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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第一章 星の目覚め
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終幕 『夜明け』

「もしも〜し」


 振り返ると、バスの乗車場方向に子供がいた。

 緑色がかった黒色の髪は一つで結ばれており、緑色のリボンが揺れる。傷一つついていない真珠のように美しい肌は太陽に照らされて輝いており、身長はそれほど高くない。ステラと同い年かそれよりも幼そうな少女は、日本の着物を緩く着ていた。十字架のネックレスは金色に輝いており、慣れ親しんだ黄色の瞳の中には自分とステラが映っている。


 手を口元に添えて日本語で話しかけてきた日本人の顔立ちをした少女は、にっこりと微笑んでその手を小さく優雅に振った。


「あ、やっとこっち見た。初めまして、キョーダイ」


 どくんどくんと血が騒ぐ。彼女のことをイヌマルは絶対に知っている。あれほど大和撫子を具現化した少女には会った覚えがないのに、血が、少女のことを覚えている。


「サルア……」


 ……キ。ステラがそう呟く直前、彼女が笑顔でこう名乗った。



「わたしの名前は三善花みよしはな、三善猿秋さるあきの〝クローン人間〟だよ」



 その名前は知らなくても、その存在は知っている。彼女はステラと交換された三善家の人間、イヌマルとステラにとっては何もりも大切だった三善猿秋と同じ血を持つ者だった。


「っ」


 隣に立つステラが動揺する。彼女は三善猿秋本人ではない。それでも三善猿秋と重ねてしまう、自分自身もグロリアの〝クローン人間〟なのに。


「Hana」


 知らない声が彼女を呼んだ。金色の髪がその名を呼んだ女性の動きと共に揺れる、その髪色は今まで見たことがない色だ。その顔立ちは花と違って日本人離れしており、蒼い瞳がイヌマルの目を惹く。

 兎耳のように垂れる髪飾りや白衣はどう見ても周囲から浮いており、着物姿の花と共に周りから遠ざけられていた。それでも二人はまったく気にせず、この人混みの中で合流できたことを喜んでいる。何を話しているのかイヌマルとステラにはさっぱりわからなかったが。


「Stella?」


 それでも、人の名ならばわかる。

 ステラは視線を二人から外し、声が聞こえた方へと向けた。そこに立っていたのは、銀色──いや、そう見えるだけで銀色ではない。月白色のふわふわとした長髪や紺青色の瞳には見覚えがあって、そんな彼女は年齢以外の何もかもがステラに酷似した女性だった。


「……グロリア?」


 会ったことはないけど、わたしのオリジナルだから多分すぐにわかると思う。そう言った通りの女性だった。

 シスターの服を着ている彼女も当然周囲から浮いている。花とお揃いの十字架のネックレスを首にかけているグロリアは、片手で自らの口を覆い、呆然とステラのことを眺めていた。


「Gloria」


 花と金髪の女性がグロリアに気づき、やっと傍まで近づいてくる。十歳前後の花と二十歳前後の二人がイヌマルとステラを囲むと、何故か甘い匂いがした。


「ステラ、紹介するね。この人がグロリアで、この人がクレア。生まれた時からお世話になってる、わたしの大切な家族だよ」


 花から紹介された金髪のクレアが柔和に微笑む。日本人離れだと思うが、日本の基準で考えても童顔だということがよくわかる顔立ちだ。そういう部分でグロリアと大きく異なっている。

 二人は何が違うのだろう。クレアからは親しみやすさを感じるが、ステラのオリジナル体であるはずのグロリアには異国の人間であるという認識が外れなかった。


「……あ、ステラ・カートライトです。で、こっちがわたしの──式神しきがみのイヌマル」


 瞬間にじんわりと胸が温かくなる。そうであることは二人の共通認識なのに、明言されると気持ちが弾む。


「わっ?! ゴーストじゃないですカ?!」


「えっ、そこに誰かいるですカ?!」


 だが、その驚きのせいで砕け散った。


「おあぁぁあー?!」


 そうだ。そうだった。当たり前のことだったのに忘れていた。自分は陰陽師おんみょうじ半妖はんよう、そして《十八名家じゅうはちめいか》以外の人間からは見えない。それと無縁の暮らしをしている彼女たちがイヌマルを認識できないのは当然だった。


「わぁ! あなたが式神なんだ! すごーい、初めて見た!」


 そんな陰陽師の血が流れているからか、花だけはイヌマルをしっかりとその双眸で捉えていた。

 京子きょうこではない。キジマルでもない。三善猿秋その人とまったく同じ瞳がイヌマルの心を騒がせる。視線を逸らすことはできなかった。これからはそんな目を毎日見なければいけないのだ、それを受け入れることに時間がかかる。慣れることができるだろうかと不安に思う。そんな日々が待っている。


 そーっと伸ばされたクレアの指が悩むイヌマルの腹部に当たった。「うげっ」それがへその辺りだったせいで一瞬胃の中のものを吐きそうになる。

 クレアは当たったことが嬉しかったのかグロリアに笑顔を向けて何かをしきりに話していた。まずい、グロリアも真似をしてイヌマルの体に触れようとしている。


 だが、グロリアはイヌマルに触れることができなかった。


 すり抜けてしまった手を呆然と眺め、すり抜けていることに気づいていない彼女を見下ろす。それをクレアに指摘されたのか、グロリアは慌てて手を引っ込めた。


「イヌマル、大丈夫?」


 尋ねる花に返事をする。痛くも痒くもなかったが、ステラのこれからの家族に触れられない事実が温かくなった胸を抉った。





 事前に聞いていた通り、列車に揺られて二時間ほど。都市部から離れた田舎の駅で下りたイヌマルとステラは辺りの景色をしげしげと眺める。

 日本の中でも古き良き日本家屋が並ぶ陽陰おういん町で暮らしていた二人にとって、この町は田舎町とはいえど新鮮だった。まばたきさえ惜しいと思うものに出会ったのは初めてで、ここがステラの生まれた国なのだと思う。


 陽陰町も広々とした土地だと思っていたが、この町の広さには敵わなかった。牛が歩く緑色の地面が地平線の先まで続いており、地平線さえ存在しなかったあの山々に囲まれた陽陰町がどれほど閉鎖的な空間だったのかを思い知る。

 無数の橋が町を分断する川にかかっており、レンガで造られた家は絵本の中の家のようだった。


「二人とも、こっちだよ〜」


 三人の中で一番日本語が話せるはなに案内される。気づくと三人は自分たちから離れており、停めてあった車に乗ろうとしていた。


「まだかかるの?」


「うん。ここからあと三時間くらい」


「三時間?!」


「わぁっ! び、びっくりした……」


 京子きょうこから聞いていた話と全然違う。ロンドンから二時間だったはずなのに。

 イヌマルはともかく、ステラは長旅のせいで顔には出さないが疲弊していた。そんな彼女の体を気遣っていると、グロリアが心配そうに表情を覗く。


「へ、へーきだよ」


「あなた、あまり無理だめですネ」


「うん、ありがとう」


「はい、どういたまして」


 間違った日本語を使っている気がするが、イヌマルは特に何も言わなかった。大切にしてもらっている、そう感じていても言葉の壁がとてつもなく高い。

 何故クレアとグロリアが日本人でないにも関わらず少しでも日本語を話せるのか、そして何故花がこんな環境でも日本語を話さるのか、尋ねると「後でわかるよ」と笑われた。


 花の言う〝後〟というのは三時間後だろう。


 大人しくクレアが運転する車内で待っていると、町の景色が面白いくらいに変わっていく。レンガの家が多く並んでいた地区から外れると牧草や木々が彼方まで広がっており、その中にぽつんと教会が建っていた。


「あれは見ただめ」


 グロリアがステラに告げる。


「どうして?」


「あれはDemonの家ですカラ」


「デー……モン」


「悪魔だよ」


 英語が伝わらないステラに花が補足をする。それでもステラは納得することができなかった。あそこに建っているのは、紛れもなく神に祈る場所である教会だったから。

 それをイヌマルは知っていた。グロリア・カートライトがシスターだと知っていたから、猿秋さるあきに事前に聞いていたのだ。


「ここからちょっと大変だから、捕まってて」


「え?」


 瞬間に体が浮く。と思ったら落ちて尻を打つ。


「だっ?!」


 凸凹道だった。視線を前方に向けると大きく口を開けた森が車を飲み込む。

 陽陰町の森と同じ森のはずなのに、何かが違った。植わっている木が違うのか、中の気が違うのか。少なくとも妖怪がいるとは思えなかったが、妖怪ではない何かがいることはなんとなくわかる。


「そんなに珍しい?」


 尋ねた花は不思議そうに首を傾げた。


「そりゃ珍しいですよ! 日本の森と全然違いますし」


「そうなの? 森ってどこも同じだと思ってた」


「Hana, who are you talking to?」


「イヌマルだよ」


 グロリアが花の視線を辿る。それでもまったく目が合わない。

 グロリアにはイヌマルの姿が見えず、声も聞こえないようだ。それが当たり前だったはずなのに、相手がグロリアだと心にくる。


 二十歳前後のステラが自分を認識できない、そう誤認してしまいそうになるから。


 凸凹道のおかげでその傷を隠すことはできた。だが、ステラには気づかれていたようでいつの間にか手を握られていた。


「主……」


「大丈夫、イヌマル」


 ステラは微笑む。そんな余裕なんてないはずなのに。


「わたしがイヌマルを守るから」


 かつて、イヌマルがステラに贈った言葉を贈られた。


 ステラと過ごした日々はまだ一ヶ月にも満たないが、師を亡くしたステラは初めて会った時のステラではなかった。そのことがよくわかる笑み。良いことなのか良くないことなのかはまだ判別がつかないが、イヌマルも微笑み返す。


「わたしもイヌマルのこと守るよ」


 右側にはステラが座っていた。そう言った花はイヌマルの左側に座っており、そっと寄り添ってくれる。


「ハナはダメ」


「え? どうして?」


「ダメなものはダメ」


「そんなぁ、ステラだけずるい〜」


 いやいやと駄々をこねる花を助手席に座っていたグロリアが宥める。ステラの師が花のオリジナル体の猿秋ならば、花の師はステラのオリジナル体のグロリアだ。その違いを改めて認識して、祓魔師ふつましでもある二人を交互に見比べる。


 花には陰陽師おんみょうじの血が流れているが、陰陽師の力はあまり感じられない。あの猿秋の〝クローン人間〟のはずなのに、そうではないステラの方が力を持っているような気がする。

 祓魔師のことはわからないが、二人の雰囲気を見ている限り才能がないわけではないのだろう。二つの家が行った実験は成功を収めている、まだそう断言するのは早いかもしれないが。


「ついたですヨ〜」


 クレアが車を適当に停めた。外に出ていく花の後をついていくと、それほど大きくはない古城が目の前に建っていた。


「おあぁぁあー?!」


 気づかなかった。覆うように生い茂っている木々に隠されているからか、まったく気配を感じさせないそれは悪魔が出るかのようなおどろおどろしい雰囲気を纏っている。


「ひっ」


「大丈夫主! 俺が主を守るから!」


「あははっ、大丈夫大丈夫。ゴーストは出ないから」


「だとしても何か出そうだけど……?!」


 そう言って怯えるステラを抱き上げた。本当に幽霊が出てきそうだ、瞬間にテラスから何かが飛び出す。


「ぎゃああああぁあああ?!」


 ステラと一緒に絶叫した。こんなところが似ていても意味はないのに。守れなかったら自分が存在している意味もないのに。


「うるさいぞ」


 降ってきたのは声だった。恐る恐る視線を上げると、箒に跨る十代半ばくらいの少女が自分たちを見下ろしていた。

 心臓が悲鳴を上げる。意味がわからない。なんでそんなことができるんだ、半妖はんようでもないのに。彼女は一体何者なのだろう──。


「ティアナ、ただいま」


「おかえり、ハナ」


 着ている服はグレーの軍服だった。軍人になれるような年齢には見えないが、軍帽の上から魔女が被っているような鍔の広い三角帽子を被っている様を見て彼女は軍人ではないのだと理解する。


「ティアナ?」


 ふわふわにカールされた銀髪のおさげには見覚えがない。群青色の双眸も、必要以上に濃い色で塗られた赤い唇も、イヌマルは知らない。


「ティアナ・シルヴェスターだ」


 彼女が下りてきた瞬間に古城の扉が口を開ける。叫び声を上げたのはやはりイヌマルとステラだけで、クレアとグロリア、そして花は平然とそれを受け入れていた。


「ステラ。私はお前と同じ人間、悪魔と契約した魔女の──ジル・シルヴェスターの〝クローン人間〟だ」


 彼女自身は魔女ではない。彼女が乗る箒を操っている魔女が中にいる。


 開いた扉の先には広間があった。奥に階段があり、そこから左右に分かれて二階に上がれる構造になっている。

 そこに飾られている絵画の目の前。玄関から二十メートルほど離れた場所に、ゆったりとした大きさの黒いローブを身に纏った老婆がいた。


 くすんだ銀色の髪。半分ほど閉じられた群青色の双眸はティアナ・シルヴェスターに通じるものがある。


「おばあちゃん、来たよ」


 日本語で話しかけたティアナは、箒から下りて駆けていった。


「初めまして」


 バリバリと食われる、そんな恐ろしい魔女を想像していたのに彼女は違う。流暢な日本語で挨拶をして微笑む彼女は、ステラのことを歓迎していた。


「私はジル・シルヴェスター。貴方がグロリアの〝クローン人間〟で、貴方は?」


 そういう風にしか見てもらえない憤りを感じたのは一瞬だった。貴方は? それはつまり、イヌマルのことを言っているのか?


「い、イヌマルです」


「初めましてイヌマル。その着物すごく素敵ね」


 言葉にならない感情が駆け巡った。隣に立つティアナとも目が合って、今まで感じていた不安が流れていく。


「ここにいる全員が貴方たちを歓迎するわ。よろしくね」


 さっきまで怖がっていたステラももう大丈夫だった。


「けどおばあちゃん、イヌマルの分の部屋がないけど?」


「そうね。今日だけは花と同室ってことでいいかしら」


「え?!」


「……どうしてわたしとじゃないの」


 意味がわからないことは何度かあったが、これだけはどうしても理解できない。ステラも急に引き裂かれたことに不満を抱いていたようだったが──



「あらそう? 同性と一緒の方がいいと思ったのだけど……」



 ──申し訳なさそうに眉を下げたジルのせいで思考が止まった。


「同性?!」


 きょとんと花が自分を見上げる。何故異性だと思っていたのか、そんな反応だったがよくよく考えたら花は猿秋の〝クローン人間〟だ。女性なわけがない。



『この世のすべてには意味があるんだよ。覚えておくように』



 かつて猿秋はそう言ったが、その意味はまだわからなかった。その意味を探していく場所だったはずなのに最初から躓いてしまう。

 それでもイヌマルは夜明けを見た。それだけは確かだった。

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