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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第一章 星の目覚め
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十五 『最後の希望』

 もう一度空を蹴って高く飛び、町役場の屋上に下り立つ。二人を下ろしてすぐさま猿秋さるあきの方へと視線を移し、改めて猿秋の状態を確認した。

 傷口からの出血が酷い。早く止血しなければと自分の血が騒いで訴えている。


「いやっ……いや、サルアキ!」


 ステラは猿秋を揺さぶろうとしてすぐに止めた。彼を動かすことは、彼を殺すことに等しい。ならば何をすればいいのかと思うが答えはすぐには出てこない。

 イヌマルは自分の袖を力尽くで破って一枚の布にし、猿秋の腕が胴体から切断されないようにと頭を使って固定した。それだけしかできなかった。


 式神しきがみと言えど、所詮は素人のやることだ。これが正しいのかはわからず、かと言って聞く相手はおらず、イヌマルは焦りを覚えながら猿秋のことを呼び続けた。


「……いぬ、まる。すてら」


 痛いはずなのに、猿秋は意識を失うか失わないかの瀬戸際にいる。そうさせているのはこの異常とも言うべき百鬼夜行のせいなのか。それとも、泣いているステラと自分のせいなのか。


「俺、じゃなくて、みんなを……」


 最後まで言わなくても、イヌマルとステラは猿秋の言いたいことを悟ってしまった。猿秋は最初からずっとそう言っていた。だからイヌマルは立ち上がる。


「ここで待っていてください、主!」


 そう言ってすぐに駆け出した。心臓はうるさいくらいにイヌマルの胸を叩いている。体は悲鳴を上げていて、限界に近い。

 それでも屋上のフェンスの上に飛び乗った。


「──ッ!」


 戦慄。改めて屋上から真下を見下ろすと、妖怪が隙間なく群がっていた。あと少しでこの壁を登ってくるだろう、ならば屋上はまったく安全ではない。

 瞬間に九字くじが聞こえてきた。それは決して希望ではなく絶望だ。イヌマルはフェンスの上を走って町役場の周辺を探し、ようやく本人を見つけ出す。


 かなり隙間が空いていたが、結希ゆうきという名の少年は未だに町役場の中に到達していなかった。


 何故──そこまで考えてまた走る。別の方角には共に戦った雪女ゆきおんながいる。彼女は一体どうなったのだろう。そして、自分の目を疑った。

 隙間なく群がる妖怪の隙間。そこに、血だらけの雪女が挟まっていた。それだけだった。


「…………」


 吐きそうになる。何故、と問いたくなる。


「いっ、イヌマル!」


 駆けつけてきたステラの声は折れていなかった。振り返って、猿秋の血で汚れた彼女の、紺碧色の瞳を確認する。


「ステラ様は……どうしたい?」


 一瞬、狡い質問かもしれないと思ってしまった。それでも、猿秋が戦線離脱をしてしまった以上イヌマルの主代理は他でもない九歳のステラだ。彼女の意思がイヌマルのすべてだ。今の猿秋がなんと言おうと。


「戦う!」


 今まで聞いたことがないほどに大きな声で虚をつかれる。だが、今までの目的と変わらない目的を、こんなことになった瞬間もはっきりと決断してくれたことは救いだった。


「承知致しましたッ!」


 イヌマルのそんな返事にステラの方も虚をつかれる。だが、イヌマルが猿秋の方へと駆けていくのを見るやいなや同じ方向へと駆け出した。


「主!」


「いぬまる……なんで」


「妖怪が壁を登ってきます! 中の方が安全です!」


「……そ、か」


「主! 大丈夫ですからしっかりしてください!」


「…………」


「主!」


「サルアキ!」


 慌てて猿秋の手首に触れる。脈はまだあるようだ。気絶しているだけならまだ安心できる、早く中に入らないと。


「ステラ様、地下へと繋がる場所って知ってます?!」


「ううん、知らない!」


「ッ、どっかに書いてたらいいんですけど!」


「探してみる!」


 戦うことは最優先事項だ。だが、それと同じくらい、猿秋を救うことも優先しなければならない。そして、ここまで来てしまったなら、結希を救うことよりも地下へと通じる場所を守らなければならないと感じていた。

 焦る。だから判断を誤りそうで恐れる。妖怪よりも先に地下通路を見つけ出さなければ、避難した人たちは全滅してしまうのだから。それだけは避けなければならないことだった。


 階段を一気に駆け下りる。三階建ての広い建物はデザインを重視していてもやはり避難場所なのだろう。あっという間に一階まで下り、わかってはいたが出入り口のガラスに張りついている妖怪に肝を冷やした。


「ッ、待ってイヌマル!」


「え、なんで……ステラ様?!」


 そんな出入り口へと駆け出していくステラのせいでさらに肝を冷やす。何故──すぐに追いかけ、ガラスに札が貼られているのを視認した。


「これは……」


「退魔の札! でも、そろそろ切れちゃう!」


「切れる?!」


「うん、だから……!」


 ステラがポケットから取り出してガラスの自動ドアに貼ったのは、猿秋が彼女に預けていた例の札だった。


「……ッ! いいんですね、ステラ様」


「いい! だから、お願い……もうちょっとだけ、耐えて!」


 願いを込める。そうしたところで元々の効果が強くなるわけではないのだろうが、何故か効果があるような気がしてイヌマルも願った。


「行こう!」


 問題はここからだ。地下へと通じる場所を探し出し、猿秋を中に入れ、そこを死守する。


 地下への入り口が町役場だけではないことは知っていたが、そうすると決めて進んで行かないとステラもイヌマルも折れてしまいそうだった。

 こうなって思う。猿秋は、イヌマルだけではなくステラにとってもすべてだったのだと。ステラの師で、イヌマルの主は誰よりも立派な人だったのだと。


「ステラ様、陰陽師おんみょうじの力でどっちにあるとかわかりませんか?!」


「やってみる……!」


 それは同時に、やってみないとわからないということだった。

 イヌマルはステラを信じて自分自身も瞑目する。背中に背負った猿秋はきっと、そうしなくてもどこに何があるのかはわかるのだろう。それは猿秋がこの町で生まれてこの町で生きてきたからではない。三善みよし家という陰陽師の血が流れているからだ。


 ステラにはそんな陰陽師の血が流れていない。そもそもこの町で生まれたわけでもない。

 この町とは無縁の町で生まれてきた祓魔師ふつましの〝クローン人間〟、それがステラだ。九字を切れたことさえ奇跡だったステラに頼り切るつもりはまったくないが、従者よりも弟子であったステラの方が確実性は高い。


 諦めて両目を開いたイヌマルは辺りを見回し、ステラの顔に汗が浮かんでいるのを見てしまった。


 ──頑張れ。


 無音で応援する。これにもなんの意味もない。それでもやらずにはいられない。


「ッ!」


 瞬間にステラが目を開いた。


「ステラ様?!」


「こっち!」


 成功したのだろうか。信じられない気持ちでステラの後を追いかけるが、ステラが確信を抱いていることは強く伝わってくる。どうしてこれほどまでにステラの感情が流れてくるのだろう──猿秋を背負い直したイヌマルは、広大なロビーの奥へと移動した。

 出入り口の反対側にあるその先には、下へと通じるエスカレーターが存在していた。三階から一階まで駆け下りることができたのに、地下へと通じるものだけがそれらから遠く離れていた。


「お、下りていいんですよね?」


「下りよう!」


 今までは階段を使用していたが、目の前にあるエスカレーターはエスカレーターでも止まっているエスカレーターだった。

 躊躇うことなくエスカレーターの上に飛び乗ったステラは、そのまま止まることなく駆け下りていく。何度かぐらっと揺れているように見えたが、イヌマルはすんなりと地下へと下り、電気が消えた薄暗い廊下を走ってステラを追い越した。


 地下へと下りた瞬間から、地下への入口と思われる扉が奥の方でイヌマルのことを待っていたのだ。

 蔵の扉のように重厚で年季の入ったそれの中央には、円で囲まれた五芒星の印が刻まれている。何かの家紋のようなそれを押し開けると、地下だとは思えないほどに眩しい光がイヌマルのステラの瞳を刺激した。


「ッ?!」


「誰っ……君たち大丈夫か?!」


 すぐに目が慣れることはなかったが、心配している声だということはわかる。人だ。自分たちはやっと避難場所に来れたのだ。


「俺たちは大丈夫です!」


「君は……あの時の大太刀?! てことは猿秋くん、大丈夫なのかい?!」


 あの時がどの時なのか。いや、ここは町役場なのだから町役場に来た時にあの場にいた陰陽師の中の誰かなのだろう。そう思ったら安堵する。


千秋せんしゅう様! 猿秋くんとイヌマルです! 千秋様!」


 そこでようやく、辺りを確認することができた。


 男の陰陽師が身を乗り出して声をかけたのは、階段を下りた先にある広大な部屋にいる王だった。王はその中央に立っており、後ろ姿しか見えないせいで詳細はわからないが目の前の壁一面に設置されている町中の監視カメラを眺めている。


 振り向いた結城ゆうき千秋は、気難しそうな表情でイヌマルを見上げ──さらに眉間に皺を寄せた。


「三善くん……すぐに医務室へと運んであげてくれ。イヌマル、お主は、我に力を貸してほしい」


 猿秋がイヌマルの背中から離れていく。運ばれていく彼を引き止めることはしなかったが、引き離されそうになったステラの手は握り締めた。


「貴方に貸す力はないです! 俺はここを出てステラ様と戦うんで! 町役場が突破されたら避難してる人たち全員困るでしょう?!」


「うむ、そのように命じようと思うとった。すまぬが頼まれてくれるかのぅ」


「はい……あっ、あと何人か来てください! 町役場の前で男の子が戦ってるんです!」


「男の子?! まさか、そやつの名は?!」


 ここに来て初めてぎょっと両目を見開いた千秋には、心当たりがあるのだろうか。



「結希って呼ばれてました!」



 瞬間、彼はこの部屋に集って戦況を確認していたと思われる職員兼陰陽師の彼らに向かって命令をする。


「救うだけでよい! 今すぐ出撃しておくれ!」


 だが、動いたのは朝羽あさはだけだった。他の者は戸惑い、周りの反応を伺っている。それは子供に対する反応ではなかった。


「あの子は我の家族であり未来ある若者である! 芦屋あしやの血も間宮まみやの血も関係なかろう、お主らはそれでも人なのか?!」


「千秋様、落ち着いてください! 戦争に犠牲はつきもの、身内を救う為だけに兵を動かす将がおりますか!」


「ならば私だけでも行きます! いいですね、我らが王よ!」


「一人では行くな! 妖怪に囲まれておるのを知らぬわけではなかろう!」


「ならば誰か! 早く私と来てください!」


「な、なら私が……」


 おずおずと一人が名乗り出ただけだった。他の者にも名乗り出ようという気配はあるが、一歩を踏み出す勇気を持っていないようにも感じた。


「もっとです! あの子はもしかしたら、この町を救えるかもしれない! この町の最後の希望かもしれないから!」


 壁一面の監視カメラがこの町の悲惨な現実を映し出している。壁には血が飛び散り、道路には遺体が無残な形で転がっている。妖怪はほとんど映っておらず、これだけを見たら何がこの町に起こったのか断言できる者はいないだろう。

 最初から希望のある戦いではなかった。絶望を抱えて挑んだ戦いは負けという形で終わろうとしている。それでも、まだ負けていないという勢いで前へ前へと進むのがあの少年だったのだ。


 あの少年を、イヌマルは猿秋やステラと同じくらいに見捨てたくない。


 同じようにそう思っていた雪女のことも救えなかったが、せめてあの少年だけは救えるように。何故か忌み嫌われているとさえ感じるあの少年だけは、救われるように──そう告げて地下から飛び出した。


「イヌマル! どこまで行くの?!」


「ロビーだ!」


 エスカレーターを駆け上がる。足を縺れさせながらついて来るステラからだいぶ離れてロビーへと飛び出したイヌマルは、目の前の光景に目を疑った。


 ロビーは、既に破られていたのだ。


 結希がどこにいるのかはわからないが、気配はまだ残っている。イヌマルは最後の力を振り絞り、納刀していた大太刀を抜刀する。


 最後の最後の最後の戦いだ。次に目を覚ましたら、百鬼夜行は終わっている。


 吠えることもなく。床を蹴ることもなく。余計な力をすべて抜いてイヌマルは妖怪の間に滑り込む。そして払い、斬撃だけで全滅させる。

 ロビーの中に入ろうとする妖怪の方へと足を向けた。自分が自分ではない感覚がまたイヌマルの体を支配したが、今度は周りの声も聞こえている。


 もう、何もかもが大丈夫なような予感がした。予感がしただけで自分のものにできたような感覚はまったくなかった。


 妖怪ではなく自分の呼吸に合わせる。それだけで格段に動きが良くなっているのがわかる。

 誰かに何かを教わったわけではないのに、ここまで動ける。それもイヌマルの才能なのだろうか。それとも──神が助けてくれているのだろうか。


 イヌマルは何もわからない。すべてを知っているのは神だけだ。手足の感覚が消えていく。思考も上手くできなくなった。


 本当に、この日の為だけに神が生み出したかのようなイヌマルは、町役場に集っていた半数の妖怪を退治して地面に倒れる。


「イヌマルッ!」


 視界は真っ暗だった。


「大丈夫……休んでて」


 ただ、それでもステラの声だけは聞こえていた。


「今度はわたしが、守るから」


 その言葉に恐怖した。ステラが遠くに行ってしまうような気がして手を伸ばした。

 何かを掴む。「イヌマル?」ステラの袖だ。「ねえ、離して」この手だけは離さない。「離して!」絶対に守ると決めていた。「ねぇってば!」猿秋の──主の分まで。


 最後の力を振り絞ってステラの首筋に手刀を落とす。ステラは黙った。気絶した。そんな彼女の上に覆い被さり、イヌマルはどくんどくんと脈打つステラと自分の心音を聞く。


 これが、止まる。止まって、しまう。


 止まるのはどうか自分だけにしてほしいと、神に願った。これほど神の役に立ったのだから、最後くらいは叶えてほしい。



「──生きて」



 瞬間に温かい言葉がイヌマルの身を包み込んだ。間近で聞こえてきた言葉だったのに、どこか遠くの誰かがそう語りかけてくるような感じだった。


 その声を、イヌマルは何度か聞いている。


 その声は間違いなく、自分たちの最後の希望である結希の声だった。


 結希はきっと、今この瞬間に生きている者に向けてその言葉を言っている。神に見捨てられかけている自分にも。大怪我を負っている猿秋にも。

 だから、生きようと──心からそう思ってイヌマルは藻掻いた。どう藻掻いたのかはわからないが、死にたくないとだけ強く思った。


 すると、息苦しさが消えていく。この息苦しさは辺りに蔓延る瘴気のせいだった。それが消えたということは一体どういうことだろう。


 やがて、真っ暗だった瞼の向こう側が、明るく輝いたような気がした。

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