十三 『二人の犬』
悲鳴は今も全方向から聞こえてくる。イヌマルはエヴァと二手に分かれることにし、クレアと真、そしてステラと共にロンドンの街を駆け抜ける。
エヴァと共に行動をするのはニコラとアイラだ。エヴァは野性的で理性的ではないが、アイラがエヴァの理性になる。エヴァがニコラの心になる。ニコラがアイラの盾になる。
あの三人は、足りないものを補い合えるだろう。補えないのがイヌマルが率いている三人だったが、補えなくてもなんとかできる力を持つのがイヌマルだった。
足りない力を補う為に科学の力で兵器を作ったクレアは、大人しくついてくる。ステラは真が走っているのだから抱えられたくないとイヌマルを拒み、最初からずっと走り続けている真は──一切息を上げなかった。
「そこ! いる!」
気配を感じて後続の三人に忠告する。エヴァたちと分かれてから初めての邂逅だ。捕縛できる者はいないが、ステラがいる。
「クレアは下がれ!」
言われなくてもクレアは下がっていた。その表情は険しく、口数は少なく、爆弾はすべて白衣の中にしまっている。視線の先にはステラがおり、中指と人差し指を立てたステラはそれで横線を引いた。完成したのは簡易結界で、一面だけのそれはイヌマルたちと竜人たちを隔てている。
だが、これですべてが終わりではなかった。
ステラが右側に向かって走っていく。イヌマルもステラに合わせて右側へと移動する。
次々と路地裏から大通りに姿を現した竜人の数は、二十三。その内右側にいるのは四で、イヌマルは竜人がステラに近づかないように両者の間に割って入る。だが、それだけでは終われない。竜人を次々と突き飛ばしていく。
それを抵抗せずに受け入れる竜人たちではない。イヌマルを殺そうとしている彼らの手には棍棒が握られており、イヌマルを避けてすぐに大きく振りかぶった。
──遅い。
素早さはあったが、イヌマル相手に大きく振りかぶったのが間違いだった。イヌマルはその間に大太刀を取り出して彼らの両腕を斬ることができる。
そうする前に竜人の頭を蹴飛ばしたのは、ステラでもクレアでもない。連れていってくれと訴えた真だった。
「──まッ?!」
大きく跳躍した彼が竜人を軽々と蹴飛ばしたことにより、イヌマルが相手をしなければならなかった数が一気に半減する。
真はステラやイヌマルから何も聞かされていないが、ステラが陰陽師でイヌマルが式神であることを知っている。陽陰町でずっと妖怪と戦っている人工半妖の彼ならば、クレアにはわからないことがわかる。ステラとイヌマルが狙った位置に何も聞かずとも竜人を蹴飛ばし続ける真にも、ステラとイヌマルが言葉を交わさずに見た未来が見えていた。
「あと何回ですか?!」
その質問は的外れではない。
「二!」
答え、イヌマルは真をまじまじと観察した。
真の頭にはイヌマルにはない本物の犬の耳が生えており、腰辺りには本物の犬の尻尾が生えている。真は、人狼のエヴァの半人半狼姿を犬にしたような人工半妖だった。エヴァのようにすばしっこい彼はエヴァのように野性的ではなく、ステラやイヌマルの動きを見ながら頭を使って竜人を狙った位置に追い込んでいく。
右側にも簡易結界を張ったステラは、最初に張った簡易結界の正面にも結界を張り。
ようやく三人の狙いを察した竜人たちは空いている一面に向かって逃げるが、先回りしたイヌマルと真によって押し戻される。
空いている一面に簡易結界を張れば、全方向を簡易結界によって阻まれた箱庭が完成する。その中に、二十三人の竜人を閉じ込めることに成功していた。
「次!」
捕縛はできない。だが、足止めをすることはできる。
立ち止まっている暇はない。だが、竜人たちを立ち止まらせて、頭を冷やさせる時間はあった。
「イヌマル! 止まれ!」
「え?! 何?! ……ティアナ?!」
イヌマルにその口調で声をかける者も、その声も、ティアナのみだ。
急停止し空を見上げ、箒に誰も乗せていないティアナの下降を待つ。
「軍が動いた! 市街地にいたら巻き込まれる、竜人を説得しろ!」
「せ、説得?」
「そうだ。ここに来る前にレオに会った」
ならばティアナは、あのレオを見たのだろうか。
「レオは竜人を生かすつもりらしいな。私も、竜人が人間の手によって死んだら取り返しがつかないことになると思っている。人間を裁くのは亜人じゃ駄目だ、亜人を裁くのも人間じゃ駄目だ。人間は人間が裁き、亜人は亜人が裁く。人間が許せない気持ちはわかるし、黙っていたら滅ぶのは亜人だ。──けどな、悪魔の手の上で踊ってやる義理はない」
どくんどくんと、心臓が脈を打つ。
「悪魔が吐いた。イヌマルは竜人を説得し、クレアとステラと真はグロリアと合流してほしい」
「説得ならわたしもできる」
「確かにお前らは二人で一人だろうが、軍が動いてるんだぞ。私は竜人をイヌマル、グリゴレ、レオに任せる。これは、三人でさえ〝命懸け〟なんだ」
ティアナの言うことはよくわかる。軍に正面から戦いを挑んで勝てるわけがない。だが、竜人を説得できる確率と軍から生きて帰れる確率が古城の住人の中で最も高いのは、イヌマルたち三人だ。
「だからって……」
「残り全員は〝命懸け〟で悪魔を殺す」
「……え?」
「は?!」
「グロリアが下位悪魔全員を屈服させた。クレア、グロリア、私、エヴァ、ニコラ、ステラ、花、アイラ、真で上位悪魔に戦いを挑む」
「待て待て待て待て! そんなの絶対許さな──」
「グロリアと花はもう動いてる!」
「──ッ」
ならば、行かないという選択肢はない。
「亜人と人間の対立を煽る上位悪魔を一人でも倒せば、亜人も悪魔もしばらくの間は大人しくなる。その間に、〝なんとかする〟んだ」
やらないという選択肢もない。だからティアナとグリゴレはグロリアと花を止めずに動いたのだろう。
グリゴレが動いて、先にティアナがレオに会っているなら、レオも既に動いているはずだ。イヌマルは頷き、ステラに別れの挨拶を告げる。
「イヌマルッ?! 待っ──」
そして、グリゴレとレオの元まで瞬間移動した。