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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第三章 星の旅立ち
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四  『リーダー』

 口の中に別の布を突っ込んで、細い体に何重もの鎖を巻きつける。お粗末な出来だ。エヴァならば破壊できてもおかしくはない。

 イヌマルが不安に思ったように遠くから様子を見ていた住人たちも不安に思ったようで、逃げるように去っていった。


 どうすれば良いのだろう。数秒思考し、はなから分けてもらった眠り薬を嗅がせてみる。呼吸をしていたエヴァは確かにそれを嗅いだ。見た目では変化がわからなかったが、やらないよりはマシだった。


 エヴァを人狼用に購入された猛獣用の檻の中に閉じ込めて、イヌマルは数歩距離を取る。その檻は、拭い切れないほど大量の血がこべりついていて──悲しいくらいに汚れていた。

 住人は、人狼に噛まれた者をここに入れて死ぬまで攻撃を続けていたらしい。血だけではなく死臭も消えておらず、こんなところにエヴァを残すことに罪悪感を覚える。だが、こうでもしないと住人をエヴァから守ることができない。鼻を塞ぐことを我慢するくらいしか、できることがない。それになんの意味もないのに。


 後ろ髪を引かれる思いだった。それでもイヌマルは行かなければならない。真後ろに建つ村長の家を見つめ、その方角へと歩いていく。エヴァだけが中庭に残されていた。


 エヴァが噛まれて騒ぎが起きたせいで、話が中断されていたらしい。ステラと花、そしてクレアとグロリアはこの家の中のどこに行ったのだろう。

 裏口が見えていたが表口まで回り、その大きさをイヌマルは改めて実感する。遠くから見た時はまったく匂っていなかったが、ここまで近づくと温かい木の匂いがイヌマルの全身を包み込んできた。嗅いだことは一度もないが、懐かしさを覚える匂いだ。これに畳の匂いが足されていたら泣いていたかもしれない。そんな姿は見せられない。イヌマルは背筋を伸ばしてステラが扉を開ける瞬間を待った。


「イヌマル、こっち」


 ステラは懐かしさを感じていないのか、いつも通り表情が乏しい。彼女に案内されて辿り着いた場所は応接室のような場所で、イヌマルは一瞬、猿秋さるあきと共に行った町長室を思い出した。

 そこにはクレアとグロリアだけでなく花もおり、全員同じソファに腰を下ろしている。花は自分がグロリアの弟子だと村長に知られるや否や大歓迎を受けたらしく、既にぐったりとした様子でソファに沈んでいた。


 古城の住人以外の人間と共に生きて会話をしたことがない花だ。ジルはそういうところもわかった上で花をこの村に行かせたのだろう。疲れている今が花の限界で、その限界をなんとか伸ばしてあげたいと思うのは──やはり彼が猿秋と同じ遺伝子を持っているからだ。花もステラと同じくイヌマルにとっては大切な人なのだ。


 花が少しでも多くの人と触れ合えるように。そう願って、同じソファの端に腰を下ろしたステラの隣に立つ。正面のソファに座っているのが、この村の村長だった。


 千秋せんしゅうの方が長に相応しい。


 素直にそう思ったのは彼が老いているからではない。きっと、背負っているものの重さが違うのだ。

 千秋は陰陽師おんみょうじの王であり、結城ゆうき家の現頭首であり、町民の長である。誰よりも王の器でなければ彼は人々から認められない。関係のないところで改めて千秋の偉大さを知り息が零れる。だがそれは、目の前にいる長が駄目であるという理由にはならなかった。


 村長とクレアらの会話は一時間にも及び、いつの間にか日が沈む。泊まる場所がないとグロリアが相談すると二階の二部屋を貸してくれることになり、その一室に集まって、翻訳された村長の話をグロリアから聞いた。


「人狼が出たのは今から二十年くらい前のことなんだって」


 確か、人に悪さをする亜人が活発的になったのは今から五十年くらい前のことだ。その魔の手が人口が少ないこの村にも及んでしまった。人の人数で善し悪しが決まることではないが、許せないと強く思う。


「ある日突然村の男が女を襲って、その女が別の男を襲って、男が男を襲った。人を襲うような人たちじゃなかったのにそうなったのは、始まりの男が女を噛んだからだってことに気がついて──その日は満月の夜だったんだけど、村のみんなは初めて人が狼になる瞬間を見たんだって」


 ごくりと唾を飲み込んだ。窓の外に視線を移すと、エヴァが捕らわれている庭がよく見える。

 イヌマルの視線に気づいたのだろう。グロリアは口を閉ざし、同じくエヴァの檻を見つめた。


「今日って満月だっけ?」


 ステラの疑問はイヌマルの疑問と重なっていた。


「じゃない……けど、満月に近い気がする。わたしが昨日見た月はちょっとだけ凹んでたから」


「じゃあ不味いじゃん!」


「そうかもね。一応黒い布がかけられてるけど、月の光はいろんなところから来るから」


「俺迎えに行ってくる!」


 窓を開けて外に飛び出す。軽々と通れるほどに大きな窓で良かった。イヌマルが所持している鍵で檻を開け、別の鍵で鎖を解き、未だに眠っているエヴァを担いで跳躍する。窓から帰宅してエヴァを鎖で拘束し直し、「よし!」と声を上げてグロリアの話を聞く体勢をとった。


「どうぞ!」


「どうぞじゃないけど……どこまで話したっけ」


「満月で狼になった話」


「そこだ。さすがステラ、ありがとう」


 エヴァが眠るベッドの上で不満そうな表情をするが、誰も気づいてくれない。いや、気づかない振りをしているのだろう。正直グロリアでなくてもいいが、誰もイヌマルのことを褒めなかった。


「イヌマル、後でよしよしするから待機してて」


「えっ?! いやそれは……いやわかった!」


「いやそれどっちなの〜?」


「よしよしされたい!」


「それはちょっと……絵面が凄そうかも」


「イヌマルが二歳じゃなかったら犯罪だよ」


「えっ?! そうなの?!」


「そんなに驚くことじゃないけどね」


 二歳でなかったらステラに褒められるだけで犯罪になるなんてあんまりだ。〝亜人の掟〟はなんとなくわかるが人間の掟はまったくわからない。


「とにかく、話進めるね」


 グロリアには人の心がないのか、本当にさっさと話を先に進めてしまった。


「敵は人狼だ。人狼に噛まれたら人狼になる。人狼になったら死ななくちゃいけない。けど、死ぬことが怖くて隠す人も多いみたい。ティアナやエヴァは思い切り噛まれたから隠しようがなかったけど、かすり傷だった人も結構いたみたいで、満月の夜に自分を抑えられなくなって、それで……って感じで、終わらない戦いを続けているんだって」


 彼らの敵は、ある意味では人間なのかもしれない。


 噛まれること。それ自体は悪ではないとイヌマルは思っている。エヴァを含め彼らは立派な被害者だ。だが、その被害者たちが別の人を襲ってしまうこと、それは許されることではない。

 そして、それと同じくらい被害者たちを追い詰めることも許されていいことではないのだ。


 隔離はやりすぎかもしれないが、噛まれたら噛まれた者の王国を創る。共存はできなくても、干渉せずに生きていくことはきっと可能なのだ。


 その可能性を試さずに殺すことは簡単だろう。イヌマルが考えていることはイヌマルが思っている以上に難しいのだろう。

 エヴァの寝顔をじっと見つめる。この少女を加害者にしたくない──それ以上にこの少女を殺したくない。それがイヌマルのこの村での望みだった。


「わたしたちがこの村でするべきことは二つ。人狼が触れることは仕方ないと割り切って、噛まれた人たちを全員保護する。悪意を持って人を人狼にしている奴がいたら、〝亜人の掟〟に従って殺す。悪魔がいたらわたしと花の二人で祓う、人狼が人に戻れるようにクレアとステラが研究する、イヌマルはわたしたちのリーダーとして、その力を使ってほしい」


 指を二本立てて目的を明確にしたグロリアの表情は、あまりにも真剣で。話を頷いて聞いていたイヌマルは、その話の違和感に遅れて気づいた。


「リーダー?!」


 立ち上がって周りを見回す。言葉がわかっているはずなのに、誰も異論を唱えない。なんだそれは。どういうことだ。


「リーダーでしょ。イヌマルが」


「主まで?! ちょっと何言ってるのかわかんない! 俺の主は主なんだからリーダーはある……主を危険な目に遭わせるな!」


「イヌマルって何度も自己完結するから面白いよね」


「ツッコミだよ」


「つっこみ?」


「ツッコミ。花がイントネーション間違えるのって珍しいね」


「だっ、だって聞いたことないし! ステラもよく英語のイントネーション間違えるよね!」


「うっ……じゃあ、おあいこで」


「俺の話聞いて!」


「聞いてるけど、リーダーはやっぱりイヌマルだと思うな〜」


 適当なことを言って笑うクレアの顔をぶん殴りたい。だが、本当に殴ることはできないから──手元にあった枕を殴る。


「あっ」


「え? 何?」


「イヌマル後ろ!」


「は?」


 振り返ると、不自然な赤目と目が合った。その目の形を、色を、イヌマルは覚えている。彼女は──



「エヴァ?!」



 ──現段階で最も殺してはならず、最も他者を殺してはならない少女、エヴァだった。


 エヴァは何度かまばたきをし、きょろきょろと不思議そうに辺りを見回す。まるで、初めてのものに触れる子供のような──そんな純粋さがエヴァの赤目に宿っていた。


「ごっ……!」


 きちんとエヴァと四人の間に立てるように軽く位置を修正する。四人よりも先に自分が距離を取るわけにはいかなかった。というか、一瞬でも彼女から目を離してはならないのが自分だった。


 エヴァは何を考えているのだろう。イヌマルをじっと見つめてもごもごと何かを喋り出す。


「……あっ、口」


 布を突っ込み、外れないように紐で結んだ簡単な猿轡が邪魔になっているようだ。だが、だからといってそれを外すことはできない。エヴァが人を襲わないという保証はどこにもないのだから。


「Hmmmm! Mmmmm!」


 ばしんばしんとベッドを叩いて何かを話そうとしているその様は、赤ん坊のようで。あまりにも年不相応に見えた。


「人狼になったら知性がなくなる……ってことはないよね?」


「いやでも村長は隠す人もいるって……バカになったら隠すって発想もなくなるだろうし……」


「じゃあ、まさか、これがエヴァ……?」


「確認する為に取ってみる? わからない時は実験するのが一番だよね〜」


「えっでも、先生がいきなり実験はダメだって……予想とかするんだって言ってたよ?!」


「未知のものに予想もどうもないでしょ〜。イヌマル、大丈夫だよね?」


「いやいやいやいや! 無害そうに見えるけど気を抜いたら俺が死ぬから!」


「はいはい。じゃあアレ作るからさ〜それでいい?」


 夜中にあの馬鹿力は味わいたくない。全力で拒否したイヌマルに仕方なくクレアが提案する。


「アレって……?」


「Muzzle!」


「ま、まずる……?」


「そうそう。でも、日本語でなんて言うのかわかんないんだよね〜」


「Muzzleは……倫理的にちょっと不味いかもしれないけど、それしか方法はないかもね」


「倫理的に不味いの?!」


 それは絶対にステラと花に見せられない。全力で二人を守り、エヴァに危害が加えられないか見守らなければならない。


「大丈夫大丈夫! 人に見せなければ!」


 クレアが親指を立てて保証した。それが一番信用を失うものだったが、クレアは気づいているのだろうか。


「Hmmmmmmmm?」


 ばしばしと背中を叩かれて我に返る。背後にいたのはやはりエヴァで、イヌマルは、そんなエヴァの無邪気そうな表情を見ていると何も言えなくなってしまった。


「Mmmmm! Mmmmmmmmm!」


「クレア、その〝まずる〟ってのはいつできるの?」


「材料があればちゃちゃっとさいさいだよ〜。てことでイヌマル、買ってきて」


「え俺?!」


「イヌマルにしか行けないし、イヌマルが一番早いでしょ? 街に行ってグリゴレとレオに買わせて戻ってきたらOKだから! ついでに昼間言ったおつかいもやってきてよ!」


「ぐっ……! 人使いが荒すぎる……!」


「もうお店開いてないだろうし、明日朝から行ってきたら?」


「グリゴレとレオが起きてない可能性もあるけどね」


「叩き起こせばいいじゃん! 買い物くらいちゃちゃっとできるよ〜!」


「お、鬼だ……」


 無邪気なのはクレアも同じだ。エヴァのそれは善の無邪気でクレアのそれは悪の無邪気さのように見えるが、真相はどうなのか話してみないとわからない。


「クレアはDemonだよ」


「あ、悪魔だ……」


「Great!」


「そうと決まったら今日は寝よっか! Good night!」


 ベッドに飛び込んだクレアはたったの数秒で眠ってしまった。自由だ、あまりにも自由すぎる。

 そんな彼女に釣られたのかステラと花も眠そうに目を擦りだした。花があくびをするとステラに移り、ステラがあくびをするとエヴァに移る。


「Yawn.」


 猿轡の状態であくびをするのは苦しそうだったが、エヴァもあっという間に眠ってしまった。ステラはクレアのベッドに、花はエヴァのベッドに倒れて心地良さそうな寝息を立てる。


「あらあら」


 唯一眠そうではなかったのは、祓魔師ふつましとして夜に動くことが多くなった昼夜逆転生活中の修道士、グロリアだった。


「グロリアはどうする?」


「わたしもみんなと一緒に寝るよ。ということで、イヌマルは隣の部屋ね」


「え?」


「イヌマルは隣の部屋。ほら、もう隙間ないから」


「いやいやグロリアの隙間もないけど?!」


「何言ってるの? こうしてステラをぎゅってすればあるよ?」


「あっ羨ましい!」


「犯罪だからね?」


 グロリアはクレアを悪魔と言ったが、グロリアもなかなかの悪魔だと思う。イヌマルは部屋を後にして、一人寂しく隣の部屋で枕を濡らした。

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