十八 『仲間』
長い長い森の中を駆け抜けてイヌマルの双眸にようやく陽陰町の町役場が映り込む。陽陰町を守っていた結界はもうどこにもない、だから、町で高い建物に分類される町役場が目印の一つだった。
「イヌマル! もっと南!」
イヌマルに抱えられたままのステラが指差す先に例の邪気がある。イヌマルはステラを──そして花を落とさないように抱え直して高く高く空を飛んだ。
森の中を抜けて町の中になったから、これからは住宅地の屋根の上を走ることができる。それは六年前の百鬼夜行でもやっていたことだから、これが百鬼夜行でなかったとしても、百鬼夜行を思い出さずにはいられなかった。
「主! 花! 見えてきた!」
イヌマルたちが目指していたのは邪気がある方向だったが、邪悪な気配の持ち主と相対しようと思っていたわけではない。見えてきたのは、箒に乗ったティアナだった。
ティアナが森の中へと下降していくのは、そこに誰かがいるからなのだろう。ティアナの箒にはアイラも乗っており、イヌマルの予想通りその場所にいたのはアリアだった。
「間っ……に! 合った……!」
ティアナたちが邪悪な気配の持ち主と戦う前に来れて本当に良かった。イヌマルはティアナの傍で立ち止まって、アイラを下ろしたティアナのようにステラと花を下ろして一息つく。
すぐにイヌマルの背後に立ったのはついて来た末森と本庄で、「お待たせしましたッ!」と自分たちと同じ服装の──真っ黒な軍服を着たアリアたちに合流する。イヌマルは自分の足で立つことができたが、末森と本庄の式神は支え合わなければ立てないほどに疲れ果てていた。
「ヤクモくんとナナギくんは暫し休息を。陰陽師と人工半妖全員は純血の半妖たちと共に鬼を、他全員でその他の妖怪を退治します。いいですね」
アリアたちのリーダーだと思われる男が勝手に指示を出す。だが、鬼と呼ばれた邪悪な気配の持ち主と戦えるのは妖怪退治に精通している彼らだけ。イヌマルとステラと花以外の古城の住人たちや陰陽師にも半妖にも見えない軍服の男たちには荷が重いだろう。
「みんなをよろしくね!」
去っていったのは、人工半妖のアリアたちだった。その中には当然、アイラと真もいる。真はティアナやイヌマルに視線を向けただけで何も言わなかったが、覚えていてくれたのか微笑みを浮かべていた。ただ、真が行く方向にイヌマルたちも用がある。末森と本庄も自らの足で走っていくから、同じ陰陽師のステラと花も駆けていく。
「主! 花!」
聞こえてくるのは足音だ。足音と合わせて震える大地が鬼の大きさを間接的に知らせており、アイラが急いで蜘蛛の足を出してアイラや真のように姿が変わるタイプの人工半妖ではないアリアを抱える。イヌマルも、ステラと花を再び抱えた。
「あ──」
鬼の気配に紛れていて近づくまで気づかなかったが、鬼の近くで妖怪が溢れているような気配がする。鬼の近くにいるのは──それ以外の場所にいる妖怪よりも強力な妖怪なのだろう。
アリアを抱えるアイラよりも早く真たちが妖怪と交戦する。彼らはそう簡単に怪我を負わないが、人数が圧倒的に足りていないせいか押され気味だ。
「みんな私からなるべく離れないで!」
叫ぶアリアは戦う人工半妖ではない。彼女は次々と真たちの怪我を治していく。
「凄い……!」
声を漏らした花は多分、アリアのような力にずっと憧れていた。アリアの力があれば猿秋は亡くならなかったかもしれないと──イヌマルとステラは悲しくなった。
アリアは片手でアイラに掴まっており、アリアから手を離したアイラも戦闘に加わる。アイラは蜘蛛の糸を両手から出して妖怪を拘束するだけだったが、その妖怪はステラと花をおぶったイヌマルが刀で倒す。アイラが拘束しなければ楽に倒すことができなかっただろう、アイラがいてくれたからイヌマルはステラと花を守りながら戦えた。
「ねぇヌイ! 鬼ってどうやって倒すの!?」
「半妖が力を削って陰陽師が九字を切って倒すんだ! けど、鬼は百メートルくらいあるから九字が届かねぇ! だからまずは転倒させる! その為の罠が今仕掛けられた!」
「えっいつの間に?!」
「私たちが妖怪退治をしている間に!」
巨大で邪悪な鬼をどうやって倒すのかはイヌマルも気になっていたが、どうやら彼らにはとんでもない作戦があるようだ。
「イヌマル! ステラ! 花!」
「ティアナ!」
追いかけてきたのは箒に乗っているティアナだけではない。並走しているのはグリゴレとレオ、エヴァとニコラだ。クレアとグロリアはマクシミリアンとマクシーンに抱えられており、今はまだ戦闘を静観している。
「鬼に近づけるな! 全部倒すぞ!」
アリアたちは先へと走っていったが、イヌマルはティアナに従って彼女たちを追いかけなかった。アイラの援護がないイヌマルは立ち止まってステラと花を揺れる大地に下ろすが──今はここに〝全員〟がいる。〝全員〟がいれば、絶対に負けない。
「了解!」
叫んで抜刀していた刀を構える。ティアナが見せる幻は鬼の進行方向を表しているのだろう、真っ赤な線の先へ妖怪を行かせなければいいのだと理解する。
「ふしゃぁあー!」
真っ先に妖怪の群れへと突っ込んでいったのは、異様に元気なエヴァだ。恐怖心を始めとした感情が欠如しているニコラもエヴァについて行く。
二人は正反対の性格をしているだが、そんな二人だからこそバランスがいい。感情的なエヴァが討ち漏らした妖怪はそれなりにいるが、そんな妖怪にエヴァが気づけないわけがない。だが、ニコラが淡々と蹴りで妖怪の体に穴を空けるから──すぐにステラと花が九字を切る。
「こっちは後ででいい!」
元人間のエヴァと人間の体の一部を使って造られたニコラに気を遣っているのだろう。グリゴレとレオの姿は妖怪の瘴気でほとんど見えなくなっていのに、自分たちよりも誰かのことを心配している。
それは、〝亜人の掟〟を守る為に自分の身を犠牲にし続けた一年前の彼らから何一つとして変わっていなかった。
「──っ」
どこかのタイミングでそれを咎めるべきだったのだろうか。〝亜人の掟〟を守る為に共に戦ってきたイヌマルだったから、そのことはどうしても咎められなかったが──今だけは頼ってほしいと願う。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
その九字を切ったのはステラと花ではない。同じくここで妖怪を倒すことを選んだ末森と本庄だった。
「あっ、ありがとうございます!」
すぐに礼を告げる。自分たちには陰陽師が足りないが──二人には式神の代わりになる誰かがいない。自分たちがその代わりになれるならば、絶対になる。
「お互い様お互い様! 次は俺たちのこと助けてね!」
「末森! こんな時までふざけるな!」
「ふざけてないよ〝余裕〟だよ!」
「余裕じゃないだろ!」
共に行動をしているが仲はそれほど良くないのだろうか。なのに二人の息は陰陽師と式神の主従のようにピッタリだから不思議に思う。
「イヌマル! あっち!」
イヌマルはステラを見ていなかったが、ステラが言うあっちがどの方向なのかはすぐにわかった。多くの妖怪が向かっているのはティアナの幻の赤い線で、鬼に近づこうとしているのだと理解する。
あの場まで行って相手を斬るのは効率が悪い。だが、木々が密集している森の中では斬撃を飛ばすことができない。イヌマルは走り、狙える妖怪から次々に斬撃を飛ばしていく。大きな技を使えれば一気に片づけることができるのに、妖怪はまだ町に出ようとしないからできない。陰陽師と半妖が森で鬼を罠にかけようとしているから、イヌマルたちもここで粘らなければいけないのだ。
「ティアナ! 全部とは言いますが倒しても倒しても湧いて来ますよ?!」
グリゴレは、こちら側の体力の限界を考慮している。力だけ見ればまだ負けていないが、無尽蔵同然の妖怪と自分たちとでは戦力に大きな差があって。一人で何百匹も倒さなければならないのはイヌマルでさえ厳しい。
「──馳せ参じたまえ、ヤクモ!」
「──馳せ参じたまえ、ナナギ!」
末森と本庄が自身の式神の名前を呼ぶ。既に他の式神──結希たちの式神もこの戦いに加わっているのが視界の片隅に入っていたが、たった二人だけ増えただけでは何も変わらなかった。
「わかってる! ただ、そう長くは続かないはずだ! 鬼を罠にかけたら──鬼の瘴気も妖怪も格段に減る!」
ティアナは自分の耳を触っている。耳が気になるのではなく、そこに小型のインカムをつけているのだ。
「倒れるぞ! 衝撃に備えろ!」
ティアナの声は遠くまで離れてしまった式神たちにも届いたのだろう。全員が跳躍して妖怪から距離を取る。瞬時に、今までで──六年という短い人生の中で最も大きな衝撃と揺れがイヌマルの身に襲いかかった。
「きゃっ?!」
「主!」
声はかけるが今までと同じように抱き上げることはできない。ここは戦場のど真ん中、妖怪がすぐ傍にいる中でイヌマルの両手が塞がるのは大袈裟でもなんでもなく死に直結する。
イヌマルたちは大地が揺れると動きを止めるが、妖怪はどんな体勢でも襲いかかってくるから──イヌマルはステラと花だけを庇うことに集中しようとして二人の結界に守られた。
「無理しないで!」
怒ったのは花だ。花はどんな時でも他人の無事を祈っている、ステラにそんな気持ちが一切ないわけではないが、聖職者であるグロリアの弟子だからかその思いは人一倍強かった。
「あっ!」
結界はティアナ、グリゴレ、レオ、エヴァ、ニコラ、クレア、グロリア、マクシミリアン、マクシーンにも張られている。そのすべてに妖怪が張りついていたが、揺れが収まると離れていく。
「町だ!」
彼らが目指す場所は、鬼が倒れたとされる住宅地のようだ。
「追いかけるぞ!」
誰も自分たちには目もくれない。町民は今回も全員避難しているようだから、イヌマルは遠慮なく暴れることができる。
「花! こっちに来い!」
結界を解いた花はティアナの下へと走り箒に跨った。イヌマルはステラを抱え、クレアとグロリアはマクシミリアンとマクシーンに抱えられたまま町を目指す。
鬼を倒せば陽陰町にいる意味がなくなるのかはわからない。ただ、終わりが見えない戦いをするのは今回が初めてではなくて。今までで二番目に味方が多い戦いだと思うから──一番目に味方が多かったのは六年前の百鬼夜行で、それよりは大幅に人数が減ってしまったが、一人一人の顔を見ていると不安が吹き飛ぶ。
あの時も今も命懸けであることに変わりはないが、隣にいてくれる仲間がいるのといないのとでは気持ちが大きく異なっていた。




