzzle!」


 マズル──そうだ。イヌマルはすぐにエヴァの顔を村人たちに向けさせ、口輪がついていることを見せる。エヴァは誰のことも襲っていない。口輪にも手足にも血がついていないことを見てほしかった。

 ステラと花と、村人たちの口論が始まる。村人たちが何を言ったのかはわからないが、こちらを見た二人の顔があからさまに歪み──イヌマルはようやく、ギルバートの母親の遺体がそのままであることに気づいて胸が締めつけられた。


 ステラと花には綺麗なままでいてほしい。だが、人々を襲う亜人がいたら排除しなければならないという掟を守っている以上は。亜人のせいで涙を流している人がいる以上は。避けては通れないことなのかもしれない。


 追いついたグロリアが、大人たちに囲まれていたステラと花を守るように立ち塞がった。ステラと花は今にも泣きそうな表情をしており、グロリアは涙を流し、首から提げていた十字架を掲げて必死に何かを訴え始める。だが、それで引き下がることができるほど、村人たちが守らなければならない人たちの命は安くなかった。

 ぜぇぜぇと、乱れた呼吸を整えてグロリアに追いついたクレアが最も冷静な対応をしていた。グロリアの話を聞き、村人たちの話を聞き、折衷案を出しているように見える。涙を流し続けるグロリアと冷静なクレアの様子は普段の様子と異なっており、何が起きているのかイヌマルにはさっぱりわからなかった。


「グル……」


 だが、イヌマルが今気にしなければならないのはクレアとグロリアの方ではない。エヴァとギルバートの方だった。担いだままのエヴァを床に下ろして傷を探す。血は未だに流れており、イヌマルはタオルを探してそれを止血することに努めた。

 その間ずっとギルバートの様子を気配で監視していたが、ギルバートは逃げることなく止血されるエヴァのことを見つめていた。そこに敵意はなく、悪意もない。母親の方は一切見ず、どんな感情でいるのかもわからないほどに静かな彼が恐ろしく、見つめられているエヴァのことを憐れむ。ギルバートは母親を愛してはいなかったが、エヴァのことは愛していたのだ。


 そんな少年に好かれたエヴァ。

 そんな少年に育ってしまったギルバート。


 二人の間に何があるのか。エヴァが人狼になったのは偶然なのか必然なのか。何一つわからなかったが、ギルバートという名の少年がこの村の病であることに変わりはない。


 レオが言う人狼一家ではなかった。ギルバートのみが真なる人狼で、そこに深い闇が見える。

 ギルバートは誰から産まれてきたのだろう。ギルバートの母親はギルバートが人狼であることを知っていたのだろうか。そもそも、ギルバートは物心ついた時から自分は人狼であるという自覚があったのだろうか。ギルバートは──いつ、初めて人間のことを噛んだのだろう。


「…………」


 考え出したら止まらなかった。真実を知っているのはギルバートだけで、イヌマルにはそのことを知る権利も義務もない。

 ただ、エヴァにはすべてを打ち明けてもいいのではないかと思った。何年も共に過ごしてきた彼女には説明をしなければならない、彼女だけに知る権利と義務があると思うのだ。エヴァが今のギルバートをどう思っているのかはわからないが、ギルバートと過ごしてきた時間があることも、ギルバートが間接的に殺してしまった人たちがいることも、事実で。


 ギルバートがイヌマルの手で殺させることが確定してしまった今、イヌマルは、エヴァの気持ちが知りたかった。

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