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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第二章 星の降る地
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九  『正しい決断』

 青い瞳よりも赤い瞳の方が不自然であることを知っている。それでもイヌマルは、紅色に近い赤い瞳がグリゴレの本来の瞳であるとその一瞬で理解した。


「信じていただけました?」


 風が吹く。建物と建物の間を通る風は今までの中で一番強く、グリゴレの髪を無遠慮に乱す。その色は暗いグレーだ。青よりもグリゴレによく似合っている赤は奇妙に光っており、イヌマルはごくりと唾を飲み込む。

 信じてしまったからこそ時計台の上から下りれなかった。イヌマルは吸血鬼という存在だけではなく、亜人という存在そのものをよく知らない。知らないからこそ軽率に動けなかった。動いてしまって怪我を負ったら主のステラも無事では済まない。この体は自分だけのものではないから、イヌマルはじっとグリゴレのことを見つめていた。


 グリゴレは、イヌマルが生まれて初めて見た亜人だった。……いや、レオがカウントされるのならレオが最初に見た亜人になるだろう。レオと初めて会った時、不自然な青い瞳だと思ったが不自然だったのはその瞳だけだった。後はすべて他の人間と変わりはなく、イヌマルはレオという存在をまったく気に留めていなかった。

 亜人と人間には、驚くほどに違いなんてなかった。そのことを認めるのが怖いと一瞬でも思ったのは、こんなにも近くに亜人が潜んでいると知ってしまったからだろう。そして、正体を明かされない限りその存在に気づくことが一生ないのだと知ってしまったからだろう。


 悲しくて認め難いことだったが、聖職者たちがジルに対してあれほどまでに酷い行動に走れる理由がわかった気がした。

 ジルが亜人だとわかっているから楽なのだ。そうだとわからない亜人がこの町に──いや、この国には確かにいて、そんな彼らが人に紛れて生きている可能性が少しでもあるから彼らは皆恐怖する。そして、その人数が少数なのかも多数なのかもわからないから、何かが起きた時わかっている相手にすべての感情が向いてしまう。


 大切な人を失ってしまった怒りが。悲しみが。亜人から向けられた確かな悪意と敵意が。そっくりそのまま。場合によっては必要以上に。


 涙を流してしまいそうだった。人でもない、亜人でもない、他国から来たたいした事情も知らないイヌマルでさえこういう風に両者に対して恐怖心を抱くのだ。

 それが何百年と続いているのなら、この国の人と亜人の溝は深い。日本の人と妖怪のように常日頃から殺し合いをしていないだけまだマシなのかもしれないが、ただ悲しいとイヌマルは思った。


「なんで涙を流すんですかねぇ」


 呆れた声をかけられる。イヌマルは何も答えられなかった。


「とにかくしっかりしてください。犯人はまだ逮捕されてないんですよ?」


 そうだった。忘れていた。自分のことで精一杯で、この町で今も怯えている人々の身になれなかった。イヌマルは慌てて目元を拭い、辺りを見回す。まだ異変は感じられない。だからといって下りられない。


「場所を変える」


「それはまた何故」


「ここにいても仕方ない。走る」


「貴方は頭を使わないんですねぇ……。まぁ、いいでしょう。私は現場を歩き回って推理するので」


「ダメだ」


「おや。何故ですか?」


「あんたが犯人じゃない証拠は?」


「……そう来ましたか」


 グリゴレは笑わなかった。イヌマルも当然笑わなかった。

 グリゴレとイヌマルはまだ敵だ。仲間ではない。そういう線を最初に示す。


「吸血鬼って、亜人の中では生き残っている方なんですよ? さっきも言った通り私たちは眷属を作ることができるので、被害者たちは私たちの同胞みたいなものですよ。その同胞を殺すわけないじゃないですか」


「殺したのもあんたの言う同胞の吸血鬼だろ」


「えぇ、それはそうですね」


「あんたさっきからちょくちょく俺のこと馬鹿にしてるだろ」


 自分が馬鹿っぽく見えるのか。それとも日本人は馬鹿だと思われているのか。イヌマルは正確に言うと亜人ではなく式神しきがみで、人間ではない。ただ、大体は主である日本人とほとんど変わらないだろう。式神だからどうにかなっているわけでもないと思う。


「いいえまさか」


「あんた、俺のこと人だって思ってないだろ」


 ただ、式神だからこうして距離をとることができていた。人外の動きを見せていたのだからそう思われて当然だ。その証拠にグリゴレはすぐに否定してこない。


「えぇ。貴方は日本の亜人ですか?」


「そうだ」


 嘘のような、嘘ではないような嘘をついた。品定めをするようなその視線は今までのグリゴレからは想像することができず、犯人ではなく身近な吸血鬼をこの場から逃がさないように力を尽くす。

 それで明日被害者が出なければ、グリゴレで決まったも同然だろう。被害者が出てようやくグリゴレのことを信じられる──なんとも酷い話だが、それくらいグリゴレのことを信じることができなかった。


「なのに我が国の〝亜人の掟〟を守ろうと? 素晴らしい人間性ですね」


「褒められても嬉しくない」


「別に喜ばせたいわけではないので構いませんが」


「あっそ」


 段々とグリゴレに冷めた態度を取ってしまう。グリゴレは自分が疑われていることがわかっているらしく、肩を竦めて踵を返す。


「…………」


「下りてきてください。宿に帰って作戦会議をしましょう」


「なんで」


「いつまでもこんなところにいることはできません。そこまで私のことを疑うなら、一晩共にいて白黒はっきりしてしまいましょう」


 それはつまり、被害者が一人出ても構わないと言っているようなものだった。だが、イヌマルもさっき似たようなことを思っていた。


 これは賭けだ。イヌマルにとって本当に大切なのはステラたちで、レオが向こうにいる以上彼女たちの傍からこれ以上離れているのは多分危険で。


「……わかった」


 だから渋々と了承した。それが正しい決断であると信じたかった。

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