八 『強欲な吸血鬼』
「探偵が俺になんの用なんですか?」
警戒してそう尋ねたイヌマルを笑い、グリゴレは元々伸びきっていた背中をさらに伸ばす。とても綺麗な立ち姿だった。イヌマルでは到底真似できないくらいのそれは今まで見てきた誰よりも優雅で、猿秋のことが好きだったイヌマルは悔しくて悔しくて唇を噛む。
アジア人の猿秋の優雅さとはまた違った優雅さを持つ西洋人のグリゴレ・ネグルということで片づけると、グリゴレはしなやかな動きでイヌマルの左側まで歩く。
「────」
驚いて体が硬直した。グリゴレには足音がなかったのだ。その動きは足音を消す動きだったのか。何故そんなことをしたのかがわからなくて、一度グリゴレから距離を取る。
「貴方も犯人を探しているんですよね?」
確信を持った言い方だった。それは探偵として得た知識で出した結論なのか、レオから聞いて出した結論なのか。
グリゴレのことをいまいち信用できないイヌマルは肯定することも否定することもできずにずっと口を閉ざしていた。そんなイヌマルの反応が面白いのかグリゴレはクスクスと笑っており、それに不快感を覚える。
「だったらなんだ」
敬語をやめた。それをするに相応しい相手だと思えなかったからだ。
「だったら、手を組んでいただけないかと思いまして」
「嫌だ」
「なんでですか」
「嫌だ」
何もかもが怪しすぎる。イヌマルの中で弟のレオの好感度は高いのに、何故兄のグリゴレにはこれほどまでに好感度が高くないのだろう。
「ですが、犯人への手がかりがなさすぎて詰まってるんじゃないですか?」
ぴくっと指が動いてしまった。なるべく感情を出さないようにしようとしたのに、どうして体はこれほどまでに正直なのだろう。
「図星ですね」
「違う」
笑って近づいてきたグリゴレの顔を押し返した。その感情がこもっていなさそうな──目が笑っていないような笑顔がイヌマルは大嫌いだった。
「本当にいいんですか? 手を組まなくても」
そう言われると「いい」と断言できなくなる。イヌマルは駒の一つにすぎない。それを動かしているのはステラではなくティアナだと思っているから、彼女の判断が欲しいと思う。
こういう場合、ティアナだったらなんと答えるのだろう。自分たちが証拠を集めることもできずに詰まっているのは本当で、だからこうして犯行現場を抑えようと飛び回っていたわけで。探偵だという彼の力を借りたらあっという間にこの事件が解決するのだろうか。それでジルが死なずに済むなら、その方がいいんじゃないだろうか。
「…………」
その手を取るべきなのだろうと結論づけた。だが、イヌマルだけの判断で決めていいことではないことは変わらず思っていたから頷くことはしなかった。
「もち……」
持ち帰らせてほしい。そういう前に何かが引っかかって言葉が途切れた。
グリゴレの瞳にイヌマルが映っていることではない。それよりも現状一番大切で気にかけるべきことが引っかかっる。
グリゴレ・ネグルは、何故自分と手を組みたいのだろう──。
再びグリゴレに視線を移すと、グリゴレは変わらずイヌマルのことを見つめて微笑んでいた。彼の考えはまったく読めない。手を組んでなんのメリットがあるのかと聞いていいものなのかと迷う。
「何か言いたいことでも?」
そう考えたら山ほどあった。イヌマルは口をもごもごと動かし、どう返答するか迷い、視線をさ迷わせて人気がさらに減っていることに気づく。
「あっ」
「どうしました?」
「犯人! そろそろ動き出すかも!」
「あぁ、確かにそうですね」
慌てて時計台の上に飛び乗り、辺りを見回す。人気がないこともそうだったが、先ほどよりも確実に明かりが減っていた。
「何か見えましたー?」
「何も!」
声を出し、逆に明かりがついている家を探す。イヌマルたちが泊まっている宿の例の部屋二つにはまだ明かりがついていた。それ以外で明かりがついている家は幾つかあったが、どれも不穏な気配は感じない。
やはり狙われるのは明かりがついていない家だろう。そう思うがやはり光届かない場所だ。いくらイヌマルが夜目の効く式神でも、見渡せる家には限りがあった。
「……ッ」
真下まで飛び降りる。すぐ傍に立っていたのはグリゴレで、そんな彼の隣にわざと着地したイヌマルは彼の両肩を鷲掴んだ。
「あんたはどんな情報を持ってるんだ?」
手を組んで、なんの情報も持っていませんと返されたら話にならない。グリゴレはぽかんとした表情を一瞬だけ浮かべたが、「お答えする為には料金が発生してしまいますよ」とすぐに答えた。
「なんで!」
「だって探偵ですもん」
「意味がわからない!」
「お金がないと生きていけません」
「つまり……お金がほしいから手を組めと……?」
だとしたら絶対に手は組みたくない。この手を離してどこか遠い場所に捨ててしまいたいと思うほどに。
「正解です」
瞬間にまた笑ったグリゴレは、今度は命ある笑みをイヌマルに見せていた。お金が欲しくて欲しくて堪らない──そんなどこにでもいるような強欲な人間が、グリゴレ・ネグルという男らしい。
「…………」
あまりにも今までの雰囲気とかけ離れた、無邪気な子供のようにも見える笑顔を前にしてイヌマルは何も言えなくなってしまった。断るような無慈悲さも、もう本当に持ち合わせていなかった。
だが、今のイヌマルには金がない。そもそも生まれてこの方金を持ったことが一度もない。持ち歩いたことだけではなく、握り締めたことさえないのだ。そんなイヌマルがグリゴレに払えるお金はない。
「じゃあいいです」
グリゴレの肩を離して時計台に再び飛び移る。こうなったら手当り次第だ。町中を一日中走り回ってパトロールをすればなんとかなる。そんなないに等しい希望を握り締めて息を吸い込み──
「待ってください!」
──また、グリゴレに引き止められた。
「今度邪魔したら許さないぞ」
イヌマルはもう、グリゴレになんの期待も抱いていない。むしろ見捨ててさえいるのにまだ何か用があるのだろうか。
「一つだけ貴方に情報をあげます。こちらの料金はいただきません」
「いらないです」
関わってはいけない。最早そう思ってもいたからイヌマルはすぐさま拒絶した。
「本当に?」
「いらないです」
もうティアナに殴られてもいい。クレアに叱られてもいいし、グロリアに嫌われてもいい。ステラだけわかってくれたらそれでいい──そう思って、町を見渡す。
「彼女たちの共通点は血液型です」
そして彼の嘘を見破った。
「違うという情報が出回っているようですが、その情報は間違いですよ」
まだ、信じるに足りる情報ではない。嘘を重ねてイヌマルを混乱させようとしているのではないか──
「彼女たちは吸血鬼の眷属なんです」
──その考えは彼のたった一言で打ち砕かれた。
グリゴレは自分へと視線を移したイヌマルのことを簡単に餌にかかった愚者というような目で眺めていた。不自然に青い瞳がイヌマルのことを捉えて離さず、だからこそまたグリゴレへと心を惹きつけられる。
「吸血鬼なんですよ、この一連の犯行の犯人は」
知っていた。だが、何故グリゴレがそのことを知っているのだろう。
「ここだけの話、私、亜人専門の探偵なんです」
こそこそ話をするように口元に手を当てているのに、その声量は決してこそこそ話をするようなものではない。
「…………証拠は?」
食いついてしまった自分を恥じる。だが、出会ってしまったのだからもう少しだけ話を聞いてみるのも悪くはないのかもしれない。
「証拠はありませんけれど、私も吸血鬼なんでわかるんですよ」
「…………は?!」
グリゴレがまた笑顔を見せた。その笑顔は歯が見えるような笑顔で、牙のようなものが確認できる。
イヌマルはまた、グリゴレの不自然に青い瞳を見つめた。不自然に、青いのだ。イヌマルの視線にまた気がついたグリゴレは、自分の目元に触れて何やら指先をごそごそと動かす。
そうして腕を下ろした時に見えたのは、血よりも綺麗な紅の瞳だった。




