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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第二章 星の降る地
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十九 『銃口』

 目を見開く。レオから逃げなければならない、振り落とされないようにしっかりと握り締めないといけない。そう思っているからかティアナは血を流しているその腕で強く箒の柄を握り締めており、余計に血を流させていた。


「ティアナ! 止血!」


 それがますますレオを興奮させているのだろう。ぽたぽたと落ちていくティアナの血はあまり派手ではなかったが、それが続くと血を失って死んでしまう。

 あのレオがグリゴレよりも強くなった理由がそれくらいしか思い浮かばなかった。ティアナのことが心配で、そしてどうしても死なせたくなくて、イヌマルは全力で叫んでいた。だが、イヌマルの切実な願いはティアナに欠片も届いていなかった。


「イヌマル後ろ!」


 イヌマルの声を精一杯の声で掻き消して、レオの方に集中することを命令する。


「──ッ!」


 振り向いた。イヌマルを弾き飛ばしたレオは休む間もなく次の攻撃を仕掛けようとしており、ティアナではなく近くのステラに狙いを定めている。


「主ッ!」


 焦って無理に止めに入ることはしなかった。自分の主であるステラは決して弱いわけではない。陰陽師おんみょうじとして育てられた彼女はすぐに結界を張り、レオの攻撃を一人で凌ぐ。

 イヌマルと同じように簡単に弾き飛ばされてしまったレオは、くるくると回る中で血よりも鮮やかな真っ赤な双眸を見開いていた。信じられない、理性がないはずなのにそう言いたげな表情を浮かべ、これまたイヌマルと同じく素早く体勢を立て直す。


 こうなってしまった吸血鬼は簡単には止まらない。簡単には止まれない。グリゴレの相手をして嫌というほどに思い知ったイヌマルは、納刀してレオと全員の間に割って入った。


「グロリア! 聖水!」


 片手を伸ばす。グリゴレで効果が証明されているそれを使えば、素早く動き回るレオの動きも一瞬で止まる。そう信じているから要求した。

 グロリアの手中にあった小瓶はすぐさまティアナの手に渡り、豪速球で投げられたそれを難なく受け取る。


「イヌマル! いける?!」


「なんとか!」


 納刀したおかげで使える武器はなかったが、集中力を切らさなければ素手でもなんとか渡り歩ける。

 イヌマルは小瓶を割らないように握り締め、グリゴレと同じく考えもなく突進してくるレオの体を全身を使って受け止めた。押し倒すことができれば楽に聖水をかけることができるのかもしれないが、レオにそれができるような隙はない。一瞬の油断が命取りになる──そう心から思うから、何をすれば良いのかがわからなかった。


「息止めるですヨ!」


 言葉の意味を理解した瞬間にクレアに従う。真上から投げるように落とされたのは試験管で、レオの後頭部でぱりんと割れた。

 中の液体がなんなのかはこの至近距離でもわからなかったが、特別な液体なのだろう。言葉が聞こえているのかはわからないが、そもそも日本語の意味がわからないレオは髪に染み込んだ空気を吸い込んでびくりと体を震わせる。


 動きが鈍った──これはクレアとクレアを頭上まで運んだティアナが作ってくれた隙だ。間髪入れずに小瓶の蓋を外し、肌が一番見えているレオの顔面に遠慮なくかける。


「ぎゃああああああああ!!!!」


 その声は、兄のグリゴレよりも痛みを主張する声だった。イヌマルは耳を塞ぐことなくレオの様子を見つめていたが、耳を劈くようなそれに人であるティアナとクレアは耳を塞ぐ。箒から下りて重量を減らしていたグロリアはステラと共にグリゴレの傍らにおり、二人も同じく耳を強く塞いで自分の耳を守っていた。


「ぎゃあ! ぎゃあ! ぎゃああああああああ!」


 痛そうだ。だというのにグリゴレと違って地面に倒れのたうち回ることがない。信じられないくらいの力で抵抗するレオを押さえつけ続けることが難しく、一瞬だけ唇を強く噛み締める。


「落ち着けレオ! 俺を見ろ! なぁっ、レオ! レオってば! レオ!」


 ただひたすらに彼の名前を呼び続けた。レオには日本語が通じない、それがわかっているからこそ、イヌマルは何度も何度も呼び続けた。

 通じないとは思いたくなかった。彼はまだ、完全な理性なき獣ではない。呼び続けていれば必ず届く、そう信じているのにイヌマルの想いは届かない。


「なんで……っ」


 悔しくて、悲しくて、意味がわからなくて、泣きそうになった。それくらいネグル兄弟のことが好きだったことに気づいたが、それをレオに伝える術をイヌマルは一つも持っていなかった。


「……それは、レオナルド・ネグルが吸血鬼だからですよ」


 ぽつりとどこからか声が聞こえた。それは、イヌマルがよく知る大切な人の声だった。


「ッ?!」


 驚いて振り向く。彼の姿は何故か見えない。


「……私とほんの少しだけ違う、吸血鬼だから」


 その声色は、普段のグリゴレからは想像できないほどに悲しそうなものだった。視線を巡らせると、ステラとグロリアの間に横たわっていたグリゴレが目を覚ましていた。

 良かった、正気だ。聖水がかかった首元に火傷を負っているせいで彼の美しさが大きく損なわれてしまっているが、今はただ、正気に戻ってくれたことが今日起こったどの出来事よりも嬉しかった。


 グリゴレはステラが貼った札のせいでまったく動くことができなかったが、声だけ聞こえていれば充分で。未だに必死に耐えているイヌマルは、グリゴレにどういうことかと無言で問うた。


「詳細は省きますが、レオは私に失望した父と母が私の代わりになる跡継ぎとして作った子なんです」


 未だに暴れているレオはグリゴレの視線に気づいておらず、気を抜くとイヌマルの肩に噛みつきそうなほど牙を剥き出しにさせている。唇の端からは涎が少量どころではないほどに垂れており、飢えていることが見て取れた。


「作った……?」


 声が震える。その単語にはきっと、いい意味なんて含まれていない。


「えぇ。私とレオは正真正銘血の繋がった兄弟ですが、兄である私が親の期待に応えられない〝失敗作〟だったので……。〝そのまま〟ではまた失敗作を生み出してしまうと、そう危惧した両親によって遺伝子を操作された所謂〝デザイナーベビー〟なんです」


 その言葉を、飲み込むことができなかった。


「つまり、跡継ぎとして相応しい──完璧な吸血鬼ということか?」


「どうでしょうね……。レオは何においても私より遥か上の才能を持っていますが、肝心の性格の〝デザイン〟をミスしたおかげでご存知の通りの男になりましたので」


 イヌマルが思い出したのは、どこか自信がなさそうなレオの表情だった。不器用で、萎縮してばかりの、まだ十代の少年だった。


「イヌマル、レオはぶっ飛ばさないと止まりませんよ」


「え?!」


「聖水程度では止まりません。〝デザイナーベビー〟というのは、そういうことです」


「……っ」


 吸血鬼としての本能が強く、弱点が弱点として機能しない。グリゴレはそういうことが言いたいのだろう、彼が腕を片方折ったはずなのに、折れていることを感じさせないくらいの力が跳ね返ってきた。


「イヌマル!」


「下がれ!」


 夜明けを待つしかないのだろうか。兄弟の実力を考えずにティアナにレオを任せてしまったことを申し訳なく思いながら距離を取る。


 同じ箒に乗っているティアナとクレアはいつでも逃げる準備を整えており、ステラとグロリアはいつでも身を守る準備を整えていた。そのことを一瞬で把握して、イヌマルは再び抜刀する。


「ぶっ飛ばす──……」


「レオは、大怪我を追わせないと止まらない──これは今よりも若い頃の話なので、今回は半殺しにしないと止まらないかもしれませんね」


 間接的に大怪我を負わせて止めたことを証言したグリゴレは、自分を哀れんで札を剥がしたステラに支えられて起き上がる。二人の間には大きな身長差が存在していたが、ステラが折れることもグリゴレが倒れることもなく、グリゴレは真っ直ぐに立って闇夜を背負った。

 どうやらイヌマルによって与えられたダメージはほとんど回復したようで、グリゴレはまったくふらついていない。ティアナを執拗に狙うレオを見据え、止めなければならないという使命を瞳に宿す。狙われているティアナは既に逃げており、空を飛ぶことができないレオが届かないほど高度な場所でクレアから抗議を受けていた。


「グロリア、聖水はもうありませんか?」


「さっきのが最後ですヨ。けど、また新しく作るですから、ちょっとだけ待っててほしいですネ」


 最初から持っていたわけではなく、必要だと判断したから作ったらしい。グロリアは肩にかけていた鞄を下ろしてペットボトルと小瓶を取り出し、ペットボトルの中に入っている水を小瓶に移す。


「ステラ、グロリアの護衛と我々のサポートをお願いします」


「わ、わかった」


「イヌマル、お願いしてもいいですか」


「な、何を……」


「先ほども話した通り、レオは私よりも才能のある吸血鬼です。私ではもう敵わない、その場合は貴方に任せる他ありません」


「……本当に、敵わないのか?」


「……それは、今の私とレオを知っている貴方が誰よりもわかっていることなのでは?」


「…………」


 言葉を返すことができなかった。グリゴレの言う通りなのだから。


「……わかった。けど」


 グリゴレの言葉をすべて飲み込むことはしたくなかった。グリゴレは反論しようとしているイヌマルの背中をじっと見つめ、レオから上手く逃げるティアナへとまた視線を戻す。



「戦えるのは、戦ってるのは、俺だけじゃない」



 そして、一瞬だけ。本当に一瞬だけ──泣きそうな表情を闇夜に見せた。


「自分だけ何もできないみたいなことは言わないでほしい。レオに言葉を届けることができるのは、この世界でグリゴレただ一人だけだから」


 ネグル兄弟の関係を正しく理解することはできない。二人がどんな人生を歩んで今の関係になったのかは知らない。グリゴレのレオナルドに対する態度は批判されるべきだと思うし、理由があるからと言ってしていいことだとも思わない。

 あれほど優秀に見えたグリゴレが両親から〝失敗作〟だと言われていることが納得できないし、優秀でなくても他人にそんなことを言っていいとは思わない。許すことも当然できない。グリゴレを捨てて〝デザイナーベビー〟としてレオナルドを生み出したことも、レオナルドをあんな風にさせるほど追い詰めたことも、許せない。


 得ている情報だけを並べてもグリゴレのレオナルドに対する態度はなんとなくわかるし、だからこそ二人の両親を余計に許すことができないと思う。

 だが、グリゴレがレオナルドのことをまったく愛していないわけではないことも、見ていたら伝わってくるものだった。それだけが、ネグル兄弟の救いだと思った。


「イヌマル……」


「愛してるんだろ? レオのこと」


 言葉で尋ねる。それが世界で一番わかりやすい意思疎通の方法だから。


「……愛してますよ、誰よりも。レオがこの世界に生まれてきたから、私は生きていて良かったと──生まれてきて良かったと思うことができたんです。レオが私を兄と認めて尊敬してくれるから、私は初めて自分が誇らしいと思えたんです。レオが私の弟であることが誇らしい──こんな自分が兄で申し訳ないですが」


「それを言ったら、レオはすっごく悲しむだろうな」


 きっと、自分が世界で一番の不幸者だと言わんばかりに悲しそうな表情をするのだろう。本人は絶対にそう思っていないだろうが、負の感情が顔に出やすいレオのことだ。間違いない。


「……そうですね」


 グリゴレは、ようやくそれを認めることができたかのような──晴れやかな表情を浮かべて星々が輝く空を見上げた。

 その空ではティアナとクレアが縦横無尽に動き回っている。何度も跳躍して二人を──というか怪我を負っているティアナを貪り食おうとしているレオの最高到達点は徐々に高くなっており、羽根が生えていないのに空を飛ぼうとしているような勢いを感じる。


 それほど動き回っているのにまったく疲れを感じさせないのは、グリゴレの数十倍と言っても過言ではないほどの自然治癒力があるからなのだろうか。グリゴレがグロリアに聖水について聞いた時はあまり意味がわからなかったが、聖水の効果もすっかり切れているように見えた。

 ティアナとクレアにも疲労らしい疲労は見えなかったが、慣れていないクレアはすっかり酔ってしまったのか限界を感じているようには見える。そんな彼女をグロリアと同じように下ろす為には、レオの注意を引く必要が存在していた。


「グリゴレ、行くぞ!」


 弟の注意さえ引くことができないグリゴレではないだろう。二人同時に飛び出してレオを囲み、イヌマルは大太刀で掠り傷を、グリゴレは拳で打撲痕をつける。

 すぐさまじろりと睨んでくる赤の双眸。伸びてくる手のその先で光っている鋭く伸びた爪の数々。大きく開いた口の中から覗いているのは上下二本ずつの牙で、血を求めているのではなく噛み殺そうという意思を感じる。


「グリゴレ! 半殺しってどこまで?」


 掌から刺し口の中まで切っ先を持っていくことは多分簡単なことだと思うが、それで死んでしまったら悲しくて悲しくて涙が止まらなくなる。


「吸血鬼の肉体は強靭です! 弱点以外では簡単に死なないので、どうぞ串刺しにしてやってください!」


「串刺し?!」


 想像してしまいぞっとした。そんな惨いことはできない、できてしまうのが吸血鬼なのかもしれないが。


「この程度で驚いているなら半殺しは無理でしょうね!」


「だからってグリゴレができるわけじゃないんだろ!」


 伸びてきたレオの腕を切り落とし、もう片方の骨折が完治したであろう腕に切っ先を移動させる。だが、両腕を失うことを察したレオはすぐさまイヌマルから距離を取った。


「Leo!」


 兄が弟を愛称で呼ぶ。それでさえ愛を感じるのに、レオは駆けつけた兄を蹴りで倒す。


「グリゴレ?!」


 いや、すぐに起き上がった。なんて頑丈な生き物なんだろう──本当にちょっとやそっとでは死なない生命力の強さを感じる。


「近づかないで!」


 上空から声が降った。銃を構えているティアナの後ろにクレアは乗っておらず、さらに機敏に動けるようになった彼女はレオに向かって引き金を引く。


 一瞬だけ、隕石が落ちてきたのかと思った。輝く光の数々が小さな銃口から解き放たれて、レオの元へと一直線に落ちていく。


「──ッ!」


 あれが全弾当たればどうなるのだろう。多くの風穴が開くのだろうか。それもあまりにも残酷で、串刺しとどちらがマシなのだろうと一瞬だけ思考する。

 だが、レオが全弾を受ける未来は訪れなかった。華麗な身のこなしで半分を躱し、もう半分を致命傷にならない場所で受け止めている。


「チッ!」


 ティアナの舌打ちがここまで聞こえてきた。それくらいに、レオという少年は負けを知らなかった。

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