四 『王と女王』
猿秋と共に訪れた町役場は、町の中心部にあった。イヌマルは嬉々とした表情で結界が張られている町役場を見上げ、先を歩く猿秋の背中を慌てて追う。猿秋は、そんなイヌマルを幼児を見るかのような目で眺めた。
自動ドアを通ると広大なロビーが二人を待ち構えており、両端には様々な種類の飲食店が見える。今いる出入口付近に一番近い店は、日本家屋の外観をした茶屋だった。
どれも美味しそうで目移りするが、猿秋はどの店にも視線を向けずに中央にあるエスカレーターへと向かう。迷子にならないように猿秋の後ろにくっついたイヌマルは、自分と同じようにしている和服の女性を視界に入れた。
「うわっ、主! あそこにいるの式神ですよ!」
「三善家以外の式神を見るのは初めてだったか? お前は長いつき合いになるだろうし、一応、挨拶しておこうか」
猿秋に言われるがままに陰陽師と式神に挨拶をし、役場としての機能を果たしている二階へとエスカレーターで上がっていく。猿秋が目指していたのは、最奥にある人のいないカウンターだった。
呼び鈴を鳴らし、人が来るのを待つ。姿を現したのは漆黒の長髪を一つに纏めた中年の細い女性だった。
「こんにちは」
「こんにちは、朝羽さん」
「あなたは……三善家の猿秋さんですね」
「はい、そうです。こっちは俺の式神のイヌマルです」
「イヌマル? もしかして新しい式神ですか?」
「あ、そうですね。登録しに来ました」
思いっ切り嘘をついている気がする。椅子に腰掛けて朝羽の指示通りに書類を作成する猿秋は、忘れていたことをおくびにも出さないままイヌマルを町役場に登録した。
「あら? 生まれたのは十日も前なの?」
「すみません、家の方で色々あったんです」
「そうだったんですか、それは失礼しました」
「主?! 別に何もなかったですよね?!」
口を挟むと、朝羽が目を丸くする。猿秋は眉を下げて笑みを零し、「実はこんな子なんです」と手で差した。
「珍しいですね……って、大太刀?!」
下の項目に記入していたのだろう。書類に目を通した朝羽は驚愕の声を漏らし、二階にいたほとんどの職員の視線を引き寄せた。
「す、すみません」
申し訳なさそうに縮こまる朝羽に半分くらいの職員がすぐに興味を失ったが、残りの半分は驚愕の表情で猿秋を──いや、イヌマルの方を見つめていた。
瞬間に、職員の半分が陰陽師であることに気づく。町役場に来るまでに何人かの町民とすれ違ったが、誰も浮いた衣服を身に纏うイヌマルの方を見なかった。それは妖怪の一種である式神のことを認識できないからで、避けているわけではない。こんなにも多くの陰陽師がイヌマルのことを認識したのだから、陰陽師は人間であっても一般人ではないのだと思った。
「いえ、こちらこそ。事前にお伝えしていなくてすみません」
「あの、ちょっとだけ見せてもらっても?!」
小声だったが、興奮しているせいでよく聞こえる声だった。
イヌマルは朝羽の圧に押されて大太刀を出し、どよめく陰陽師の表情を一人一人確認する。京子やキジマルの言う通り、大太刀は珍しいものらしい。それを、三善家から出て初めて実感した。
「ほ、本当に……?! どうしてこんな子をあなたのような平凡な方が……?!」
「あはは。というのを確認しようと思ってここに来ました」
「ッ! で、ですよね! わかりました、すぐに町長室に行きましょう」
「えっ?! 町長室?!」
今までずっと飄々とした態度を取っていた猿秋が、ここに来ていきなり大声を上げた。見ると完全に驚いており、どうしてそれを大太刀が判明した時に見せなかったのだろうと思う。
「町長室に入っていいんですか?! というか俺なんかが王に会ってもいいんですか?!」
「ここにいる全員が止めたとしても、私はあなたをあの人に会わせます。きっと、あの人もあなたのことを知れば『会いたい』と言うはずですよ」
ただの職員のはずなのに、何故朝羽がそんなことを言うのだろう。イヌマルのその疑問はすぐに解消された。
「陽陰町の現町長、陰陽師の王であり結城家の現頭首でもあるあのお方の妻として、責任を持ってあなたを町長室まで連行します」
彼女はただの職員ではない。《十八名家》の一員として、権力を行使できる人だった。
「ついて、行きます」
主である猿秋が自分を卑下し、順従する相手。それが今から会う相手であることを理解して、イヌマルも畏れる。
朝羽は大きく頷いて、すぐ傍に置いてある受話器へと手を伸ばす。イヌマルは猿秋に指示された通りに大太刀をしまい、彼女が町長から──いや、王から謁見の許可をもらうその時を待った。
「お待たせしました。行きましょう」
とてつもなく長い間待った気がする。だが、実際は二分もかからないほどの短い間に許可が下りていた。
カウンターから出た朝羽は職員証が首にかけられているのを手で確認してまっすぐに歩き出す。住民が足を向けるカウンターは町役場の片側にあり、残りの片側は町議会議員や町長が仕事をする一般人立ち入り禁止の場所だった。
壁に埋め込まれた機械に職員証を翳し、先に猿秋とイヌマルを中に入れる。そして、朝羽は二人を先導した。
「大太刀だとわかった時、どうしてすぐに申告しなかったんですか?」
「すみません。する必要がないと思っていたので」
実際、猿秋よりもしっかりしている京子でさえ申告しようとは言わなかった。イヌマルはうんうんと頷いて、朝羽を見て疑問に思う。
「あの、朝羽様の式神はどんな方なんですか?」
「私の式神は普通の子……いや、少し違うかもしれませんね」
「え? どういう風に違うんですか?」
「とにかく乱暴な子なんです。出会った頃はそうじゃなかったので、反抗期なんだろうな程度にしか思ってないんですけどね」
そっちの式神も異常なんじゃないだろうか。そう思ったが口に出すのは不味いような気がしてイヌマルは大人しく口を閉ざした。
「こちらです」
ノックをし、返事が来るのを待って躊躇いもなく戸を開く。朝羽が進んだ先にいたのは、他のどの陰陽師にもない厳かな雰囲気を纏った中年の男性だった。
「そちらの方が、主かのぅ?」
独特な口調の町長を前にして、猿秋がすぐに跪く。空気を読んで猿秋の斜め後ろで跪くと、何故か町長が笑い出した。
「お初にお目にかかります、千秋様。三善家の本家嫡男、猿秋です」
こんなに緊張している猿秋は見たことがない。唾を飲み込んで、町長の──千秋の顔色を覗いてみる。
すると、また千秋が笑い出した。
「愉快な式神であるのぅ、三善くん。此奴は誰のことも敬っておらぬ。式神としてあるまじき行為を平気でやるとはたまげたたまげた」
「もっ、申し訳ございません!」
「よいよい。我は君らのことが気に入ったからの。……しかし、不思議であるな。何故このような式神が生まれたのか……名はイヌマルであったか?」
「はい、イヌマルです!」
「元気があって大変よろしい。例の大太刀を見せてくれるかの?」
「はい!」
手に淡い光を出現させて拳を握ると、手の中で大太刀の感触がする。腕を動かすと、巨大な刀身が姿を現した。
「ほぅ……。朝羽、ゲンブを呼んでおくれ」
「えぇ」
一向に部屋から出ていこうとしなかった朝羽は頷いて、ジャケットの中から紙切れを取り出す。そして──
「──馳せ参じたまえ、ゲンブ」
──自分の写し鏡である式神を呼んだ。
すぐに姿を現した男型の式神のゲンブは、鋭い灰色の眼球でイヌマルを睨む。なんで睨まれたのかと思って、すぐに猿秋を睨むゲンブに敵意を抱く。
「主! こいつシメましょう!」
「やめなさい!」
猿秋に着物を引っ張られた。そこでようやく足を止めるが、大笑いする千秋に毒気を抜かれる。
猿秋のせいで恐ろしい人だと思っていたが、千秋は意外とよく笑う人だった。
「おい主、なんだよこいつら。用があるならさっさと言え」
「ゲンブ。君はオウリュウの刀を見たことがあるのであろう? どうだ?」
「どうだって……は?! 大太刀?!」
「大太刀持ちの式神がもう一人現れたの。見てあげて」
朝羽に言われ、イヌマルと大差ない見た目年齢のゲンブが動いた。確かに反抗期のように見えるが、そんな彼でも本能で動いた。
猿秋と同じように後ろで一つに纏めた黒髪。左腕には蛇のような紫の刺青が腕に巻きつくように入れられており、外見も中身も柄が悪そうだ。
それでも、イヌマルが持つ大太刀を凝視するくすんだ灰色の目は真剣そうに輝いている。上は袖のないへそ出しの甚平。下はサルエルパンツのようにゆったりとしたズボンを履くゲンブは式神の中では異色中の異色かもしれないが、イヌマルのような異色さはなかった。
「あいつが持ってる大太刀とは違うが、式神の個性の範囲内だな。刀もこいつが使用者だと認めてる。気持ちはまぁわかるが、あいつみてぇに運が良かっただけだろ。俺たちの刀はてめぇらの実力の象徴じゃねぇ。別に何もねぇよ」
「なるほどのぅ。ゲンブ、帰って良いぞ」
「チッ。今回は大太刀に免じて許してやるが、今度戦闘以外で呼び出したら承知しねーからな」
「はいはい。ご苦労さま」
朝羽に舌を出して消える。なんだかんだ言いつつ従っているゲンブを見ていると、自分が本当に異色なのだと思い知る。
「しかし、イヌマルの態度も気になるのぅ」
「やはりそう思いますか?」
「うむ。三善くん、やはりということは何か切っ掛けでもあったのかの?」
「はい。前の式神と聞ける命令の幅が違ったので。生まれたばかりだからかとも思ったのですが……」
「それはないと思いますよ。私の甥が生まれたばかりの式神をもらっていたのですが、彼女は甥のどんなわがままにも答えようとしていたので」
「結希くんも生まれたばかりだったしのぅ。たいした実力もない幼児のわがままをよく聞いたとも思うが、式神とはそういうものであるからな」
「個性、ということになるのでしょうか」
「それは、本能を上回る個性ということになるぞ。しかし、本能も人それぞれ。式神が人間化しているのならば当てはまってしまうかもしれないの」
それの最初の一人だとでも言うのだろうか。
「式神はもう一人の生涯のパートナーだと思っていたけれど、そうなると陰陽師と式神の関係が根っから崩れるわね」
「──馳せ参じたまえ、ビシャモン」
悩み、千秋が呼び出した式神に戦く。格が違う、一目でそう思ったほどに神々しい女型の式神のビシャモンは、ゲンブと違ってぽんやりとした表情をしていた。
「ビシャモン、式神の本能が備わっていない式神がおる。原因はわかるか?」
急にそう尋ねられても困るだろうに、同じく見た目年齢が大差ないビシャモンはすぐに首を横に振った。
「わかりませんねぇ。資料をあてにしても無駄だと思いますよぉ」
「えっ」
「ビシャモンはここにある資料をすべて読破していての? ビシャモンが知らぬことはほとんどないのだ」
「新しい〝謎〟ですかぁ? 是非とも解かせてほしいですぅ」
ビシャモンが揺れると、竜胆色が混じった銀色の長髪も揺れる。動きづらそうなほどに着込んでいる紫色の着物からも見てわかる通り、彼女は本の虫で知識を吸収し続ける謎に飢えた獣だった。
「ただぁ……」
紫檀色の瞳がイヌマルを刺した。
「そんな式神は式神ではありません。きっと、間違えて生まれてきてしまったんですねぇ」
悪意なき無垢な心でイヌマルの心を深く抉った。