2 ハイスペックの上昇婚?
リリスはいきなり核心へ迫ることにした。
「ラルフさん――」
2人の間を隔てたテーブルに身をぐっと乗り出して、顔を近づける。
女性経験の存在をまったく感じさせないほど、ラルフは目を激しく泳がせ、まぶたをパチパチさせて動揺しているのがわかった。汗腺のある人間族やエルフなら大量の汗をかいていたことだろう。
「あなた、『上昇婚』するためにここに来ましたね?」
何かを見透かしたような目のリリスに動揺するが、「上昇婚」と自分が言われた意味が分からない。
「業界用語でしたね。『上昇婚』というのは、結婚相手の生活水準やステータスによって、過去の自分から大きくステップアップする結婚のことです。」
「いや……それはわかりますけど……と、とにかく顔を離してください!」
女性慣れしていないと一目で分かるリアクションで、ラルフは言葉を返す。
もともと「上昇婚」とは、多くのケースで生活水準が低い者が高い者と結婚することで、労せずして高い生活水準を得ることを意味する。人間族の古い言葉では、「玉の輿」とも言うらしい。
しかし、1400万ルビーもの年収を稼ぎだすラルフが「上昇婚」をしようというのは、本人としても合点がいかなかった。
「別に相手の年収は気にしませんよ! むしろ、相手には専業主婦でいてほしいくらいです。」
「そう! そういうとこですよ!」
「えぇ……」
いきなりの激詰めにすっかり動揺してしまったラルフ。
こうなってしまったリリスは、だれにも止められない。
慌てふためくラルフをよそに、メリーはどこから取り出したのか、部屋の隅でコロンのお手玉遊びの相手をしている。
2人の様子をまったく気にすることなく、リリスは続ける。
「ラルフさん、あなたはモテなかった『過去の自分』を慰めるために結婚しようとしている。」
「いえ、決してそんなことは……」
リリスは言葉を緩めない。
「あなたは『ありのまま』の自分を愛してくれる人と巡り合いたいとおっしゃいましたね。」
「そうです。過去の僕を知っても、それでもなお僕を好きになってくれる人と……」
「残念ながら、この相談所に登録している女性、いえ、世界中探してもそんな女性はいません。」
「そんな……」
キッパリと言い切ったリリスの迫力に、ラルフは目を見開いて口をパクパクさせている。
そこへ、突然ラルフの目の前に手鏡を出すリリス。
鏡面には、すっかり動揺しきった「エリートリザードマン」の顔が映っていた。
「失礼……取り乱しました。」
「いいえ、そういうお顔、私はかわいいと思いますよ♪」
リリスは人差し指を立ててウィンクして見せる。
美しいハーフエルフのあざとい仕草に、恥ずかしそうにうつむき加減でラルフは答える。
「そんな……こんなところを女性の前で見せるなんて……。」
「だーかーら! そういうとこですよ!」
「えぇ……」
再び激詰めである。
「ラルフさん、あなたは女性をステレオタイプで見てますよね?」
「そんなことないです! 僕は男女平等主義者です。現に部下たちには男女分け隔てなく仕事の評価をしていますし、そんなこと言われるなんて心外です!」
一度委縮したラルフも、女性差別者のように言われてはエリートの沽券にかかわる。今度はさすがに反論する。
しかし、リリスはここぞとばかりに、静かに諭すように言う。
「じゃあ、どうしてプライベートの自分にはそんなに自信がないんですか?」
「それは……」
リリスの発した「プライベートの自分」という言葉には、どうしても再び委縮してしまう。
リリスはラルフの弱点はここだと分かっていた。
「ラルフさん、あなたは魅力的な人です。」
「そんなことないです。昔の僕はデブで、ダサくて、運動音痴で……」
「そう。そんな自分の短所をすべて克服して、社会で活躍できるだけの努力ができる、とても魅力的な人です。」
リリスの誉め言葉に、ラルフはどうも納得がいかないようだった。
「でもリリスさん、今の僕を見ている人は……きっとこれから知り合う人たちも全員、ダサいところを克服した僕しか知りません。過去の僕を知ったら、きっと幻滅してしまうに違いない……。」
今にも泣きだしそうな顔でつぶやくラルフに、リリスはさらに追い打ちをかけた。
「そんな自分すら愛せない人に、他の人が愛せるでしょうか? それも、文化や風習、体の性質までまったく違う異種族を。」
リリスは子供を諭すような優しい口調になって、さらに続ける。
「あなたは社会では一流のリザードマンとして振舞える。でもそれは、社会で一流のリザードマンを『演じている』という自覚が、誰よりもあるんじゃないですか? あなた自身に。」
「演じている? 僕が……?」
「そう。あなたは、理想の自分になるために、一生懸命努力した。そして、理想の自分を手に入れた。でもそれは、結果的に、本来のあなたを否定することになってしまった。あなたの努力の原動力は、過去のあなたを否定することだったから。
他人がカッコいいという職業について、カッコいいという服を着て、カッコいいという振る舞いをして。そして周りの評価を受けるたびに、過去の自分を貶めている。」
「でも僕は、こうして社会的に認められて、幸せな結婚をすれば、過去の自分を救うことができると思って……。」
「あなたはおそらく、過去に自分が醜かったことが、今美しい誰かと結ばれることによって清算されると思っている。
例えば誰もが憧れるような美しいハイエルフをめとり、この不況の中で専業主婦として養うことで、社会を見返し、過去に女性から相手にされなかった自分が救われると思っている。
でも――それは違います。社会も、そしてあなたの結婚相手の候補になる女性も、見ているのは今の、そしてこれからのあなただけです。」
ラルフの凸凹とした顔の皮膚を、一滴の涙が伝う。
ひとたび涙がこぼれ始めると、子供のように泣きながらラルフは答えた。
「僕は……社会の一員になりたかった……。そのためには……変わらなきゃいけないって……」
「そう決めたのは、誰かしら?」
「それは……」
相談室に静寂が流れる。
リリスはラルフがうつむいたまま思案するのを、ただ黙って見守っていた。
そのまま、5分以上の時間が経過しただろうか。
いつの間にかラルフの涙は止まっていた。
「僕だ――僕自身だ。」
顔を上げたラルフが答える。
「それは、誰のために?」
「僕……自身のために。」
「そうですよ。あなたは確かに昔は死ぬほどダサかったかもしれない。でも、『死ぬほどダサかったけど、死ぬほど努力してカッコよくなったあなた』が今はいる。ただそれだけのことです。過去の自分と一緒に、『よかったね』って、笑ってあげればいいんですよ。」
そういうと、リリスは手鏡をラルフに手渡す。
それを渡されたラルフは、自らの手で自分の顔を映す。
鏡の向こうからリリスの声が聞こえる。
「そのままでいいんですよ。そのままの、あなたで。」
そういわれたラルフは、再びうつむいて考え始めてしまう。ぶつぶつと何かをつぶやきながら、答えを探している。
後で聞いたことだが、これはラルフが仕事で天候と農作物の市況を読む際に、集中すると行う動作なのだそうだ。いわゆるゾーンに入った状態で、こうなったラルフの相場予測は百発百中なのだという。
「過去の自分を自分でまず愛さなければ、他人には愛してもらえない。」
「ようやく、お分かりいただけたようですね。」
リリスが微笑みかけるのにつられて、ラルフも自然と笑顔になった。
「僕はどこまでできるかわかりませんが……やってみようと思います。」
「わかりました。では、1週間後にまたお越しください。それまでに、ラルフさんにお似合いの素敵な方を探しておきますね。」
「じゃあ僕も……来週までに、自分との向き合い方、探しておきます。」
リリスは、候補者のリストからラルフのお見合い候補を探すことになった。