風魔の忍び
風魔忍軍ただいま参上!!
六郎はおふうを伴い風魔の里を目指し旅をしていた。
六郎とおふうは許嫁という事になり、風魔衆を味方に付ける算段となっていた。
男と女が道中同衾をして何もないはずはない。
おふうと六郎は自然の成り行きの如くに契っていた。
六郎にとって、最初は任務の方が重要であったが、体を重ねる毎におふうに情が湧き日に日に愛おしくなるのだから男と女とは難しいものである。
おふうからしても六郎は可愛かった。
男はいくつになっても女のおおらかさからは巣立てないのかもしれない。
そうして二人は箱根を目指し、小田原へと入った。
箱根山は普通の猟師でも狩に入る変哲の無い山である。
しかし、猟師は狩の最中でも、とある目印を越える事は決してしなかった。
それは風魔衆が箱根の山に施した結界の目印である。
すなわち、この結界を越えるものには、風魔は命の保証をしない、というものであり、地元の猟師たちにとってその風魔の結界を越える事はすなわち死を意味するのである。
もし印を忘れていても風魔は彼らにきちんと警告を与え、無駄な殺生は行わない忍びであった。
風魔衆は伊賀、甲賀よりも古い忍び集団である。
元は高麗(朝鮮半島)より落ち延びてきた落人が箱根山に集落を作ったとも言われるがこれは定かではない。
しかし彼らは日本語の他に彼ら独自の言語を使い、その言語を他の者からはわからないように風魔の暗号として使用していたり、日本の忍びにはない独自の技術を持っていたりと他の忍び衆とは一線を画してあった。
彼らを好んで使ったのが北条早雲を祖とする後北条氏であった、なかんずく北条氏康は相州乱波として情報収集、情報操作、など風魔衆を使った。
後北条氏の家臣が曰く風魔衆の棟梁は小太郎と名乗り、身長は2メートルをゆうに超え、口は裂け、鋭い牙が何本も生えている鬼のような面相であるとの話であった。
後北条家の隆盛と共に風魔衆も力を増し、お家に敵対する者たちからの盗賊働き、海賊働き、山賊働き、窃盗など、その数少なくとも200名以上からなる忍び集団となっていった。
後北条氏の滅亡と共に歴史の表舞台から姿を消した風魔衆であったがその実は箱根の風魔の里で「治に居て乱を忘れず」と忍びの修行を欠かさずに何処にも属さず暮らしていたのだ。
おふうは今でこそ次郎三郎の小間使いや身辺警護をしているが元を糺せば江戸城を開いた太田道灌のひ孫であるお梶の忍びであり、やはり関東とつながりがある人物と風魔は上手く共存していたのだ。
後北条氏が滅亡した後、誰にも仕えなかった風魔が一介の影武者である次郎三郎に仕えるかどうか六郎も次郎三郎の書状を携え、少々考え込むが、それを忘れさせてくれるような包容力と女性特有の柔らかな体で六郎を熱くさせてくれるおふうが「今は何も考えずに私をお好きに抱いてください」というものだから六郎もおふうから離れられなくなっていった。
小田原に近づくにつれおふうの口数が少なくなっていった。
六郎はおふうが風魔の棟梁に会うのを恐れに似た敬意を持っているのだと感じ取ったのだ。
六郎はそんなおふうに言葉をかける。
「俺には忍びの資格は無いな。」
突然の六郎の言葉におふうは驚く、そんなおふうをよそに六郎は続ける
「だが、それでも構わない、おふうよ、俺はお前無しでは生きてゆけぬ。伏見に戻り次第、殿に願い出てそなたと夫婦になろう」
おふうは顔を赤くして
「六郎・・・。うれしい。では風魔の長にあなた様が夫であると紹介してもよろしいのですね?」
おふうは六郎に聞く。
「あぁ、いいさ、事実なのだから。」
何の躊躇いも無く六郎は答えた。
おふうはまず風魔の一族として長に六郎の面通りを願い出ると言い、箱根へと向かって行った。
六郎は小田原に宿を取り、おふうの連絡を待つ。
おふうは風魔の里に付き次第、棟梁と面会する。
棟梁はおふうの変貌を即座に察知し。
「おふうよ、そなた女になったな?」
とおふうに尋ねる。
おふうは答える。
「はい、父上。亭主を連れてまいりました、小田原にて待たせてあります、父上が御鑑定ください。」
とおふうは小太郎に告げた。
そう、おふうは風魔小太郎の実の娘であったのだ。
そこに小柄な年寄りが口を挟む
「いや、婿殿の鑑定はわしが行う。」
小柄な年寄りはおふうからすれば御爺様であり、先代・風魔小太郎であった。
当代はおふうに伺う。
「先代の鑑定は厳しいぞ?それでも良いのか?」
おふうは顔を朱に染めこくりと首を縦に振る。
「ふぅむ、おふうの申す通りの男だと良いのだがね?」
と先代・風魔小太郎、引退して風斎を名乗っていた年寄りは小田原へと向かう。
風魔の恐ろしい所は手加減を知らないと云う所であった。
この一族、戯れにすら命を賭けるというとんでもない一族なのである。
風斎の試験は凄まじいので有名であり、人格が壊れる事もしばしばあったという。
そんな事は露とも知らず六郎は小田原の宿でごろごろしていた。
おふうの帰りを待っていたのだ。
少々遅いくらいにしか思っていなかった、おふうもあれで立派な風魔忍びの一員だ、それより自分はこんなところにいてよいのかなどと考えていたら、急に外が騒がしくなった。
「宿改めである!!」
小田原藩士が宿改めをするのは別段珍しい事では無かった。
関ケ原の合戦が終わり、天下には浪人が満ち溢れていたのだ。
そんな浪人の中でも反徳川思想を持った浪人たちを取り締まるためにも、小田原藩は度々宿改めを行っていたのだ。
六郎は次郎三郎から家康の命を受けた鳥見役というれっきとした役職を与えられていた。
鳥見役というのは鷹狩りを行う現地の下見役であり技能職として扱われていた。
これに似た職で鷹を飼育する鷹匠という役職もあった。
六郎は次郎三郎直属の鳥見役と云う事で、小田原藩士がその身分を見れば大々的に接待をしなければならない程の身分を与えられていたのだが、この宿改めが六郎の勘に危険を訴えていた。
六郎は決めたら即、旅支度をし、押し入れから天井裏へと上がり、小柄で天井に穴を開け下の様子を見る。
「誰もおらぬではないか!!」
と武士が宿の主人に聞く、宿の主人も「あれ?さっきまでは」などと言い、自分でも訳が分かっていない様子であった。
さかんに謝る宿の主人をよそに武士たちはおざなりに荷物を改め、不満そうに宿を後にするのである。
六郎は屋根の下地を破り屋根に上がった。
すると先ほどの武士たちが眼下に見えた、彼らは集って何かを相談し合っていたが、次の瞬間ばらばらに帰るのではなく宿を囲み始めるのだ。
その動きは宿を張り込みする為のものと見抜いた六郎は相手に囲まれる前に屋根を降り囲みの外に出る。
本来の忍びであればその場から即逃げ出すところだが、六郎はおふうの連絡を待たねばならない。
今回の宿改めが異常な事を六郎は感じていた、武士たちは他の部屋に目もくれず六郎の部屋に直行したのである。
六郎は武田信玄の家臣として名高い高坂昌信の末裔を名乗っていたが、取り分けて有名な盗賊でもなければ忍びでもない、父であった高坂甚内は少々有名な忍びであったとしても、天目山の戦い以降、顔すら合わせていない。
六郎はこの危機感を改めて分析する、まず、この小田原は秀忠の重臣で筆頭家老でもある大久保忠隣の城下町である。
その忠隣配下の小田原藩士が関ケ原の落人ではなく六郎を名指しで探しに来たという事は落人狩りを名目として六郎を捕らえる事が目的となる。
何故、自分が忠隣に捕らえられねばならないのか。
秀忠も柳生ですらまだ次郎三郎の忍びとして自分の存在を掴んではいない、なにせこれが初任務なのだから。
となれば秀忠側として六郎の名が詮議に上がるはずが無い。
「となれば彼らは風魔か。」
六郎はようやく答えにたどり着いた。
「この藩士達が本物か偽物かはわからぬが、動かしたのは風魔でまず間違いあるまい」
自分の存在を知っているのは今のところ風魔衆のみである。
六郎は少し離れた所に疲れて足を投げ出している飴屋の老人を見つけ、その老人からかなりの金銀を与え飴家の衣装を借り受ける、そうして飴屋になりすまし小田原藩士の様子を見る事にする。
六郎はあきれ果てた。
六郎が子供達に飴を売りながら武士たちの素性を探っていても誰一人として、六郎の変装に気付くどころか、疑う者すらいないのである。
六郎はこの者たちが忍びでは無いことを確認した。
「恐らくは本物の小田原藩士、しかし本物の宿目付では無いな。」
六郎の人物鑑定と変装は逸品であった。
だからこそ左近が高坂六郎と云う忍びを絶大的に信頼しているのだが、六郎は気づかぬ内に風魔に出し抜かれていた。
「藩士は良いとしても、それに指令を与えている者はどこにいる?」
それを考えた時に指令を出している者が誰なのか六郎は悟った。
「やられたな」
六郎は飴屋の老人の下に戻り
「ありがとう、荷物を返すよ」
と言い荷物を降ろす。
そして衣装を脱いで老人に放り投げると、放った衣装と共に背中に刺していた直刀で素早く老人を袈裟に切りつけた。
しかし六郎の刃は服を切っただけであった。
老人は驚くべき素早さと跳躍力で築地塀の上に立っていたのだ。
六郎は自分が切り裂いた服を着て老人を見ると老人は六郎の服の下に渋い着物を着ていた。
六郎は暫く老人を見つめ、直刀を納め、苦笑しながら老人に語り掛ける。
「裸になった分、俺の負けだな。」
老人はにこやかに
「よくぞ見破った。太刀筋もなかなか鋭い、わしでなければ斬られておったろう。」
風斎は六郎がえらく気に入り、六郎の新たな服を仕立て、宿に戻り六郎の荷物を受け取り、宿代まで払ってくれた。
箱根の間道から間道まで風斎は上機嫌で六郎に話しかけていた。
話は主におふうの事であった。
「おふうの人柄はどうおもう?」「おふうのあじはどうだった?」「子供は何人産ませる気だ?」などと六郎にはとても答える事が難しい質問ばかりであった。
六郎は少々辟易していたが、六郎の密命への質問が無いことには助かった。
おふうが気を利かせてくれたのだろう、ただ自分の選んだ亭主を一族に紹介する為に里帰りしたと思わせるように取り計らってくれているのだと六郎は思った。
六郎の密命は風魔小太郎に直接願い出なければならない秘事である。
その点に関しては六郎はおふうはよくやったと心の中で満足し褒めていた。
六郎はまだ気さくに話しかけてくる風斎を風魔の小頭であると信じている
「風斎殿ほどの者が小頭となると風魔の棟梁とはどれ程の力量なのか・・・」
六郎は心の中で緊張する。
風斎に付いて歩いていると「ふっ」と人の気配を感じる。
しかし殺気はない。
風斎は「ただの見張りじゃよ、気になさるな」
人の気配は木の上にあった、地面に足跡一つない所を見ると恐らく「猿飛」の術の達者なのだろう。
見張りの後には罠の数々が六郎を襲った。
網の罠、振り子の原理で人形が向かってきて抱き留めれば無数の竹槍で体を貫かれる罠、落とし穴、またもや辟易する六郎は
「ご老人、箱根の山には全山このような仕掛けがいくつもあるのですか?」
と聞くと、先ほどから嬉しそうに六郎を眺めていた風斎は
「まさかじゃよ、多少奥まった所だけじゃよ、これらを風魔の結界という、地元の猟師や杣人(木こりの様な者)は皆知っている、もし忘れていてもきちんと警告する」
これは暗に「風魔は民をいたずらに殺生をしないのだ」という事を六郎に教えていた。
風魔の結界と呼ばれる罠は現代戦術で言うゲリラ作戦に向いている罠ばかりであった。
先の関ヶ原では徳川秀忠3万8千の兵が真田約3千の兵に大敗したのは記憶に新しい、その時真田昌幸が徳川の大軍に寡兵で勝利を収めた戦法こそゲリラ戦であったのだ。
またしばらく歩くと今度は大人数の気配を察知する、恐らくこれが風魔の里なのだろうと六郎は感じた。
が、そうでは無かった。
山火事を避ける為に開けたような場所で、建物は一切ないただの広場であった。
そこに柿色の装束を纏い、半具足を付け、陣刀をはいた屈強な男たちが100人程集まっていた。
中央に台が設けてあり、風魔小太郎と思われる男の姿があった。
身の丈2メートル以上あり、口は裂けんばかり、上に下にと鋭い牙が生えている偉丈夫の横にはなんと花嫁姿のおふうがいるではないか。
六郎はおふうの美しさに間抜けにも口が空いた。
風斎が笑いながら
「よだれがたれておるぞ?」
などと六郎を茶化した。
「さて、まずは着替えて貰わねば、せっかくの祝言にそのいでたちではな」
六郎は三人の男にあっという間に裸にされ、小袖を着せられた。
よくみれば、風斎も他の風魔の忍びも小袖の上に鎧をつけていた。
風斎はその視線を察知したのか
「鎧を脱げばたちまち常人になれるからじゃよ」
と六郎の疑問に答えてくれた。
小袖の上に鎧をつける事を好んだ武将がいる。
織田信長だ。
通常は鎧下地と呼ばれる布製の服を着てから鎧をつける。
鎧下地とは付けるのには衝撃吸収の他、鎧による肌の擦れを守ったりする為に着るのだが、信長はその手間を嫌い、小袖の上に鎧を付けることを好んだと言われている。
せっかちとも言えるが合理的な考えの信長らしいエピソードの一つだ。
六郎は新郎服に着替えるときに忍び刀だけは手放さなかった、それから着替えながら台の方を観察し風魔の小頭衆らしき人物を観察していた。
六郎は着替えが終わると、風斎によって六郎は台に案内され、まずは小太郎らしい大男に一礼をし、すぐ傍にいた小柄な40代半ばくらいの男性の前であいさつする。
「風魔小太郎殿とお見受けいたす、それがし、甲斐は武田家に仕えた忍びの末裔で高坂六郎と申します、今は徳川家康公のお指図に従っております、よろしくお引き回しの程、御願い申し上げ奉ります。」
風魔衆から驚きの声が上がった。
これは六郎の賭けであった。
一つは風魔ほどの忍びの棟梁が六郎に初手で顔を晒すとは思えない、もう一つは大男が余りにも伝説の小太郎にそっくりだったからである、大男であると喧伝すれば本物の小太郎は逆に身長が低いのかもしれない、そして六郎の決め手は今六郎があいさつした男がその条件に合っている上に、黄金塗りの豪奢な太刀を佩いていたからであった。
小男は、呆れた顔をして
「親父殿が教えたのですか?」
と風斎に尋ねる。
風斎は
「そんな面白くもない事、わしがすると思うかね?」
と答えた。
他の棟梁たちが六郎を見て「さすがおふう様の選ばれた方!」「いやいや、この方は風魔に近い」などと感嘆の声をかける。
それらは六郎にとっては誉め言葉なのであろうと、賛辞を喜んで受け取った。
小太郎が六郎に問いかける。
「して、そなたが我が娘と夫婦になりたいと申すのだな?」
六郎がきょとんとした、次の瞬間驚いて
「娘!?」
と仰天する。
「小太郎の娘と知らずに契ったか?」
小太郎の目が鋭くなる。
「風魔を繋ぎ止める為に契ったのではないのか?」
と小太郎が重ねて六郎に聞く。
六郎は、「いかにも」と返事をし
「初めは風魔へと繋ぎをつけるためでした、しかし契ってみて気が変わりました。おふうが風魔と関係なかろうと俺の女房にと決めてあります、それはならぬと申されるならば連れて逃げます。」
おふうが顔を赤くして今にも六郎の傍に行きたいと言わんばかりの顔をした。
小太郎はそんな二人を見て苦笑しながら
「六郎よ、おぬし女子に慣れておらぬな?」
と聞く、六郎が「何故ですか?」と問い返すと小太郎は
「当の女の前でそのような事は言わぬものだ、本人を増長させるぞ?」
などと言うのだ、広場にいた風魔衆がどっと笑った。
皆、六郎が気に入ったのだ。
風魔衆としてもいつまでも血族婚姻をするわけにもいかず、新たな外の血は歓迎のするところであった。
こうして六郎は風魔の一族として認められることとなったのだ。
ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。
誤字脱字等ありましたらご指摘頂ければ幸いです。
今後も『闇に咲く「徳川葵」』をよろしくお願い致します。




