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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第六章 星の終着点
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十三 『悲願』

 地面に着地したレオ、グリゴレ、エヴァ、ニコラはすぐに大きく跳躍して阿狐頼あぎつねよりから距離を取る。だが、逃げるわけではないらしい。彼らの目はまだ闘志に満ち溢れていた。

 ティアナも阿狐頼から距離を取っており、彼女からの反撃を受けないように気をつけている。結希ゆうきが阿狐頼に喰われたのは結希本人の意思なのだろう。あれが事故ならば彼らは絶対に結希を助ける、そう信じていたが何が起きたのかは理解したかった。


「レオ! グリゴレ! 結希は?!」


 大太刀を握り直してレオとグリゴレに声が届く距離まで全力で走る。阿狐頼を注視している二人は結希が何をしようとして阿狐頼に喰われたのか知っていたわけではないようだ。首を左右に振って、そのまま人狼姿のエヴァとニコラの無事を確認している。


「よくわかりませんが、彼の安否がわかるのは貴方だけなのでは?」


 イヌマルが知りたいのは妖怪でも亜人でもないただの陰陽師おんみょうじの人間である結希の安否だったが、グリゴレにそう言われてはたと気づいた。陰陽師だからこそ、式神しきがみのイヌマルにしか気づけない力がある。集中して感じることができた結希の陰陽師の力は、阿狐頼の腹部ではなく背中にあった。


「背中だッ!」


 腹部にいると思って背中を攻撃したら結希が傷ついてしまうかもしれない。阿狐頼は人を騙すことが好きなようだ、最悪だ、反吐が出る、何が楽しくて嗤っているのだろう。結希を殺せたと本気で思っているのだろうか。


「だから……首! か尻尾!」


 他の式神たちはどこを狙えばいいのか最初からわかっていたようだった。イヌマルは式神ではないレオ、グリゴレ、エヴァ、ニコラに結希の正確な位置を伝え、阿狐頼の首元に向かって斬撃を飛ばす。

 斬撃は、阿狐頼の首元に当たったが傷一つついていないようだった。


「──は?!」


 イヌマルより一回り以上年上であるはずの小柄な式神三人が既にやられているのだ。近づくのは危険だ、そう判断したたった六年しか生きていないイヌマルに、この場にいる式神全員からの視線が刺さる。


「てっめ……!」


 驚きよりも苛立ちが勝ったのか、真っ黒な式神がイヌマルを睨んだ。真っ白なイヌマルと正反対の色や雰囲気を纏う彼は、よく見るとイヌマルの知らない式神ではなかった。


『──馳せ参じたまえ、ゲンブ』


 六年前、生まれたばかりの頃にイヌマルは彼と会っている。この町の町長の妻──朝羽あさはの式神であるゲンブはイヌマルのことを覚えているようだった。


「どうやったらんなことができんだよ!」


「馬鹿ですか貴方は! そんなことを聞いている暇はないでしょう!」


 唯我独尊、傍若無人、戦闘狂にも見えるゲンブは青い青年の式神に叱られている。さらさらな露草色の長髪は女性のようだが、その体格は男性のもので。穢らわしい空気を祓うかのような清らかな声が人々の心を落ち着かせている。紫色の着物と真っ白な袴、水色の羽織に首に巻かれた真っ白なマフラーのような布、すべてが人々の心を落ち着かせることに役立っている。そんな彼はどこからどう見てもビシャモンではなく、ゲンブを叱ることができるということは朝羽の親族の式神ということだった。


「はぁ〜……、京子きょうこさんの言う通り式神としては相当強いね」


 イヌマルに声をかけたのは、阿狐頼に攻撃をせずに遠巻きに彼女を眺めていた──とてつもなく不気味な見た目をした半妖はんようだった。

 頭部に狐の耳を、腰に九尾を生やしている女性の顔立ちは式神のイヌマルから見てもとても綺麗で息を呑んでしまいそうになる。その顔は、地下都市で見た半妖たちの中にはいなかった。彼女が欠けていた四人の内の一人なのだと気づいて、イヌマルは彼女が欠けることができたであろう理由を見つめる。


 彼女の全身には、妖怪や亜人や悪魔を見慣れているイヌマルでさえ恐ろしいと思う──ぎょろぎょろと辺りを見回す眼球が咲いていた。


 九尾の妖狐の半妖なのか百目の半妖なのかはわからない。もしかしたら両方の半妖なのかもしれない彼女は顔についている双眸でイヌマルを捉えた。

 阿狐頼と戦っているわけではない彼女は敵なのか──味方なのか。敵ならば阿狐頼を守るだろうが、阿狐頼が優勢だと判断しているならば守っていなくても違和感はない。阿狐頼の尾が九尾ではなくても同じ狐の半妖だから、イヌマルはいつでも彼女を斬れるように意識を彼女へと向けた。


「安心して、味方だよ」


 敵意を出したつもりはなかったが、彼女はイヌマルの考えていることを否定する。


「弟クンも──〝結希クン〟も無事だから」


 知りたいことを教えてくれる彼女は、不気味というよりも不思議だった。


「……貴方は?」


妖目熾夏おうましいか。百目と九尾の妖狐の半妖。明日菜あすなちゃんは私の妹だから、君たちが探してくれて嬉しかったよ」


 微笑む彼女は既にイヌマルから視線を外している。双眸や百の目は阿狐頼を捉えており、何故こんな時に笑えるのかと疑問に思う。



『ギャアアァアアアアァッ──!!』



 その答えはすぐに出た。頭が割れてしまいそうな叫び声を上げたのは、阿狐頼だった。

 瞬時にぱっくりと裂けたのは阿狐頼の腹部で、刀を構えた結希と彼に背負われている少女が視界に入る。少女は銀色の髪色と尾を持つ狐の半妖で、表情を歪める結希の両耳を塞いでいた。少女も阿狐頼の叫び声に耐えることができないようだったが、それでも結希のことを守ろうとしている。少女も結希の味方で、結希も少女の味方だから──救う為に阿狐頼に喰われたのだろう。そんな二人を見捨てることはできなかった。


「結希君ッ! 亜紅里あぐりちゃんッ!」


 二人を救おうとしているのはイヌマルだけではない。落ちていく結希の腹部に右腕を回し、左腕で亜紅里ごと抱き締めたのは千里せんりだった。真っ先に飛び出していった千里は何もない空間を蹴り、二人を抱えて着地する。結希も亜紅里と呼ばれた少女もたいした怪我はないようだった。


「良かったっ、無事で!」


「ありがと千里! 悪いけど、ここはいいから今すぐ祠を探してほしい! イザナミも!」


「祠?」


天狐てんこの祠がどこかにあるはずなんだ! それを破壊すれば──」


 結希が喰われていないならばどこを攻撃しても心配することはない。そう思ったイヌマルに、そしてこの場にいる全員に襲いかかってきたのは轟音だった。

 それは阿狐頼の攻撃ではない。空から落ちてきて戦場の中央にめり込んだのは、小さな祠だった。それは、その傍らに降り立った式神二人がやったのだろうか。


「カグツチ?!」


「エンマ!」


 青い式神とゲンブが二人の名を驚きながらも呼んでいる。

 カグツチだと思われる青年の式神は花紺青色の落ち着いた着物を身に纏っており、長身によく似合っている。だが、臙脂色の短髪と顔つきは一目見た時の印象よりも幼く見えた。一方のエンマは十歳にも満たない少女の式神だが、その顔つきは幼い少女のものではない。ニコニコと笑っている彼女の真っ黒な色の双眸は一切笑っておらず──刺繍や金箔もない黒留袖や絡繰人形のような真っ黒な腰までの髪も相俟って、見る者に恐怖を与えていた。


 イヌマルは二人のことを知らない。敵ではないのなら二人を無視し、熾夏に向けていた敵意を再び阿狐頼に向けて斬撃を飛ばした。



『ギャアアァアアアアァッ──!!』



 阿狐頼が喚く。イヌマルの斬撃は阿狐頼の前足を抉ったが、それが効いたわけではないようだった。


「祠……?!」


 カグツチとエンマは、祠をここに落としただけではない。原型がわからないほどに破壊している。

 あれは阿狐頼の祠だったのだろうか。喚いた瞬間に激しさが増した阿狐頼の攻撃は、突っ込んでいく全員の体を掠めていた。


「──ッ!」


 唯一遠くから攻撃することができるイヌマルは、再び斬撃を飛ばして気がついた。先ほどの斬撃も、今の斬撃も──阿狐頼の体をちゃんと傷つけているのだ。


「効いてる!」


 ならば、傷つくとわかっていても攻撃を止めることはできない。例え止めろと言われたとしても。


「俺たちで守るんだ! 今ここで終わらせるんだよ!」


 結希は止めろとは言わなかった。阿狐頼を倒すことは結希の──この町で生まれて、生きて、六年前の百鬼夜行で生き残って今日まで最前線で戦ってきた彼らの悲願なのだ。

 刀を構えたイヌマルは、そしてステラは、そんな彼らの力になる為にここまで来た。やって来たのだ、遠い遠いイギリスから。その思いはこんなところで攻撃をするほどの思いではない。


 ──奴は、三善猿秋みよしさるあきの仇だ。


 周りの身を案じ、戦うことだけを考えていたイヌマルの内側から憎悪が溢れてくる。唾を飲み込む暇も息を吸い込む暇もないままイヌマルは阿狐頼へと突っ込んでいく。

 ジルを憎んだ人々のようだった。人狼を憎んだ人々のようだった。亜人を憎んだイマニュエルのようだった。人々を憎んだ亜人のようだった。


 阿狐頼を殺せば、イヌマルの中の何かが変わるのだろうか。


 自分たちも阿狐頼からの攻撃を受け始めて鮮血の匂いが至るところからするが、自分たちの攻撃も阿狐頼に通っている。大勢の力がたった一つの力を攻撃しているのだ、負けるわけにはいかなかった。


「ティアナさん! ここで下ろしてください!」


 結希もイヌマルと同じように遠くから攻撃をするつもりはないようだった。ティアナの箒に乗って空を飛んでいる結希は再び阿狐頼の真上から落ちていき、阿狐頼の首元へと手を伸ばす。そこに刺さっていたのは──大昔に作られたように見える刀だった。

 結希はそれをあっさりと抜いて、祠の上に立っている青年へと投げる。


「『殺卑孤やひこよ、我に力を与えたまえ』──」


 彼はいつだってただの人間だ。どうすることもできないまま重力に従って落ちていく結希を救うように、優しい風が吹いて微笑む。



「──『人々の記憶から、殺卑孤の名を消し去りたまえ』!」



 あの時も今もその願いが聞こえてくるのはティアナからだった。だが、ティアナが喋っているわけではない。よく見るとティアナの肩に誰かが乗っている。


『それって多分、小人だよな』


 彼女が、小人の半妖だった。結希は結希の最も近い場所にいた数少ない未成年の見た目を持つ式神に抱き留められ、そのまま阿狐頼から離れていく。瞬間、目の前に一本の太い線が見えた。


「あ」


 イヌマルはそれを知っている。ティアナが見せてくる幻だ。その太い線は阿狐頼の右前足に刺さっており、そこを斬れと言われていることを理解する。その右前足には様々な方向から太い線が刺さっていた。

 大人数で斬り落とすつもりなのだろう。式神は主以外の者の言うことを聞くとこが滅多にない。だが、この場にいる式神全員がティアナの指示に従っていた。


 阿狐頼の右前足に集結した八人の式神は、阿狐頼を容易く捉える。誰が誰に合わせようとしなくても、〝その時〟は完全に一致していた。

 阿狐頼は斬り落とされたことに気づいていないのかあの不快な叫び声を辺りに轟かせない。ぐらりと揺れる阿狐頼に嬉々として突っ込んでいった──結希から刀を受け取った青年が左前足を落とすことはできなかったが、稲妻のような傷がつく。


りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜんッ!」


 九字くじを切ったのは真菊まぎくはるだけではなかった。遠くからずっと自分たちを見守っていたステラとはなも九字も切っている。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前ッ!」


 着地した結希の九字も。レオとグリゴレ、エヴァとニコラの蹴りも。阿狐頼を地に沈めさせてまた一歩勝利へと近づく。


「はぁ──ッ!」


 最後にやって来て阿狐頼の首を斬り落としたのは、真っ赤な血に染ったような少女だった。額から二本の角が生えている彼女は鬼の半妖だ。


椿つばき


 結希が彼女の名前を呼ぶ。椿は阿狐頼を斬り落とした刀を握り締めたまま着地して、以降の周囲は今までの轟音が嘘であったかのように静まり返った。ごろごろと転がった阿狐頼の首を誰もが見ていたが、終わったという実感はない。


「まだだッ!」


 やはり、そうなのだろう。苦しそうに胸元を抑えて亜紅里が叫ぶ。斬り落とされた阿狐頼の首からしゅうしゅうとこの世に溢れ出てきたのは、戦場を埋め尽くそうとする瘴気だった。

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