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千姫輿入れ

いよいよ、徳川と豊臣の縁を結ぶ歴史的結納が行われる。

この婚儀は両家にとって良縁となるのか悪縁となるのか、誰も知る由は無かった。

千姫の花嫁行列は大坂へ着く前に、次郎三郎への挨拶の為、伏見へ立ち寄った。


次郎三郎はお梶の方はじめ、側室を引き連れお千とお江との会見に臨んだ。


まずはお江が次郎三郎に挨拶する。


「上様におかれましては、ますますご壮健のほど心よりお慶び申し上げます、平素は姉の高慢な物言いに心象を損なうことも多々ありましょうが、上様には寛大なお心でお許しいただければ嬉しく思います。」


などと大坂の淀の方の事を言っているのだ。

次郎三郎にしてみれば淀の方が癇癪を起しているだけであり、自分は何とも思っていないと柔らかく噛み砕きその旨をお江に申し伝えた。


その後に千姫が続いて次郎三郎に挨拶した。


「おじじ様にはご機嫌麗しゅう」


次郎三郎はにこにこして千姫に声をかける。


「お千も大きゅうなったのう、秀忠がさぞ寂しがったであろう」


もう次郎三郎は好々爺という様相でお千に菓子を授ける。


「ありがとうございます」


千姫がお菓子を口にしたら、ぱぁっと笑顔になり「とても美味です」と喜んだ。


お江はその横で千姫を黙ってじっと見つめていた。


千姫は突然「おじじ様に父上から秘密の伝言がございます」といい千姫は立ち上がり、とてとてと歩きだし次郎三郎の傍に寄り耳打ちする。


「お父様を許してあげて?」


次郎三郎は驚いたが努めて顔に出さず、千姫にこっそりと


「一体、何を許すというのだね?」


と聞いた、千姫は首を横に振り「知らない」というのだ。


次郎三郎は千姫に笑顔で


「わかったよ、お千は安心して大坂へ行きなさい」


というのだった。


千姫は嬉しそうに「ありがとうございます!」と満面の笑みで次郎三郎に礼を言うのだ。


次郎三郎はお江に2~3日伏見に逗留し旅の疲れを癒すように言いつけ、その間、千姫の世話はお梶に命じた。


次郎三郎は自分の娘さえ駆け引きの道具に使う秀忠の性根にあきれ果てた。


しかし何を許せというのだ、今までの仕打ちの全てを許せというのか?井伊直政の件の事を言っているのか?次郎三郎はわからなかったが千姫に毒気をすっかり抜かれてしまった。


この策謀は本多正信によって次郎三郎の搦め手から攻める策略だったのだが見事に功を奏したといえよう。


一方、お梶はお梶で千姫の相手をするうち、みるみるうちに千姫の愛らしさに心を奪われていく。


千姫はお梶に屈託のない笑顔で「母上より優しくてきれい!」とか「母上よりも大好き」などと無邪気にお梶を篭絡してしまったのだ。


その夜、お梶は次郎三郎に言った一言目は「あの娘を私に下さい!」だった。


次郎三郎は梶の突然の申し出に「さすがにそれは無理だよ」とお梶をたしなめるが、お梶は今にも泣きそうな顔で「大坂へは行かせたくない」「おふうに言いつけ攫わせる」などと言い、次郎三郎を困らせた。


出立の期日までお梶は千姫にくっつき甘やかした。


お梶は千姫に様々なお土産を持たせる。


千姫は目を輝かせお梶にお礼を言っていた。


お梶は千姫の輿が見えなくなるまで見送り、その後次郎三郎の胸で涙した。


次郎三郎はそんなお梶に子を何とかして宿してやりたいと思ったのは言うまでもなく、その夜のお梶と次郎三郎の閨はいつもより激しかった。


子は天からの授かりものと言うが、お梶もなかなか子が授かりにくい体質であったのか、はたまた考えたくは無いが次郎三郎との相性が良くなかったのか、当時の医術では知る由もない。


しかし次郎三郎は他の側室と子を為している事実があるのだから稀に見る種無しという訳ではない。


お梶にだけ出来ない事は無いと信じ二人は子作りに励んだ。


伏見を出立した千姫の輿は無事に大坂城へ入城し秀頼と千姫の婚礼の儀がつつがなく行われた。


この時、豊臣秀頼11歳、千姫7歳であった。


大坂城には若狭小浜わかさおばま藩主・京極高次きょうごくたかつぐの正室・お初の方が滞在しており、浅井三姉妹は久方ぶりの再会を果たした。


戦国の悲運の三姉妹・浅井三姉妹。


この三姉妹の母君であるおいちの方は織田信長の同腹の妹であった。


彼女は当時の北近江の大名であった浅井氏と織田家が同盟を結ぶために当主の浅井長政あさいながまさへと政略結婚をさせられ、織田家が南近江の六角氏を攻めるための道を開いた。


この時、信長は「市一人で北近江が織田の手に転がり落ちたわ!」と大層喜んだ。


その後、信長は浪々の身であった足利義昭あしかがよしあき擁して入京を果たし、当時京を支配していた三好家を京より追い払い義昭を室町幕府第15代将軍へと押し上げた。


信長は方々の大名に「新将軍である義昭に京へ挨拶に来い」と書状を出すのだが、その書状は多くの大名を刺激する。


なかんずくを無視を決め込んだ越前の名門・朝倉あさくら家を信長は見せしめの為、攻め込んだ。


その時に事件は起こった。


お市の嫁ぎ先であった北近江の浅井氏が謀反を起こしたのだ。


浅井長政謀反の理由は織田家と同盟を結ぶ際に、「浅井家が元々友誼を結んでいた朝倉と戦わない事」というのを信長が破ったからである。


信長は人の心が理解できない武将では無い。


だが彼は一々自分の考えている事を人に説明するという事が面倒臭がる性格であったのが今回の浅井家謀反の仇となったのだ。


信長の配下の中で足早に出世したのは頭がまわり、機転の利く者が多かった。


それは秀吉然り、光秀然り。


先見の明や独特の新しい価値観を持つ者は謀反を起こしても許されると言う事もあった、正信と次郎三郎が一時身を寄せていた松永弾正久秀まつなにがだんじょうひさひでという男である。


戦国の梟と呼ばれた彼は常人が成しえない3つの事を為した。


一つ、主家を滅ぼす、一つ、将軍を殺害する、一つ、東大寺大仏の焼き討つ。


この三つは当時の常人の物差しでは測れない大事であり、世間は三悪などと呼ばれたが、信長は彼の独特の価値観や何ものにもとらわれない心、大胆な行動を高く評価していた。


長政は凡将では無かったのだが、革新的と言うより古き権威を守るという意味では信長の考えが読めず、信長に対して疑心暗鬼に取りつかれる。


疑心暗鬼は一度取りつくと人の心をたちまちに蝕む。


最初はただの約束を破ったから信長は裏切り者と決めつけ謀反を決意したのが、いざ決行となった時には「浅井家を守るため」という大義名分を持ち出すのであった。


信長は大切なお市の嫁ぎ先である浅井家をそして義弟である長政の謀反を許そうと考えていた。


その信長の思いに横やりを入れたのは当時、羽柴秀吉はしばひでよしと名乗っていた織田家の武将であった。


当時、お市の方に横恋慕していた秀吉にとっては出世の妨げになり、尚且つお市の夫である長政の存在は邪魔以外の何ものでもなかった。


姉川の合戦では必死に戦う振りをし、多くの浅井・朝倉連合軍の兵を比叡山に逃がしたのだ。


その後、秀吉は光秀を唆し比叡山の破戒僧の堕落ぶりを信長に言上し、「比叡山焼き討ちすべし松永弾正に出来て御屋形様に出来ぬ筈はありません」などと信長を乗せ叡山焼き討ちを決断させたのだ。


信長はあくまで、仏法を盾にし、麓の村で女を攫い、戒律で禁じられているはずの鳥獣や魚肉を堂々と食らい、酒をたらふく飲み、山の中で淫らに女と交わる醜悪でやりたい放題の振る舞いをする僧侶や、それを見て見ぬふりをした僧侶と叡山でかくまっていた浅井、朝倉の残党を皆殺しにした。


比叡山焼き討ちはそういった無法の輩を討伐した戦であり、決して無差別殺人では無かった。


秀吉と天海が信長死後に歴史を歪曲し信長の「拙速な性格」を「短気」で「残忍」と伝えたのだ。


こうして比叡山に残った家臣を皆殺しにされた長政はますます追い詰められた。


信長は最後まで降伏の使者を出すが、秀吉は「信長は長政の降伏を許すと見せかけ殺害する」という流言を撒いた為、長政は降伏も出来ず、とうとう戦線は小谷城を残すのみとなっていた。


小谷城の戦いで大きな手柄を上げたのは羽柴秀吉であった。


秀吉は軍師の今孔明いまこうめいと呼ばれた竹中半兵衛重治たけなかはんべえしげはるの策で本丸を守る長政と小丸を守る長政の父・久政を分断し長政に圧力をかける為、決死隊を結成し京極丸を攻める奪う事を進言し、秀吉は忍びと野武士を駆使しこれを成功させる。


その後、小丸が落ち久政は切腹、残る本丸には浅井長政とお市の方、当時は茶々と呼ばれていた淀の方、お初、お江、そして長政の嫡男・万福丸まんぷくまるが死の時を待っていた。


信長は長政の大名としての最後嘆願であった、市と子供たちの助命を申し受ける。


こうして浅井家は滅亡したのであった。


信長は万福丸を寺に入れ仏門に帰依させよと命ずるが、秀吉は万福丸によく似た子供を自らの軍勢のみで昼夜探し、ようやく万福丸に似た子を見つけ出し、その子を高野山へ押し込め、信長とお市、三姉妹には万福丸は高野山にて仏門に帰依させたと報告し、当の本人はわずか10歳で秀吉の手によって串刺しにされた。


こうして浅井嫡流の血が途絶えていたことをお市と三姉妹が知ったのは本能寺の後、清洲で織田家の跡取りを重臣たちで会議した時であった。


執拗に迫る秀吉にお市は万福丸による浅井家復興を持ち掛けたところ、秀吉はにやにやしながらお市に全てを語ったのだ。


お市は愕然とし、元々毛嫌いしていた秀吉の申し出に対し「秀吉の体の下になるくらいなら自害して果てます」と言い出し、柴田勝家しばたかついえに嫁ぐことになる。


その後、嫁ぎ先の柴田家も秀吉により滅ぼされ、秀吉はどうしてもお市を手に入れたかったらしく、最後までお市を目の前に無事連れてくるように指示をしたが、お市は三人の娘だけを落ち延びさせ、越前・北ノ庄城きたのしょうじょうにて柴田勝家と共に自害して果てた。


越前を手に入れながらも秀吉の悔しがる姿は欲の権化そのものであった。


その後、三姉妹は結局、秀吉の軍勢に保護という形で監視下に置かれ、長女である茶々をお市に重ね抱く事により、秀吉はお市を抱いている気分に浸るのだ。


女性と言うのは繊細で、尚且つ敏感である。


茶々は秀吉が自分に母を重ね、自分ではなく母を抱いているという事に即座に気付いた。


今の茶々には力も後ろ盾も無い。


茶々は秀吉への憎悪を膨らませ続け、次第に一番近くにいた乳兄弟である大野治長と恋仲になりやがて鶴松と秀頼をもうける。


茶々は秀頼を産んだ功績として淀城を賜り「淀の方」となり秀吉の寵愛第一となった。


淀の方は秀吉がろくに喋れなくなり、死の床に付き危篤に陥った時、励ますふりをして全てを打ち明け「豊臣の血を引く者なぞこの世には既におらぬわ」と一言耳打ちした。


秀吉は目を見開き、そのまま薨去したのだ。


母であるお市から受け継いだと言っても過言ではない秀吉への復讐を淀の方は果たしたのである。


もう一つ母の遺言があった。


これは三姉妹に宛てた遺言でお初、お江も知っていた事なのだが


「浅井家の血筋を絶やす事なく後世に伝えてください」


とお市は母と一緒に居たいと泣きじゃくる三姉妹に生きる希望を与えるつもりで申し付けた遺言であったのだが、三姉妹にとってはこれは悲願であり、また自分たちの使命として生きる目的になっていった。


余談ではあるが2018年現在の天皇陛下はお市の方の血を受け継いでいる。


そんな強い絆で結ばれた三姉妹もそれぞれ別の場所に嫁ぎ淀の方は大坂城に、お初は京極家に、お江は徳川家へ行き何年も顔を合わせることなど無かったのだ。


特に徳川と豊臣は今や緊張状態、まさか再び生きて会えるとは三人とも思っても居なかった。


三人は顔を合わせ再会に喜び、思う存分泣いた。


ひとしきり泣いた後、淀の方がとある姫を呼ぶ。


お江の方の先夫、羽柴秀勝との間に授かった定姫さだひめであった。


お江の方は時代の流れとはいえ、生き別れになった定姫との再会に感涙し、淀の方に大層感謝した。


お初は定姫を京極家へ嫁として欲しがったが、淀の方は定姫の嫁ぎ先を既に決めていた。


お江が大坂に来たことにより淀の方は定姫の嫁ぎ先を明かす。


先の関白・九条兼孝くじょうかねたかが嫡子・九条忠栄くじょうただひでが定姫の嫁ぎ先として内定していると明かしたのだ。


これは秀忠の知らない情報であったが、次郎三郎は既に掴んでいた。


かねてより淀の方から相談を受けていた太閤秀吉の正室・高台院こうだいいんは次郎三郎に使者を送り定姫と忠栄の婚姻の許可を求めてきたのだ。


豊臣家の婚儀とはいえ、次郎三郎に許可を取るという筋を通した高台院の聡明さと先読みの深さに次郎三郎は感心し、二つ返事で許可を出したのであった。


柳生忍は風魔の相手でそれどころではなく、九条忠栄と定姫の婚儀の情報を全く入手していなく、お江が江戸に帰り着いた後に話を聞き、宗矩はまた秀忠の叱責を被るのだ。


千姫の婚儀が滞りなく終わり、一息ついたところで当時身重であったお江の方は大坂城内でにわかに産気づき出産のはこびとなった。


大坂城内で生まれた赤子は姫君でこれを養子に欲しいと願い出たのは、お初であった。


「わらわにも浅井家の血を分けてください、もれ聞く処によれば、秀忠殿はそなたの言いなりだと聞きますよ?」


と言い出したのだ。


お江は、秀忠よりも近くの伏見の上様に許可を取らねばなりませぬ、と言いその場を流そうとするが、お初は伏見まで付いて来たのだ。


次郎三郎は正信と連絡を取り、姫君なれば京極家へ養子へ出しても問題ないという結論に至り、これをさし許した。


養子に出された姫は初姫と名付けられ、京極高次の長男・忠高ただたかの許嫁となる。


秀忠は次郎三郎と正信とお江が勝手に自分の娘を養子に出したことを大層怒り伏見に暗殺者を出そうとしたが、天海になだめられ何とか悋気りんきを抑えた。


こうして徳川家と豊臣家の絆の橋渡しとなった千姫はこの後、数奇な運命を辿るのだがそれをまだ誰も知る由は無い。


またお江もこれで姉・淀の方と徳川が争わずに済むと胸を撫で下ろしたのであった。

ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。

誤字脱字等ございましたらご指摘いただければ嬉しく思います。

これからも『闇に咲く「徳川葵」』をよろしくお願いします。

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