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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第二章 星の降る地
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十七 『夢物語』

 びしゃっと全身に浴びたのは、血飛沫だった。イヌマルの自慢でもある真っ白な着物にじんわりと不快な赤が滲んでいき、血液独特の匂いを出す。目的を達成し、妖怪ではない誰かを初めて殺してしまったイヌマルは何も考えられずに空気を吸い込み、思わず噎せ返って口元を抑えた。吐き気がする。脳裏を過ぎったのは、一年前の百鬼夜行の、遺体が町中から集められたあの日の出来事だった。

 忘れたくても忘れられない、多分一生忘れてはならないあの日のこと。もう過去のことのはずなのに、未来である今の前に現れては過去ではないと訴えてくる。突き飛ばしても纏わりついてきて離れない。嫌だ、怖い、止めてくれ。きっと、あの日のことでこんなにも思い悩んでいる式神しきがみはあの町だけでなく世界中を探しても自分だけだろう。刀を持って妖怪と戦うことが式神の使命で、ただそれだけがすべてで、血の匂いと死臭に過剰に拒否反応を示す自分はおかしいのだと──本能との違和感を感じてずっとそう思っていた。


 殺害したイヌマルの苦悩も知らないまま、殺人を繰り返していた老婆の遺体はくるくると回転しながら落下していく。元々老いていたがさらに老いていくその体はやはり人間のものではなく、混血と言えど吸血鬼に近い存在だったのだと思い知った。

 撒き散らされていく生暖かい赤きそれは人間のものと変わりないのに、何故人間と亜人は共存ができないのだろう。人間と妖怪ほどの〝違い〟があるわけでもないのに、何故争い合うのだろう。そんなことを考えながら、イヌマルは鼻と口を覆って遺体が衝撃で潰れた瞬間を目撃した。


 体内に辛うじて残っていた血液がまた辺りに飛び散っている。それは老婆自身の血液であり、被害者となってしまった彼女たち血液である。

 少しは報われてくれただろうか。死人に口がないことを知っているイヌマルは彼女たちに答えを求めなかったが、死人に口があったらどんなにいいだろうと思って唇を噛んだ。


「イヌマルッ!」


 ティアナに名前を呼ばれて我に返る。振り返ると、箒に跨って浮いている彼女がイヌマルの正面を指差していた。


「あれを見ろ!」


 あれ、と言われて視線を戻すと、屋根の上に両足をつけて立っているネグル兄弟が視界に入る。


「あれって……」


 グリゴレもレオも何故か呆然と突っ立っており、勝利を喜んでいるようには見えなかった。勝利して喜ぶような性格ではないとしても、不自然すぎて目が離せなかった。

 潰れた老婆の遺体を──正確には流れた血液をじっと見つめている二人の双眸は先ほどよりもギラギラと赤く光っており、その色には深みを感じる。純血の吸血鬼という話が嘘ではないと心から思うくらいに丸い瞳孔が細長くなり、吸血鬼らしさを増していく。


「…………グリゴレ? レオ?」


 声をかけた。だが、二人には届いていないように見える。人間よりも先端が尖った特徴のある耳は飾りなのだろうか。聴力が良さそうなのに聞こえていない二人の様子があまりにもおかしく、かと言って目を逸らしティアナと目を合わせることもできず、イヌマルはごくりと唾を飲み込む。

 二人は唇を強く噛んでいた。長身の体は小刻みに震えており、何かを我慢するかのようなその姿が完全に重なって二人の血の繋がりを改めて感じる。普段はあまりにも似ていない、正反対とさえ思える二人なのに、どうして今この瞬間にそう思ってしまうのだろう。


 ぺろりとレオが舐めたのは、頬についていた老婆の血液だった。それを目撃していたのはイヌマルとティアナだけではなく、隣に立っていたグリゴレもそうだった。

 咄嗟に、と言った表現が一番正しいだろうか。腕を伸ばしたグリゴレはレオの二の腕を掴み、勢いのままに力を込める。鈍い、骨が折れるような音がした。信じられない、グリゴレがレオの腕を折った? グリゴレにとってレオナルドという少年はこの世界で唯一の弟ではなかったのか。


 グリゴレが英語でレオに何かを話している。グリゴレの方はまだ自我を保っているように見えたが、レオには届いていなかった。


「二人とも! 逃げ──」


 忠告は最後まで聞こえなかった。たった一度の跳躍でイヌマルの元へと駆けたレオは、折れていない方の手を伸ばしてイヌマルの顔を鷲掴もうとする。


「──ッ!」


 まだ納刀したいなかった刀の峰でその腕を弾いたイヌマルは、レオの本当の狙いが自分ではなくティアナであることにすぐに気づいた。レオは、自分とティアナの間に突っ立っていた自分のことが邪魔だったのだ。ただそれだけで怪我を負わせようと──下手をすれば殺そうとしていたのだ。


「レオ! しっかりしろ! 目を覚ませ! 呑み込まれたら駄目だ!」


 吸血鬼のことはわからない。わからないが、今目の前にいるレオがイヌマルの知っているレオではないことだけはよくわかる。


「グリゴレ!」


 その兄に助けを求めた。動けなくてもいい、話せるのなら助言がほしい──だが、グリゴレは蹲っていて立つことも話すこともできそうになかった。


「ティアナ! 人がいないところまで逃げろ!」


 全力で叫んで闇夜に溶けるレオの気配を慌てて探る。人々が違和感に気づいて起き出している今、被害を最小限にする為にはそうするしかないと思っていた。レオに最も狙われているティアナが逃げてレオをこの地から離すことに成功したら、ティアナのことだけを考えて動くことができる。レオを殺さないように倒すことも、できる。

 これは、箒に乗っており魔法道具が使用できるティアナでないとできないことだった。クレアやグロリアや、ステラや、はな。もしかしたらジルでさえできないことかもしれないが、ティアナならば必ずできる。


「頼む! ティアナ!」


 刀を構えて殿に専念しようとするが、「待て!」と言われて動きが鈍る。


「レオのことは私に任せてくれ! お前はグリゴレのことを頼む!」


「は──?」


 気づかなかった。グリゴレも、レオ同様に耐えられなかったということに。

 一人が急に二人になった。どうしてこうなってしまったのだろう、いや、自分が余計なことをしたせいだ。二人は何も悪くない。


「ごめん、ティアナ!」


「ごめんって何が?!」


「そっちは任せた!」


「……っ」


 グリゴレも、レオと同じく狙いはティアナだろう。ティアナの血が美味なのかは知らないが、少なくとも自分の血よりは美味だとわかる。強さだって、グリゴレの方が強いとわかっている。


「任せろ!」


 瞬間に飛び出していったティアナが目指した場所は、知らない。少なくとも宿の方向ではあったから、何かあったらクレアとグロリアがティアナのことを必ず助けてくれるだろう。

 追いかけていくレオを無視して、イヌマルはただ、同じく駆け出したグリゴレの前に立ち塞がる。


「行かせない!」


 そして、誰のことも殺させない。グリゴレが今まで殺人をしていたのかは知らないが、自分の目の黒いうちは誰のことも殺させない。


「グリゴレ! ごめん!」


 心から叫んだ。心からの謝罪だ。

 初めて会った時に疑ってしまったこと。グリゴレを変えてしまったこと。出会ってから今までのすべて。


「許してほしいとは言わない! けど、絶対に元に戻ってきてほしい! 俺は二人のことが知りたいし、グリゴレは俺のこと知りたいって思ってるはずだろ?! 俺たちはまだお互いのことそんなに知らないから、だからこんなことになって……なぁっ、グリゴレ!」


 グリゴレは、飢えた獣のようだった。実際にそうだったのかもしれない、何故なら吸血鬼はどうやったって人間とは呼ばれないのだから。

 赤い双眸に本人と思われる意思はなく、涎を垂らしていないだけまだ彼らの品位──というか人間性ならぬ吸血鬼性を感じる。


「グリゴレ……っ、あっ、グリゴレ! は?! グリゴレ!」


 最初は若い女性であるティアナを狙っているのかと思っていた。だが、刀でグリゴレの両手をいなしていると狙われているのは自分なのではないかと思えてきて仕方なかった。

 その証拠に突き出された彼の片手はイヌマルの服の袖を掴んでおり、イヌマルはぎょっと腕を引っ込める。びりびりと嫌な音がした。妖怪との戦闘で何度か使い物にならなくなった真っ白な着物が破かれる。そこにも老婆の血が滲んでおり、イヌマルはようやく、クリゴレの狙いを正しく理解した。


「グリゴレ……!」


 握り締めたそれではグリゴレの〝渇き〟を満足させることはできない。きっと、混血の老婆でさえ満足することはできない。

 そうだ。混血の老婆があんな風に自らの〝渇き〟と欲望を満たしていたのだ。純血のグリゴレとレオは一体どういう風にして自らの〝渇き〟を満たすのだろう。


 人間を傷つけないという亜人の掟に大きく反する生き方しかできない彼らのことを、最早悪だとは思わなかった。ティアナが発言した通り、彼らには生まれ持った性質があり、彼らには彼らの生き方があり、常識がある。

 掟に従っている純血のグリゴレとレオは偉いと思うし立派だが、吸血鬼の生き方としては混血の老婆の方が正しいのだろう。


 心から、なんとも言えない気持ちになった。何かが微妙におかしいと感じた。

 グリゴレとレオは生きづらくないのだろうか。自分らしさを押し殺して人間として生きている彼らの生き方を手放しで素晴らしいと称えることは、できなかった。だからやはり、もう一度思う。


 自分は二人のことが知りたいと。吸血鬼のことが知りたいと。


 生きる為に他の動物を殺すことは人間だってやっていることで。その動物から反撃を食らっていないだけで、やっていることは吸血鬼と何も変わらない。吸血鬼と人間は〝種族〟が違うかもしれないが、いつかきっと、手を取り合える。

 吸血鬼と人間だけではなく、亜人と人間がそうなればいいと心から思った。夢物語かもしれないが、心から願った。魔女と、科学者と、聖職者が共に生きているあの古城がある限り、実現できるとイヌマルは信じて疑わなかった。


 袖を引きちぎって匂いを嗅いだだけでは彼の〝渇き〟は満たされない。牙を立て、血を吸わないと、吸血鬼はやはり満足してくれないらしい。

 グリゴレはじっとイヌマルのことを見ているようだったが、乗っ取られているように見える以上それをグリゴレの視線だとは思わなかった。何度も腕をいなして峰打ちのタイミングを伺っていると、縮まっていた間合いが一気に伸びる。


 後方に飛んだグリゴレが、ここではないどこかを目指したのだ。


「──ッ?」


 急に。何故。理由はわからないが急いで追う。この方角はティアナが逃げていった方角だ。まさか、ティアナが大怪我を──? いや、違う。


 喉が焼けるように熱くなった。叫ばなければ伝わらないと思ったから、血が騒ぎ出すのを必死で抑えて彼女を呼ぶ。



「主ッッ!」



 瞬間移動でステラの傍に着地した。目前に迫っていたグリゴレは薄く笑っており、その美しさに思わず驚く。それでも。


「イヌマルッ!」


「主に手を出したら許さないぞ、グリゴレ」


 峰ではなく刃を使用した。殺すつもりは一切ないが、ステラに牙を立てるのならば容赦はしない。


「悲しませるのも、怯えさせるのも、絶対に許さない」


 改めて刀を構えた。獲物を目の前にしたグリゴレは、イヌマルに付着していた血液を求めるグリゴレよりも本能を剥き出しにして唇を舐めた。

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