六 『デーモン』
「あそこの家が二件目の現場だ」
ティアナが指差した方向を見る。この場所は最初の現場から遠く遠く離れていたが、視界に入る景色は最初の現場と大差なかった。
この町のすべてが同じような景色に見えるのはイヌマルが日本で生まれたからだろうか。一人でこの町に放り出されたら絶対に迷う自信がある。
イヌマルはごくりと唾を飲み込んで、ゆっくりとその家へと歩き出した。
人通りも最初の現場と大差なく、同じことを繰り返しているのではないかと思うくらいにすべてが最初の調査をなぞっている。
「イヌマル!」
振り返ると、ティアナが口元に手を置いてイヌマルによく聞こえるようにしており──周囲の訝しげな視線に気づいて彼女は大きく咳払いをした。
どう考えてもティアナがこの町で一番怪しい。疑われても仕方がないのではと思うが、自分の年齢とほとんど変わらない女性の血をすべて抜くなんてことが同じ女性のティアナにできるわけがない。それは先入観であり偏見かもしれないが、この手の犯人は女性ではなく男性ではないだろうか。そう全員が思っているからティアナは捕まらずに済んでいた。
いや、少しだけ違う。住人が犯人だと思っているのは魔女のジルだ。彼女はティアナのオリジナル体でもあるのだから、住人の中の誰かがジルの顔を知っていたら、ティアナは真っ先に捕らえられて釜茹でにされる。
そのことに気づいてぞっとした。住人に知られているのは魔女があの森に住んでいるという情報だけで、それ以外の情報を持っていないことが救いだった。
「何?」
とりあえず戻ってそんなティアナの顔を覗く。ティアナとジルの年齢差が大きすぎるせいかステラとグロリアと違って二人が似ているとすぐに思うことはないが、やはり同じ顔だ。そう思う。
顔を確認する為でもあったがあまり大声を出さなくて済むようにというイヌマルなりの配慮だったが、何故か「近い」と顔を引っぱたかれでしまった。
「こっちもこっちで被害者の共通点を探す、そう言いたかっただけだ」
ならば呼び止めなくても良かったではないか。式神だからかあまり頬は痛くない。それでも多少は不満でイヌマルはすりすりと頬を撫でる。
「もちろん証拠も持ってくるですヨ」
近づいてきたクレアに向かって顎を引く。持ってこなかったら怒り狂ってしまう──そう思うほどにクレアはイヌマルをきっと睨んでいた。
「イヌマルだけが頼りです。頼んだですヨ」
グロリアはぐっと拳を握ってイヌマルを応援し、ちょこちょこと近づいてきたステラはイヌマルに何かを差し出す。
「これ……もし良かったら使って」
そう言ってステラが見せてきたのは、一年以上前からステラが使っているスマホだった。
古城の住人は誰も文明の利器を持っていないが、日本から来たステラはそれを京子から持たされていたことを思い出す。それで時々連絡を取っていることも知っていたが、ステラがそれをイヌマルに触らせることは一度もなかった。
「えっ」
「カメラ。ロックはかけてないし、ボタンを押すことくらいならできるでしょ?」
確かにそう言われたらそうかもしれないが、イヌマルは機械という存在に触ったことが一度もない。ましてやスマホなんて以ての外だ。
「……善処します」
口に出してすごすごと下がる。そして逃げるように走り出し、最初の現場と同じように二件目の現場に侵入した。その家は、イヌマルの想像以上にカビ臭かった。
「……うわ」
そしてまた心が騒ぐ。最初の現場と何も変わらない光景が目の前のリビングに広がっていたからだ。
歩き回って探し出した家族写真の中にいるティアナと同年代の女性を見つけ、最初の被害者と外見上の共通点がないことを知る。これが連続殺人事件だと断定されたのは酷似しすぎた奇っ怪な殺し方だけで、共通点らしい共通点は他には見当たらなかった。
ただ、この町は陽陰町と少しだけ似ている。大きいとは決して言えない小さな町。どこか閉塞感を感じるこの地の住人はほとんどが顔馴染み──とまではいかなくても全員の顔を知っており、部外者が紛れ込んでいたら確実にわかるだろうとは思う。
そういう点でティアナたちは明らかに怪しい部類に入るが、時々この町に下りてきては食料品を調達するとティアナが話していたのをイヌマルはしっかりと聞いていた。だから知っている人は知っている、何かあったら庇ってくれる、そうだと思いたい。
犯人の吸血鬼はこの町に紛れてずっと暮らしていたのだろうか。この事件の為にふらっとこの町に来た部外者なのだろうか。
犯人の犯行時間は夜中であり、誰も犯人の顔を見ていない。だからどちらかだと断言はできない。そして、証拠品はこれだとも断言はできない。
手詰まりだ。イヌマルは警官でも探偵でもないのだからどうしようもない。とりあえず手術器具が散らばったリビングを撮影し、一つを拾う。そして、逃げるように家を出た。
「主!」
気配を辿って隣の通りに出ると、予想通りステラがいた。
陰陽師と式神の絆は強固だ。駆け寄って抱き締めようとし、手術器具を持っていることに気づいてやめる。
「クレアは?」
「あっちにいるよ」
指差した方向へと視線を向けると、クレアがじっと路地裏を見つめていた。そこに何かあるのだろうか。駆け寄ってクレアの名前を呼ぶと、彼女が振り向く。
「イヌマル」
「一体何見て……」
「ここ、変な匂いですヨ」
「匂い?」
そんなにおかしな匂いがするだろうか。式神は視力が優れているが、嗅覚に優れているわけではない。
首を傾げると、イヌマルが持っている手術器具に気がついたクレアに思い切り突き飛ばされた──そう思ったのはイヌマルだけで、突き飛ばすように飛びついてきただけだった。
「これ! 何これですカ!」
「あぁ、現場に落ちてたから拾ってきた」
拾ったらまずいものなのかもしれないが、付着している血液が何かの手がかりになればいい。血液型を調べるものを何も持ってきていない気がするが、イヌマルはクレアに希望を見出していた。というか希望が今のところクレアしかなかった。
「偉いですヨ! イヌマル! なんでこれが回収されてないのかわからないですケド!」
「回収されるの?」
「普通は回収するですヨ! なんでですカ?」
「いや俺に聞かれても」
どういうことなのかと近くにいるグロリアに視線を向ける。グロリアは顎に手を添えて考え込み、「まさか」と眉間に皺を寄せた。
「まさか?」
「犯人を捜査する気がない……ですカ?」
「は?!」
「どういうこと?」
寄ってきたステラが口を挟む。イヌマルはステラの肩に手を置いて、グロリアの衝撃発言の続きを待った。
「ジルを犯人にして、捕まえて、処刑して……それで終わりにするつもりだと思うですヨ」
「なんで……それって本当にどういうこと?」
「あいつらは──聖職者は、そういう奴らですヨ」
「そんな……」
意味がわからない。理解できなかった。ジルを犯人にして処刑する為に、今回の事件の犯人を捜査しないとグロリアはたった今言ったのだ。
「どうしてそうまでしてジルを殺したいんだ……」
「おばあちゃんはこの町に降り注ぐすべての悪の元凶。それがこの町の常識だ」
今までどこかに行っていたのか、ティアナがようやく姿を現す。
「この町で犯罪があったらおばあちゃんのせい。当然犯人は捕まえるけど、犯人が犯罪に走ったのはおばあちゃんが犯人に悪意を植えつけたせい……ってね。それが三世代に渡って続いている。おばあちゃんは不死身じゃないからいつか亡くなってしまうけれど、そうなったとしても、この町の住人は──聖職者たちは、おばあちゃんを殺そうと躍起になるんだろうな」
「聖職者たちは、魔女が不死身じゃないって知ってるですヨ。世界大戦の時大量の魔女が死んだ事実があるですネ。……だから、老いたジルが死ぬ前に仕留めたいんだと思うですヨ」
「そんなの、ひどすぎるよ。ジルは何も悪いことしてないし、殺された人たちもかわいそうだし、ジルが死んでも犯人捕まえなかったら被害者たちいっぱいでちゃうでしょ?」
「多分、あいつら、〝亜人の掟〟知ってるですネ」
「なら、俺たちに全部罪を裁かせて、俺たちに罪を着せるってこと……!?」
酷い。酷すぎる。最低だ。そんな奴らの為に戦ってやる義理はない。だが、被害者たちが増える方が本意ではない。
イヌマルの不満を感じ取ったのだろう。グロリアは乾いた笑みを浮かべ、「だからデーモンなんですヨ」と告げた。
「…………」
グロリアも聖職者といえば聖職者だ。だが、彼女はあの協会と聖職者に異様に詳しく、そしてイヌマルが感じた嫌悪感以上の嫌悪感を抱いている。
その理由を知りたいと思ったが、傷を広げてまで聞きたいとは思わなかった。グロリアはきっとあの協会の出身だ。兄がいると言っていたから、その兄も多分その協会の出身だろう。それだけはなんとなくわかるから、そんな彼女の心が少しでも癒えるようにと願う。
思えば、グロリアが古城にいる理由だけがいつまで経ってもわからなかった。ジルは城主で、ティアナは城主の〝クローン人間〟で、クレアは住人の孫で、花は交換でやってきた〝クローン人間〟だ。
グロリアがどういう経緯で古城に辿り着いたのかはわからないが、協会から逃げ出してきたのならその気持ちは痛いくらいに理解できた。
「あ。そうだ。スマホで撮ってきたんだけど」
「本当か?! 見せろ!」
スマホを奪い取ったティアナだったが、彼女はスマホを扱ったことがない。ステラが使っているところさえ見たことがないのだから壊さないかとひやひやする。
「こうするんだよ」
ステラに教わって例の写真を見たティアナは眉間に皺を寄せ、クレアとグロリアは表情を曇らせ、ステラは一度も見せてもらえないままティアナにスマホを没収された。
今は本当に現代なのだろうか。
中世辺りに転生したかのような気分を味わうほど、何もかもが退化している。
思えば陽陰町もそうだったかもしれない。こういう閉鎖的な町は現代的になれないのかと思って、息苦しくなった。




