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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第二章 星の降る地
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十六 『ネグル兄弟』

 純血の吸血鬼があまりにも希少だったせいか、グリゴレとレオナルドの両親は自分たちの血の尊さに誇りを持っていた。同時に息子たちには厳格で、純血の吸血鬼の嫁を貰うことを幼少期から強要していた。

 幼いグリゴレはそれに異を唱えており、両親にどれほど痛めつけられても自分が好いた女性──当時好きだった人間の女の子と結婚することを望んでいた。その本人と結婚することができなかったとしても、好きになった人と結婚したいと思っていた。両親はそんなグリゴレを忌み嫌い、グリゴレが外に出ることを禁じた。グリゴレはそれでも、自分の意志を変えることはなかった。


 だがとある日、グリゴレは自分の意志を自分の意思でなかったことにする。その日、ネグル家に大きな変化があったからだった。新たに一族に加わったレオナルド・ネグルの誕生。同じ父親と母親の間に誕生した、何よりも──そして誰よりも大切な弟がグリゴレの前に現れたからだった。


 当時九歳のグリゴレは、まだ歩くことも話すことも微笑むことさえできなかった弟のことを何を犠牲にしてでも守りたいと強く思った。

 両親は自分のことをほとんど諦めている。幼いながら──いや、幼いからこそそのことを理解してしまったグリゴレは、その証拠であるレオの傍を誰がなんと言おうと──暴力を振るわれても離れようとしなかった。


 両親は、というか一族の人間とその取り巻きは、レオナルドという新しい子供を作り、それが男の子だったら兄であるグリゴレの存在を消そうと思っていた。だから簡単に暴力を振るった。そのまま死んでも構わない、言うことを聞かない子供は不要──だから自分の意志を変えたわけではない。


 自分が歩むはずだった人生を、茨の道を、弟に歩ませたくなかったからだった。


 グリゴレは兄なのだ。両親から愛を与えられなかった兄は、愛を奪われたからと言って弟を一族の輪から弾くことはしない。

 自分が耐え難いと思った人生を、自分が逆らったせいで生まれてきてしまった哀れな彼に歩ませたくない。上手く言えないが、罪滅ぼし──そんな感覚に近い感情でグリゴレは両親に屈したのだ。


 庇護すべき自らの罪故に生まれたか弱い弟がこの世界に存在している限り、どんな人生でも耐えられる。両親はどちらも耐えるという感覚はなくそれが当たり前だと思っているせいでグリゴレの苦痛を微塵も理解していなかったが、弟の為ならば死ぬまで耐えることができる。

 生まれて初めてレオがグリゴレに微笑んだ時、グリゴレは数年ぶりに笑みを浮かべることができた。好きになった女の子でもグリゴレを笑わせることができなかったのに、血が繋がった弟と笑い合うなんておかしな話だ。笑ってしまう。


 グリゴレは多分、レオナルドのことを愛していた。両親のことは愛せなかったのに、レオナルドのことを家族として愛していた。


 グリゴレが両親の望むような吸血鬼になって数年、両親は物心がついたばかりのレオにグリゴレのようになれと指導するようになっていた。

 幼少期の冷遇っぷりを考えたら頭が混乱するような話だ。悪かったのは両親ではなく逆らい続けた自分自身だったのかもしれない。言う通りにしていたらこんなにも愛を与えてくれる人たちだったのに、自分はなんて愚かな真似をしていたのだろう──そんなことは死んでも思わない。


 本気で殺そうとしていたことを忘れているかのような態度で接してくる両親のことが、グリゴレは変わらず嫌いだった。

 いつからか──そして何故か、自分のように上手く振る舞えないレオにも苛立つようになっていた。逆らっているわけではない。レオが単純に不器用なだけなのだ。そして、グリゴレが単純に器用だったのだ。


 同じ道には進んでほしくない。それでもある程度は両親から目をつけられないように振る舞ってほしい。ネグル家の頭首になるのは自分で、レオには自由に生きてほしい。だというのに自由に生きることもしないレオに失望さえするようになった。

 同じ血が流れているのにこの違いはなんなのだろう。両親もレオの不出来っぷりにはとっくのとうに気づいており、レオのことを冷遇するような日々が何日も何ヶ月も何年も続いていた。それに異を唱えることはしなかった。冷遇されるのは当たり前だ、レオは何もできないのだから。もう何もできないあの時の赤ん坊ではないはずなのに。


 兄さん、そう話しかけられて、話しかけるなと突っぱねたことがある。


 レオはその日からずっと、両親だけでなく自分にも萎縮するようになっていた。怯えるようになっていた。

 そのことを気にした日は一度もない。レオが生まれたばかりの頃は何よりも誰よりも大切にしたいと思っていた弟なのに。弟の人生を守る為に生きることが自分への罰だと思っていたのに、何もかもが馬鹿馬鹿しくなってくる。


 そんな態度が如実に現れていたのだろう。いつからか視界に入ることさえなくなった。

 生きているのかも死んでいるのかもわからなかった。


 さらに月日が経って偏差値が高いことで有名な国内の大学に進んだグリゴレは、様々な国の言語を学ぶことに専念した。学ぶことは楽しく、新しい知識を与えてくれる学友のことも両親やレオに比べたら好きの部類に入っていた。

 様々な地域や国から進学してくるからだろう。両親が何よりも嫌っている混血の吸血鬼を見かけることが何度かあったが、混血を差別するように教育をされているグリゴレが彼らを忌み嫌うことはまったくなかった。混血と人間は何も変わらない、吸血鬼とは違う〝種族〟なのだから目くじらを立てるだけ人生の無駄だ。


 興味ない、そう思って卒業まで吸血鬼の関係者と関わらずに過ごしていたグリゴレは、実家に帰って混血討伐の任務を両親から与えられる。

 意味がわからない、何故そんなことをするのか──そう思ったが、話を聞いて納得してしまった自分がいた。


 〝亜人の掟〟は物心がついた時から知っている。そして、そんな混血が野放しにされていることも、人間に吸血鬼という存在を誤解されていることも、不快でしかなかった。

 その任務を最初に与えられたのはレオの方で、高校にも行かず吸血鬼としての才を発揮することもできずに暮らしている彼の討伐が上手くいっていないことは当たり前だと素直に思って、その時久しぶりに見かけたレオの自分を責めたような表情を見て改めて思う。


 何を犠牲にしてでも、レオのことを守りたいと。


 赤ん坊ではなくなっても何もできない彼に苛立つことは多々あったが、生まれてきたことを後悔して自ら命を絶ちそうなそんな顔を見ていると、レオが産まれてくる切っ掛けを作ってしまった自分の行いを恥じて悔いて嘆いてしまう。

 レオが今そんな思いをしているのは他の誰でもなく自分のせいで、そんなレオが明日にでも命を絶ったら自分は罪悪感で死にたくなる。死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて、それ以外の言葉が見つからなくて、レオの手を引いて家を出た。


 話しかけるな、そう言ってしまったからかレオから話しかけてくることはなく。長い間家を空けていたグリゴレから話しかけることもなく。グリゴレにとっては初めての任務でさえ、レオは何も言わず、グリゴレはレオに何も尋ねなかった。


 混血の吸血鬼を見つけ、殺害し。自分が殺人犯として疑われ、警察から追われそうになった時。


 未成年のレオナルド・ネグルが自分が持っているすべてを使って兄を救おうとしたことを、グリゴレ・ネグルは一生忘れることはないだろう。神に誓っても構わないくらいに、グリゴレにとっては衝撃的な出来事だった。

 数々の証拠を持ってきて兄の正当防衛を主張し、家から持ってきた財産すべてを弁護士の費用に充てて正当防衛の主張を押し通す。自分たちの立場が逆転していたとして、グリゴレはレオが行ったすべてを行うことができただろうか。


 何を犠牲にしてでも守る、きっとそれは口だけでレオを見捨ててさっさと次の町に行っていたかもしれない。それができなかった──いや、そうすることができたはずなのに戦うことを選択したレオのことを、グリゴレは産まれて初めて尊敬したのだ。


 レオナルド、どうして助けた。


 そう尋ねた時、レオナルドはいつもの怯えたような表情でこう言った。


 自分の何を犠牲にしてでも、優秀で、一族の人間から慕われていて、未来の頭首でもある貴方のことは必ず守ると。それが両親の言いつけでなくても、貴方のことは必ず守ると。


 自分は未熟だから、何を──という部分が自分の命であること。自分は貴方のことを尊敬していること。貴方が兄で誇らしいこと。こんな自分が貴方の弟で申し訳ないこと。


 たった十年と数年しか生きていない弟にそこまで言われ、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がなくなった。

 自分はレオが思っているような人間ではない。いや、吸血鬼ではない。兄と名乗る資格もないような酷い奴なのだと。


 心を入れ替えることは難しい。蓄積されていた苛立ちと憎悪にも似たこの感情をなかったことにすることはできず、レオとの溝が埋まることもなかったが、その日からずっと二人でこの旅を続けている。


 実家には帰らない。こうして死ぬまで生きていく。


 約束をしたわけではないが、それが自分たちネグル兄弟だと。そう心から、グリゴレは思っていた。


 自分たちは互いが互いを必要としている。二人きりの任務を続け、ほとん一人で混血の吸血鬼を殺害し、一体何年が経っただろう。


 今回の事件は、今までの事件から参考になることは何一つなかった。こんなのは初めて、そう言ってしまいたくなるほどにイレギュラーなことが立て続けに起こっていた。

 目の前に現れたイヌマルという名の青年は、自らも人間ではないくせに亜人に関しても何も知らない。意味がわならなくて、式神しきがみというのも話を聞いたところでわからなくて、興味が湧く。


 イヌマルも自分たちに興味が湧いていたら良かったのに。そうしたら、こんなことにはならなかったはずなのに。


 目の前で飛び散った老婆の血はイヌマルにかかった。イヌマルの手によって殺害された吸血鬼の老婆は、若さを保つ為に必要だった若い女たちの血を混ぜた自分の血を、イヌマルが距離を取った後も撒き散らし続けた。

 食欲を唆る甘美な匂いがグリゴレとレオに襲いかかる。老婆が被害者の血をすべて抜いていたせいだろう。老婆の血自体は割合としてそれほど多くはなく、頭でそれがわかってしまったからこそ自らの食欲を止めることはできなかった。


 どうすれば良かったのだろう。協力を申し出たことが間違いだったのだろうか。


 レオは弱いわけではない。老婆と違って一度も血を吸わなかったからこそ、吸血鬼本来の力が発揮できなかっただけ。


 ぺろりとそれを舐めたレオを見つめ、グリゴレはレオの腕を折る。イヌマルが信じられないとでも言いたそうな顔をした。それでも、そうしなければならない事情が二人にはあった。

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