十一 『命懸けの価値』
「何を企んでいるのかきちんと吐けたら、見逃してあげる」
グロリアは、暴れれば暴れるほどに蜘蛛の糸に絡まる悪魔に──冷酷な声色で声をかける。
グロリアの弟子としてグロリアと共に祓魔師の仕事をしていた花は、そんなグロリアを何年も前から知っていた。それがグロリアの本性ではないことも知っていた。
悪魔に格下だと思われてはならない。これが祓魔師の絶対的な唯一の掟だ。
格下だと思われれば祓魔師として何もできない。格上だと認識させて従わせることができなければ、祓うことさえもままならないから──グロリアはいつも、本性に蓋をして心を鬼にする。
祓魔師は信心深い人間ならば誰でもなれるが、誰でもできるわけではない。祓魔師にも才能がある。
グロリアはまだ二十四歳だが、祓魔師界隈の中ではベテランだ。それくらい多くの人間が簡単に辞めていく。それくらい多くの人間が悪魔に侮られて〝喰われて〟いく。
今回の件でグロリアが狙われた理由がそれだろう。グロリアが喰われたら、祓魔師の大半は敵ではない。それくらい脆い世界であることを、悪魔は早々に見抜いていた。グロリアの弟子とはいえ見向きもされなかった花の本性を、見抜いていた。
人数が少ない界隈で花がいつまで経ってもグロリアの弟子から抜け出せないのは、花が心を鬼にすることができないからだ。
いつも隣にグロリアがいてくれたから生き残っているだけで、花自身は実戦ではなんの役にも立っていない。花がどうしても自分に自信を持つことができない理由がこれだった。
陰陽師ならば、優秀な人材になれたのかもしれない。ステラならば、グロリアに認められたのかもしれない。花はいつもそう思っていた。
「吐かないの?」
グロリアを見上げる悪魔二人は、全身に冷や汗を出している。固まって黙ってしまったのは、グロリアの恐ろしさをこの一瞬で理解したからだ。グロリアは無言で片手を上げる。それで何かをするわけではなかったが、男型の悪魔が口を開いた。
「クカッ!? ま、マクシーンが襲おうって! マクシーンは悪い悪魔なんだ!」
「クヒッ!? ち、違うよぉ! マクシミリアンが襲おうって言ったんだよぉ!」
女型の悪魔も大慌てで口を開く。
男型の悪魔──マクシミリアンは片方を売って。女型の悪魔──マクシーンは真逆のことを言う。
グロリアと花にとって、これは日常茶飯事だった。
「嘘吐き」
こんな風に嘘を吐かれたことは初めてではない。何度も何度も経験していることだから、グロリアは祓魔師界隈にとって貴重すぎる人材なのだ。
「クカッ!?」
「クヒッ!?」
蜘蛛の糸によって寄り添えない二人は、それぞれ顔色を真っ青にさせて震え出す。見破れると思っていなかったのだろう、下位悪魔はどの悪魔も最初は絶対に嘘を吐くのに。
「わたしよりも〝ご主人様〟の方が怖い?」
グロリアは真顔のまま問う。人間としての感情が綺麗に削ぎ落とされているからこそ、悪魔は余計にグロリアを怖がる。自分たちが愛し、触れ合い続けた人間の──血肉が通っていない者を理解できないと思うから。
「怖い怖い怖いぃ! どっちもこっちも!」
「そうだよぉ! どっちも怖いんだよぉ!」
マクシミリアンにもマクシーンにも効いている。やはりグロリアは優秀だ、感服する花はグロリアの邪魔にならないように息を止め続ける。
グロリアは、花に尊敬されていることを知っていた。花が自分に自信を持てない理由を知っていた。だが、生き物として異様なまでに気配を消し、ただじっと悪魔を見つめているだけの花にも──悪魔にとっては恐怖の対象だ。意識してしまいもう二度と気配を消すことができなくなることを恐れて本人には伝えてないが、グロリアは花の控えめな性格に救われていた。
「わたしがあなたたちのご主人様よりも格上の存在ではないと?」
刹那、マクシミリアンとマクシーンの動きが同時に止まる。
「…………」
「…………」
二人は答えなかった。だが、悪魔は意外とわかりやすく、悪魔が答えを保留にするのは経験上あり得ないとグロリアと花は踏んでいた。
二択を迫れば、悪魔は必ずどちらかを選ぶ。どちらも選ばない、またはどちらも選ぶもあり得ない。「はい」か「いいえ」の質問を投げると、必ずどちらかを返してくる。
グロリアは──
「それは違う! 違う違う!」
「そう! そうそう! そんなことはないよぉ!」
──その答えを待っていた。悪魔から言質を取れればこちらの勝ちだ。
「もう一度聞くわね。一体何を企んでいるの?」
マクシミリアンとマクシーンは罠にかかったことに気づいていない。
「戦争ー!」
「亜人とぉ! 人間のぉ! 殺し合いー!」
素直に吐いた二人の言うことは、ティアナの言ったことと合致していた。
「やっぱりな」
タイミングを伺ってようやく下りてきたティアナは、背後のグリゴレに視線を移す。
「止めるのか?」
その一言は、あまりにも残酷だ。グリゴレのこれまでの人生の意味を問うている。
「吸血鬼の混血を殺す価値はありました」
グリゴレは、ティアナに合わせて淡々と答えた。
「〝亜人の掟〟を破った亜人を殺す価値も……ありました。──ただ、人間と亜人の戦争を命を懸けてまで止める義理はありません」
グリゴレは、これまでの人生が無に還って、ジルの願いが叶わなくても構わないと思っている。その上、命を懸けて止めようとしているイヌマルたちの心に気づいていない。
「私たちが傷つく理由は、ありません」
ただ、初めて会ったあの日と比べると、今のグリゴレは信じられないほどに古城の住人たちのことを大切に思っている。
花は、それがとても嬉しかった。