1 あるエリートの悩み
──カランカラン。
1人のリザードマンが控えめに木の扉を開けて、店に入ってきた。
「はいはーい!」
子供がはしゃぐような声で真っ先に出迎えたのは、リリスの使い魔、コロンだ。
コロンは犬のような容姿をした妖精、クーシーの男の子。成長すると仔牛くらいの大きさになるらしいが、まだ子供なので、背丈は人間の膝くらいまでしかない。
見た目は犬の長毛種に似ており、暗緑色の毛に覆われた頭部から突き出た鼻先が長く、一見すると猟犬のようにりりしくも見える。だが、そのくりっとしたつぶらな目とあどけない子犬のような表情から、よく見ればすぐにコロンがまだ幼いことがよくわかる。
「わっ! トカゲさんだ!」
コロンはふわふわと宙に浮いて入口まで客人を迎えに行くと、大げさに驚いて見せた。
「こら、コロン! 失礼でしょ!」
慌ててコロンを諭しながら間に入ったのは、こちらもリリスの使い魔、メリー。
メリーは猫のような見た目の妖精、ケットシーの雌だ。こちらはもう大人だが、コロンとさして大きさは変わらない。
真っ白な毛並みと長いまつ毛が気品を感じさせる、成熟した妖精といった様子だ。
メリーも宙に浮きながらやってきて、コロンの頭を肉球のやわらかいところでぺしっと叩く。
「はあい……ごめんなさい。」
ちょっと大げさなくらいしょぼくれるコロンを尻目に、メリーは客人の方へ向き直る。
「ごめんなさいね。この子、まだ子供なもので……ご予約のお客様、かしら?」
2匹のやりとりに少し戸惑いつつも、大柄なリザードマンはメリーの方に顔を向けて答える。
「あっ、はい。予約しましたラルフといいます。」
リザードマンのラルフと名乗る男性は、もじもじとしながら小声で名乗った。
仕事帰りなのだろうか、この世界で正装とされている、綿のシャツに絹でできたロングカーディガン姿といういでたちで、いかにも「仕事ができそう」といった風貌だ。
肉体労働に従事する者が多いリザードマンの中では特に珍しい。
「あらあら、2人とも、お客様がいらっしゃったのなら早くいってくれないと。」
エントランスの向こうで少し空いていた扉の向こうから、透き通るような美しい女性の声がして、扉が開く。
「私はこの相談所の所長、リリスです。と言っても、スタッフは私とこの子たちなんですけどね。」
そういって客人を出迎えたのは、異種族婚専門の結婚相談所「フィーリア」の所長、リリスだ。
リリスはコロンとメリーという2匹の使い魔をスタッフとして従えて、この相談所を営んでいる。以前は他にもエルフや人間のスタッフがいたらしいが、異種族結婚のマッチングというのは高度なコミュニケーションスキルが必要らしく、みなやめてしまった。
結局リリスだけがこのマッチング業を営んでいるのだが、この稼業には何かと雑用がおおいので、簡単な接客や調査などはコロンとメリーに頼んでいるのだ。
「あら、少し緊張されてるかしら? 大丈夫ですよ、どうかリラックスしてくださいね。」
リリスは、慣れた口調で来客の心を解きほぐそうとする。
国が異種族結婚を推奨し、徐々に異種族カップルも増えてきたというのに、なぜかここにくる者は皆後ろめたそうな顔でやって来る。
「じゃあ、そこへかけて、こちらの紙に記入していただけますか?」
リリスがラルフを店の奥にある個室に誘導すると、そばにいたメリーがテーブルに向かい合って1枚の紙を差し出した。
コロンも、「はい、どーぞー」と手に余る大きさのソーサーに乗ったカップに入った紅茶を、ぎこちない手つきで差し出した。
紙には、「プロフィールシート」と書いてある。
この相談所では、登録するときに、顧客の情報を登録して、リリスが希望条件などを見ながらマッチングを行うのだ。条件がマッチする2人を引き合わせて、お互いが好意を持てば、カップル成立というわけである。
プロフィールシートに書いてあるのは、だいたいこんな項目だ。
《名前、種族、学歴、職業、居住地、年齢、年収、家族構成、趣味、未婚/離別、離別の理由、子供は欲しいか、希望する種族》などなど。
ちなみに、リリスの経験からすると、結婚相手を探してこの相談所に来るのは、大きく分けて3つのタイプだ。
1 同種族の中の恋愛カースト下位の者
2 経済的な優遇を求めて、異種族との結婚を模索する者
3 もともと異種族に対する性的嗜好を持つもの
3つ目は、つい最近まで「変態」と呼ばれていたカテゴリに属するためか、変わった性格の者が多く、マッチングには苦労する。
逆に、同種族で恋愛カースト下位に属する者は、同種族中でブサイクだとされる見た目が逆に異種族だとイケメン(またはイケトカゲやイケウルフ)扱いだったりするので、意外に早くマッチングしたりする。
経済的な優遇を求める者については、相手の条件ばかりを気にするので、幸せな結婚とは何かを理解させるのに時間をかける必要がある。
ラルフはというと……
《種族》 リザードマン
《学歴》 セーラム王立大学大学院 経済学研究科卒業
《職業》 農作物トレーダー(大手投資会社勤務)
《居住地》 ギーク中央駅から徒歩1分(持ち家・築1年)
《年齢》 84歳 *リザードマンの寿命は300年なので、人間でいうと28歳
《年収》 1400万ルビー *この世界の男性の平均年収は400万ルビー
《家族構成》 父、母、妹 *すべてリザードマン
《趣味》 リザードマン民族楽器を引くこと
《婚姻遍歴》 未婚
《子供は欲しいか》 欲しい
《希望する種族》 (空欄)
なるほど。ものすごいハイスペックだ。
リリスの店が主催する婚活パーティに参加したら、間違いなく人だかりができすぎて、他の参加者から苦情が来るレベルの優良物件である。
顔立ちも、美形ではないがいわゆるリザードマンとしては「男前」の風貌で、太っても痩せてもいない筋肉質の体つきをしている。
しかし、これだけの逸材なら同種族でもモテるはずだろう……。
こういう、「一見優良物件なのに、なぜか相談所に来る人」には一癖も二癖もある地雷が潜んでいることがある。
リリスの長年の勘がそう告げていた。
「すっごおーい! 王立大学大学院! 久しぶりに見たかも!」
メリーの妖精らしからぬスペック目利きは大したもので、いち早くプロフィールシートの学歴欄に目を止めた。
「ラルフさん、すごいお仕事されていますね! お若いのに年収もすごい高い。職場でもモテるんじゃないですか?」
リリスも横目でメリーを制しながら、素晴らしいラルフの経歴をほめたたえる。
「いやあ、そんなことはないんです……それに職場恋愛って、僕あんまり得意じゃないみたいで……。」
リリスは慎重に人柄を解きほぐしていきながら、目の前にいる超ハイスペックリザードマンの「地雷」を探していく。
「失礼ですが、これまでの恋愛経験とかは? あんまりこういうことを私がいっちゃいけないんですけど、こういうところに来るタイプに見えなくて。」
「ええっと……お付き合い自体は、リザードマンの女性と何人か。大学時代から数えると、6人くらいでしょうか。」
「すごくモテるじゃないですか。でも、その方とは結婚しようとされなかったんですか?」
「なんていうか……その……リザードマンって、種族の中でも数が少ないじゃないですか。だから、ギークにいるリザードマンは大体が昔からの知り合いで……」
ここまで話すと、ラルフはうつむいて言葉を探しているようだった。どうやらとても言いにくいことがあるらしい。
だが、おそらくそれがラルフの「地雷」が埋まっている箇所だ。これをクリアしないと、私にとっても彼にとってもいい結果は生まれない。
リリスは、プロとしてきちんとそこへ切り込んでいく。
「昔からの知り合いだと、まずい理由でも? 大丈夫。ここでは守秘義務がありますし、外へあなたのことが漏れることはありません。私もこの仕事をして、いろんな変な人見てますから、笑ったりもしませんし!」
「変な人って……。あの……えっと……僕、すっごい太ってたんです!」
声のトーンと見合わぬ告白に、隣にいたコロンとメリーは顔を見合わせる。2人の頭上には大きな「?」マークが出ているようだった。
さすがに疑問に感じつつ、リリスは質問を続ける。
「それだけ……ですか?」
「いいえ、それだけじゃないです。リザードマンなのに太っててワニみたいだったし、おまけに趣味は、本当はフェアリーアイドルのおっかけだったんです。」
なるほど、アイドルオタクか。
フェアリーというのは、羽根の生えた小さな妖精だ。もともと歌がうまく、他者を魅了することが得意だったため、平和になった世界では芸能関係の職業に就くことが多かった。
最近は、ドワーフの名プロデューサー・シスコ氏が手がけたフェアリーアイドル『ムーンライト』が大人気なのだそうだ。
だとしても、この容姿とスペックなら、こんなところに来なくても同族の女性から引く手あまたなはずだ。
そのことを尋ねる前に、ラルフは自らの口を開く。
「僕、小さな頃からモテなくて……フェアリーアイドルのハイタッチ会に行くのだけが趣味だったんです。それをいつも周りのみんなにバカにされてて……。」
「それで、バカにしてきていた同種族の女性は嫌だと?」
「それだけじゃないんです。僕なりに、周りを見返そうと思って必死に勉強して、王立大学に入りました。ギークのリザードマンで、この年に王立大学に進学したのは僕だけです。ダイエットも頑張って、大学デビューしようと思って必死に痩せました。そしたら……」
「そしたら?」
「周りのリザードマンの女性が、ころっと手のひら返しに態度を変えてきて……」
「モテたと。」
「はい……。」
女性からモテるという男性にとって至上の生物的喜びを、まるで大事なものでも落としたように残念そうな表情で語るラルフ。
「もー、何が気に入らなかったんですか。周りを見返せて、おまけにモテて。よかったじゃないですか。」
「そうじゃないんです。急にリザードマンの女性にモテたら、怖くなってしまって……。」
「どうして?」
「だって、同じ人がまるで別人みたいな態度なんですよ。『前からあなたのことが気になってて』って言われたって、僕知ってるんです。子供のころ、『食用ワニ』って陰で呼んでたことだって……」
「それで、リザードマンの女性が信じられなくなったってことですか?」
「はい……。」
過去を思い出したのか、随分と落ち込んだ口調でモテた話をする人もいるものだ。ずっとモテないままの者が見たら、怒り心頭だろう。
「じゃあ、希望種族の欄が空欄だったのは?」
「僕も相手の種族はまったく気にしません。僕を愛してくれる人なら、ありのままの内面を愛したいと思います。だから、相手の方にも、ありのままを……モテなくてアイドルの追っかけをしている頃の僕の内面も愛してくれる人がいいんです!」
――なるほど、イタイ。これはイタイぞ。
イタイというのは、昔のアイドルオタクリザードマンのことではない。今目の前にいるハイスペックリザードマンだ。
先ほどのカテゴリであえて言えば、ラルフは恋愛カースト下位の者だ。ただし、恋愛カースト下位だったというのが正確な言い方だろう。
単なる下位なら、見た目の美醜などが影響しない種族とマッチングすればいいのだが、内面のイタさというのは全種族共通だ。
これでは、どんな種族の女性に引き合わせても、マッチングは難しい。
結婚というのは、まさに「異文化交流」だ。
同種族の結婚ですら、生まれも育ちもまったく違う者どうしが愛し合い、一つ屋根の下で暮らすのだ。
ましてや異種族の結婚ともなれば、その文化の差異は大きい。たとえば、森に住み、花の蜜を主食とする昼行性のフェアリーと、沼に住み、魚や獣の肉を好む夜行性のリザードマンとは、住む場所から食生活まで違うことだらけだ。
その2人を結びつけるのは、何よりも相手を大切に思う心。
相手への思いやりというものは、自己肯定感が基礎になければ生まれない。たくさんの婚活難民を見てきたリリスは、そのことを誰よりも分かっていた。
どうやら、このリザードマンに結婚への第一歩を踏み出させるには、深く埋もれた彼の自己肯定感を掘り起こす必要がある。
そしてそのためには、まだ彼が隠している「何か」を見つける必要がある。
そう考えたリリスは、とっておきの質問をすることにした。