増上寺
芝・増上寺は徳川家の菩提寺である。
そこで開かれた会合とは?
次郎三郎は早く江戸を出て伏見に帰りたかった。
江戸では柳生だけでなく秀忠の目も光り、少しも安らぐ気がしないのだ。
その点、伏見はもはや次郎三郎の本拠地と言っても過言ではない程に敵を排除する工夫や仕掛けが為されていたのである。
そんな中、次郎三郎は正信の訪問を受ける。
正信にしては珍しく歯切れが悪い。
「弥八郎、如何した?」
次郎三郎が尋ねると弥八郎はぽつぽつと語り始める。
「秀忠殿の裏にいる者が分かった、天台宗の南光坊天海殿である、天海殿は徳川嫡流の秀忠殿に付く事により徳川家の安泰を図ると申しておった。」
弥八郎の惜しむらくは明智光秀との面識が無かったことにある。
弥八郎は三河一向一揆から家康の下を離れ、次郎三郎と共に諸国を歩き、一時は松永弾正に共に仕えた事もあったが、如何せん明智光秀の顔を知らなかったのである。
次郎三郎は明智光秀の顔を知っていた。
これは次郎三郎が伊勢長島の一向一揆の際、織田の諸将を次々と狙撃により討ち取り、ついに信長を狙撃した際に、次郎三郎は金の唐傘の馬印を目印に信長狙撃したのだが、撃った後、土岐桔梗の旗をなびかせ信長に駆け寄る明智光秀を目撃していたからである。
その時、気のせいか次郎三郎は光秀と目が合った気がした。
後に本能寺で信長を討ち、その後「中国大返し」をした秀吉に山崎の合戦で討たれたと聞き、伊勢長島で目が合った真偽は闇の中に消え失せた。
次郎三郎は「南光坊天海殿か・・・。」と呟き、とにかく秀忠に加勢するという事は遅かれ早かれ対峙するという事になる。
次郎三郎はとにかく一度会ってみることにした。
弥八郎が会見の場を整え、次郎三郎と南光坊天海は無量寿寺北院で執り行われることになった。
次郎三郎は供に風魔の里より戻っていた六郎を伴い会見に臨んだ。
既に天海は平伏し次郎三郎を待っていた。
次郎三郎が「面を上げよ」と声をかけると、天海は顔を上げ次郎三郎と対峙した。
次郎三郎は目を見開いた。
そして色々な疑問が氷解していくのである。
「家康がなぜ征夷大将軍になると言い出したのか」「秀忠や柳生など尻の青い小僧がなぜ自分や弥八郎と渡り合えてきたのか」「何故、家康は自らの家臣に暗殺されなければならなかったのか」それらがすべて次郎三郎の中で理解すると共に少しずつ怒りの炎が燃えてきた。
「弥八郎、この御仁をどなたかご存知か?」
次郎三郎が尋ねる、正信は次郎三郎に何を言っているのか?と「南光坊天海殿であろう」と答える、次郎三郎は正信に真実を告げた。
「そうか、おぬしは面識が無かったか、この御仁は、かの織田信長公をして金色の頭脳とまで言わしめた、明智惟任日向守光秀殿であるよ。」
正信が絶句した。
「まさか生きておいでとは思わなんだ。」
次郎三郎の不思議そうな呟きに天海が答える。
「伊勢長島の際、あの天魔を撃ち殺して下されば、わしも本能寺なぞという無用な戦を起こす事も無かったろうし、あの猿に好き放題やらせる事も無かった。天下はお主が信長を生かした事で麻のように乱れた様なものだ。」
と天海が次郎三郎を責める様に言う。
次郎三郎も光秀に答える。
「お主は信長公の目を真っ直ぐ見た事はあるのか?あの目は覇者の目だった、あの目を見た瞬間、わしは男として信長公に負けたのだよ、よってあの時の選択に悔いはない。」
天海は恨めしそうな眼をして次郎三郎を睨みつける。
「わしは秀忠殿に付いて、幕府を盤石にするつもりだ、影武者殿にはあまり余計な事はしてほしくないものだ。」
次郎三郎も負けてはいない。
「わしは大殿に徳川の未来と民の未来を頼むと託された、おいそれとその職務を投げ出すつもりはない。」
互に一歩も譲らずこの会見は平行線で終わる。
天海は秀忠に柳生の手練れを次郎三郎につけるように進言する。
次郎三郎の自信は異常だ、傍に控えていた忍びだけで暗殺や襲撃をどうこう出来るというものでもない、次郎三郎の戦力は正確に判断した方が良いと秀忠を言いくるめるのだ。
秀忠は宗矩に柳生の手練れ30名を次郎三郎の監視に付けた。
次郎三郎は天海に会うべきでは無かったかな?と少し後悔していたが、事ここに至っては致し方がない。
約束の日時に増上寺にて主だった風魔衆と仲介人の左近と面会するのである。
いつものように鷹狩りに行くと言い出した次郎三郎に柳生衆はついて行った。
次郎三郎は増上寺で昼餉を取ると言い、増上寺に向かう。
増上寺には先だって風斎と小太郎が控えていた。
次郎三郎はまずは風斎と小太郎に一礼し挨拶を交わす。
六郎に「左近殿は如何した?」と聞くと外の方からざわざわと声が聞こえた。
ざわついていたのは柳生衆30名である、なんと左近は槍を持ち、馬にまたがり、甲冑に身を包み、しゃがれた声で「かかれぇ!!」と叫びながら柳生衆を切り捨てているではないか。
これには柳生衆ばかりでは無く、次郎三郎も驚いた。
「それにしても何という豪胆さよ。」
と次郎三郎が笑いながら感嘆の言葉をかける。
これはもはや秀忠に自分の陣営を隠す必要はないと決心した表れであった。
左近も増上寺の席に付き、会談が始まった。
次郎三郎はまずは伏見城にて腰を据えまずは直接的に秀忠を刺激しないようにするとの旨を伝える。
小太郎が各地の金山銀山の代官の元締めとして、大久保長安という男を置き、全国の金山銀山の利権を次郎三郎が一手に握る事を進言。
次郎三郎の警護は六郎を頭とし風魔衆で行う事、側室達の警護はおふうを頭とした風魔くノ一衆で行う事、左近は駿府に暫く留まり城普請の為の情報を集める事、小太郎、風斎親子は箱根山に新たな風魔の里を作りいつでもそこに移住できるよう整える事などなど、重要な案件が話し合われた。
次郎三郎は結城秀康、松平忠吉、松平忠輝が万が一にも秀忠の手にかからぬよう、風魔を数名手配し見張らせる事にする。
これと同時に見張りの風魔衆には次郎三郎の正体を明かし秀忠に徳川宗家相続の正統性が全くないとの密書を持たせ定時連絡が切れ次第それを公表するというからくりを仕掛けて、秀忠においそれと手出しできないように工夫する。
そして次郎三郎は最後に敵の正体を告げるのだ
「敵の軍師は南光坊天海と言う坊主の名を語っているがその実は、本能寺で信長公を闇討ちにし、山崎で秀吉公に討たれたとされた明智惟任日向守光秀であった。」
その場にいた皆が驚いた。
なにせ山崎の合戦にて戦死しているはずの男なのだから。
「光秀は秀忠殿や柳生の様な尻の青い小僧とはわけが違う。信長公、秀吉公、ひいては家康公にも引けを取らない智謀と軍略の持ち主である。存分に用心召されよ。」
各々が改めて気を引き締め、もやの中に隠れていた真実の敵を見つけた気分になったのである。
ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。
誤字脱字等ありましたらご指摘頂ければ幸いです。
これかも『闇に咲く「徳川葵」』を宜しくお願いします。




