十四 『届けたい者のみに』
グリゴレとレオの隣に落ち、イヌマルはすぐに辺りを見回す。グリゴレとレオはそこそこ高い建物にいたようだ。ロンドンを見下ろすと、竜人たちの動きがよく見える。
「イヌマルが説得を」
「え俺?!」
三人で手分けして説得するものだと思っていた。レオもそれが当たり前というような表情で、先ほどの頼もしさはどこに行ったのだと──イヌマルは少し落胆する。
「軍がすぐそこまで来ています。人ならざる者たちのみしか見ることのできない貴方だからこそ、届けたい者のみに届く言葉がある。わかりますか?」
グリゴレから圧を感じるが、わかるかわからないかだったらわかる。イヌマルは無言で顎を引いた。
「貴方の言葉で言わなくていいです。私が言ったことをそのまま言ってください。レオ、竜人の言語レベルはどうでしたか」
「イヌマル並み」
「レオ?! どういうことだよそれ!」
「余所見しないでください」
「あいたっ?!」
「いいですかイヌマル。ここで、ロンドン全体に貴方の声を響かせます。効率よく、安全に、そして素早く。すぐに悪魔と戦うことになるんですからね」
「わかってる!」
「レオ、鐘の音を」
グリゴレは、イヌマルが食い気味にそう答えることを予期していた。自分が指示する前にレオが鐘を鳴らすことさえも予期していた。
レオが手動でロンドンに鐘の音色を響かせて初めて、イヌマルはここがビッグ・ベンであることに気づく。詳しくは知らないが、ビッグ・ベンは今補修中で稼働を停止しているいはずだ。その鐘が鳴ったのだから、注目しないロンドン市民はいない。竜人も、聞いたことのない音の出処へと視線を向ける。
「竜人! 聞けーっ!」
グリゴレに言われた通り、イヌマルは竜人がわかるほどの簡単な英語で腹から叫ぶ。
「人間! 命! 住処! 奪った! 理由! 悪魔! 人間! 乗っ取ったから!」
無我夢中で叫んでいたが、自分が話した内容の重大さに気づいて思わずグリゴレを見上げる。
ティアナは悪魔が吐いたとしか言わなかった。だからイヌマルは詳細を知らない。だが、先ほど願った通り本当に悪魔の仕業ならば──良かったと思って、受け入れられる。
グリゴレは無言で首を左右に振った。完全に事実というわけではなさそうだが、悪魔が関わっていることに変わりはない。このまま敵を人間から悪魔に変えて押し切るつもりらしい。
「悪は! 悪魔! 悪は! 悪魔! 許せない! 許せない! 許せない!」
全方向から響くのは、イヌマルの声に合わせた「許せない」という短い言葉だ。
「人間! 武器! 持って! 突撃! 悪い悪魔! 場所! ザ・シャード! ロンドン! 一番! 高い! 場所! 突撃! 突撃! 突撃!」
耳を疑った。グリゴレは何を言っているのだろう。
「もういいです」
「もうい──あいたっ?!」
頭ではわかっていたが反射で叫びそうになり、レオに殴られて言葉を飲み込む。
イヌマルの隣に立ったレオが見ているのは、ロンドンの超高層ビル──ザ・シャードだ。ビッグ・ベンからも見えるそれは、近いようで少し遠い。ザ・シャードに行くには、テムズ川に架かるウェストミンスター橋を渡って、東に走らなければならない。
イヌマルは瞬間移動で、グリゴレはレオに抱えられて空を飛べばすぐに辿り着けるだろう。竜人も、一番高い場所と言われれば迷わないはずだ。
「よし! じゃあすぐあそこに……」
「まだです」
「……なんで!」
「軍を止めなければ」
竜人と共にザ・シャードに行けば、軍も追いかけてくるだろう。包囲されれば、イヌマルやグリゴレやレオだけではない。ステラたち古城の住人も命はない。
「どう……やって?」
加減を知らないクレア一人の開発でもあの威力だったのだ。イヌマルも、グリゴレも、そしてレオも、きっと手も足も出ない。
「竜人が移動し終わるまで、テムズ川に沈めます」
「移動し終わったら?」
「ステラと花に、結界を張らせます」
「…………わかった」
巨大な結界を張ることができると、ステラと花は古城で証明している。上手くいけば、イヌマルもグリゴレもレオも心置きなく上位悪魔と戦える。
「行きましょう」
初めて会ったあの頃はまだ、グリゴレに余裕が見えていた。だが、今はまったく見えなかった。