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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第二章 星の降る地
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十八 『流れ星』

 夜が深まる。始まったばかりなのだから、夜明けはまだ来ないだろう。そんな中何故ステラが目を覚まして戦場のど真ん中まで駆けつけてきたのか、彼女の式神しきがみであるイヌマルが何度考えてもわからなかった。

 ステラを狙うその牙を、その爪を、何度も弾いて大切な彼女から遠ざける。グリゴレはイヌマルのせいで近づけないとわかっていてもステラを狙うことを止めなかった。それが吸血鬼の本能なのか、理性なく足掻くその姿を理不尽かもしれないがイヌマルは一度でも見たくはなかった。


「イヌマルッ!」


 怯えているわけではないステラの声が耳に届く。逞しくなったと言うべきなのか、凶暴化したグリゴレを見ても戦う意思を曲げないステラは手を夜空へと伸ばしてきらりと輝く何かを見せた。


「グロリアがこれをって!」


 渡したいものがあるなら何故ステラを一人で行かせたのだろう。クレアやグロリアと一緒に来ても問題だが、〝ステラ一人〟はイヌマルにとって一番あり得ない選択肢だ。

 一瞥したステラの掌の中に握られていたのは小瓶であり、出かける前に何も出さなかった以上あの後急いで作ったものであることが見て取れた。


「それは?!」


「聖水! 何かあった時の為にって!」


 その何かの幅が広すぎて一瞬言葉を失ってしまった。


「効果は?!」


 ステラの意図はまだ読めない。再びイヌマルを無視してステラに飛びつこうとするグリゴレを刀で制し、真後ろの彼女の言葉を聞く。


「混血ならすぐに殺せて、純血なら火傷を負わせることができるって!」


「それだ!」


 ステラは、何故イヌマルがそう言ったのか理解できていないようだった。


「これでもいいの?! グリゴレは殺せないかもしれないのに?!」


 それを言われてようやく気づく。ステラはグリゴレが犯人だと思っているのだと。老婆が正体を見せたあの瞬間を見ておらず、イヌマルが老婆を殺したあの瞬間も見ていない彼女は、最初からグリゴレと戦っていると思っているのだと。


「違う!」


 誤解してほしくなくて、必要以上に大きな声を出して否定してしまった。


「殺人事件の犯人はグリゴレじゃない! 宿のおばあさんで──グリゴレは俺のせいでこうなったんだ!」


「じゃ、じゃあレオナルドも?!」


「ッ! 知ってたのか?!」


「グロリアが気配を感じたみたいで……ティアナとイヌマルが別々のところにいたから、わたしはこっちで二人はティアナのところに行ったの!」


 それが本当のことならば、余計に理解に苦しんでしまう。クレアとグロリアは何故自分よりも幼いステラを一人でこの地に向かわせたのだろう。生きてもう一度会えたら正座させて問い詰めたいくらいの愚行だった。


「グロリアも聖水を?!」


「持ってる! ティアナの助けになればって! どっ、どうしよう……!」


「レオが犯人じゃないのはティアナがわかってる! そっちはそっちでなんとかすると思うから、今は──グリゴレを止める!」


「ッ……! う、うん!」


 ぐっと両の拳を握り締めたステラは、この戦いに参加する気になっていた。

 陰陽師おんみょうじであり少女でもあるステラにできることは何もないのに、一体何をする気なのだろう。


 気になってステラから目を離すことができなかった。相手を信じて背中を預けることができない、それは陰陽師と式神という主従にとって致命的な欠点でありあってはならないことだったが、ステラの保護者でもあるイヌマルはどうしてもそうすることができなかった。

 ステラはイヌマルの心労を知ってか知らずかグリゴレの動きをじっと見つめ、自分が入る隙を伺う。その集中力は凄まじく、イヌマルのことなんか眼中にないようだった。


 それはまるで、自分が何をして失敗してしまっても、イヌマルがなんとかしてくれると信じているような。そんな信頼が言葉にせずとも伝わってしまうから、イヌマルは文句の一つも言えなかった。

 元々ステラにそんなことを言うつもりはなかったが、ぐっと息を合わせる為の言葉でさえ飲み込んでステラと共に上手く戦うことだけに集中する。そうすれば何もかもが体から離れて軽くなったような気がした。


 ステラは何も悪くない。主を信頼できない自分がおかしいのだ。この体の軽さがそれを教えているようで、イヌマルはようやく瞳を閉じる。


 何も見えなくなってしまったが、ステラのことも──当然グリゴレのことも先程より鮮明に気配がわかるようになっていた。何よりも信頼できる瞳を閉じて、ようやくステラを信じることができたような──そんな気分になって心が落ち着く。


 生まれた時からおかしな部分が目立っていたが、もう〝生まれたばかり〟という言い訳は通じなかった。自分は自分の個性だと思うそのおかしさを一つずつ矯正し、ステラと共に前へと進む。それを望む。


 だから、こんなところでは終わらせない。


 ステラが動く気配がした。同時にグリゴレも動いてステラを追った。イヌマルはグリゴレを追うことはせず、ステラのことを追いかける。

 ステラは二人の男に追いかけられて一体何を思うのだろう。それが恐怖ではないことを祈りながら──先ほどのステラを見ていたら恐怖などまったく感じていないだろうが、ステラに飛びかかろうとするグリゴレの真上に跳躍して位置を取った。


 瞳を開く。感じた気配の通りに真下にはグリゴレがいて、その下にはステラがいる。

 ステラと一瞬目が合った。刀を振り翳していたイヌマルは若干顎を引いて意志を示し、グリゴレの背中を大太刀の峰で強く殴る。同時にグリゴレの顔にかかったのはステラがずっと握り締めていた小瓶の中の聖水だった。


「ぎゃっ!」


 グリゴレとは思えない人間の──いや、吸血鬼の声がする。ぎゃあぎゃあと喚くグリゴレに最も効果があったのは、グロリアが託した聖水だった。

 顔に手を当てて地面に転げ回るグリゴレを確保し、イヌマルは慌ててぐるりと辺りを見回す。グリゴレはイヌマルと違って人々に声が聞こえるのだ。起きてきた人間に見られたら取り返しがつかない、そう思ってステラと共に下水道に飛び込む。


「うっ……」


 鼻を摘んだステラはポケットの中からハンカチを取り出して顔の半分を覆い、そのまま黙ってイヌマルについて行った。二人が正しい主従だったらステラが前を歩いて行き先を決めなければならなかったが、イヌマルは一切構うことなく声が反響する下水道の奥へ奥へと進んでいく。

 一目につかない場所と思って真っ先に飛び込んでしまったが、余計に騒がしくなるのは誤算だった。広範囲に聞こえるであろうグリゴレの声はあまりにも耳障りで、人に気づかれなくないイヌマルはグリゴレの口を手で塞ぐ。


 自分より背の高い男の口を塞いで抱えながら歩くのは至難の業だったが、ここで耐えずにいつ耐えるのか。一年ほどあの古城でのんびりと生きてきたイヌマルは、全力を出して四人のことを考える。それは、ティアナとレオ、クレアとグロリアのことだった。

 三善みよし家の血が流れているはなの居場所ならばはっきりとわかるが、この四人の居場所はぼんやりとでしかわからない。瞬間移動することは可能だったが、そうするとステラを置いていくことになる。だから、このまま進むしかなかった。


 どうか無事でいてほしい。ティアナも、クレアも、グロリアも。そしてレオも。


 グリゴレはいつの間にか騒がなくなっていた。様子を確認すると気を失っているように見え、安堵する。


「主」


 振り向いて声をかけると、俯き加減に歩いていたステラが顔を上げた。


「ありがとう。来てくれて」


 聖水を浴びたあの瞬間を見ていたからこそ余計にそう思う。ただの峰打ちではグリゴレのことを一生気絶させることはできなかっただろうから、聖水でさっさと決着を──きちんとした決着をつけてくれたステラには感謝しかなかった。


「わたしは持ってきただけだから」


「浴びせたのも主でしょ?」


「そ、そうだけど……イヌマルの方が凄いでしょ。わたしはたいしたことしてないよ」


「なんでそんなに謙遜するんだよぉ、主ぃ」


 それが少しだけ嫌だったが、それでこそ自分の主のような──そんななんとも言えない気持ちになる。


「だって、イヌマルの方が凄いから」


「俺は主の方が凄いと思うけど?」


「うそ」


「嘘じゃない。だって、主はまだ十歳なんだから」


 声に出して改めて思う。十歳なのに十歳じゃない、そんなステラがステラになったのはやはりあの百鬼夜行なのではないか。あの百鬼夜行がステラのすべてを変えてしまったのではないか。そう思えてならなかった。


「……主」


「……何?」


 イヌマルの声が強ばったことに気づいたのだろう。ステラも強ばった声色で返す。

 イヌマルは、ごくりと唾を飲み込んだ。そして、視線を前に戻してステラを自らの視界から外す。



「主は、ここに来れて幸せ?」



 それは、イヌマルの心からの問いだった。


 百鬼夜行で義理の両親と師匠でもある猿秋さるあきを亡くしてしまったのだ。綿之瀬五道わたのせごどうが亡くなってイギリスに行かなければならなくなったのだ。

 幸せなことなんて何一つない。イヌマルはステラと共にいられるだけで幸せだが、ステラはきっとそうではない。


 ステラは赤子の頃から暮らした故郷を捨てた。愛してくれた京子きょうこを捨てた。そうして辿り着いたこの場所で吸血鬼と戦うことになって、ステラは幸せなのだろうか。


「…………」


 ステラは即答しなかった。それだけ、得たものよりも失ったものが多かったのだ。


「……わたしは、幸せって言いたい」


 それはどういう意味だろう。


「……幸せって言えるような、人生にしたい」


 それがステラの真の願いなのだろうか。それが、星の名を持つ自分の幼い主の──



「もっと、みんなと一緒に生きていたい」



 ──ステラの、願い。


「だから、ティアナたちのことを助けたい。死なせたくない」


「……うん」


「大切な人を二度も失うのは、いや」


「……うん」


 当たり前だ。当たり前の心をステラはきちんと持っていた。そのことを知れただけでも嬉しくて、自分と同じ気持ちであることが誇らしくて、やはり誰がなんと言おうと──自分がなんと思おうと主従なのだと思ってしまう。


「行こう、主」


「うん。みんなはどこにいるの?」


「ここの真上」


「……っ? も、もうついたの?」


「本当はもっと遠くにいるんだけど、ティアナが二人を連れて逃げてるからすぐにここの上につく」


「逃げてるって……」


「場合によっては、主は結界で自分を守ることに専念した方がいいかもしれない」


「……三人は無事?」


 当然の疑問だった。


「それは、断言できない」


 残酷なことだったが、伝えなければならなかった。


 息を呑んではらはらと涙を流したステラを見続けることができず、イヌマルは視線を逸らして出入口の方へと歩いていく。

 グリゴレを抱えたまま。ステラに背中を向けたまま。背筋を伸ばして迷うことなく進んでいく。


 多分、あと少し時間が経ったら箒に乗ったティアナがこの上空を通るだろう。途中でクレアとグロリアを拾ったからかイヌマルが知っている速度ではなかったが、ティアナはレオと一定の距離を保つことに成功していた。

 レオと何度か言葉を交わしたティアナが今何を思っているのかは知らないが、どれほど情が湧いていてもやらなければならない。本人の為にも、やらなければならない。そのことを伝えたくてイヌマルは外の世界へと歩いていく。


「イヌマル」


 また声をかけられた。


「置いてかないで」


 それは縋りつくような声ではなく、イヌマルは驚いてステラを見下ろす。ステラは一体どうやって心を一度リセットさせたのか、もう泣いてはいなかった。


「わたしも行く」


「でも」


「言ったでしょ? わたし。もっとみんなの一緒に生きたいって。その為ならわたし、相手が誰でも戦えるよ」


「主……」


 今自分の隣にいる少女は、一年前のあの少女と本当に同一人物なのだろうか。あの頃も足を引っ張っていたわけではなかったが、果敢に立ち向かおうとする姿は足手纏いの人間がするようなそれではなく──頼もしいと心から思う。


 人間はどうして成長するのだろう。


 これを成長と呼ぶのなら、もう彼女一人でも戦えるのなら、自分の庇護は要らないだろう。

 こんな状況であるにも関わらず、寂しいと思った。もっとずっと一緒にいたい、彼女の成長をもっとずっと見ていたい。寂しくもあるが、嬉しくもあるのだ。数多の感情を綯い交ぜにさせてイヌマルはステラと共にさらなる一歩を踏み出していく。こうして共に歩めることに喜びを感じながら。愛を、感じながら。


 未だに深まっている夜がそんな二人を待っていた。ステラのことも抱き上げて屋根の上に軽々と上ると、流れ星のような光の粒がこちらに向かって飛んでくるのが視界に入る。


「ティアナーーーーッ!」


 光り物を持っていなかったイヌマルは大声で自分の居場所を彼女に伝える。


「クレアーッ! グロリアーッ! グリゴレはもう捕まえたぞーッ!」


 真横を通り過ぎた流れる星が眩しくて目を細め、黒い影がこちらに向かっていることに遅れて気づく。


「イヌマルッ!」


 流れ星が通り過ぎて戻ってきた。それを背後から漏れる光で認識していたイヌマルはグリゴレを屋根に落として大太刀を抜刀──駆けていたレオの爪を刃の方で受け止める。


「──ぐっ?!」


 重い。何故。グリゴレも決して弱いわけではなかったが、レオはグリゴレの二倍を超える力強さでイヌマルのことをあまりにも容易く吹っ飛ばした。


「イヌマルッ?!」


 グリゴレに札を張って動きを完全に封じていたステラが叫ぶ。

 逆さになった世界でイヌマルがその瞳に映したのは、試験管を持つクレアと、聖水が入った小瓶を持つグロリア。そして──腕から大量の血を流すティアナだった。

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