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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第一章 星の目覚め
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十七 『町の英雄』

 百鬼夜行が終わって夜が明けても、それを経験したすべての者の心に夜明けは来ない。幼いステラだけではなく京子きょうこの心も休ませる為に、イヌマルは日が沈む前に彼女のことも連れ出した。

 ステラの時もそうだったが、京子も眩しそうに目を細める。太陽の光は彼女たちにとって強すぎたのだろう、町役場前にある広場を歩いて町役場から距離を取る。京子とステラの手を取って歩き出したイヌマルは、瞬時に姿を現したキジマルを視界に入れて全力で叫んだ。


「びっ、びびびび……」


「京子様!」


 生きていることは知っていたはずなのに、キジマルは目の前の光景が信じられないとでも言いたげな双眸で京子の生存を確かめる。

 きっと、イヌマルが知らないところで二人も死闘を繰り広げていたのだろう。京子に怪我らしい怪我は見当たらなかったが、ステラに怪我らしい怪我が見当たらないようにキジマルが死ぬ気で彼女のことを守り抜いたのだろう。少しの情報量でたったそれだけを理解して、たったそれだけを理解できればいいのだと感じて、京子がどこにでも行けるように手を離した。


「ごっ、ご無事で……!」


「無事だよ、キジマル。そっちも無事で……本当に良かった」


 歩き出す彼女の声も言葉も重い。キジマルはキジマルらしくなく──いや、たった数日しか共に生きていないのだから、イヌマルはきっとキジマルという式神しきがみの半分も知らないはずだ。

 目に涙を浮かべた彼は京子に縋りつく一歩手前という風にも見え、そんな彼の写し鏡でもある三善みよし京子という人間がどんな人間であるのかを教えていた。


「あっ、ありがとうございま……いやっ、私が無事なのは当然です! 貴方様が生きている限り私は絶対に死にませんから!」


「必ずしもそうとは限らないだろう。陰陽師おんみょうじと式神は一心同体だが、同じ時に生まれ、同じ時に死ぬわけではない。片方だけが生き残ってしまうことは珍しい話じゃないからね」


 それを経験していたのが猿秋さるあきだった。真相はきっと一生わからずじまいなのだろうが、彼がイヌマルの主ではなかったとしても、イヌマルの最初の主は誰がなんと言おうと猿秋だ。それだけは幾度主が代わろうとも変わらない。


「……えぇ、そうですね。共に生き抜けて……本当に良かっ……」


 瞬間に口を閉ざしたキジマルは、きっと事態を知っていた。


「……イヌマル」


 京子の手を取ってここまで歩いてきたイヌマルへと視線を移し、そして、未だにイヌマルと手を繋いでいる齢九歳のステラを一瞥する。


「よく、頑張りましたね」


 それは飾りのない言葉だった。傷ついた心に染み込む真っ直ぐな言葉は、イヌマルの体に生きる力を与えてくれる。


「キジマルも」


 そんな彼を称えた。今はそうすることしかできなかった。


「ステラ様も」


「もちろん、京子様も」


 死んだ人間は生き返らない。この戦いで多くの人間が亡くなったことをこの場にいる全員が知っている。

 彼らの死を嘆き悲しむことができるのも、この戦いを勝利で終わらせた勇者を称えることができるのも、自分たちだけだった。


「みんな、がんばったよ」


 誰よりも大切なステラがそれを認めてくれている。誰からともなく頷いて、近づいて、抱き締め合う。大切な人の温もりを一瞬でも忘れたくなかった。


 百鬼夜行は終わったが、戦いはまだ終わっていない。


 町役場に集った遺体を片時も忘れていなかったイヌマルは、すべての遺体を回収したことを確認して倒れた陰陽師たちのことを遠くから見ていた。

 今は心身共に疲れ果てた全員が休んでいるが、休息を取った後、また動き出さないといけない。やらなければならないことは戦いが終わった後でも山積みなのだ。それを知っていたから再び頑張る為の力を得る為に三人のことを抱き締めていた。


「あ……」


 風が吹く。何かというのは断言できないが、祝福するようにこの町のすべてを優しく撫でる風だった。


「……見て、あれ」


 ステラが指差した先へと視線を移す。ひらひらと散っているのは、薄桃色の花弁。その花の名前をイヌマルは何故か知っていた。


「さく、ら?」


 呟く。そうだ。あれは桜だ。千年も前からこの地に咲いていて、千年も前からこの地を見守ってくれているもの。

 イヌマルが初めて町役場に来た時は緑色の葉が生えていたのに、百鬼夜行が終わった四月の下旬の今になって狂い咲いている。


「なんで、桜が咲いているんだ……?」


「そう、ですよね? 桜はもう散ったはず……」


 イヌマルが覚えた違和感は正しかった。京子とキジマルの疑問がさらに、桜に対する疑問を深めていく。


「不思議なこともあるもんだね。まるで、生きろって言っているみたいじゃないか」


 町役場を囲むようにして、すべての桜が満開を迎えていた。それだけでも、京子の言う通りこれからを生きていく勇気が湧いてきていた。


「イヌマル、あんたはさ」


 再び風が町を撫でる。温かい春の風だ。陽だまりのようで泣きたくなるのに、イヌマル以上に泣きそうになっている京子を見ていると涙がすっかりと引っ込んでしまった。


「離れ離れになった方が危険だって言ったよね」


「……はい、言いました」


「今だから思うんだよ。今思っても遅いんだけどさ、本当に……離れ離れになったら駄目だったんだね。一緒にいた方が、固まって戦っていた方が、良かったんだね」


「……キョウコ」


 ステラがようやく口を開く。ただ名前を呼んだだけだったが、京子は耐えきれずに涙を流した。とても綺麗に頬を撫でるその雫をイヌマルは見たくなかったが、何故か目を逸らすことができなかった。


「大切な家族なのに、みんな離れ離れになったまま戦って……それっきりなんて、あんまりだ。あんまりだよ」


 握り締められた拳でさえ見たくなかった。そう思うのは、京子が理想の京子から離れていってしまうからだ。別人だと思いたくなかったから、京子はみんなが知っている強くて優しい京子のままでいてほしかったから、京子にはずっと笑っていてほしかったから──。


「前を向いてください、京子様」


 思わず口から出てきた言葉は、京子にとってあまりにも酷だった。


「イヌマル!」


 キジマルに咎められる。それでも、イヌマルは言わなければならない。



「俺の主がそれを望んでいません」



 イヌマルの中に僅かに存在している三善猿秋の──今となっては残滓でしかない感情を。消えてしまう前に、一刻も早く。


「これが猿秋様の願いです。猿秋様が愛していた、ずっと追いかけていた、京子様のお姿です」


 キジマルが黙った。京子も黙っていた。


「残された側が式神だった場合はそう言うんだね」


「え?」


「猿秋が式神に残された側だったってのは知っているだろう? その時はそんなこと一言だって言わなかった。あの子のことを猿秋は一言も話さなくなった。あの子は猿秋の片割れだった、あんたも猿秋の片割れだ」


「俺は……」


「あんたの中には間違いなく猿秋がいる。猿秋よりもあんたの方が特別なんだろうけど、そのことをどうか、誇ってほしい」


「……誇ります!」


 そうせずにはいられない。三善猿秋が何を思って自分を召喚したのかはわからないが、自分を生み出したのは猿秋だ。

 本当に自分の為だったのかもしれないし、本当はステラの為だったのかもしれない。それでも、自分を生み出したのは猿秋だ。例えステラの式神としてこの世界に召喚していたとしても、この地にイヌマルを生み出したのは猿秋なのだ。


 イヌマルは当然猿秋のことを誇っているが、それは京子にも言える。


「だから京子様も誇ってください! 主が俺をこの世界に呼んだことを! 胸張って! 前を見て! 生きてください!」


 百鬼夜行の最前線で戦った自分を生み出した三善家の奇跡を、他でもない彼の、唯一生き残った血を分けた実姉が誇らずに──一体誰が誇るのか。


「あぁ」


 無理矢理微笑む。京子の笑顔はそんな笑顔ではなかったが、今はあの笑顔を得ることが難しかった。


「あたしはあいつの姉であったことを未来永劫誇ってやるよ。それで、やっぱり、あんたらの家族であることを誇るよ」


「……キョウコ、あのね」


 歩き出すステラの足取りは確かで、イヌマルは思わず目を見張る。いつの間にか解けていた手と手は一歩では掴めないほどに離れていた。


「……わたしのこと、家族って言ってくれてありがとう」


 また抱き締める。もう二度とどこにも行かないように、離れ離れにならないように、強く強く抱き締めているようだった。


「すごく、嬉しい。わたしはもう一人じゃないんだって思えるだけで、すごく幸せ。おじさんと、おばさんと、キョウコと、サルアキが、わたしのこと受け入れてくれたことが、今まで生きてきた中で一番幸せ。生まれてきて本当に良かったって思うよ」


「ステラ……」


「わたしはみんなことが大好き。だからやっぱり、すごく悲しい。だから、生きていてくれてありがとう」


「……あんたもね。本当に、今さらなんだろうけど……あんたたちが正しかったよ」


「正しい?」


「離れ離れになって戦うのは良くなかった。離れ離れだったからあれほど多くの犠牲者を出した。共に手を取って戦うことの大切さを、まさかステラとイヌマルから教わるなんてね」


「そんな、俺たちは何も……」


「何もしていない、はないでしょう。貴方たちは間違いなくこの町の英雄です」


 桜の花弁がひらひらとこの町に舞い降りていた。筆舌しがたい美しさを表現するこの町を守った英雄は、間違いなく自分たちではない。


 イヌマルはそのことを知っていた。

 一人の少年を知っていた。

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