3 味気ないふたり
「ねーねー! りりすー!」
もうすっかり日が暮れたフィーリアの執務室。
ランタンの灯りをともして分厚い書類を1枚1枚めくっていくリリスの長い髪を、コロンが引っ張る。
「もうおそいよー。日もくれちゃったし。また明日にしようよー。」
まだ片手でリリスの髪の先を握ったまま、眠たそうに眼をこするコロンに、
「ごめんね、あとちょっとだから。いい子でメリーと待っててね。」
子供をあやすような口調で優しく諭すリリス。
「でもリリス、どうするの? あの人、わりと無理物件寄りじゃない?」
対照的に辛らつな言葉づかいをしたのはメリーだった。
「無理物件」とは、人格的に重大な欠点があったりするお客さんに対して使う業界用語だ。まれに「地雷」ともいわれる。
メリーもまた、リリスの使い魔になってからというもの、すっかり婚活業界に染まってしまっていた。
「メリーまで。そんなこといわないの。彼は……ラルフさんは、ちょっと臆病になってるだけなのよ。」
「沼地の覇王とまで言われたリザードマン族がねぇ……しかも、あんなに高スペックなのに。あとほかに何が足りないっていうのよ。」
「それをお伝えするのも、私たちの仕事よ。」
リリスは手元の膨大な紙に視線を戻すと、また一枚一枚丁寧に目を通しては、めくっていく。
紙の束は、リリスの相談所や、近隣の相談所の候補者のプロフィールを記したものだった。
リリスの言う、ラルフが幸せな結婚をするために「足りない何か」を探せるよう、パートナー候補を探していくのだ。
「んー、これはなかなか……」
残りの紙が3分の1ほどまで減ったとき、リリスの手がふと止まった。
すでに部屋の隅のかごの中で、コロンとメリーは身を寄せ合って眠ってしまっていた。
その姿に、リリスは思わず頬を緩める。
そしてリリスは2人を起こさないよう、小さな声で詠唱して伝書便の妖精を魔法で呼び出すと、その候補者の所属する相談所の主へ手紙を書いた。
◆◇◆◇◆
1週間後、リザードマンのラルフは再びリリスの結婚相談所を訪れる。
業界用語で「お引き合わせ」と言われるお見合いのためだ。
お見合いの相手は、リリスが毎回自分の相談所の登録者の中から推薦する。単に条件のいい女性という観点ではなく、その人に本当に合いそうな人という観点で。
リリスは、結婚とは「お互いの不完全さを埋め合うもの」と考えていた。
人はだれしも不完全で生まれ、不完全なまま生きていく。
不完全だからこそ、生きていくだけで苦しんだり、悲しんだりすることも多い。その隙間を互いに埋め合い、許し合うことで、幸せになれるのだと。
「あの――早すぎましたかね。」
約束した午後2時よりも15分前、遠慮がちに相談所の入口を開けたのはラルフだった。
遅刻しないように来る当たり、やはりエリートの片鱗をうかがわせる。
「いらっしゃーい! りりすー! トカゲさんきたー!」
やはり今回も真っ先に出迎えたのはコロンだった。
ラルフの穏やかな雰囲気が気に入ったのか、尻尾をぶんぶん振って周りをくるくる回っている。
リザードマンに対してあまりいい呼び方とされな「トカゲ」さんという呼び方も、無邪気なコロンがするとかわいらしく見えるようで、ラルフも微笑みながらじゃれつくコロンを撫でていた。
「あ、いらっしゃいませ! もうお相手の方もお越しですよ。」
遅れてリリスとメリーもラルフを出迎える。
「あら、今日はなかなかクールじゃない!」
メリーがラルフの服装を褒める。
今日のラルフは、純白の清潔感ある襟付きシャツに、麻のくるぶし丈のパンツ姿で現れた。
「ハハハ……どうも……」
褒められなれていないのが一見して分かるほど、ラルフは所在なさそうに頭をかいて照れてみせる。
リリスに促されて、ラルフが奥へ進むと、個室スペースに設けられた応接テーブルに、見目麗しいエルフの女性が座っていた。
女性エルフの名は、エルナ。
癖のない真っ直ぐな金髪は胸ほどまでの長さがあり、宝石のように差し込む陽を受けて輝いていた。丸くつぶらな瞳は覗きこめば今にも吸い込まれそうで、ラルフが好きなアイドルを彷彿とさせる長いまつ毛も印象的だ。
しかも聞けば、歳も190歳とエルフの中でもかなり若い。
若く、美しいエルフ。
リザードマンのラルフには、普段近づくことすらできなかった存在だ。
もともとエルフは、この国でも首都ファルシエンか、北方の街リズレルに集落を作って暮らしている者が多い。その気高い性格と主義から、他の種族ともあまり群れることは少ない種族だ。このギークの街でもあまり見かけない。
しかも、男女ともにみな美しい容姿をしており、美醜には人一倍うるさいと言われている。
ラルフは、どうしてリザードマンの自分などに、エルフの女性が紹介されたのか疑問だった。
「ラルフさん、そんなところに突っ立ってないで、どうぞこちらへ。」
そういうとリリスは、ラルフをエルナの向かいの席へ誘導した。
「エルナさん、こちら、ラルフさんです。ラルフさん、こちらは本日ご紹介するエルナさん。ファルシエンのご出身だそうです。」
手慣れた様子で2人を紹介する。
「あ、ええっと、はじめまして。ラルフです。ご覧の通り……リザードマンです。」
緊張のあまり、なぜか一見して分かる自分の種族を説明したラルフに、エルザは優しそうな笑顔とともにくすりと笑うと、
「はじめまして、エルフ族のエルナと申します。私も、見たまんまですけど。」
と、微笑みながらラルフの流儀に従う形であいさつした。
その美しい慈愛に満ちた微笑みは、種族を問わず男を魅了するには十分だった。ラルフはすっかり緊張して委縮してしまい、自分から話しかけられずにいる。
うつむいた顔を少し上げては、エルナの微笑みに出会ってまた顔を下に向けてしまう。
「あれー? トカゲさん、どうしたの? ぽんぽんいたい?」
すかさず飛んで行ってラルフの顔を覗き込もうとするコロンの尻尾を、慌てて引っ張るメリー。
コロンに顔を近づけて、「しーっ!」と沈黙を促すゼスチャーをして見せる。
コロンがした子供らしくかわいらしい仕草に、思わずラルフとエルナは顔を見合わせて微笑んだ。
種族を問わず、子供が無邪気にふるまう様子は人の心を和ませる。
少し緊張がほぐれたところで、すかさずリリスがラルフのプロフィールを紹介する。このタイミングの取り方も手慣れたものだ。
「ラルフさんは、農作物のトレーダーをされています。経済紙とかでも記事を書くぐらい、その道ではすごい方なんですよ。」
この1週間の間に、リリスはラルフのことを調べていた。
これもお客様に対するリリスのおもてなしのひとつだ。
「あら、じゃあ天気を読まれたり、相場を予測されたりするんですね。すごいです。」
エルナの声は、高く透き通っており、野鳥の歌声のような澄んでいた。
物語を読むだけで聞きほれてしまいそうな美しい声に褒められ、ラルフの胸は高まる。
もっとも、ラルフにとって、胸の高まりは女性に対する極度の緊張を意味するのだが。
「い、いやぁ……それほどでも……」
赤面してすっかり委縮してしまうラルフを見て、すかさずリリスが水を向けた。
「このあと、おふたりには外出していただきましょうか? お散歩されたり、カフェでお茶などされてもいいかもしれませんね。まずはお互いのことを知っていただければと。」
そういうと、リリスは出口まで2人を案内した。
「それでは、いってらっしゃいませ。」
リリスに出口で手を振りながら見送られ、2人は顔を見合わせる。
「そ、それじゃあ、少し歩きましょうか?」
自分からリードしなければと、意を決してラルフが切り出した。
実は、ラルフは同族の女性6人との交際経験があったが、すべての交際が最大2週間以内にとどまるものだった。ラルフのステータスに惹かれて交際を持ちかけられることは多かったが、結局ラルフが自分自身を出せずに、相手に「一緒にいてもつまらない」と振られてしまうのだ。
さらに言えば、異性とまともに手をつないだこともない。
そのため、女性との交際経験はまったく豊富なわけではなかった。
もちろん、リリスはそのことも見抜いていた。
「え、ええっと……じゃあ、国立公園の方にでも……」
外に出ると、ラルフはぎこちない様子で切り出した。
「ええ、そうしましょうか。」
ラルフのぎこちなさを気に留めることもなく、エルナも答える。
2人はフィーリアからほど近い、セーラム国立公園を散歩することにした。
大きな噴水のある池が中心に据えられた、緑豊かで広大な公園だ。全部回ろうとすれば半日以上かかるだろう。
エルフの女性と並んで歩くのは、もちろんラルフも初めてだ。
この国でも異種族のカップルは珍しくなくなってきたが、それでも道行く人が2人とすれ違った後振り返るのは、エルナの美しさからなのかもしれない。
「エルナさんは、どんなお仕事を?」
「私は、森の観光ガイドを。最近ファルシエンからの観光客が多くて、皆さんギークの森を見たがるんです。あんなに深い森、首都の方は見慣れないみたいです。」
雑談をしようと考えて、最初に仕事を振ってしまうあたりも、仕事人間ラルフの悪い癖だ。
「ご趣味は……?」
「楽器ですかね。ハープとか、ほんとに趣味程度ですけどね。」
「お休みの日は……何を……」
「そうですねえ。お料理したり、お部屋の掃除をしたり。なんだか私、完璧主義みたいで、家事をしてるだけで1日が終わってしまうんですよね。おかしいでしょ?」
「いえいえ……ハハハ……」
度重なる質疑応答は、まるで面接のようだった。
必死に次の話題を探すラルフの乾いた笑い声が、公園の澄んだ空気に妙に響いた気がしていた。
しかし、そんな会話の種もつき、2人は無言のまましばらく公園を歩く。
公園の中では、大きな木のそばを通るたびに、小鳥たちがエルナのもとへ集まってきた。もともと、エルフ族の中には動物たちと会話できる者も少なくないという。
エルナもその1人なのだろう。
小鳥がエルナの肩や手に乗っては、さえずりかける。それにエルナは、
「あら、この公園のみんなはお調子者ね。」
などと笑いながら語り掛けている。どうやら小鳥たちもエルナの美しさを褒めたたえていたらしい。
ふと、1羽の小鳥がラルフの頭にとまる。まだ巣立ったばかりの若鳥のようだ。
若鳥は、ラルフの頭上で歌うようにさえずった。
「この子、ラルフさんのことが気に入ったみたい。」
口元の押さえて笑うエルナのかわいらしさに、ラルフはすっかり見惚れてしまっていた。
小鳥のさえずりに助けられながら、間が持たない時間をなんとかやり過ごしたラルフとエルナだが、お世辞にも盛り上がったとは言えないデートだった。
日はすっかり傾き、夕方になっていた。
「エルナさん、そろそろ、帰りましょうか? 時間も遅いですし。」
「ええ、そうですね。今日はありがとうございました。」
つい、初対面の女性とは、社交辞令のような表面的なあいさつを交わしてしまう。
どうして、いつも僕はこうなんだろう。
そうラルフが自責の念にかられたときただった。
「あの……また、会えますか?」
エルナからかけられた思わぬ言葉に、ラルフの心は踊った。
「はい! 喜んで!」
エリートのリザードマンは、大衆が通う酒場の店員のような口ぶりで、喜んで美女の誘いを受けた。
それからも、ラルフのデートプラン「だけは」完ぺきだった。
あるときは、一緒に演劇を見て、接待で使っていた高級なレストランで食事をした。
またあるときは、馬車を1日借り切って、ギークの街から少し離れた丘に向かい、花畑でピクニックをしてみた。
そんな教科書通りの健全なデートが、3回続いた。
「ラルフさん、なんだかすみません。いつもすごいところにばかり連れて行っていただいて……」
「いえいえ。そんなことより……その……僕といて、つまらなくなかったですか?」
ラルフ節は今日も健在だった。
それでもエルナは、
「ええ、楽しかったですよ。とっても。」
そういうと、いつもの微笑みをラルフに向けた。
「ラルフさん、あの……私、次は初めてお会いしたときの公園に、またいきたいんです。」
「ええ、喜んで!」
こうして2人は5回目のデートの約束をした。
当然、まだラルフはエルナがどんな女性なのかまったくと言っていいほど知らないし、エルナもまた本当のラルフをまったく知らないのだが。