転生と父と母
私は愛されて育ったと思う。
母一人子一人。母の愛を一身に私は受けた。
見る人が見れば、母のそれは愛ではないというかもしれない。
だけど、それは間違いなく愛だった。
ただし、それは当時の私にはあまりにも重すぎた。
重すぎたから、私は押しつぶされて潰れてしまった。
潰れたままで、私はたって歩いて、そして弾いていた。
私が生まれる前、母には音楽しかなかった。ピアノしかなった。
母は、国内では最高峰の芸術大学の器楽科でピアノを学んだ。
最高峰の大学。母はその中では凡才でしかなかった。
そんな大学に入れただけですごいと思うのだが、生涯をかけてやってきたことで母は自分が思うような成果を出せなかったのだ。
それで、その夢を私に託した。
また、母は音楽でしか生きる術を知らなかった。
講師をして、家で個人レッスンをして。そうやって、私を食べさせて、自分自身も生きていた。
母はそれ以外にどうやって生計を立てるのかを知らなかった。
もちろん、知識としては知っていたが、血と肉になった経験としては知らなかった。
だから、その力を私に与えようとした。
それは間違いなく愛だった。
ただ、致命的だったのは私に音楽の才がなかったことだ。
それから、正直に言って、私は音楽が好きではなかった。
手も小さかった。成長したらもっと大きくなったかもしれない。
でも、ごめんなさい。
お母さん。
私の命はここでつきます。
ピアノのレッスンの帰り。私はぼうっとしていたと思う。
呆けていて、信号を見ないままそのまま道路に飛び出した。
トラックが突っ込んできて私を轢いた。
トラックの運転手にも申し訳ないことをしたと思う。
それから、やっぱりごめんなさい。お母さん。
いま、少しほっとしているんです。
もう、ピアノを弾かなくてもいい。
もう、お母さんを失望させなくていい。
私は安らかだった。
今日は10歳の誕生日だ。
10年でやっと終われる……
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私は目が覚めてしまったと思った。
生き残ってしまった。また、日常に戻らなければならない。
そう思った。
だが、すぐに気づいた。体が自由に動かない。言葉もうまく話せない。
あーだの。うーだの。そんな声しか出ない。
それから、体も随分と縮んだように感じる。
感覚で分かる。これは、事故で体がどうかなってしまったとかそういうことではない。
私は生まれ変わったのだ。
目を開ける。
よく見えないが、目の前には誰かいる。
手を伸ばすと、温かい感触がある。
ああ、私の手を握ってくれたんだ。
何とか目を凝らして親の顔を見る。
見たことのない顔だ。
というか耳が顔の左右ではなく、頭の上についてる。猫耳だ。あるいは、ケモ耳だ。
私の頭にも……ある。感覚がある。
動くかな……動く。ピクピクって感じだ。
なんか、変なものに生まれ変わったらしい。
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毎日、優しく抱きしめられ、ミルクをもらう。
いつも小さな声で慈しむように名前を呼ばれる。
「ネム。起きたね」
ネムはあくまで愛称で、正式な名前が別にある。
この前、村長みたいな人が来て私の名前を付けていった。
ネネムー•ムニエット、それが私の名前だ。変な名前だ。
まあ、でも、嫌いじゃないけど。
「お母さん」
私が母を呼ぶと、母はびっくりした顔した。
あれ?失敗しちゃったかな。言葉を覚えるのはまだきっと早い時期なのだ。
でも、こんなに愛情をいっぱいに受けて何も言わずにはいられなかった。
前世のお母さんには悪いけど、自然に口をついて出てしまった。
母は、父を呼んで、私が言葉を発したことを嬉しそうに話している。
父は空耳だろうと笑っている。
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気づけば、ハイハイができるようになり、それから間もなくして二本足で立って歩けるようになっていた。
私たちようなケモ耳が生えている人間を獣人というらしい。
私は、髪の毛も耳も尻尾も真っ黒で完全に黒猫という感じの装いだ。
前世からの癖か人をジト目で見てしまうことがあるので、黒い見た目と相まって少し暗い印象を受ける人もいいだろう。でも、我ながらこの耳と尻尾はなかなか可愛いと思う。
獣人の成長は早く、だが、肉体的に若さを保てる期間は長いようだ。
私も生後6カ月くらいには、走り回れるようになった。少し言葉を話しても不自然だとは思われていないようでもあった。
私は今1歳。だが、人間で言うと身体的には5歳児くらいのだと思う。
獣人は動物に近い人もいることはいるが、私を含め多くの獣人が人間にケモ耳と尻尾が生えてるだけという感じだ。
もう一人で歩けるのだから、ひょっとしてもう甘えていい歳ではないのかもしれない。
数歩先に母がいる。
母に抱き着こうとして、ふいに躊躇する。
やや距離を取って、少し上目遣いでもじもじしながら話してしまう。
「あのさ、お母さん」
「ご飯?今、お父さんたちが捕りに行っているから」
「私もお父さんについていきたいんだけど」
「そうねぇ。あと、1年くらい経てば付いていくくらいはできるんじゃないかしら」
「あと、一年かぁ」
「ネムは偉いわね。大人みたいに話せて、お父さんの役にも立ちたいだなんて」
頭をなでられてギュっとされる。
お母さんは、可愛い猫耳のついて猫型の獣人だ。
で、猫型の獣人はやっぱり猫かわいがりだ。
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私は少し大きくなった。
まだ、狩りに付いていけるほどじゃない。
でも、そのための訓練だ。
「ネネムー!」
「はい」
「今日から、自分の身を守るための訓練をを始める」
「何から身を守るんですか?」
「魔物をそうだが、何よりも人間からだ」
「人間ですか?」
そうか。やっぱり、この世界で獣人と人間は対立関係にあるのか。
「この世界には人間という生き物がいる。見た目は我々と似ているが、耳が小さく、顔の左右についている気持ちの悪い生き物だ」
まあ、ケモ耳が付いてる可愛い獣人と比べたら人間は気持ちが悪いのかもしれないな。
「人間は、私たちを襲って奴隷にしたり…その、なんだ…いろいろと悪いことをするんだ!」
いろいろと、の部分は性的な意味も含まれていたのか。訓練用に厳しい父を演じていたお父さんが少し言い淀んだ。かんばってお父さん!
「だから、私たちのご先祖は人間に対抗するために技を練り上げた。それこそ獣王流だ」
「獣王流ですか」
「そう。自らの体力と引き換えに身体能力を高めることを主とする流儀だ」
といって、父は自身と同じくらい大きさの岩を前にして構える。
「単技・小雀!」
父がそういって拳を放つと、岩の一部が父の拳の形に凹んだ。
「いいか。獣王流には、まず、型がある。そして、型は身体強化と身体操作からなる。さらに、その型を組み合わせたものを技という。一つの技を単独で使うものを単技、単技をさらに組み合わせたものを連技という」
「今、見せてくれたのは単技ですね」
「そうだ。瞬間的に体の一部の強度を上げる須臾の守りの型、瞬間的に筋力を上げる須臾の攻めの型、素早く拳を繰り出す壱式突きの型。それらを型を組み合わせたのが単技・小雀だ」
父の技を見て前世の記憶がちらつく。圧倒的なピアノを技を見せつけて、同じことができないと失望の目を向けた前世の母の顔だ。
「お父さん……私がもしその技ができなければどうしますか?どんなに頑張ってもできないって場合もあるかもしれないし…」
「う~ん、そうだな…その場合は…」
父が言い淀んで、不安が体の奥底からにじみ出る。
「まあ、その場合は、仕方ないな。向き不向きってやつがあるからな」
「失望したりはしないんですか?」
「失望って難しい言葉を知ってるんだな…いいか、ネム…誰かよりも優れたものになろうとして、なれなくて失望とか絶望をするなんてのは人間の世界の話だ。獣人の世界では、最後まで生き残ったやつ、しかも、幸せに生き切った奴の勝ちなんだ。お前はかわいいから、お前がちょっとダメでも、誰かが助けてくれる。それでOKだ」
そういって、親指を突き出す父。不安はすっかり消えていた。いいのか。できなくても。
「まあ、とりあえずやってみようじゃないか。まずは、そうだな、身体強化のときの力の流れを見ろ。ゆっくり見えやすくやるから、ネムでも目を凝らせば見えるはずだ」
確かに目を凝らしてみると、何か体の中心、要するにみぞおちの辺りから青白い光がゆっくりと手の甲に流れていくのが見えた。だが、その光は手の先まで流れると一瞬で消えてしまった」
「今のは須臾の守りの型だ。この光が流れている間、その体の一部は一時的に硬度が増す。硬度が増すのはほんの一瞬で、硬度が最高レベルに達するのはさらに、その一瞬の中の刹那だ」
そういって、父は私の手を握る。そうすると、私の手にもその光が流れてくるのが分かった。
「この光を気という。気が流れる感覚が分かれば、自分でも流せるはずだ」
そういわれてみると、自分の体内にもそれと同じようなものがあるのを感じた。これを手に流すのか。そう思うと、すうっと、私のみぞおち辺りから手の甲に気が流れ行く。
「あ、できた」
「おお、よくやった。敵をぶんなぐるときは、まずは、そうやって拳の硬度をあげるんだ。そして、それと同時に、須臾の攻めの型で筋力を高めながら…」
今度は、父の体の下腹部辺りから赤い光が腕全体を覆うように流れる。
「壱式突きの型で殴る!」
今度は宙空で拳を振るう父。
「ちなみに、壱式突きの型ってのは、腰とかを入れずに、肘と肩だけで素早く打つ突きだ」
父は、また私の手を握り、赤い光にオーラを流す。なるほど、この感覚が攻めの型か。
あと、壱式突きの型というのは、たしかボクシングのジャブというやつと同じだと思う。
まあ、猫耳の父がやると猫パンチってかんじだが。
さて、自分でやってみると、これがかなり難しい。一つ一つの型をやるのは難しくはない。
だけど、それらのタイミングを合わせるのがむずかしい。
そして、むきになって練習をしている私をにやにや見ている父がちょっとうざい。
「あの、お父さん…」
「おお、すまんな。顔がにやけてしまったな。まあ、まだできなくて当たり前だ。お前が早く狩りに行きたがったから教えたがもうちょっと成長してからおしえることだからな」
「ええ、でも、あんまりにやにやしながらみられるのは…」
「ああ、わかった。わかった。じゃあ、あとは一人で時間があるときに少しずつ練習すればいいさ」
私はその後、しばらく一人で練習したが全然うまくいかなかった。
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最近は、私が住む集落の子どもたちと一緒に近くの森で遊ぶ。
森と言っても、あくまで集落の延長にあるところまでだ。魔物や人間が来るようなところには行かない。
5~6人で一緒に、木から木へと飛び回りながら追いかけっこする。本当に獣人の身体能力は高い。こんなに身体能力が高いのに、人間なんか恐れる必要があるんだろうか。
ひとしきり遊んで、飽きてくるとみんな家に帰ってご飯を食べる。ご飯を食べた後は、型と技の練習をする。
もう何か月がやっているちっともうまくいかない。父にそのことを言うと、慌てるなと諭されたけど、とにかくまず一回くらいは成功させたい。
そう思いながら、練習をしていると、見慣れないおじさんが近づいてきた。怖い。なんかライオン型の獣人だし。
「獣王流か。へたくそだな」
「え、なんなんですか。いきなり」
私がつい少し感情的に応えると、おじさんは少し驚いた顔した。
「おお、そうか。お前、私が見えるのか。お前は死霊使いの才能があるな…」
「…?」
「俺は死人なんだよ。幽霊ってやつだな」
これってあれだろうか。高い壺とか買わせるかんじの。獣人の世界にもあるのか…。
「いやいや、そんな訝しいものを見る目で見るな。う~ん、そうだな。私が怪しいものでないという証拠に、ちょっとその技のコツをおしえてやろう。
「…コツですか…」
コツが役に立ったとして、それが怪しくないということの証明にはならない気がするけど。
「そうだコツだ。その須臾攻めと須臾の守りはそれぞれ持続時間が違う。須臾の攻めの方がやや発動するまでに間があるが、持続時間が長い。須臾の守りは発動は早いが、持続時間がまさに一瞬だ。だから、先に須臾の攻めを発動する。そこに上書きするような要領で須臾の守りを発動し、ほぼそれと同時に突きを打つ」
コツとやらを意識しながらやってみる。あれ?確かにできそう。今まで全然タイミングが合わなかったのに、合ってきている。
私はそのまま何度か打ってみる
そして…
できた。あ、というか。できる。なんどでも。
自分の目がきらきらと輝いていくのがわかる。嬉しい。嬉しい。できた。
そのキラキラの目のまま、おじさんの方を振り返ると、おじさんの姿は煙のように消えていた。
本当に幽霊だったのだろうか…