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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第二章 星の降る地
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三  『窓』

 何故彼があの家の二階を見上げているのだろう。純粋に意味がわからなくて、不気味に思って足を止める。


 彼の表情は、簡単に言うと死者を悼む人間のそれだった。一年前、百鬼夜行で大切な人を亡くした人々の表情をこの目で見ているから知っている。ただ、恋人に向けるそれだと思うほど悲しんでおらず、家族と表現するにも違和感が残るものだった。


 亡くなった女性と少年は一体どんな関係だったのだろう。記事を見て訪れた野次馬だったら最悪だが、少なくともあの表情は関係者の表情だった。


「あの……」


 声をかけて慌ててしっかりと口を閉ざす。何をしようとしたのだろう。自分は少年の目には見えない存在なのに。

 そう思ったが、少年は風が吹いた瞬間にイヌマルの方へと視線を向けた。その不自然に青い瞳と、目が、合ってしまった。


「……え?」


 しっかりと閉ざした口から声が漏れる。少年はイヌマルから視線を逸らす気がないのか、宿の時と同じようにじっとこちらの様子を伺っていた。


「あの!」


 信じられなくてもう一度声に出す。ぴくりと少年の指先が動いた。それが本当に信じられなかった。少年のあの双眸は、イヌマルをしっかりと捉えていた。


「なんでそこにいるの」


 疑問を口に出す。そして歩き、近づいていく。

 被害者の住居の前に立っているのはこれでイヌマルと少年だけということになった。他の人間はどこにもおらず、気味悪がって避けているのだろうと結論づけてイヌマルは不思議な彼の双眸をじっと見つめる。


「あのぅ……?」


 一メートル以内にまで来たのに、少年はイヌマルのことを見つめるだけで何も言葉を返さなかった。どこか驚いているようにも見えるその表情の意味がまったくわからず、自分が頭のてっぺんから爪先まで他国の装いをしていることに気づく。


「あっ」


 そしてこれは、英語ではなく日本語だった。日本人の血縁者がいないグロリアにもきちんと伝わり、古城に住んでいる人々全員が日本語で話しかけてくれたおかげで公用語が英語だということを時々忘れてしまうのだ。


「はっ、はろー?」


 少年にとってかなりの不審者になってしまった。帰ったらティアナに怒られるだろう。同じ宿の住民に怪しまれたら、あの宿にも住めなくなってしまう。下手をすればすべての宿から宿泊禁止と言われてしまうかもしれない。


「……Hello.」


 なのに、少年は心優しいのかイヌマルのことをあまり怪しむことなく挨拶を返した。テンションは低めのままだったかもしれないが、挨拶だけは、返してくれた。


「〜ッ!」


 それが無性に嬉しくてガッツポーズをとる。そんな感情が伝わったのか、少年は悲しみの表情を和らげてほんの少しだけ口角を上げた。

 コミュニケーションがとれている。宿ですれ違った時はそういうことを嫌がりそうな雰囲気さえ出していたのに、同性同士だからか少年はイヌマルに興味を示していた。


 もしかしたら話が聞けるかもしれない。英語はまったく得意ではないが、一年間英語を話している古城の住民たちの傍にいたのだ。だから、きっと、彼と話せる。


「Why?」


 家を指差して何故と尋ねた。少年は一瞬きょとんとして、再び家へと視線を移す。


「わ、Why……」


 ダメだ。まったく伝わっていない。何故家を見ていたんですか。これは英語でなんと言うのだろう。


「Why、see the house……」


 似たような英文を聞いたことはなかったが、それっぽいものを参考にして再び尋ねる。発音が問題だったのか少年はイヌマルを見つめたまま動かなかったが、しばらくして「No worries.」とだけ返された。


「あー……」


 自分は今何を言われたのだろう。少年はイヌマルに背中を向け、そのまま立ち去っていく。

 呼び止めようと思ったら呼び止められる速度だった。追いかけて背中を鷲掴むこともできただろう。それをしなかったのは、コミュニケーションがとれないからだった。そして、余計なことをしてティアナから怒られたくなかったからだった。


 一つに纏められた暗いグレーの長髪が、尻尾のようにゆらゆらと揺れている様をぼんやりと眺める。その歩き方さえ少年らしさを感じる彼は、一体何者なのだろう。


 その答えはティアナが聞き出してくれると信じて、イヌマルはじっくりと最初の現場となった家を眺める。そして、少年が見ていた二階の窓を注視した。

 当然だが窓は固く閉ざされており、カーテンもかかっているせいで中は見えない。少年が何故ここを見ていたのかと目を凝らすとその窓枠には細かな切り傷がつけられており、事件性を匂わせていた。


「犯人はあそこから侵入したのか……?」


 確か犯人は吸血鬼だったはずだ。空を飛び、窓を開けて、中に入って女性を殺害。そう考えたら辻褄が合うような気がする。

 イヌマルは再び辺りを見回し、まばらに人がいることを確認した。その全員が誰も自分のことを見ていないことを確信して、忍び足で前へと進む。見えていない人間にはどれほど大きな音を出しても聞こえないはずだが、細心の注意を払って規制線を跨ぎ──また数歩進んでそっと家の扉に触れた。それだけなのにどっと疲れが出てきて参る。だが、まだ終わっていない。


 数秒の間だけだったがじっと扉の取っ手を見つめ、それを回す瞬間も細心の注意を払う。何をしても見られない、音を出しても見られない、それでも開かれる扉は見える。だから一番緊張する。

 見られたら殺害された女性のゴーストがいると思われるのだろうか。それはあまりにも可哀想で、開けたらすぐに体を滑り込ませて閉める。


「…………は」


 そして、頭が一瞬真っ白になった。少年が二階を見ていたという理由で二階が本当の現場だと思っていたイヌマルは、目の前のリビングに散らばった大量の手術器具に──切っ先だけ僅かに血がついているそれらに、心臓を鷲掴みにされたのだ。

 息ができない。苦しいと思うのは、そこにあったのが単純な血溜まりじゃないからだ。乾いた大量の血が壁や床にこべりついていたらまだ耐えられたのに、そうではなく──計画的に殺されたかのようなその光景が衝撃的だったのだ。


『この事件の被害者は若い女性で人数は三人。その全員の血を犯人は全部抜いている。そんな殺し方を普通の人間がするはずがない』


 血溜まりなんて、あるはずがなかったのだ。


「…………」


 言葉が出てこない。イヌマルがよく知っている殺され方は、妖怪が行った動物同然の殺し方だった。そして、今回の事件は吸血鬼が行った知性のある人間的な殺し方なのだ。


 殺し方に違いがあるなんて知りたくなかった。汚くなりたくなかったと、主を守る式神しきがみなのに思ってしまう。このままだったら、ステラが吸血鬼に襲われても救えないかもしれないのに。


 そんなのは、嫌だ。その方が、嫌だ。


 イヌマルは落としていた視線を上げ、その双眸にこの光景を焼きつけた。

 全員が寝ている深夜に殺されたのだろうか。リビングのテーブルに置かれていた五人家族の写真を眺めて、何故ここに手術器具が落ちているのかと黙考する。


 視界に入っていた階段へと移動するが、そこには手術器具が落ちていなかった。事件があって数日、今はもう誰も住んでいない軋む階段をゆっくりと上がって廊下を見ても、殺人の形跡はどこにも見えない。


 道路に面した侵入口と思われる窓がある部屋を探して扉を開けると、そこは物置だった。事件後に物置にしたわけではない。本当に最初から物置だったことを積もった埃が教えてくれる。

 警察が一度入ったのだろうか。ところどころ埃が積もっていない──というか軽く払われた形跡が何箇所か見えた。彼らも外観を眺めて傷ついた窓に気づき、徹底的に調べたのだろう。特に人一人が余裕で侵入できる窓周辺には要所要所に埃がなく、イヌマルが探しても新しい証拠を得ることはできなさそうだった。


「犯人はここから入って……」


 だから、自分が吸血鬼になったつもりで行動する。窓を開け、するりと侵入し、足跡をつけないように飛んで扉まで向かって開ける。

 右を見て、正面を見て、左を見た。被害者の女性がどこで寝ていたのか検討がつかない。右に一室と、左に一室、正面に階段とまた別の部屋が見える。


 右の部屋を開けると、青年が使用していそうな部屋が視界に入った。グレーのベッドと木の机、そして本棚というシンプルな部屋を軽く一周してみるが本がなんの本なのかはまったくわからない。ただ、バスケットボールが好きなのか本棚の中にバスケットボールが嵌められていた。

 今度は左の部屋を開ける。すると、どこからどう見ても被害者の女性が使用していそうな部屋で──二つ置かれたベッドに思考が止まった。


 この家の家族は、父母と兄と姉と妹。家族写真を見ているイヌマルはそう認識しており、だからこそ被害者の姉とその妹が同じ部屋で寝ていたことに衝撃を受ける。


 衝撃を受けてばっかりだ。落ち着こう、そう思って探索をするが情報がまったく脳に入らない。殺害された形跡がないことだけはわかり、だとするならばリビングなのだろうと結論づける。

 念の為正面の部屋を開けると、父母の部屋のように見えた。そして、ここにもそんな形跡はなかった。


 一階に下りてリビングを眺める。手術器具が散らばっているだけだと言われたら確かにそうだが、いつまでも見続けていると気分が悪くなり精神が削られてしまいそうだ。

 だからといって逃げるわけにもいかない。他に何かないかと探すが、トイレにも、バスルームにも、血溜まりはない。一番それっぽいのはやはりリビングだ。


 被害者は一体どこにいたのだろう。それさえわからないほどなんの痕跡もないこの家は、かなり不気味で。手術器具を回収したらそんな事件があったという事実がなくなりそうで、恐ろしい。


 ごくりと唾を飲み込んだ。この手術器具が警察に回収されなかったということは、これは凶器ではないのだろうか。

 いや、この事件でいうところの凶器とは一体なんなのだろう。一人で考えてもわからなくて、イヌマルはそっと家を後にする。


 道路を歩いていると、グロリアとステラが遠くにいるのが見えた。二人から離れた場所にクレアとティアナがおり、四人とも近づいてくるイヌマルに気づく。

 その表情を肉眼で見ることはできなかったが、イヌマルはほっと息を吐いた。そして、想像以上に苦しかったのだと知った。

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