九 『残酷な話』
人が溢れるエドモンドの家の方には戻れず、墓地でエヴァの体を眺める。狼の耳が生えているわけでも尻尾が生えているわけでもなかったが、爪と牙、そして瞳の色が普通の村娘のようには見えなかった。
クレアがエヴァ本人に尋ねると、元からそのような見た目ではなかったと返される。人狼や狼の姿に変身できるのかと尋ねられると、エヴァは困ったように首を傾げた。
「そろそろ満月だって花が言ってたよね〜」
「いやでも満月までは待つのはちょっと……」
「朝昼夜関係なく襲ってくるからね〜」
「今こうしてる間にも……」
瞬間に聞こえた悲鳴の意味に気づけないほど、イヌマルは愚かではない。
「主! クレア! エヴァとここに!」
叫んで走った。自分は村人の目に映らない。だからどこにでもいける。だが、三人はそうではない。
大きく跳躍して空から全体を見下ろした。グロリアと花は混乱する人々の中心にいる。二人は無事だ。何か呪文を唱えているように見えるが、未だに悪魔祓いの儀式をしているわけではないだろう。二人の視線の先──そこに、痙攣する狼姿の人狼がいた。
「グロリアッ! 花ッ!」
二人の目の前に着地して人狼を睨みつける。人々が逃げたおかげで広い空間ができており、グロリアと花のおかげで足止めできていることに気づいた彼らは遠巻きに状況を眺めていた。
「襲われた人は?!」
「そこに!」
いるのか。心臓がぎゅっと握り締められる、視線を移した先で倒れていたのは──両親らしき男女に抱き締められていたのは、ノーラだった。
「なっ……?!」
「花、任せて大丈夫?!」
「大丈夫! ノーラをお願い!」
「Thank You!」
グロリアが離れた瞬間、人狼の痙攣が軽いものになったように見えた。
「花、これ花の術?!」
「そう! 悪魔に取り憑かれた人の動きを止めるものなんだけど、効くとは思わなかったからあんまり持たないかも!」
「ノーラを襲ったんだよな?!」
「そう! だから……」
〝亜人の掟〟に従って殺さなければならない。だが、捕らえることができたら……?
花もそう思っているようだった。クレアとグロリアの判断を仰ぐことはできない、とりあえず捕らえてノーラの様子を見に行こう。
「花! なんかそれっぽい呪文唱えて! 気絶させるから!」
「わかった! 『ナンカソレッポイジュツトナエテキゼツサセル』!」
本当にそれっぽい呪文に聞こえた。花は天才なのだろうか。大太刀を出すことなく拳で人狼を殴って気絶させたイヌマルは、花に合図を出す。
拳を上げて勝利をアピールした花は、人々から拍手喝采を浴びていた。三善花は一人で人狼を倒せる祓魔師である。それを村人たちに知られてしまったが、人狼が耐えることなく出現する状況を知ってしまった今、それでいいと思えた。
視線を移して合図を出し、グロリアの元まで走る。
「グロリア! ノーラは?!」
「とりあえず傷口は消毒した。エヴァみたいに暴れたらお願いしていい?」
「もちろん!」
「クレアとステラとエヴァは?」
「墓地にいる! セオドリックはハズレだった!」
「……わかった。とりあえずノーラと人狼をどこかに運ぼう」
「わかった!」
「花は三人を呼びに行って。イヌマルは人狼をお願い」
三人同時に散っていく。イヌマルが担当する人狼は、たった一人で倒れていた。この人狼は誰なのだろう、人狼が人の姿に戻ったら、エヴァのことも何かわかるのだろうか。
*
ノーラをエドモンドの家の一室に寝かせることはできなかった。庭の檻の中に寝かせられ、隣の檻には人狼が寝かせられる。エヴァの時は何もなかったが、プライベートも何もない、これから公開処刑される者のような造りのそれを隠したのは即席で作られたカーテンだった。
カーテンの中にはイヌマルだけでなくクレアとグロリアがおり、戻ってきたエヴァは隣にいる。エヴァはじっとノーラと人狼を見つめていた。彼女は泣かなかった。悲しそうな顔をすることもなく、じっと動かない一人と一匹のことを見つめていた。
「ただいま」
中に入ってきたステラと花は今まで村人たちの様子を見に行っており、自分たちが見聞きしたものを隠すことなく伝えてくれる。
人狼は、グロリアと花が悪魔祓いの儀式をしている最中に現れたらしい。二人のことを詐欺師だと疑う村人たちが出てきてもおかしくなかったが、最後の活躍が効いていたらしい。実際に形だけの儀式だった以上何を言われても仕方がなかったのだが、花は行く先々で多くの村人たちに褒められたらしく──照れ臭そうな表情を一瞬だけ浮かべて俯いた。
笑うことはできなかったらしい。ノーラという被害者を出してしまったのだ、そうなっても仕方がない、と思う。
「ノーラはどう? 目覚めないの?」
ステラが尋ねるが、イヌマルも、クレアもグロリアも答えられなかった。
「エヴァはもう目覚めてた……というか噛まれてすぐに暴れたよね?」
「エヴァの方が重傷だったから、人狼になるのも早かったのかもしれないね」
「ノーラはかすり傷だったんだよね?」
「そう。悲鳴が聞こえて、すぐに人狼を見つけることができたから動きを止めて……けど、間に合わなくて」
「二人は充分頑張ったよ。だから自分を責めないで。もしかしたらノーラは人狼にならないかもしれないし」
「あのさ、ティアナの様子、聞いてみる?」
「聞きたいけど、ジルって連絡取れるの?」
「電話はあるけど、その近くにいるかどうかだよね〜。誰もかけてこないから存在忘れてるかもしれないし」
クレアは陽陰町に旅行する前に購入したスマホを動かし、古城の番号にかけているようだ。
「大丈夫? 通じてる?」
「一応。……あ、出た」
「出た?!」
「かけようって言った本人がどうして驚いてるの……」
「もしもしジル! ティアナは大丈夫?! ちゃんと生きてる?! 人狼になった?! え?! 無事?! なってない?!」
「えっ! ほんとに?!」
「やった……良かった……!」
「じゃあ、ダンタリオンが勝ったんだ……!」
そういうことになる。ダンタリオンが凄いのか、悪魔が凄いのか、ティアナが凄いのか──。最悪が続く状況の中の光に安堵しそうになった。
「うん、Thank You! ティアナに良かったねって伝えといて!」
ニコニコと笑ったクレアが通話を切る。五人で顔を見合わせた。笑みが零れる、希望はないわけではないようだ。
「ノーラには聖水を飲ませて様子を見ようか」
「ノーラはそれでいいとして、こっちはどうする〜?」
「人間の姿には戻れるはずだから……戻ったら話を聞きたいよね」
「この人、村の人なのかな」
呟くように言ったステラの言葉が引っかかった。確かにそうだ。本当に村人が人狼になっているのならば、今安否確認できない村人がこの人狼という可能性が高いわけで。そういうことを率先して行えたノーラが今動けないのは、そういう〝計画〟だったのではないかと考えてしまう。
「村長に確認してみる。グロリアはノーラの治療よろしくね」
「わかってるよ。花、あるだけ部屋から持ってきてくれる? その後は追加で作って」
「わかった」
クレアと花が出ていく。グロリアは檻の中に入ってノーラに近づくらしく、グロリアが先に入る前にイヌマルが先に中に入った。ノーラの体をしっかりと抑えて、ステラが動きを封じる札を張るのを待つ。そうして二人で出ていき、中に入るグロリアを見守った。
「…………主、エヴァと話せる?」
「…………少しだけ」
「じゃあ、人狼の出現頻度とか聞ける?」
「き、聞いてみる」
主である、自分の命よりも大切なステラに働かせてしまって申し訳ない。だが、できないことを補い合うのが自分たち古城の住人だ。
辿々しい英語を使ってエヴァに質問するステラを見守り、彼女の回答に耳を澄ませる。……やはり、英語はまったくわからなかった。
「なんて?」
「こんなに出たことはないって。何かが──というかわたしたちの存在が大きいのかも」
自分たちが来たから被害者が増えた。そう捉えることができる回答だった。
だが、エヴァが追加で何か答える。
「でも、みんなの雰囲気は酷くないって。いつも十人くらい犠牲になるから、ありがとうって言ってる」
「十人?! それでよく持ったなこの村……」
イヌマルの反応を先読みしていたのだろうか。何も聞かなくても話してくれるエヴァはやはり泣いていなかった。……泣くことを忘れてしまったかのようだった。
「月に一回あるかないかで、みんなが外に出なかったのは、出れなかったからなんだって」
「出れなかった?」
「人狼が出るのは他の地域に既に知られていて、閉じ込められてるんだって」
「……え、じゃああれって」
この村に入る前に見ていた、木を組み立てただけの壁を思い出す。
「村の人と外の人たちが作ったって。それで、外の人たちがこの村をずっと監視してて、出てきたら撃たれるんだって」
「えっ?!」
そんな気配は感じなかった。感じなかったことが悔しい、あの瞬間も狙われていたのかと思うと──四人の命を失っていたかもしれない未来を考えると、吐きそうになる。
「あっ」
「今度は何?!」
「見て、起きそう!」
「あっ……ほんとだ」
また気づけなかった。気づけないことが普通なのだろうか。自分は妖怪を倒す為だけに生まれた式神なのだから。
「こんにちは! 人の姿に戻れますか!」
「イヌマル落ち着いて」
「ごめんなさい……」
「あ、でも、イヌマルのことは見えてるんだ」
目を覚ました人狼は、エヴァと、ステラと、イヌマルを見ていた。それでも気になるのはエヴァなのだろう。彼女をじっと見つめていて、彼女も見つめ返していて、それで。
「グルルルル……!」
人狼が唸った。一歩、エヴァが檻に近づく。
「エヴァ!」
ステラと二人で、後ろからエヴァの服の裾を引っ張った。それでエヴァが戻ってくるわけではなかったが、エヴァの瞳がイヌマルの瞳を捉える。
エヴァが言葉を発した。わかってあげられなくて申し訳ない、エヴァは一体、自分に何を伝えようとしているのだろう。
「『殺してくれ』」
「えっ?」
唐突にステラがそう言った。
「エヴァが、人狼が、そう言ってるって」
「まさか……言葉がわかるのか?」
当たり前と言えば当たり前だろう。彼らはもう同族、同胞なのだから。
「殺してくれ、って、どういうこと? エヴァ、この人は死にたがってるの? 人間じゃないから? 人狼になったから?」
あまりにも残酷な話だった。なりたくて人狼になったわけではない。襲いたくて襲ったわけではない。
人狼が涙を流すことができたなら、多分泣いているのだろう。だとするならば、殺したくないと──〝亜人の掟〟に抗いたくなった。
そんなことはできないと思って、諦めた。




