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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第二章 星の降る地
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序幕 『スケープゴート』

 騒がしい日々が訪れる。イヌマルは勝手にそう思っていたが、イギリスでの一年は想像以上に穏やかだった。


 人々が暮らす集落から遠く離れた森の古城で暮らしているからか、時の流れがゆっくりとしているような気がする。忙しなく動いている人はいるにはいるが、そんな風に動くクレアは引きこもっていることが多く、研究者として自分がやりたいと思っている研究に常に没頭していた。

 魔女のジルもクレア同様に引きこもっていることが多く、何か良からぬ実験をしているのかと思ったが、これもクレアと同じく研究をしているらしかった。魔女なのになんの研究をするのかと思ったが、魔法道具を制作していると教えてもらって腑に落ちた記憶がある。魔女ではないティアナを助ける魔法道具を制作する──それが彼女の夢らしく、ティアナはそんなジルを家事の片手間に手伝っていた。


 だが、それを羨ましがったクレアに勝手に助手扱いされ、彼女の助手としても働いているとグロリアから聞いたことがある。その様子を目撃することはなかったが、家事以外であまり見かけないティアナはそんな二人の間をしょっちゅう行き来しているのだろう。

 十一歳になったばかりのステラや九歳のはなと五歳ほどしか離れていないように見えるが、ティアナは誰よりも働き者で、ジルの魔法によりこの古城は常に清潔に保たれていた。


 この古城には教会がないが、グロリアは時間があれば神という存在に祈っており、それ以外の時間を弟子の花と共に過ごしている。

 祓魔師ふつましである二人だったがこの古城から滅多に出ないせいで悪魔と遭遇することはないらしく、ジルが契約している悪魔を彼女から呼び出してもらっては退治の練習をし、彼女──悪魔ウェパルから嫌がられていた。


 そして、学校に通っていないステラは日々をぼうっと過ごしていた。イヌマルはそんなステラと色々な遊びをしていたが、あまりにもやることがなくて半年を過ぎた頃には飽き、森の中を散歩して時間を潰すことが増えていた。

 そんなステラにつき添うイヌマルは、自然と魔物に囲まれた日々を過ごす彼女の心が日に日に癒えていくのを感じていた。だが、このままでは不味いような気もしていて焦る。通信制の小学校に入学しているおかげでやることが何もないわけではないが、なんの為に生きているのか──。生きる意味を見失っているようにも見えるステラはあまり笑わなかった。


「主」


 オリジナル体のグロリアと、同じ通信制の小学校に入学している花と、式神しきがみの自分。そんな四人でこの一年の大半を過ごしたステラを呼ぶ。

 六月に入ったばかりの森を探検しているフリをしていたステラは振り返り、「何?」と尋ねた。


「何か……やりたいこととか、ない?」


 これを尋ねたのは何度目だろう。来英した当初は毎日のように言っていたが、ステラが困り出してからはあまり口に出していない。


「別に……」


 また、ステラが困ったような表情をした。やりたいことがない。今までやっていた陰陽師おんみょうじの修行は師が亡くなった時点で続けられるものではない。

 それがわかっていたイヌマルは、ステラに新しい何かを見つけてほしかった。祓魔師になるでもなんでもいいから、何か夢を掬い上げて笑っていてほしかった。


「……イヌマルは?」


 そう来るとは思っていなくてぎょっと目を見開く。自分は式神だ、人間じゃないからそんなことを聞かれても困るのに──ステラもまた人間じゃないからそんなことを聞かれても困るのだろうか。そう思ったら言葉が出てこなかった。


 沈黙。ステラも何も言わず、歩くこともせず、ただ意味のない苦しい時間だけが過ぎていく。


 こんなはずじゃなかった。夜明けだと思ったこの日々は本当に夜明けだったのだろうか、想像以上に何もなくて戸惑いしかない。

 だからといって陽陰おういん町に残ることもできなかった。帰るという選択肢もなく、猿秋さるあきのあの言葉の意味さえまだわからず、途方に暮れる。


 この古城周辺が悪いのだろうか。既にやるべきことがある彼らだからこそここで暮らせて、やるべきことを見つけられないでいる自分たちはもっと都会に出た方がいいのではないだろうか──瞬間、人の気配がした。


「っ」


 ステラはまだ気づいていない。いや、気づいたところでだからなんだという話かもしれないが、この森に人が入ったことはこの一年で一度もなかった。それを知っているから嫌な予感がする。


「イヌマル?」


「主、隠れて」


 ステラの手を引いて、木の影に彼女を押しつけた。気配はまだ遠い、それでも見つかる可能性を少しでも減らそうと努力する。


「ど、どうしたの?」


「……なんか来た」


 それだけしか言えなかった。


「なんかって何? 悪魔ってこと?」


「いや、違う。普通の人間……」


「じゃあ、なんで隠れるの?」


「……の、集団だ」


 だからこんなに早く気配を察知することができた。

 ステラは何が言いたいのかと困惑しているように見えるが、イヌマルだって何が危険かと聞かれたら上手く答えられない。


 それでも異常事態だということはわかる。人間の、集団が、今まで近寄らなかったこの森の中に入っている。

 それのどこに〝安全〟があるのだろう。少なくとも集落の人間ではない自分たちが彼らに見つかってはならない。それだけはわかるからここで大人しく彼らが去るのを待つ。


 聞こえてきた英語は、何を話しているのかわからなかった。遠くの方に見える彼らは全員大人に見える。この気配は怒りだ。憎しみだ。動物がそんな彼らから逃げていく。


「何、あれ」


 ステラの目が捉えたのは、農具だった。そして、昼間なのに燃え盛る松明だった。


「まさか、森を壊す気か……?」


「イヌマル、戻ろう。グロリアたちに話した方がいいかも」


「いや、今動くのは不味い。あの人たちの視界に入らずに逃げるのは厳しいから」


「じゃあせめて、何をしようとしてるのかわかればいいんだけど……」


 古城の住人には日本語が通用するせいで、イヌマルもステラも英語が話せない。ステラは小学校から出された問題文を読む為に英語を勉強しているが、読み書きができるだけで聞き取る能力も今はまだない。


「単語だけでもわからない?」


 イヌマルは何一つ聞き取れなかった。必要がなかったとはいえそれが悔しい。


「……殺す?」


「えっ、何その物騒な単語!」


「わからない、けど、殺してやるって……言ってるような気がするの」


「だ、誰を」


 動物ではないことは容易にわかった。あれほどの怒りを真昼間から動物に向けるのはどう考えてもおかしい、あり得ない、そして何よりも殺されそうな人間をイヌマルは知っているから。



「悪魔を」



 その悪魔と契約した魔女を、知っているから。


「…………」


 絶句している間に彼らは姿を消した。彼らが向かった方向は古城がある方向ではない。それでも危険を感じてステラを担ぎ走り出す。


 駄目だ。駄目だ。これ以上は──



「ッ!」



 ──もう誰も、死なせない。


 迷子にならないようにと近場だけを探検していたのが良いことなのか悪いことなのか。駆け込んで棒を差し込み鍵を差す。


「誰か! いない?!」


 その間にイヌマルから離れて広間を走ったステラは、この城の主であるジルが住む塔の方へと足を向ける。


「いるよ、ここに」


 瞬間に姿を現したのは、ティアナだった。


「ティアナ! 良かった、あのね……」


「わかってる。むしろ気づいて戻ってきてくれて本当に良かった」


「……な、何があったのかわかるの?」


「まぁ。とりあえず来て、もう全員来てるから」


 通されたのは、食堂として使っている大広間だった。主のジルも、クレアも、グロリアも、花もいる。全員が揃うのを見たのは久しぶりで、同時に緊急事態なのだと悟った。


「一体何が?」


「これ……今朝の町の新聞」


 悲しそうな表情で花がテーブルの上に出した面には、大きく何かの事件が取り上げられている。英語が読めないイヌマルにはなんのことだかさっぱりだったが、ステラは全文読めたらしい。


「殺人事件……」


 その単語をステラの口から聞く日が来るとは思わなかった。


「えっ?!」


「そう。近くの町で事件があって、そのあまりにも残酷な手口のせいで町ではとんでもない騒ぎになってるって書いてある」


「それで、その殺人犯を殺す為に町民が森の中に入ってきた……?」


「まぁ、簡単に言うとそういうこと。で、問題なのがその犯人がおばあちゃんだって誤解されてること」


「なんで?!」


「そんな……酷い」


「ジルは昔からスケープゴートです。酷すぎです」


「スケープゴートする犯人、教会の連中です。あいつら昔からそうです、悪魔、最低です」


 クレアとグロリアは侮蔑の目で新聞の一面を眺めているが、こうしている間にも彼らとこの古城の距離は縮まっていく。


「どっ、どうすれば?! あいつらすぐそこまで来てるけど?!」


「ここは見つからないような魔法をかけてるから、大丈夫。こういうのは初めてじゃないから」


 花は新聞紙を抱き締めて、唇をきつく噛み締めた。こういうのというのは殺人事件という意味ではなく、スケープゴートという意味だとイヌマルはちゃんとわかっていた。


「で、さらに問題なのがその犯人」


 犯人が逮捕されるまでの辛抱、一瞬でもそう思ったイヌマルの希望をティアナが砕く。


「この事件の被害者は若い女性で人数は三人。その全員の血を犯人は全部抜いている。そんな殺し方を普通の人間がするはずがない」


「血……?!」


 さらりと恐ろしいことを口にしたティアナは、深いため息をついて頭を抱えた。



「そう。犯人は、吸血鬼かもしれない」



 そしてまたさらりと恐ろしいことを口にして、イヌマルとステラを絶句させる。

 一年前、ステラからその存在を聞いたことはあった。それでもまだファンタジーの中の住人だと思っていたのに。


「だから余計におばあちゃんが疑われる。今までのように事件が風化するまで待つことは……できない」


 始まってしまった魔女狩りは、平和を求めて逃げてきたイヌマルとステラの──そして彼女たちの穏やかな日々を粉々にした。

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