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深潭逆乱舞  作者: 朝日菜
第一章 星の目覚め
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十  『俺たちは』

 町役場に近づけば近づくほどに増えていく妖怪を始末していたのは、イヌマルではなく先を行く猫又ねこまた半妖はんようだった。

 猿秋さるあきよりも年下に見える──いや、子供と言っても過言ではないほどに幼く見える彼女は疲れることを知らないのか、そして、怯えることを知らないのか、強力な妖怪を次々と地獄へと屠っていく。


「すごい……」


 ステラが思わず声を漏らすほど、彼女はイヌマルと同等かそれ以上に強かった。


「……多分、あの子は妖怪の血が濃いんだろうね」


「それって、ほとんど妖怪みたいなもの……ってことですか?」


「そう。だから、あんまり妖怪もあの子のことは見てないでしょ? 同類だって思ってるんだよ、きっと」


「じゃあ、心強いですね!」


 実際、彼女のおかげでイヌマルはかなり近くまで町役場に接近することができていた。彼女がいなかったら不可能だったかもしれない、その不可能を可能にするのが他でもない彼女のような半妖なのだと知る。


「うん、心強い。けど……イヌマル、もう少しだけスピードを上げて」


 猿秋が何故そんなことを頼んだのかはわからなかったが、イヌマルは言われた通り速度を上げた。不安そうに彼女を見つめ続ける猿秋の意図さえわからないのは、やはりイヌマルが猿秋の式神しきがみではないからだろうか。


「主……」


 猿秋に意識を向けようとして思考が止まる。そうなった原因は、視界に入った血飛沫のせいだった。人間や自分とまったく同じ色をした、血飛沫のせいだった。


 その血飛沫を撒き散らして真っ逆さまに落ちていくのは、首と胴体が分かたれた猫又の彼女だった。


「あっ……!」


 変な声が漏れる。首周りがぞわぞわとした感覚に襲われて、鳥肌が立つ。

 吐き気がした。風が運んできたのは、彼女の血の匂いだった。


「……ッ!」


 そういうことだったのかと遅れて気づく。限りなく妖怪に近い存在でも、彼女は人だ。だから傷つき、だから死ぬ。


 目の前を走っていたのに、イヌマルは彼女のことを救えなかった。名前も知らない彼女の死でさえ心が抉られる音がする。これが猿秋やステラだったらと思うと──耐えられそうになかった。


 きっと、彼女にも愛すべき家族がいただろう。そう思ったら、許せなかった。


 妖怪のことも。自分のことも──。


「イヌマル!」


 我に返って右側へと飛ぶ。猿秋を下ろして見据えたのは、彼女を殺した土蜘蛛つちぐもだった。


「ッ!」


 歯を食いしばって恐怖に耐えるステラも下ろし、イヌマルはすぐに抜刀する。土蜘蛛はゆっくりと動いているが、彼女を殺した時のように、攻撃だけは素早かった。


「──ッ!」


 猿秋の結界に守られて命を救われる。だが、吐かれた糸は猿秋の結界を覆い隠し、何も見えなくなってしまった。

 糸の隙間から辛うじて見えた土蜘蛛は構えるイヌマルを狙っており、彼女の血がこべりついた足の一部がイヌマルの怒りを強くする。強く、強く、強くして、熱くなる。


「主! 解いてください!」


「いいんだね?!」


「はい! こいつも俺だけしか狙わないんで!」


「わかった! 行って!」


 崩れた結界の隙間を縫って前へと飛び出した。真上に見えたのは、土蜘蛛の巨大な腹だった。そこまで近くに来ていたのだと改めて理解し、それを裂く為に強く強く屋根を蹴って──


「うばあ?!」


 ──破壊したそこから真っ逆さまに落ちていった。


 即死ではなかったであろう彼女もこんな景色を見ていたのかと一瞬思い、遠ざかっていく土蜘蛛の腹をイヌマルは呆然と見つめていた。


「イヌマル?!」


 あまりにも突然で、受け身さえ取れなかった。全身を床に打ちつけて痛みを感じ、やっと着地したのだと理解する。周りは外ではなく見ず知らずの他人の家の中だった。泣きたくなるくらいに生活感が残ったままの、家の中だった。

 慌てて起き上がり愕然とする。大切な家を壊してしまったことに対する罪悪感が混み上がってきて、テレビ台の上に飾られていた写真に映っている人々を笑顔を目に焼きつけて、反射的に玄関を探す。


「イヌマル! 大丈夫か?! イヌマル!」


「大丈夫です! すぐに出ます!」


 勘で走り回って階段を下り、玄関から出ようとして鍵を開ける。飛び出した外にも、彼女が仕留められなかった妖怪がいた。


「主! 無事ですか?!」


 刀を振って瘴気にし、すぐに飛んで屋根へと上る。

 猿秋は、結界を張り直して耐えていた。ステラはそんな猿秋の背中を見つめていた。


「大丈夫! 任せたよ!」


 猿秋に言われなくても、イヌマルの気配に気づいた土蜘蛛がゆっくりと体の向きを変えていた。

 その隙を逃さない。大太刀を一番近い足に当てて切断し切り、吐かれた糸を刀で巻きとって倒れた土蜘蛛の頭をかち割った。


 殺した者を仕留めても、奪われた命は帰ってこない。この家の持ち主は生きているのだろうかと一瞬考え、犠牲者が陰陽師おんみょうじにしか出ていないことを思い出す。


 半妖も、死んだ。ここまで来れたのは気配を感じる限りイヌマルと猿秋とステラだけだった。


 あの彼女に連れてきてもらった。だから彼女の死だけは無駄にはしない。


「──ッ!」


 弔うことも、立ち止まることも、許されなくなってきた。見える距離に同じくらい強そうな妖怪がいるが、幸いなことに今はまだ狙われていない。

 体を休めている間にも退路は次々と断たれていった。進むも地獄、戻るも地獄、持っていた希望は絶望へと変わり、それでもイヌマルは必死になって突破口を探し続ける。


「──りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん


 猿秋は祈るように九字くじを切った。瘴気がこの一帯だけ少なくなり、息ができるようになったがきっとすぐに息苦しくなるだろうと思う。

 見渡すと、この町全体が瘴気に包み込まれていた。こうなってしまったら妖怪はいつまで経っても溢れ出してくるだろう。


 これが百鬼夜行なのか。こんなにも惨たらしい出来事なのに、百鬼夜行が終わる未来が描けない。


 止まない雨がないように、明けない夜がないように、百鬼夜行もいつかは終わる。そう思えないほどに、徐々に徐々に勝ち筋が消えていった。


 例え自分が百鬼夜行を終わらせる為だけに使わされた式神なのだとしても、一人じゃもうどうすることもできない。猿秋が言っていた半妖がなるべく多く集結しない限り、イヌマルであっても難しい──。


「主、賭けましょう」


「……は? 急にどうしたんだ?」


「大丈夫です! 俺に任せてください!」


「いやだからどういうこと?!」


 相手の射程圏内に入ったことを肌で感じた瞬間に決断を下した。一か八かの賭けに出ることを決めたのだ。考えている暇も、慎重になる暇も、イヌマルにはなかった。

 周りにあの妖怪以外の妖怪がいないことを察知したが故に賭けたのだ。だからすぐに実行に移す。駆け出したイヌマルを支える猿秋は、彼の背中を呆然と眺めるだけだった。


 そんな猿秋に気づかない。猿秋と自分が一心同体でないことを忘れるほどに、追い詰められているのだから。


「イヌマル……あいつは……」


「サルアキ、しっかりして」


「ッ、ステラ」


「イヌマルの主は、サルアキなんでしょ? 心と心がつながってなくても、主なんでしょ?」


 目を見開き、猿秋は笑む。まさか弟子に諭される日が来るなんて。八歳の少女にそんなことを言われる日が来るなんて──考えたこともなかった。


 人生とはなんとまぁ面白いものなのだろう。


 こんなところで終わりたくない。大切な人たちの人生を終わらせたくない。だから猿秋はイヌマルの姿を観察したが、やはり、彼の意図はまったくと言っていいほどわからなかった。


 今までと変わらず妖怪の武器を刀で切り、弱体化に成功させて本体へと切りかかる──だが、イヌマルは、今回だけは刃を相手に向けなかった。


「……は?!」


 切れるわけがない峰を妖怪の体の中心に当て、いつものように力いっぱい振り切る。


 まるで、バットを持った野球選手がボールを彼方まで飛ばしたように──妖怪を彼方の空まで飛ばしたイヌマルは、体を痛めたのか明らかに痛がる素振りを見せて暴れ出した。


「イヌマル?!」


「サルアキッ!」


 イヌマルの怪我を心配する猿秋の注意はステラによって妖怪へと向く。

 未だ空へと上る妖怪は傷口から瘴気を出しており、やがて消えることが確定したが──ならば何故、イヌマルは奴を空へと上げたのか。


「早くッ!」


 妖怪を指差すステラに急かされる。

 なんの先入観もない子供だからわかったのだろう。猿秋はようやくイヌマルの意図を汲み取り、彼方の妖怪に向かって九字を切った。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前ッ!」


 九字が届く範囲内だったことがイヌマルの作戦を成功へと導く。だが、これは本当に賭けだ。誰かが見ていてくれないと意味はない。


 いつものように瘴気になった妖怪は、九字を切ったことによりその存在を跡形もなく消していく。


 町役場に近い場所に、式神と陰陽師が来ていると──それをこの町にいる全員に伝わらないと意味がないのだ。


「……俺たちは、ここにいる」


 だから、みんな、早く来い。


 このメッセージを受け取ることができても、来ない人間はいるだろう。だが、来てくれる人間もいるだろう。


 そんな多くの賭けに勝てるのだろうか。これだけの為に体を変に痛めたイヌマルに呆れるが、イヌマルがタフな式神であることを猿秋はちゃんと知っている。


「……あいつ、馬鹿だなぁ」


「でも、サルアキそっくり」


「ステラは俺が馬鹿だって言ってる?」


「言ってないよ。けど、サルアキはちゃんとイヌマルに応えたから」


 そうさせたのは他でもないステラだった。そんなステラの頭を撫で、猿秋は褒める。


「ありがとう、ステラ」


「別に、わたしは何も……」


「いや。ほら」


「……え?」


 猿秋は空へと指を差した。



「──来た」



 その指の先に出現したのは、とてつもなく大きな氷柱だった。

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