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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第一章 星の目覚め
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十六 『主と式神』

 何も見えない。そう理解した瞬間に飛び起きる。全身が痛みで悲鳴を上げたが、朝日が差し込むこの場所が自室であると認識した瞬間に力を抜いた。

 背中が布団の上に落ちる。新しい痛みが走ったが、そんなことはどうでも良かった。


「…………」


 息を吸い込み、吐く。そしてゆっくりと起き上がり、自室を出てキジマルを探した。

 キジマルの気配はちゃんとある。他の式神しきがみの気配もある。キジマルの自室を無音で覗くと、キジマルも先ほどのイヌマルのように布団の上で眠っていた。


 良かった。無事だった。安堵して座り込んでしまいそうになるが、この家にはまだ式神がいる。一人一人を確認しないと気が済まない。

 だが、そうして確認した結果、何人かが部屋にいないことに気づいてしまった。その中の二人は、猿秋さるあき京子きょうこの両親に仕えていた式神だった。


 嫌な予感が痛む全身を駆け巡る。自分自身に何も異常がない以上、猿秋と──そしてステラは無事なんだろうが、三善みよし家はきっと無事ではない。


 瞬間移動をして姿を現したのは、猿秋の隣だった。猿秋の隣に行くと決めて飛んだのだから、猿秋の隣に立つのは当然のことだ。

 だが、猿秋は立っていなかった。大怪我を負っていたのだから寝ているのは当然だと思っていたが、啜り泣くステラと京子を見下ろして息を止めた。


「ある……じ?」


 横になっている猿秋の顔の上に、白い布が被せられている。その意味を知っているわけではなかったが、嫌な予感がおんぼろになった全身を再びびりびりと駆け巡って心臓を強く握り締めた。

 心から吐き気がした。とてつもなく酷い異臭がこの場所に──町役場のロビーに溢れていて、それも含めて倒れてしまいそうだった。頭が痛い。膝が震える。口元を手で覆って両膝をついたステラの隣に腰を下ろした。


「いぬ……まる……」


 震える声でステラが名を呼ぶ。京子に肩を抱き寄せられて、何も言われなくても理解してしまう。


「なんで……」


 猿秋の隣で同じように眠っていたのは、猿秋と京子の両親だった。いなかった式神たちが主としていた猿秋と京子の親族たちも、同じように眠っていた。

 生きていた他の式神たちが主とする三善家の人たちはどこにもいなかったが、三善家の人間の亡骸は現段階で彼らだけなのだろう。そんな彼らを守るようにしてこの場にいたのが京子だった。


「医者が足りなくてはっきりとした死因はどの家もまだ告げられてないんだ。けど……これほどの怪我だ。助からなくても不思議じゃない」


 どの家も。その一言でようやく辺りを見回したイヌマルは、町役場のロビーが死体安置所になっていることに遅れて気がついた。これほどまでに恐ろしい異臭がする原因はこれだったのだ。納得できるのに認めたくなくて目を逸らす。

 出入り口は常に開け放たれており、担架に乗せた誰かを運ぶ人の行き来が激しいことが見て取れた。一階から三階まで吹き抜けの構造になっており、喚起をする為にそこら中の窓が空いているのに、それでも消えない匂いの酷さが百鬼夜行の惨さをありありと表していた。そんな百鬼夜行を生き抜いたという実感が湧かなかった。


「イヌマル、よく無事だったね」


 その言葉が止まった自分の心臓を一突きする。


「お、おれ……主を守れな……」


「そんなことが言いたいんじゃないよ。あんたは絶対に悪くない。むしろよくやってくれた、あんたはこの町の希望の一人だ」


 両親と弟を亡くしたばかりだというのに、京子ははっきりとした口調でイヌマルを励ます。責めることは絶対にしない。その優しさが痛くて苦しい。


「あたしはね、それが……三善家の人間だったことが誇らしい」


 その言葉は、三善家の人間としては本心だったのだろう。だが、三善京子としてはまだ言えていない本心がきっとある。


「あんたも、猿秋も、ステラも、本当によくやってくれたよ」


「なんで……そんなこと……京子様はなんでっ」


「あんたたちの行いは、世界を救ったんだ」


「っ」


「百鬼夜行をここで食い止めなかったら、妖怪たちは全国各地に向かうだろう。外には陰陽師おんみょうじなんて一人もいない。為す術なくすべての人間が死んでいく」


「そんなの……」


「あたしたちには関係ないかもね。けど、見ず知らずの誰かの幸せは守れたんだ。それだけは、お願いだから誇ってほしい」


「でも、わたしは、サルアキに生きててほしかった、おじさんにも、おばさんにも、生きててほしかった。キョウコは違うの……?」


 啜り泣いていたステラの紺青色の瞳から、真珠のように大きな涙が零れ落ちた。その涙はステラの膝の上に落ちたが、イヌマルの凍った心臓の上に落ちて波紋を広げたのは間違いなかった。


「そんなわけない!」


 抱き寄せられていたせいで、京子の悲痛な叫びが鼓膜を襲う。だが、そんなことはどうでも良かった。気にする余裕もなく視線を移した京子の顔は、悲しみに満ち今にも崩れてしまいそうだった。


「……ごめん、ステラ。けど、そう思ってないと駄目になってしまいそうなんだ」


 そんな顔を見たかったわけではない。それでも、悲しみは同じなのだと──いや、それ以上なのだと、そう知れただけで充分すぎるほどの痛みがイヌマルの心を襲いかかった。


「ご、ごめん……キョウコ」


「……いいんだ。こっちも怒鳴って悪かったね」


 沈黙がさらに心というものを壊していく。どこかに逃げ出したい、それでもそんなどこかはもうこの町には存在しない、監視カメラで見たこの町の悲惨な現状を知っているからこそ余計に心が壊れていく。


「ステラ、イヌマル」


 そんな心を拾ってくれるのが京子だった。自分たちよりも辛い思いをしているはずなのに、京子はそうやって自分たちの心を気にかけてくれている。


「二人だけでも無事で良かった、それは本当の本当に本心だよ」


 立ち上がり、自分とステラの背後に立って抱き締めてくれたのも京子だった。


「あたしはね、二人のことだって本当の家族のように思ってる。もちろん、キジマルだってそうさ。だから、いつかは笑ってほしいって思ってる」


 優しい優しい、イヌマルが知っている京子だった。

 こんな状況でも他人に優しい京子はどんな育て方をされたのだろう。今の京子を生み出した家庭は家族の死と共に壊れてしまったが、ステラだけではなく自分まで家族だと言ってくれるとは思わなくて──そんな京子を彼女の式神としてではなく一人の式神として支えていきたいと思ってしまう。


 自分はきっと、猿秋の式神ではなかった。京子の式神でもなかったが、三善家の式神であることに間違いはなかった。


 それが知れただけでもここに来て良かったと本気で思う。周りは地獄と化しているのに、誰よりも大切だった猿秋の姉である京子の素の温かさで目を閉じてしまいそうになる。

 それほどまでに疲れていたのだろうか。あれほどぐっすりと眠っていたのに、体というものは不思議なものだった。


「少し外の空気を吸ってきな。息苦しいだろう」


「でも……」


「ずっとここにいたら疲れるだろう? それに、ここは好き好んでいるような場所じゃない。イヌマルが一緒にいるなら安心だしね」


「……わかった」


 ステラは素直に頷いた。ステラにとっても猿秋は唯一と言っても過言ではないほどに大切な存在だったが、京子の願いを無下にすることはなかった。


 立ち上がり、ずっと座っていたステラを支えて手を繋ぐ。ロビーは広々としていたが、ブルーシートが所狭しと並べられているせいで足の踏み場が通り道用に作られたところしかなかった。

 ステラは靴を脱いでおり、それを持たせて誰かの亡骸の近くを通る。その度に申し訳なさで押し潰されそうになり、ステラに手を握られてなんとか耐えた。通路に出て脱いでいた靴を履かせ、出入り口へと歩き出す。数時間前までここに妖怪がいた。それをイヌマルとステラは知っていたが、まったく感じさせないほどに瘴気はどこかに消えていた。


 ロビーから一歩外に出る直前、気になって一度振り返る。人があまりにも多くいるせいで場所は把握していたはずなのに見失ってしまったが、ようやく見つけた京子は周りで嘆く誰かと同じように背中を丸めて咽び泣いていた。

 そんな姿をステラはあえて見なかった。ステラはその年の割に聡い子だから、わかっていて京子から離れてイヌマルの手を片時も離そうとしなかった。


「そこ、退いてください」


「あっ、すみません」


 退くと、担架に乗せられた誰かの亡骸がすぐ傍を通った。それを運んでいたのはどこかの家の陰陽師で、他の三善家の人間も同じように町中から遺体を回収しているのだと理解する。


 ステラは、ブルーシートで覆われた遺体の凹凸を眺めていた。眺めていただけでなんの反応も示さなかったことが逆に恐ろしく、イヌマルは慌てて町役場からステラを遠ざける。

 当たり前だが、町役場付近に遺体はなかった。ただ、身に覚えのない血溜まりがそこかしこに存在していて、太陽の光によってとっくのとうに乾いてしまっていた。


 眩しそうに目を細めたステラを抱き上げ、日陰になっている場所を探す。酷い匂いはなかったが、ステラは酷い匂いを嗅いでいた自覚がないのかイヌマルのように鼻を気にしたりはしなかった。


「ステラ様、大丈夫?」


 薙ぎ倒されずに済んだ木々の影に入り、彼女の顔を改めて確認する。

 怪我はしていないように見えた。あの時の自分の行いがステラを救ったのだと思って、京子ほどではないが自分を誇る。


 ただ、自分は、猿秋だけを救うことができなかった。京子は否定するだろうが、たった一人しかいない彼の式神としてすべての陰陽師や式神から責めてほしかった。

 きっとビシャモンは責めるだろう。主人を死なせてのうのうと生き残った無能な式神だと言って責めるのだろう。そうでもされないとこの先の永劫とも言うべき人生を歩むことができなかった。


「わたしのせいで……」


 か細い声が聞こえてくる。ステラの声だったからイヌマルが聞き逃すなんてことはあり得ず、その先の言葉がどういったものであるのかをすぐに察す。


「ステラ様のせいじゃない」


 真っ先に否定した。だが、否定されただけで納得できるようなことではないとイヌマルはわかっていた。


「わたしのせいでしょ、わたしのせいで、サルアキは死んだ」


「ステラ様のせいじゃない。俺が未熟だったせいだ」


「違う、イヌマルは戦った。わたしは最後まで戦えなかったし、足、引っ張って…………わたし」


「そんなことない」


 どこかでステラと別れて猿秋と共に町役場まで向かっていたら、猿秋は死なずに済んだのだろうか。いや、その可能性は限りなく低い。


「そんなことあるよ。イヌマル、嘘はつかなくていいから」


「嘘じゃない」


 怪我をしているようには見えなかったが、涙を流し続けた跡が頬にも瞳にも存在していた。泣き腫らして別人のようにも見えるが、彼女がステラ・カートライトであるとイヌマルは本能でわかっている。



「嘘なんてつけない。俺は、ステラ様の式神だから」



 それがすべての真実だった。


「え……」


「俺は、三善猿秋が召喚したステラ・カートライトの式神だ」


「……ちょっと、待って。それってどういうこと?」


「主は自分の式神が俺だって言った。けれど、本当はずっと違ったんだ。少なくとも俺は三善猿秋の式神じゃなかった」


「だからって、どうしてそれがわたしの式神ってことになるの?」


「俺がそう思うからそうなんだよ」


「意味が……わからないよ」


「証拠はないけど説明はできるよ。式神は陰陽師の写し鏡。主は平凡な人だったけど、俺はそうじゃない。俺と同じくらい非凡な人は、三善家にたった一人だけ──」


 ステラの瞳孔が少し開く。瞳孔を開く力さえ今のステラにはどこにもないのだ。



「──それが、わたし?」



 力強く頷く。グロリア・カートライトの、たった一人だけのクローン人間。それがステラ・カートライト。星の名を持つ九歳の少女だ。

 彼女の中には国外の人間の血だけではなく祓魔師ふつましの血も流れており、彼女のオリジナル体はシスターだとも聞いている。そんな彼女の師匠は陰陽師の三善猿秋だ。平凡なはずがない。


「だから、あの時、ステラ様がついてきてくれて本当に良かった。ついて来てくれなかったら俺はあんな風に自分の力を出せてなかったと思う。だから、そんなこと言わないでほしい」


「ねぇ……」


 ステラからまた大きな涙が零れ落ちた。抱き上げていたから、ステラの涙はイヌマルの頬にぽつぽつと当たった。熱いくらいの涙だった。



「……だいすき」



 その言葉にも、膨大な熱が込められていた。

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