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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第三章 星の旅立ち
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十二 『問題点』

「エッヴァ!」


 慌ててエヴァが着れる服を探すが、そんなものは森の中のどこにもない。自分が着ている真っ白な服は袴を外さなければ脱げない、着物をエヴァに着せることは可能だが──袴を脱いだイヌマルとイヌマルが着ていた着物を羽織ったエヴァという組み合わせは、本当に正解なのだろうか。

 見ると、エヴァに生えていた明るいグレー色の毛がほとんど抜け落ちていた。若草色の雑草の上に落ちたそれらの量は尋常ではなく、付近に立つエヴァの、人間のものである裸足から視線を上げると──エヴァと目が合った。


 不自然な赤目では、ない。綺麗な赤い瞳だった。


 何が違うのかと問われたらここが違うと断言することはできないが、澄んだ美しさだと思う。瞳に不自然さがあるかないかで印象がここまで変わるのか。野性味溢れる村娘から清楚な村娘という印象に変わったエヴァは、今にも泣いてしまいそうだった。


「エヴァ?!」


 彼女の身に何があったのだろう。いや、エヴァは自分の意思で人狼に変身した。自分の意思でここまで来て、本物の人狼と相対した。その人狼と言葉を交わした。あったと言えばあり過ぎるほどにあったと思う。

 だが、こんなにも──こんなにも泣きそうな表情をするのだろうか。自分はエヴァではない。エヴァのすべてを知っているわけではない。エヴァのすべてを理解することもできない。だから、エヴァのことを理解したい。イヌマルにとってのエヴァはもう、赤の他人ではないのだから。


「エヴァ……」


 右手を伸ばした。エヴァの頬に触れようとして手を止め、自分の着物の色とほとんど変わらない真っ白な肌が顕になっていることに気づく。


「……あっ!?」


 まさか、裸のままでいることを恥じらっているのだろうか。イヌマルは慌てて袴に手を向けて紐を引っ張る。


「……何してるの?」


 瞬間に聞こえたステラの声は、十一歳とは思えないひどに冷えきった声色だった。

 恐ろしい妖怪や亜人が立っているわけではないのに、ステラがいる方向へと視線を向けることが何故だかどうしても難しい。だが、エヴァはあっさりとステラの方へと視線を向ける。エヴァはまったく怯えていなかった。イヌマルも、正確には怯えているわけではない。


 恐る恐るステラの方へと視線を移した。ステラはイヌマルにとってかけがえのない大切な主だ。このまま視線を合わせない方が、しんどい。

 ようやくイヌマルとエヴァに追いついたステラは、眉間に皺を寄せていた。怒っているわけではなく、快く思っていなさそうな表情だった。


「あっ、主ッ?! いや違うこれは! よくわかんないけどとりあえず誤解だから! 主! 俺のこと嫌いにならないで!」


「いやいや、何が誤解なのかな〜」


 自転車を押しながら合流したクレアは少しだけ汗ばんでいた。イヌマルの居場所がわかるステラの指示に従って、村中を自転車で駆け巡っていたのだろう。少しだけ申し訳ないと思う。


「誤解だエヴァが裸だから着せようと思って!」


「いやなんで裸なのかって話じゃん」


「人狼に変身して人間に戻ったから!」


「ま、筋は通ってるけどさぁ……」


 クレアは長い溜め息を吐いて、イヌマルとエヴァを交互に見つめる。


「……二人とももうちょっと恥らおうよ」


 クレアが何を言おうとしているのか、イヌマルにはさっぱりわからなかった。


「恥じらう?」


 首を傾げて詳細を求めてしまう。本当に何が言いたいのかよくわからなかった。


「うっわ。マジか」


「エヴァは知らないけど、イヌマルは式神しきがみだから……恥ずかしいとかないと思う」


「なるほどねぇ。人間と同じ見た目をしてるからあんまり意識したことないけど……イヌマルって正確には人間じゃないんだよねぇ……」


「何が言いたいんだよ!」


 イヌマルが人狼だったら牙を剥き出しにして怒っていただろう。だが、瞳を輝かせて顔を寄せてくるクレアを思わず避けてしまった。


「人体実験はさせないから」


「人聞きの悪いこと言わないでよぉ〜、ステラ。わたしはワタノセ家じゃないんだからさぁ」


「でも分家でしょ?」


「分家って言い方は嫌いだな。わたしはダンカン家の最後の末裔、イト・ダンカンとセシル・ダンカンの孫、オリバー・ダンカンとベラ・ダンカンの娘だよ」


「……あ、ごめん」


「いーよ。分家って言葉調べたことあるんだけど、本当に分家って言葉が当て嵌ってたからね」


「…………」


「こっちこそごめん。ステラにも、グロリアにも、アランにも……親はいないのにね」


 それは、クレアにも言えることだった。だが、クレアが言いたかったことはそうではない。

 ダンカン家のことは知っていても、カートライト家のことを知っている者は一人もいないのだ。アランという名のグロリアの兄も、グロリアも、親の名さえ知らないのかグロリアの口から兄以外の家族の話を一度も聞いたことがない。それ故に、グロリアの〝クローン人間〟であるステラはカートライト家の情報を一つも持っていなかった。


「Claire? Stella?」


 イヌマルのように首を傾げて名を呼ぶエヴァは、先ほどよりもさらに不安そうな表情だった。


「あぁ、ごめんエヴァ。あまりにも恥じらってなかったから平気だと思ってたけど、さすがにその格好のままは嫌だよね〜」


「そういうことが言いたいんじゃないと思うけど、服は着せた方がいいし──グロリアとはなのところに戻らないと」


 イヌマルは紐を結び直して何事もなかったかのような態度を取ろうとしたが、ステラの視線は完全になかったことになっていなかった。


「あ、主ぃ〜」


「別に嫌ってない。人助けだってわかってる。けど、よくわからないけどすっごく複雑」


「多分それ、大人になったらわかるよ〜」


「大人になったら?!」


「いや、何がちょっとショック受けてるの。娘の成長は喜ばしいでしょ」


「でもっ、大人になったら主は俺のこと……!」


「捨てないよ。嫌いにもならないし。式神は大人になっても一緒だよ」


「主ぃ〜!」


 何も言われていない状況と、言葉にされている状況とでは心境が大きく異なる。

 大人になってもステラの式神でい続けたい、ステラにぴったりと寄り添うと今度はエヴァから快く思っていなさそうな表情をされた。


「は〜あ。なんの話してたっけ? ……エヴァ、とりあえず人狼になってくれる? 部屋にあるわたしの服貸すからさ……じゃなくて英語か」


 英語で言い直したクレアの提案を了承したのだろう。すぐに骨格を変えて人狼に変身したエヴァは、もう、人間には戻れないほどに人狼であることに馴染んでいた。

 それがエヴァにとって良いことなのか悪いことなのかがわからない。イヌマルはエヴァではないのだから、エヴァが望むことがわからない。


 それでもわかりたいと願った。理解することを止めたくはなかった。





 檻の中にグロリアとはなはいなかったが、心地良さそうに眠るノーラの様子は確認できた。ティアナが例外であるのはわかっているが、例がないわけではないからこそノーラにもティアナのように──人狼にならないことを望む。ノーラが何を望んでいるのかはわからないが。


 四人で村長の家の部屋に戻ると、待機していたグロリアと花がベッドから腰を上げて駆け寄ってくる。


「みんな、良かった……! あ、でも、エヴァは? 大丈夫なの?」


「一応はねぇ。さっき元の姿に戻ってるところ確認したし」


「え? じゃあなんでまた人狼に……」


「見たらわかるよ」


 エヴァは人間の姿に戻っていいと判断したのだろう。元に戻り、グロリアと花にも自身の裸体を見せる。


「ほぇあっ?!」


「花! 見ちゃ駄目! ていうかイヌマルも!」


 急いで花の両目を無理矢理塞いだグロリアに何故か怒られた。


「え?!」


「そしてエヴァも! 好きでもない男の人の前で裸にならない!」


 怒られていることはわかったようだが、何故怒られているのかはわからない──そんな不服そうな表情を浮かべてエヴァはぷいっとそっぽを向く。


「どうして?! この子には常識が通じないの?!」


「聞いてみる? Eva.」


 鞄の中をひっくり返してエヴァに合う服を探していたクレアは、採寸ついでにちょいちょいとエヴァを呼んで英語で尋ねた。

 英語がわかるイヌマル以外の全員は、裸を見られても平然としているエヴァの回答を聞いて明らかに目を丸くさせていた。


「な、なんて……?」


「服着るの嫌だって」


「なんで?!」


「なんかこう……上手く言えないけど、気持ち悪いみたい」


「う〜ん。人狼になったせいでそう思うようになったのかなぁ?」


「その辺エヴァの親に聞いてみる? ビフォーアフターとかさ」


「そう……だねぇ。本人きょとんとしてるからちょっと怪しいけど、人狼化する前は普通に服着てたし……とりあえずはい! Get dressed!」


「Oops!」


 エヴァは服を押しつけてくるクレアから逃げた。それほど嫌なのか──その気持ちは理解できないが、人狼になってしまったせいで裸でいることに抵抗感が失くなったのなら、元凶は叩き潰されるべきだと思う。

 というか、エヴァがそうならば元凶も服を着ることが嫌なのでは……? 誰も脱いでいなかったが、我慢しているだけならば?


 考えれば考えるほど、人狼が村人の中に溶け込んでいる事実を思い知ってしまう。


「わたし、エヴァの親にちょっと会ってみる」


「あ、じゃあわたしも〜」


 グロリアとクレアが出ていくということは、エヴァはここで待機ということか。人狼に変身したのだ、休息という意味もあったのかもしれない。だが、イヌマルはまだエヴァに聞きたいことがある。ステラと花が残ってくれるだけありがたい。


「エヴァ、さっき人狼と何を話し──」


 瞬間、エヴァが裸のまま窓を割って外に出た。二階から飛び降りても、ただの村娘ではなくなったエヴァならば簡単に着地できるだろう。だが、問題点はそこではない。


「エッヴァ?!」


 慌てて駆け寄って窓の外を見下ろした。明るいグレー色の狼が、人々が暮らす家まで賭けて行くのが見える。


「エヴァッ!」


 不味い。イヌマルはすぐに窓枠に足をかけて飛び降りた。着地してすぐに追いかける。エヴァを一人にするわけにはいかない。

 エヴァが人を襲う為に走り出したとは考えにくいが、そうでないのなら何故エヴァは。考えて、考えて、それでもたった一つしか思い浮かばなくて希望に縋る。


「見つけたのか?!」


 そう尋ねたくても、イヌマルの視界の中にエヴァはいなかった。それくらいあっという間に離されてしまったのだ。


 エヴァは決して弱くない。純粋な狼でなくても、グリゴレやレオに負けないくらいに強かった。

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