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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第二章 星の降る地
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十一 『怒り』

「失礼失礼。私、天才なんですよ」


「いやいや意味がわからない」


 ピザを美味しそうに頬張るグリゴレに突っ込む。本当に意味がわからない、そう思っているのはイヌマルだけではなくこのテーブルに集った全員がそうだった。


「天才なので言語の習得も早いですし、問題を間違えたこともありません」


「お前、本当に何言ってるのかわからないんだけど」


「ですので、たった今生まれて初めて間違えてしまいました」


 結論を告げるのに少しだけ時間がかかったのは、グリゴレが天才だったからか。日本語が上手くなかったからか。会話が苦手だったからか。

 レオは牙を出しながらニコリと笑っているグリゴレから視線を逸らして背を丸め、今もなお怯えた表情を見せている。だからこそ、まだイヌマルはグリゴレのことが信用できなかった。


「まずはグリゴレの話が聞きたい」


「いいですよ。私の勘なんですが、今回の犯人は……」


「じゃなくて、お前の生まれから今までの話だ」


「……それは、どうしてですか?」


 ぴたりとグリゴレの手が止まった。その顔は先ほどと同じ笑顔だったが、紅の目は笑っていない。


「信じたいからだ」


 イヌマルの瞳はレオを捉える。グリゴレとレオは確かに似ているが、これほど家族に対して怯えを見せているのだからきっと何かある。先ほど二階で見せた諍いの最中の様子がグリゴレの本性だと思っていた。


「…………。生い立ち、ですか。確かに、私たちの種族の話もしておくべきですね」


 それは必要だと思わなかったが、話してくれるのならば聞こう。

 それが嘘かどうか見抜く力はなかったが、レオがすべてを教えてくれるはずだ。そう思っていた。


「両親は純血の吸血鬼でして、私たちはこの町のようにそれなりに人工があるのどかな町で生まれました。そういう風に人に紛れて生きていくことができるので、絶滅はなんとか免れているんですけど……まぁ、同時に混血化というのが進んでまして。自分が吸血鬼の血を引いていることを知らない者が増えてしまい、意図せず事件を起こしていることが近年吸血鬼の間で問題になっているんですよ」


 ゾッとするような話だと思う。ある日突然自分が吸血鬼だと知った時の人々の気持ちも。ある日突然吸血鬼に襲われた人々の気持ちも。考えただけで恐ろしい。


「それで、吸血鬼だと自覚のある──特に由緒正しい家の生まれである吸血鬼たちが、〝亜人の掟〟に従って事件解決をするようになりまして。興味はなかったのですが、レオ一人では荷が重いということで、私も駆り出されるようになったというわけです」


「…………」


 グリゴレが嘘をついているようには思えなかった。レオの反応がまったく変わらなかったからだ。

 それでも不安になってティアナに視線を移すと、それに気づいたティアナはこちらを一瞥することもなく僅かに顎を引く。どうやらグリゴレの話はレオの話と一致しているらしい。自分の直感を信じて唾を飲み込む。


「じゃあ、今回の件も吸血鬼の自覚がなかった者の犯行だと?」


「そうです」


「そういう人たちの事件の具体例は?」


「恋人の血の匂いに煽られて喰った、美味かったから喰い続けた、衝動で友人を殺して自殺した、または人殺しを続けた、知らずのうちに眷属を増やしており、眷属の方が先に気づいて憎しみの果てに主を殺した、今回の件は女性だけを狙っており、血を全部抜いているらしいので少し特殊なんですよね」


 あまりにもあんまりな話だと思う。大体はイヌマルの想像の範囲内だったが、あくまで具体例であって最も頻度の高い事件をグリゴレはあげたのだろう。

 今回の件のように頻度が低い事件は吸血鬼の間で共有されることがない。知られることがない。語り継がれることが、ない。


「犯人の目星は?」


「この人だと確信を得ているわけではありませんが、性別は女性でしょうね」


「は……?」


「ど、どうして?」


 イヌマルだけでなくステラも疑問の声を投げる。これも意味がわからなかった。どう考えても男性だ、イヌマルはそう決めつけていたのだから。


「犯人は血を抜いているだけなんですよ。それも若い女性だけを狙って」


「血を抜いているだけっていうのがポイントなのか?」


「そうです。若い女性ということで男性に目がいってしまうかもしれませんが、男性だったらこんな結果にはなりませんよ。肉体を喰らうか、もしくは……ね?」


「もしくは?」


 何故その先の言葉を濁されたのかがわからなかった。ステラも同じように首を傾げたが、クレアとグロリアはわかったらしい。不快そうに眉間に深い皺を刻み、グリゴレのことを睨みつけている。


「断言していないのだからそう睨まないでくださいよ。その子はともかく、貴方には通じないとは思いませんでしたけど」


「え?」


 何故通じると思われたのだろう。自分が男型の式神しきがみだからだろうか。

 一年ほどしか生きていない自分にはまだわからないことがある、不意にそう思って悔しくなった。


「まぁ、あくまで現時点での私の予想なので参考程度に留めておいてください。レオもその証拠を掴んでいませんしね」


「あぁ……」


 やはり、あの時のレオは証拠を掴もうとしていたのだろう。イヌマルが邪魔してしまったが、イヌマルも証拠らしい証拠を掴んでいない。レオが中に入っていれば話が別だったかもしれないが。


「グリゴレは、推理をして今までの事件を解決してきたって?」


「何度もそう言ってるじゃないですか。この町に入ったのは貴方たちと同じく本日からなので、そんなに証拠は掴んでないんですけど」


「優秀な探偵ならもう掴んでる」


「それってフィクションの中の話では? 遺体はない、現場にも入れない、遺族にも話を聞けない、これでどうしろと言うんですか」


「それ、今まではどうしてたですカ?」


「そうです。今回だけできないはおかしいですヨ」


 ようやくクレアとグロリアが口を開いた。ティアナはずっと押し黙ったまま腕を組んで話を聞いており、レオはぴくりとも動かなかった。


「この町が特殊なんですよ。わかりませんか?」


「あっ」


「それって、まさか……」


「ご想像通りかと。例の魔女、ジル・シルヴェスターの存在が我々のことを邪魔してるんですよ」


 沈黙がこの場に落ちた。何もかもがジル・シルヴェスターだった。


「人々が魔女のせいにしてまともに捜査をしない。今まではされていたことがされていない。『探偵です』と名乗って捜査に参加することができない、下手に動くと己が死ぬ。そんな現場は初めてなもんで、私もレオも参っていたところなんですよね」


「そこで俺たちに出逢った、と」


「えぇ。奇跡かと思った反面、『こいつらが原因か』と思って憎みましたよ多少はですけど。別種族が〝亜人の掟〟に従って始末してくれるのなら大人しくこの町から去りますけど、手詰まりそうに見えましたし」


「同種族が来たなら手を引くのは私たちの方だろう」


 ジルの名前が出たからか、ティアナが口を開いた。その言葉を肯定する人間はこの場にはいなかった。


「手は引かない」


 そう断言したステラのことが尊いと思う。嬉しくなって思わず笑みが零れてしまう。


「もう誰も、死なせたくない」


「あぁ。彼に言葉を返しただけで手を引くつもりは私にもないよ」


 その言葉を聞いて安心する。ティアナにも、クレアにも、グロリアにも、人の心はあるのだと。〝クローン人間〟のステラにも人の心はあるのだから。彼女たち四人は人間で、妖怪でも亜人でもないのだから。


「あいつらはおばあちゃんのことを傷つけた。悪と決めつけて迫害した。この町全体にそれを根づかせた。おばあちゃんが死んでもそれは絶対に変わらないし、亜人による被害者が出ても変わらなかった。私はあいつらの全部を絶対に許さない。あいつらが地獄で詫びても許さない」


 その群青色の瞳には、強烈な怒りが宿っていた。グリゴレの紅を彷彿とさせるような炎が宿るほどの怒りという感情を、イヌマルは嫌というほど知っている。


「話が少しズレましたが、私もこの町のそういうところはどうかと思いますよ」


 一人で一皿のピザを平らげたグリゴレは、新しいピザを注文しようと振り返る。だが、カウンターに老婆はいなかった。不審に思ったのはイヌマルだけではないようだったが、「なるほど」というグリゴレの声で疑問が解決される。


「閉店ですね」


 扉の方へ視線を向けると、《OPEN》の文字がこちら側に向けられていた。


「ほとんどの人間が寝静まっているような深夜だ。老人が起きていられるような時間帯ではないのにな」


 気を使って声をかけなかったのか、他国の言語を話しているせいで避けられたのか。とにかく何も知らされていなかったせいでまだ注文の品が届くと思っていたイヌマルは急にお腹を鳴らしてしまい、恥ずかしくなって額をテーブルに思い切りぶつけた。


「おやおや。一人で食べてしまったみたいですみませんねぇ」


 絶対に悪いと思っていないグリゴレの楽しそうな声を聞きながら、悔しくて悔しくて堪らないイヌマルは額をぐりぐりとテーブルに擦りつけて不満を表現する。夜食を食べ損ねたのは他の四人もだったらしく、さらにグリゴレに対する不信感を募らせたような気配を感じた。


 そんな中でも、レオはグリゴレに対して何も言わなかった。自分たちにも何も言わなかった。日本語が喋れないといえばそれまでだが、それにしたって無口すぎると思う。ティアナと話すことができたのなら余計におかしい。

 当然だが、グリゴレはレオが何故自分にそのような態度を取るのか話さなかった。グリゴレの話を聞いただけではレオのことは一つもわからない。レオ自身の話を聞かなければと思うが、ティアナらの翻訳がないと絶対にイヌマルには伝わらないだろうと思っていた。


「続けますか?」


 顔を上げると、グリゴレは真顔でイヌマルを見下ろしていた。きっと先ほどは笑っていたであろうその顔が真顔だったのを初めて見たかもしれない。


「……まだ何も作戦会議してないだろ」


「そうですよ。でも、寝たい人もいるかと思いまして」


「まだ寝ない」


「主は寝て」


 一番寝なければならないステラに突っ込むが、ステラの意志は固いようだった。


「やだ。起きる」


 というか、本当に眠くなさそうだった。感情的になっているからだろうか。許せないという感情がステラからは滲み出ている。


 彼女は、ある日突然家族を奪われた。故郷を壊され、多くの人々の亡骸を見た。


 だから、その気持ちが人一倍強いのかもしれない。痛みがわかる人だから、優しい人だから、真っ直ぐで純粋だから──だからイヌマルはステラが好きなのだ。主だと心から思って心から呼んで心から慕うのだ。


「じゃあ、寝たくなったら寝て」


 言うことを聞くとは思えなかったが、とりあえず告げる。頷いたステラは本当にわかったのだろうか。

 だが、結局はステラもまだまだ子供だ。作戦会議を続けているうちに眠たくなったのか、多分本人が気づかないうちに寝落ちしてしまった。


 そんなステラを二階に運ぶ為にティアナたちをグリゴレの前に残すようなことはまだできない。

 イヌマルに抱き抱えられてすやすやと眠るステラの寝顔をただ眺めて、思う。やはり自分には主が必要だ。その主はステラ・カートライトだ。それはグロリアでも他の誰でもない。


 自分たちを見守っているであろう猿秋さるあきは、今何を思っているのだろう。



『この世のすべてには意味があるんだよ。覚えておくように』



 その意味はまだわからない。グリゴレとレオが自分たちの前に現れた意味さえ、今のイヌマルにはわからなかった。

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