十九 『礼』
「イヌマル、これ……」
妖怪を追いかける為に町へと向かっていると、腕の中のステラが声を漏らす。妖怪の数はティアナが言う通り減っていたが、妖怪から溢れ出している瘴気を見ているとそれぞれは決して弱くない──と思う。
「…………」
イヌマルは唇を噛み締めた。イヌマルだけがステラが言いたい言葉を理解することができたから。
「……百鬼夜行?」
イヌマルもそう感じていた。強さが百鬼夜行の時と変わらないならば数が減っていても意味がない。今回もまた人が死ぬ。誰も望んでいないこの戦いで、大切な人を失ってしまう。
「芦屋は全員行っていい!」
遠くから聞こえてきた声は紅葉の声だった。目を凝らすと、紅葉が投げた札が妖怪の群れの中で炸裂して妖怪を無慈悲に殺している。
「──っ」
死ぬのは妖怪もだった。だがそれが、戦争というものだった。
芦屋──それはイヌマルやステラのことではない。イヌマルは強く強くアスファルトの地面を蹴る。
「お待たせッ!」
着地したのは陰陽師の姫である紅葉の傍だ。その場に大切な主であるステラを下ろし、イヌマルはすぐに大太刀を虚空から取り出した。
「主! 行ってくる!」
ティアナたちがすぐそこまで来ていることは、気配できちんと把握している。彼女たちが来ていてもいなくてもイヌマルは妖怪の群れへと突っ込むが、ティアナたちがいるからこそ安心して妖怪の群れの中に突っ込むことができる。仲間のことを信じているからイヌマルは一切躊躇わなかった。
「ステラ! ごめんだけどフォローよろしく!」
「もちろん!」
遅れてきた花のこともティアナたちはきちんと守ってくれるから、イヌマルは戦うことに集中する。紅葉の札だけではどうしてもすべての方向から襲いかかってくる妖怪に対処することができない、それを補う為ならばなんでもする。千秋の娘である彼女のこともイヌマルは絶対に死なせたくなかった。
「イヌマル! 先走るな!」
ティアナの声が遠くから聞こえてくるが、既に妖怪を斬り殺しているイヌマルはもう止まれない。妖怪がイヌマルを強者だと認めて戦いを挑んでくるから──何度も何度も斬り殺しながら先に進んでいくしかないのだ。
「ったく! あいつはいつもいつも!」
「残念ですが、アレの手綱はステラ以外握れませんよ」
「……わたしが呼んだらすぐに戻ってくるから、多分大丈夫だと思うけど」
「呼ばなくてもいい。俺たちが追いつけばいいだけの話だから」
「そうそう! スピードなら負けないもんね〜!」
「…………追跡します」
グリゴレとレオ、エヴァとニコラも到着している。追いかけていた四人の気配も把握していたイヌマルは、頼もしいと思わずにはいられなかった。
妖怪は確かに強くなっている。六年前の百鬼夜行と変わらない。ただ、イヌマルたちも日に日に強くなっているから死の恐怖と隣り合わせであることに変わりなくても幸せを感じてしまうのだ。
六年前百鬼夜行で、イヌマルは誰に頼ることができたのだろう。
こうして共に戦ってくれる仲間がほとんどいなかったから──いても心の底から頼もしいと思わなかったからどんなに命懸けでも幸せを見つけてしまう。
「ほどほどにね! 妖怪は亜人とは違うんだから!」
花の言う通りだったが、四人は素手で妖怪を殺しながらイヌマルの傍まで駆けつけてきた。
「ありがとう!」
「礼を言われるようなことではありませんよ」
「むしろ、わたしの方がありがとうって感じだしぃ?」
「いや、俺もイヌマルには感謝してる」
視線を右側に移すと、グリゴレとエヴァが微笑んでいる。左側に移すと、レオとニコラと目が合った。
「助けてくれてありがとう。イヌマルが俺を助けてくれなかったら、俺は随分と前に死んでいた」
レオはそう言うが、それは少しだけ違うと思う。
グリゴレだけでは暴走したレオを止めることができなかったから、あの時イヌマルやティアナが傍にいなかったら、レオはあの町の人々を全員殺していた。そして最悪、自分を殺しに来た誰かのことも殺し続けて、今でも殺人鬼として生きていたかもしれないのだ。
「わたしも。イヌマルたちが助けてくれたから、イヌマルたちがいてくれたから、救われたんだよ」
エヴァもイヌマルが傍にいなかったらあの村の人々を噛んでいた。ティアナが噛まれなかったらあの村は近いうちに人狼だらけの村になって、周辺の村を襲っていただろう。
大切な幼馴染みであるギルバートを失って、それでも救われたと言ってくれるならば心から嬉しい。ノーラたちと共に生きる未来があった彼女が古城に乗り込んで良かったと思える今になっているならば、嬉しい。
レオも、エヴァも、百鬼夜行に巻き込んでしまったのに。巻き込まれたことを喜んでいるようにも見えた。
「…………わたしは幸せです」
三年前と比べると、その声には熱がこもっているような気がする。本当にそう感じるから、ジルにも聞かせてあげたかったと──不意に涙腺が緩んでしまった。
「クカカカカッ! 死ね死ね死ねぇーい!」
そんな雰囲気を破壊したのはマクシミリアンだ。マクシミリアンが抱えているのはクレアで、マクシーンが抱えているのがグロリア。
「クヒヒヒヒッ! 食べちゃうよぉ!」
二人とも物凄く楽しそうだ。邪魔なクレアとグロリアを下ろした二人は嬉々として戦闘に参加している。
「マクシミリアン! マクシーン! やって!」
そんな中、グロリアが遅れて命令した。
並んで立つクレアとグロリアは逃げる気も隠れる気もないようで、堂々とステラや花の傍にいる。二人は亜人との戦いでもあまり最前線に出てこないが、その佇まいや視線から戦う気が伺えた。
「グロリア! ほい! これ使って!」
「え……銃?!」
「フウがくれたんだよ。妖怪に効くんだって!」
「へぇ……すごい! さすが研究者! マッドサイエンティストとはやってることが違うね!」
「だからマッドサイエンティスト違う! グロリアわたしのこと煽ってる?!」
「え? 煽ってないよ?」
「笑ってる! 笑ってる! わたしのこと馬鹿にしてるんだ!」
「してないよ。クレアのすごさはわたしが一番わかってるから」
二人とも何故そんなことで争っているのだろう。傍にいるステラと花だけではなく、聴力が優れているイヌマルたちでさえ呆れてしまう幼稚な喧嘩だ。それができるくらい二人の心に余裕があるということだから、二人の心配は決してしない。期待通り、イヌマルたち五人の為に援護射撃をしてくれる。そして、マクシミリアンとマクシーンが大はしゃぎしながらこっちに来るから──イヌマルは思わず避けてしまった。
「退いて退いて〜ッ!」
瞬間に聞こえた声には聞き覚えがある。絶対に忘れないと心に誓ったアリアの声だ。アリアは一体どこに──思わず視線を巡らせて、とてつもなく大きな車の上に乗っていることに気づく。アリアが落ちないように抱えているのは、人工半妖姿のアイラだった。
戦闘車に見える車に轢かれないように退かなければならないのは紅葉やステラたちで、彼女たちが退くまで全力で突っ込んでこないだろうが緊張しながらもそれを見守る。
「みんなありがと!」
アリアは真剣な表情で礼を言って周りの状況を確認したが──
「アリアーッ! 今わたしのこと轢き殺すつもりだったでしょ!」
──怒鳴ったクレアに意識を戻されていた。




